03.返してきなさい
終日鳴り続けると思っていた雨の音が止んだ。陽が完全に落ちる少し前に起きたおれは、元・村長宅の地下を出て、窓辺に立った。西方の空に残る赤い空がわずかに見える。
もちろんその程度の陽光であっても、おれの肉体にとっては十分に毒だ。少しだけ眺めて、おれは顔を歪めて窓から離れた。
(ちょっと耐性できてきてない?)
「耐性じゃない。どこまで痛みを我慢していいのかがわかってきただけだ」
アッシュの声はおれにしか聞こえないから、傍から見れば完全にただの独り言だ。しかしそれを聞く者はいないのだから、特に気にすることもない。
外を眺めた行為にとりたてて意味があるわけではなかったが、強いて挙げるならばガレの身を案じてだろうか。帰りはおそらく明日の夕方。ウィランドの街を出るときにあちらも晴れていればいいのだが。
ふと思い立って玄関を開けてみれば、雨宿りのついでにお昼寝でもしていたのか、転がっていた白猫が驚き起き上がった。せっかく買ったのだからとおれは残り一袋のキャットフードを開けようと思ったのだが、白猫は俊敏な動きで姿を消してしまった。
「おれ、そんなに怖いか?」
(警戒してるだけでしょ)
そういうものか。おれはその場で欠伸を挟んでから、地下のベッドへと戻った。もう一度眠ろうと毛布を被ったおれに、アッシュが小さくため息を吐いた。
(野草摘みは?)
「明日、ガレが帰ってきてからにしよう」
(農作のお勉強は?)
「明日」
(大丈夫なの?)
「明日から本気出す」
(ええ……)
決して怠惰な性格ではないと思うのだが、一度楽をしてしまうとずるずるといってしまうものだ。
「ラブロスの件で薄々気づいてはいたんだがな」
(はい)
「スローライフを送るのに、ここは立地が良すぎる」
(はぁ)
「ここは良い土地だけど、いつ誰がきてもおかしくないって話だ」
(話、逸らしましたよね?)
バレてしまった。
「別にずっとここにいようって話じゃない。もう少し日光に耐性が持てるなら、街でひっそり暮らすって選択肢もあるんだがな」
(出ていくんですか?)
「まぁ、いますぐにってわけじゃない。ガレもここを気に入ってるみたいだし、シスターにはあんな風にいっちゃったしな」
はっきりと明言したわけではない。ただガレと仲が良かった修道女に、またここで会いましょうという口約束をしたのみだ。もっとも前述の通りここまではっきりいったわけではないし、ガレを一人置いていっても彼女は大丈夫そうではある。
だからここをすぐに発つかといえば、それは別問題なのだが。
「アッシュをもとに戻す方法も探さなきゃいけない。あと、故郷に行くのもな」
(もとに戻れるって話には乗るけど、別にわたしは帰りたいわけじゃないよ)
「みんな心配してると思うけどな」
(状況が状況だし、そんなに気軽に帰ることなんてできないわ。あっちが迎えにきてくれるっていうなら話は別だけどね)
「そういうもんかねぇ……」
一つ間が空いて、アッシュがふふんと鼻を鳴らした。
(そっかぁ……)
「なんだ?」
(仲間たちが恋しくなった?)
「なに?」
予期せぬ質問にベッドの上で上半身を起こしたおれは、動作を巻き戻すようにまた横になり毛布を羽織った。
(そこまで驚く質問だった?)
「そこまで驚く質問だったってのをわかりやすく示すために体を動かしたんだよ。で、どうしてそうなる」
(苦楽をともにした仲間なんでしょ? 別に仲違いしたわけじゃないんだし、戻れるんなら戻りたいと思ってるんじゃないかなって)
仲間――魔王を倒すために結成された『勇者御一行』。皆の顔を順に思い出していく。まだ一月も経っていないのに、彼らとの旅を、ずいぶんと昔のことのように感じる。
まさか、戻りたいのか、おれは。
たしかにおれは自業自得でパーティから抜けただけだ。おれの生存を、彼らは喜んでくれるだろうか。
「カナン……」
(あ、好きな人の名前?)
「違う。カナンは勇者その人だよ。好きな人っていうんなら……」
(いうんなら?)
「おやすみ」
(ちょっと)
アッシュの制止を振り切って、おれは意識を沈めていった。アッシュの声は耳を塞いでも振り切れるものではないから、その後黙っておれを寝せてくれたのも、実はアッシュだ。
※
翌日。外は快晴らしかったが、それを直接たしかめることはできない。ただしっかりと塞いだ家壁からでも外の明るさはわかる。
体が鈍らないように幾分か動かしたあと、ガレたちが帰ってくるまで、おれはついに農作を学ぶことを決意した。ガレとアッシュは人間が使用する文字に詳しくないから、特に昼間動く役割を担うであろうガレには、おれが知識を叩き込む必要があるのだ。
それから一時間ほど経ったのか、それともまだ数分の出来事なのか。眠気が勝ったおれは机に伏していた。勉学が苦手なわけではない。ただ未開分野の基礎範囲に苦戦するタイプなだけだ。
「ガレ、かえりました!」
玄関からの声に目を覚ましたおれは、凝り固まった体をほぐしつつ、声の主を待った。ガレという一人称が前回のままなのが気になるが、元気なのは良いことだ、と思う。
「おかえり」
部屋に入ってきたガレが無事なのを確認したおれは、安堵よりも先に彼女の様子がおかしいことに気づいた。おかしいとはいい過ぎか。詳しくはわからないが、なにやら前回と同じ気配がする。
街からの荷物をぎこちなく降ろす彼女の後ろ姿を、おれはじっと見つめていた。
要するに。
「今回はなにを拾ってきたんだ?」
「えっと……」
目を逸らして口をつぐむガレに、おれは鼻を鳴らした。
「別におれは気にしないって。それで、今回はなんだ? その顔からして同じネコじゃなさそうだけど……もしかして魔物か?」
「まものじゃないです。あっ」
おれは笑みを浮かべたまま立ち上がり、自分の口を抑えるガレの横を通り過ぎて玄関へと向かった。さてなにがいるのか。なんであろうとおれに少しは懐いてくれると嬉しいが。
扉を開けると、すぐにそれと目が合った。
しばらく見つめ合ってから、おれはそろりと横までついてきていたガレに視線を向けた。
「ガレ、この髭の方は?」
おれよりも背の高い髭の男が、玄関口に座っていた。傍らには少し大きな木杖。伸び切った髪と髭にボロボロの服装で、控えめにいってもあまり積極的にかかわりたいタイプではない。
「すむところもはたらくところもないらしくって……しにそうっていうから、いそいでつれてきました」
「ガレ。拾ったところに返してきなさい」
「えー? それはさすがにひどいでござるよぉ」
おれは眉間のシワを爆発させた。
「ひでぇのはテメェのほうだろうが! 子どもを騙してなにここまでついてきてやがる!」
「ノンノンノン! 幼女一人でこんな大荷物! こんな長旅! ひどいのはどっちでござろうか?」
「ライア」
ここに姿のない者の名を呼ぶ。明後日の方向から姿を現したライアに、おれは努めて冷静にいった。
「どういうことだ?」
「えーっとですね。これには深い事情がありまして」
「あとで聞く。この方を脅かして追い出してさしあげろ」
「見えてないですよ、この人」
「見えるようにしてやる」
「いやいや、こういうタイプは生理的に無理で……」
「髪切って髭剃って、しっかりとした格好をすればイケメンだと思うぞ」
「バネさん……」
「なんだそのいいかたは。おれはやらないからな」
おれもライアも遠慮なく顔を不快さに歪めていた。
「しかし本当に助かったでござるよー。拙者、恩は忘れない主義でござるゆえ」
「そうですか。ガレを送ってくれて感謝します。街へ戻ってください」
玄関前。外套をシート代わりに座り直そうとしていた髭に、おれは冷たくいい放った。
「いやぁ、ここはいい場所でござるなぁ。拙者、なんだか住みたくなってきたでござるよ」
「帰れ」
「しかしここはまるで戦火に包まれたあとのようでござるなぁ。ここには、何人で暮らしているでござるか?」
「目と話を逸らすな」
髭が立ち上がった。その曲がった背に少し強くいい過ぎたかもしれないと心のなかで反省しているうち、彼はというとおれがまとめていたゴミの山から可燃物をいくつか取り出して積み直し始めていた。
「なにをしているんです?」
「いやぁ暖を取るための焚き火でもしようかと」
「帰れ」
一瞬の反省だった。
「だいたい家から近いんだよ! 燃え広がったらどうするんだ」
「ふええ、怖い顔はやめてくだされ。拙者、あっちのほうでやるゆえに」
ゴミの山から本やらをいくつか手に抱え、髭はそそくさと向こう側へ走っていってしまった。
「え、本当にここに住む気なのか……」
「拙者、一宿一飯の恩義はきちんと返す人間でござるよ!」
独り言のつもりだったのにもかかわらず遠くで振り返って親指を立ててみせる髭に、おれは顔を歪めた。地獄耳か。
「おれがいつ一宿一飯を施した?」
横に浮かぶライアに問う。彼女はおれの怒りの感情をそのまま呆れに転化したような脱力の笑みを返してきた。
「あの、ごめんなさい……」
「違う。ガレはなにも悪くない」
しゅんとしてしまっていたガレの肩をポンポンと優しく叩いてから、おれは改めてガレの目線まで屈み込んだ。
「困ってる人を助けたいっていう考えは、とっても重要だ。なぁ、ライア?」
「そうですね。ガレは偉いですよ」
横に浮かんでそう同意するライアを、おれは睨みつけた。
「その考えを制御するのが監督役の責務だ。ライア、ひとこと謝れ」
「えー、それはちょっとひどいでござるよぉ」
「口調が移ってるじゃねえか!」
※
日中の空を拝めないことが体調にどの程度影響を及ぼすかについての話をしよう。
結果から述べればそれほどの変化は感じない。ただしあくまでも短期間の話だ。これが長く続くようになった際、夜の生活という蓄積が慣れに変わるのか決壊するのかはそのときになってみなければわからない。屋内でのみの生活を続けた学者や囚人の気がふれた話を聞いたことはあるが、因果関係が正しいかどうかについては管轄外だ。
それよりも、だ。
周囲の環境がそのままの場合。つまりおれだけが夜を過ごす生活になった場合、一つ問題が浮上する。世界で起こっている出来事をリアルタイムで観測できないのだ。大きな範囲の話ではない。おれが日中この村で起こっている物事を知るのが夜になる、という話である。
半ば崩壊していた光の村にふたたび柵が設けられ、危険性のある家が取り壊され、まだ再利用できそうな資材と燃料にしかならないような木片その他諸々が取り分けられているこの状況を、おれは知らない。
玄関を出てその光景に驚いたおれは、遠くに燃える焚き火のもとへと向かった。
「おや、起きたでござるか?」
相変わらずの髪に髭に身なりの男がおれに気づくと、焚き火に差していた長串を一本取り出した。
「奥の森に清流があるとガレ殿に教えてもらい、こうやって釣ってきた所存。ささ、焦げないうちに」
焚き火の対面に座っていたガレは、すでに差し出されたのと同じような焼き魚を食べていた。おれは頬をかいて少し思案したが、ありがたくそれを受け取ることにした。
「塩があるともっと上手いのでござるが、どうやらこの村にはないようで……幸いここは海にも近い。塩不足で参る前に、少し取ってくる予定でござる」
「海から? 岩塩を探せばいいんじゃないか」
ガレの丸太に並び座る。男は苦笑いを浮かべた。
「あいにく方法を知らぬゆえ。こちらではそれが主流とは知っているのでござるが」
単純な塩分の補給は塩漬け肉などでどうにでもなるが、塩単体での入手は意外と難しい。値が少し張るために山なり海なりで取ったほうが良さそうにも思えるが、専門の知識なくイメージでそれを滞りなくおこなえるかどうかは別問題だ。
「バネさん。バネさーん」
どこからかライアの声が聞こえてくる。ガレとは逆隣に浮き座った彼女の声をおれは無視して魚を頬ばった。
「どうして無視するんです」
「食事中」
「あの、昨日の威勢はどうしたんですか」
ふたたび無視。ライアはため息を吐いた。
「監督役として、報告してもいいですか?」
みたび無視。しかしこれは無言の肯定だ。
「えー、ごほん。ライアさんの見立てによりますと、この方はですね、一応悪い人ではなさそうです」
「知ってる」
食べ物をくれる人に悪人はいない。例外はあるが。
「でもぼくはちょっと無理です。以上」
ライアの言葉に口端を曲げたおれは、まだ重要なことを訊いていなかったと、男に顔を向けた。
「魚、おいしかったです。おれはバネッダ・ハウク。名乗るのを忘れてました」
「おや丁寧に。こちらこそ申し遅れました。拙者、名をランゾウと申す者。しがない流れ人でござる。以後よしなに」
ランゾウは腰を折り、頭を下げた。腰を高く保ったままに曲げるその動作は珍しいが、敬意は伝わってくる。
おれは顔を小さく歪ませた。伝わってくるといえばもう一つ。焚き火越しでも容赦なく鼻にくる、彼の臭い。よっぽど清潔な場所でなければ臭いなどはどこにあっても転がっているものであり、勇者御一行として長旅をするなかでおれはおれ自身を含めた多くの臭いについてある程度――少なくとも臭いを香水で誤魔化す貴族や生活圏内の臭いしか体験しないであろう市民たちよりは――慣れて許容できるという自負があったが、そのおれが気になるレベルなのである。
「その川でついでに水浴びでもしてくるのはどうです? きれいな服もいくらか村に残っていますし」
とりあえずいってみる。ランゾウは豪快に口を開けて笑った。
「拙者、自慢ではないが水浴びも風呂入りもしない主義でござるよ! この肉体から香るいぶし銀な匂いがその証拠。いやいや、裸の付き合いができずまことに申し訳ない!」
「ガレ」
次の焼き魚に手を伸ばしていたガレに、おれは短く呼びかけた。
「やっぱりもとの場所に返してきなさい」




