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02.あと一つ

「ガレ、かえりました……かえったぞ!」


 修道服を身に纏った少女――クロ・ガレ・シルバ・メタルクローの声がおれの家に響いた。


 月夜の晩。光の谷、光の村。


 豊かな自然をたたえたこの地は、その名通りに谷らしき場所もあるものの、森林や丘陵地帯など多くの要素を内包している。西に広がる大海原を一望できる切り立った崖からしばらく歩いたところには人の手が加わった森があり、その拓かれた中央部には、いくつかの建築物が見える集落が広がっていた。


 建築物群の一部は焼失しており、また雨風による劣化や外部からの衝撃によって使用不可と判断されたものも複数ある。建物としての役割を果たし、同時に安全といえるのは、かつて村長が住んでいた家と隣接した小屋、それから三つの小さな木造建築のみだった。


 かつて、という言葉通り、いまこの集落には村長が不在である。いや、村長だけではなく、村人のすべてがこの集落をあとにしていた。ゆえにこの村の住人といえばいま、バネッダ・ハウクと前述のガレの二人を指すのだった。


(あとライアもね)

「口を挟むな」


 おれは自分のなか(・・)から聞こえてきた声にため息を吐いた。


 元・村長宅。安楽椅子に腰かけているバネッダがおれで、玄関口から聞こえてきた声がガレだ。しかし二人とはあくまで一般人に視える人間を指しており、正確にはもうあと二人、いや二匹が、ここには住んでいる。


 その一匹が先ほどの声の主でありアシィヴ・パルプ、愛称アッシュである。種族はスライム。立派な魔物であり、現在の世界情勢では人間の敵のはずなのだが、彼女と彼女の出身は争いには無縁だったようであり、おれに対しても友好的な態度を示してくれている。


 おれと彼女の関係性は、ひとことでいえば命の恩人である。魔物との戦いで瀕死に陥ったおれを救うため、彼女は自らの命を賭して治癒を施してくれた。結果的に彼女は現在も意識を保っているが、自身そのものを肉体の縫合や埋め合わせに使用したせいで、現在はおれの肉体に溶け込むようなかたちで生きているのだった。


「かってきました……ぞ!」


 部屋に駆け込んできたガレは、両手いっぱいに荷物を抱えていた。おれは礼を述べ、それからガレの隣に浮かぶ半透明な白外套(フード)の少女に目を向けた。


「ライアもおつかれ。ありがとな」

「いえ、ぼくはなにもできないんですけど……」


 困ったように頬をかくその少女が、件の二匹目である。ライアット・スウで、愛称はライア。しかしライアット・スウはあくまでも幽霊の代名詞のようなものであり、本名は不明。もとの種族も同じく不明だが、現在はファントムの身だ。アッシュと同じく魔物であり、彼女はなんらかの理由で幽霊であるファントムという存在になっていた。記憶喪失の身ながらおれやアッシュに快く協力してくれており、危機が去ったのちもおれたちとともに行動してくれている。


「ガレはしっかりしてるけど、人間社会のなかじゃ子どもも子ども。見守る目は必要だよ。それで……」


 おれは小さくため息を吐いて、テーブルの上に荷物を置いたガレに問うた。


「そのガレって一人称と語尾はなんだ?」

「えっと、こういうほうが『らしい』って、テリアンさんにいわれたんだぞ!」

「クロ、やっぱりあの人とはもうかかわるな」


 らしさを強要するな。それを吹き込む現場を見ていたはずのライアがニコニコ顔でガレを眺めているのに腹が立つ。


 外見こそなんの変哲もない少女であるガレは、なんらかの事情で人間の姿になっている鉄爪獣(メタルクロー)という魔物である。魔物にこの谷で育てられたらしい少女はもちろん人間の社会に疎く、谷から離れた街まで生活必需品をおつかいに行くという案はおれを不安にさせた。それを解決したのが見守り役のライアと、街に滞在しているテリアンという女性である。


 テリアンにガレを任せることについて、実のところもっとも彼女を信じていたのはおれだった。彼女とはほんの数時間ともにいただけだったが、彼女の『成金の奴隷(つきびと)』という経歴はそれなりに信用できるものだったからだ。


 もっとも真っ先に裏切られたのもおれだったが。


「だいたい彼女はなにをやってるんだ? あれからもう二週間経ってる。街で身を隠せるならわざわざここにきて危険を味わった意味はなかっただろうに」

「それがですね。なにやらウィランドの街の出入りを嗅ぎ回っている方たちがいるらしく、さらにご主人さまが行方不明だとか」


 ライアが丁寧に説明してくれた。おれはガレの荷物を開きながら話を聞く。


「ご主人さまって、ラブロスが?」

「はい。ぼく自身がテリアンさんと会話できるわけではないので、詳細はわからないのですが」

「向こうも大変なんだな」


 口に出してなんだが、まったく心配していないのが自分でもわかった。


「そういえば、バネさん」

「なんだ?」

「前も思ったんですけど、それ、なんです?」

「なにって……」


 おれは二つに折られ重ねられた印刷紙を掲げた。


「新聞だよ」

「それはわかってます」

「なにって訊いたのはライアだろ?」

「いえ、どうして新聞を買っているのかと……」

「世間の流れを知るのは大切だ。知っているか? 勇者の動向を幅広く社会に伝え記録するために、こうやって新聞の文化がなかった地域にも多くの新聞社が立ち上げられたんだ」

(へー。わたしの地元には新聞なんてなかったからなぁ)


 アッシュの声に、おれは頷いた。


「もともと小規模なコミュニティなら掲示板や口伝でこと足りるからな。行政や教会が主導の地域もあったが、それはあくまで情報の取捨選択を各々の主観によっておこなうから……」

「いえ、だからですね、バネさん」


 ライアが眉をひそめて遮った。


「バネさんはスローライフというものを送りたいのでは?」

「どうしてここでスローライフって言葉が出てくるんだ」

「ぼくもまったく理解していないんですけど、バネさんの説明を訊く限り、スローライフというものは、世間と切り離され、ゆったりとした日常を送ることを指しているのではないのでしょうか」


 そういえば数日前にライアとガレにその話をしていたのだった。表情だけを見れば二人ともよくわかっていない風だったが、こういう質問が出てくる程度には理解できていたらしい。


「世間と完全に切り離されたらそれはただの世捨て人だろ。外の情勢を知ることで、相対的にスローライフを送ることができるって考えだ」

「すごい自信に満ちた発言ですね……」

(いや、なによその理論……)


 ガレはおれとライアの会話を首を傾げて見続けている。彼女が買ってきてくれたのは、新聞だけではない。


「あの、訊きたいことはほかにもあります」

「なんだ?」


 おれは小さな風呂敷と紐を使って、携帯食糧をまとめ始めた。携帯食糧の大半は非常に硬い肉だ。保存食として圧縮され、塩漬けにされたそれは、野草などとともにスープにするとちょうど良い具材となる。長期保存を考えると缶詰が適当なのだが、適正な価格で街に置いてあるかどうかがわからなかったし、ガレがその体躯に見合わぬ剛力の持ち主だからといって大量に持たせるのはどうにも気が引けたゆえの塩漬け肉である。


「ぼくもまったく理解していないんですけど、こういった地でスローライフを称して暮らす場合、自給自足の生活は半ば必須なのではないでしょうか」

「むちゃくちゃ理解してるな」


 おれは感心した。それから、その答えとなる一冊の本をライアに見せた。


「これを見ろ」

「『最新農業事始~サルでもわかる自給自足入門~』ですね」

「ガレに買ってきてもらった最新版だ」

「……え? だから、なんですか?」

「やる気はあるよ。やるべき供養(こと)も一通り済んだし、来週にでも始めるさ。大丈夫。ここの住人たちが基盤は作ってくれてる」


 集落が文字通りの戦火に包まれた際に一部がダメになったものの、ここに住んでいた者たちが管理していた農作物などはまだ残っていた。家畜は不幸にもそのすべてがさまざまなかたちで処分されてしまっていたが、それもどうにかなるだろう。


「大丈夫、ですか」

「なんだそのなにかいいたげな表情は」

「いえいえ。別にぼくはバネさんが野草摘みすらガレに任せている現状をどうこう思っているわけではありません」

「必要なのは衣食住。食をガレに任せているだけだ」

「衣も住ももともとありましたよね」


 おれは目を逸らしたつもりだったが、ライアを避けてみればそこにはガレが立っていた。


「ガレは山もたのしいからだいじょうぶだぞ。ほかの子たちともあえるし、ライアもこんどいっしょにくる?」

「ほかの子って、魔物のことですか?」

「そうそう。あ、でもわるいことはしてないよ!」


 幸運にも話は脱線してくれそうだ。おれは慌てるガレに微笑みを返した。


「別に取って食おうだなんて思ってないよ」

「そうなの?」


 おれは頷いた。アッシュやガレの話を総合すると、この谷の周辺には現在も少なくない魔物が暮らしているのだという。もっとも魔王の決起に乗らなかったりそもそも戦いを好まなかったりと、全体的に穏和で強くない種族がほとんどのようだ。ガレを除いて全滅してしまったメタルクローたちは、その魔物たちを外部の環境から守る役目も果たしていた。


 安堵した様子のガレを見ていたライアが、じとりとした目をおれに向けてきた。


「こんな純真な子をパシリに使うだなんて……」

「パシリってなんだ。お小遣いはちゃんとあげてるからな」

「それをパシリというのでは? だいたいそのお金も、いつまでもつのかわかりません」

「もつぞ」

「え?」

「しばらくはもつ。これはな、魔法のカードなんだ」


 おれがそういって取り出した小さなメモ帳に、ライアはいよいよ眉間のシワを顔全体に広げた。


(怪しすぎる)

「怪しすぎます」

「怪しいとは失礼な。これに必要な金額を書き込んで、ページを切って店主や役人に渡す。するとあら不思議。買い物が簡単にできてしまうという魔法のカードだ」

「それ、本当に大丈夫なんですか?」

「心配するな。この費用は勇者御一行の特殊費用として計上される。どこで誰が使ったものなのかは記録されないし、もちろん明かされることもない」


 もちろん不正利用を防止するための仕組みは備わっている。それを説明しようとしたおれを、ライアが問いで割り込んだ。


「あの、それってバネさんが……」

「そう、三日で死ぬから渡されたものだ。だから期限はもう切れてるよ」


 おれの言葉を理解できていない様子のライアに笑いかける。


「旅の途中で洗浄(ロンダリング)しといたんだ。なるべく小さく、かつ換金可能なものを買ってな。ガレには一つ徒労が増えるけど、だから有限ではないが安全だ」

(ずるっ)


 アッシュの声を無視して、おれは新聞を開いた。


 当初は宝石などを買い集めていたが意外とかさばり換金に時間もかかる。交易用の手形が便利と気づいてからはもっぱらそちらを利用するようになった。三日間の小旅行を円滑に進めるため、多めに用意したのが幸運だった。そのころはまさかこうしていまも生きているなど思いもしなかったのだから。


 バネッダ・ハウク。幸運な男という自負はある。三日後に死ぬ呪いを受けながらその力を奪われ、紆余曲折を経て吸血鬼とスライムが持つ異能を得たが、その副作用で文字通り、太陽の下を歩けなくなってしまった。


 何度か外に出て挑戦してみた結果、その行為が完全に不可能であるわけではないということはわかった。おそらく二分前後ならば耐えられる。それ以上は無理だし、これはあくまでも曇天かつ自身が静止状態における実験の結果だ。条件が変われば、たとえば直射日光下ではまず一瞬で肉体が朽ち始めるだろう。


「そういえば、バネさん」

「今度はなんだ? お、魚介類の収獲量がずいぶんと不足しているらしいな」

「知らないです。それよりガレのこと、ガレって呼んでくれるようになったんですね」


 首尾よくガレのおつかいが終わったことでほんの少しばかり上向きだったおれの気持ちが、また沈んだ。


「呼び方が複数あると混乱するだろ……」

「人なんて大抵がいっぱい呼び名を持ってるじゃないですか。バネさん、バネッダ、ハウク、勇者さま……」

「勇者さまってなんだ。ガレの場合はもともと名前がなかったんだから、普通の人間とは状況が違う」

「それは……そうかもしれませんけど」


 ライアとの問答が済んだのを確認してから、新聞を広げたまま、おれは横目にガレを見た。


「今日、なにかあったのか?」

「え?」


 わざとと勘ぐるほどに動揺の色を隠せないガレに、おれは眉をひそめた。


「そこにボーッと立っておれを見てるから、なにかと思ったんだが……」

「な、なんでもない、ぞ」


 手がかりを求めてライアの顔を見ようとしたおれは、彼女が部屋からすり抜け出ていってしまったことに気づいた。どうやらライアはガレの隠しごとを知っているらしい。わかりやすいにもほどがある。


 さらにその正体は本人(・・)の証言ですぐに明らかになった。


 鳴き声だ。しかもそれなりに聞きなじみのある鳴き声だった。


「ネコだ」

(ネコね)

「な、なかないってやくそくしたのに……」


 動物には酷な話だろう。目の前で食物をおあずけされているならなおのことだ。


 家の裏手に回ってみれば、そこには小さな一匹の白猫。さらに家のなかに持ち込んだものとは別の風呂敷があり、なかにはキャットフードが入っていた。


 そう、キャットフードである。


「いえ、違うんですよバネさん。ガレは決して自分で買ったわけではないんです。すっごくしつこい商人さんがいまして……」


 一足先に外に出ていたライアが早口で弁解した。それくらいはおれもわかっている。


 小さく袋詰め(パッケージング)されたものが全部で三つ。その一つを開けると、なかには小粒のドライフードが入っていた。


 一口噛んでみる。


「普通においしい。おいしいが……」


 ネコがいかにこの食品を好むかという説明文の下。丁寧に袋に貼られた値段表に、おれはため息を吐いた。


「最近一部の地域で流行ってるのは知ってたけど、ネコ用と銘打ってるのにこれは高すぎだ。金はあるが貴族じゃあるまいし、さすがにあげるのは余りものでいいだろ」


 おれの言葉に、ガレとライアは目をぱちくりさせていた。


「なんだ? ペット禁止とでもいえばいいのか? そういう性分じゃないぞ」

「い、いいの?」


 おそるおそる訊くガレに頷きを返す。


「迷惑になるわけでもなし、ガレが拾ってきたってことは、一匹じゃまだ生きられないようなネコか、逆に一匹でしか生きていないネコってあたりか。まぁ、気にするなよ」


 おれの許可がそんなに必要だったのかは知らないが、ガレとライアが弾けたように喜んでいるのを見ると悪い気はしない。おれはおつまみ感覚でキャットフードを口に運びながら、空を見上げる。


 上弦の月。月の満ち欠けが、ここにきてからの月日を教えてくれる。


「バネさん」


 声に振り向けば、ガレが子猫を右腕に抱えて立っていた。


「ありがとう、だぞ!」


 おれは鼻を鳴らした。


「口調、無理するなよ。それと……」


 左手にキャットフード。良い音を鳴らして咀嚼を繰り返している彼女にあと一つだけ。


「もとがメタルクローとはいえ、それはせっかくだからネコに食べさせてやるといい」

(ええ……バネさんがいうの……?)


 未開封のキャットフードは、すでに残り一つだった。

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