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01.港町ハイロー【side キャスパー】

 キャスパー・バディゴウは、自分の身に降りかかる不運を呪っていた。


 キャスパーは冒険者であり、食い扶持を稼ぐためにときとして傭兵を名乗る男である。貴族を名乗る怪しげな男の勧誘を受け、護衛を請け負ったのが二ヶ月ほど前のこと。男の素性は不明だったが金はあるようで、キャスパーにとってはそれだけで十分だった。見返りさえあれば貴族だろうが商人だろうが盗賊だろうがしっかりと働くのが彼の仕事であり、彼の流儀だった。


 キャスパーは彼以前に護衛となっていた七人の男女から話を聞いた。雇い主の貴族・ラブロスとその奴隷(せわやく)であるテリアンは、なんらかの存在に追われているらしい。彼らの目的はわからない。ただ街から街を渡り歩き、長期間の滞在をおこなうことはないのだという。結構な精鋭を雇いながら、他の旅人や商隊とともに動くことをラブロスたちは良しとしなかった。


 だから護衛の意見は共通していた。敵は人間であり、他の信頼できない人間を遠ざけ、排除することが第一である、ということだ。


 結果として、彼らは予想を違えていた。死してなお動く人間や鉄爪を持つ獣たちに襲われることがわかっていれば、多少の対策はできたかもしれない。魔物という存在に対する油断といわれればそれまでだが、それでも安全とうたわれていた場所で襲われる事態に対応できるほど、彼らは不測の事態に慣れて(・・・)いなかった。







 港街ハイローは、周辺地域への玄関口として栄えていた。ブルード大陸の南に位置し、トランア共和国に属してはいるが、貿易による強固な経済基盤をもとに自衛軍を設置し、半ば独立都市として共和国側からも認知されている。魔物の縄張りなどが近くに確認されておらず、比較的自由な商業を営めるという現況も相まって、領土内外から多くの人間が集う一大拠点の一つである。


 しかしキャスパーにとってそのような背景は特に必要なものではない。彼にとっていま重要なのは、この街が栄えており、また近くにあるウィランドの街と少しばかり距離が離れているという点だった。


 街には多くの人々が行き交う。ゆえにキャスパーが身を隠すには好都合であり、彼はいま、満席に近い酒場で食事を摂っていた。


 端的にいえば、彼はいま、逃亡を図っている身である。さまざまな事情が重なり、彼を自身を雇っていたラブロスのもとを離れた。前述した()によって見知った顔と死別した彼だったが、自分の命以外に未練はなく、隙を見てラブロスから金目のものを奪うと、そのまま逃亡したのだった。


 罪悪感はなかった。油断したのは向こうだ。それにラブロスが大事にしていた金庫は、こじ開ける面倒さやその物理的な重さを天秤にかけて手放した。運よくそれを見つけることを、キャスパーはかたちだけながら祈っていた。


 すべては過ぎたことだと、キャスパーは前向きに考えていた。雇い主ラブロスも、一時は同じ釜の飯を食った仲間たちも、いまの自分にはもう関係はない。ラブロスの財産はすでに馬車なども含めて売り払った。アシがつくかもしれないが、そのころには彼はこの街を去っている予定だった。


 そう、不運は過ぎ去った。長い人生、こういうことも起こりうるのだ。


「なぁ、お嬢ちゃんよ。そのナントカってやつなんて放っておいてよ、俺たちと遊ばねぇか?」


 よくもまぁそんな使い古された台詞を口に出せたものだ。独り物思いに耽るなか、キャスパーは酒場のどこからか聞こえてきた声に鼻を鳴らした。


「何度もいいますが、興味ありませんの。ほかをあたってくださいまし」

「いいねぇ、そういうの。俺、ますます気にいっちゃったよ」


 女声と男声が徐々にこちらに近づいてくるのがわかった。キャスパーは解放された現況と酒酔いで、気分が良かった。だからまだ姿すら見ていない女性を少しばかり助けてやろうと考えた。


 酒場の出口へと向かう女性が自分の席の横を通り過ぎたのを確認し、キャスパーは通路に足を伸ばした。女性にいい寄る男性は見事に足に引っかかり、派手に転んだ。


 一瞬の間ののち、周囲にいた人間が爆笑した。皆が面白おかしい酒の肴を望んでいたし、転倒した者が見るからに凶悪そうな人相だったのがさらにそれを加速させた。普段間抜けな面を見せないような人種を辱めるのは、下品で、くだらなく、そして最高の行為の一つだ。


 しかしほろ酔いの人間たちの笑い声は、すぐに悲鳴へと変わった。


 転んだ男が、起き上がってナイフを取り出したのだ。


 男はなぜ自分が転んだのかを理解していたらしく、すぐに振り返って座っていたキャスパーを鬼の形相で睨みつけた。


「なんだ、てめェ……?」

「いや、すまない。足が伸びっぱなしだった」


 キャスパーは立ち上がり、男を横目に見定めた。なかなかの体躯になかなかの筋肉だ。鍛えているという風ではなく、その日焼けと染みついた潮のニオイからして普段は船荷の積み降ろしでもやっているのかもしれない。人の多い酒場でナイフを取り出すのは、よっぽど逆鱗に触れたか、それとも酔って判断力が鈍っているのか。


 それはお互いさまかとキャスパーが鼻を鳴らすのと、男がナイフを構えて突進してきたのがほぼ同時。


 宙に舞ったナイフとともに、歓声が上がった。







「助けていただいて、ありがとうございました」


 女性に礼をいわれ、キャスパーは上機嫌だった。なにせ顔も見ずに助けたその女性はすこぶる美人であり、しかも気品を漂わせる存在だったからである。


 普段の生活ではかかわる機会などない、本物(・・)の匂い。


 それだけではなかった。キャスパーは失いかけていた自信を取り戻していたのだ。仲間を蹂躙され、護衛業に失敗し、自らも命を落としていてもおかしくなかった、あの燃える夜の集落。


 あの場において臆することなく戦っていた唯一の存在は、キャスパーではなかった。


 先ほど蹴散らした男たちが忘れていった、細く頑丈なナイフ。そのナイフを見て、キャスパーは彼を思い出していた。


 自分はあのような存在だと信じていた。どんな状況でも切り抜けて皆を助ける存在、強者の側にいる人間であると自負していた。


 後悔と嫉妬と怒り。しかしそれを思い出す必要はない。キャスパーは思考を振り払って、女性に笑みを返した。


「気にしないでください。あいつらみたいなのはいくらでもいるし、あいつらみたいなのをやっつけるやつもまた、いくらでもいる。それだけです」


 使い慣れていない丁寧な言葉。キャスパーははじめ、女性を口説く気でいた。はじめのうちだけだ。女性がキャスパーに礼以外の感情を持ち合わせていないのは明らかだったし、よくよく思い返してみれば彼女は何者かを捜していた。おそらく旦那か惚れた男だと、キャスパーはすぐに見抜いた。


「ええ。とても冷静で、とても勇敢な方でしたの。それでわたくし、どうしても彼にまた会いたくて、こうして遠出を……」


 そう熱っぽく語る彼女に愛想笑いを返しつつ、キャスパーの興味は彼女からいくらお礼をぶんどれるかに移っていた。金を持っている外見だ。肌も髪も手入れが行き届いているし、身につけている服も上等な絹だ。護衛がいないのが不思議なほどだった。


「ああ。よかったらその捜し人、俺も捜すのを手伝いましょうか?」

「え? よろしいのですか?」


 喜ぶ女性の素直さにも、キャスパーの心はまったく傷まなかった。とにかくこれでしばらくは彼女の近くにいることができる。食事の一つや二つは奢ってくれるかもしれないし、捜し人を見つけられれば報酬は莫大のはずだ。


 そうやって皮算用にほくそ笑むキャスパーは忘れていた。なぜ彼が危機に遭遇することになってしまったのかという問いに対する一つの答え。つまり彼はまた、目先の利益に釣られ、油断してしまっていたのだった。


 賑やかな酒場の喧騒が、一気に止んだ。静まり返った店内にキャスパーは周囲を見回した。席間を歩き回っていた客や従業員が皆、酒場内を進む一団を避けるように逃げていた。


「兄貴、こいつです!」


 ナイフの元・持ち主がキャスパーを指して叫んだ。逃げ帰ったはずの連中が、仲間を引き連れて帰ってきたのか。


 しかし何人こようが戦闘慣れしている者とそうではない者の間には歴然の差があるし、狭い酒場では集団の有利を活かせない。余裕の表情で『兄貴』の顔を見たキャスパーの心臓が跳ねた。


「なんだ、パパに泣き寝入りしたのか?」


 挑発の文言で様子をうかがう。兄貴が気づいていないらしいことに、キャスパーはひとまず安堵していた。大した繋がりではない。ナイフ男の増援が、以前の雇い主ラブロスとの道中で倒した野盗たちだったというだけだ。ラブロスの命で白装束をまとい顔を隠していたのが功を奏した。野盗の兄貴が気づいていない以上、初対面のフリを突き通すのが利口だろうと、キャスパーは考えた。


「弟が世話になったな。この女を助けてナイト気取りというわけだ」

「この方のナイトは別にいるらしいぜ」


 キャスパーの返答は、特になにかを意図したものではなかった。強いていえば敵の数を正確に確認し、わずかに敵との距離を取り、女性を逃がす準備をおこなうための時間稼ぎではあったが、それ以外の目的はなかった。


「ベネッセ(なにがし)だっけか? へっ、本当にナイトならこの場にも助けにきてくれるんじゃないのか?」


 キャスパーの言葉を受けてナイフ男がいうと、女性は自慢げに叫んだ。


「バネッダ・ハウクさまですわ! ちゃんと覚えていてくださいまし!」


 心臓が跳ねた。


 その名前を、キャスパーは知っていた。


 直接かかわったわけではないものの、あの集落で誰よりも存在感のあった男の名前だ。地獄の底から響くような謎の声にすら感情を込めて呼ばれていたその名を、簡単に忘れられるわけがなかった。


 ナイフを片手に、キャスパーたちを救った男の名前だ。


 だから彼は、反応してしまった。結果からいえば、キャスパーの最大のミスはこれだった。


「バネッダ・ハウク?」

「もしかして、ご存知ですの?」


 キャスパーと女性の会話を、殴りかかってきた野盗の仲間が遮った。


「バネッダ・ハウク。知ってます。とりあえずいまは逃げてください」


 キャスパーがいった。流れを周囲で静観する者たちの間を抜けて逃げる女性を、野盗たちは誰一人として追いかけなかった。


「ナンパよりも面目か」


 ふたたび拳を突き上げた男をいなして、キャスパーは笑みを浮かべた。この数に任せた雑魚たちを全員倒すのは爽快だろうし、周囲の歓声はさぞ気持ちが良いものだろう。しかし現状を考えれば、あまりに目立ちすぎるのは都合が悪い。


 自己顕示欲と冷静さを天秤にかけ、そろそろ退散したほうがいいかもしれないとキャスパーが考え、行動に移そうとしたとき、一人の男が彼の視界に飛び込んできた。


 男はキャスパーが先ほどまで座っていた椅子を使っていた。キャスパーと女性が囲んでいたテーブルの上の料理を彼の許可なく食べていたその男は、彼の目線に気づくと口元を拭って笑みを浮かべた。


「いただいてる。美味いな、これ」


 男の異様な雰囲気に呑まれていたのは、どうやらキャスパーだけではないようだった。喧嘩を見守る野次馬たちも、野盗グループも、皆その男の一挙手一投足から目を離せずにいた。


「ごちそうさまでした」


 テーブル上の料理がすべてなくなると、男はそういって平手を合わせた。見たことのない不思議な動作だった。それから食べた様子をアピールするように腹を擦りながら、男は悠々とキャスパーの前に立った。


「で、バネッダ・ハウクを知っているのか?」


 男は軽い調子と表情で訊ねたつもりかもしれなかったが、キャスパーは彼に強烈な威圧感を覚えていた。隠しきれるものではない、溢れんばかりの強者の風格。


 返答を間違ってはいけないと、キャスパーの本能が告げていた。


「名前を……聞いたことが、あるだけです」

「ああ。それは助かった」


 キャスパーの肩に手が置かれた。おかしい。鼓動が急激に速度を増す。話しているはずの男は目の前にいるのに、同じ声が耳元で聞こえるのだ。周囲のざわめきが鼓動に比例して大きくなる。客観的に見ても、現在の状況はおかしいのだ。


「なんだこいつは!」


 野盗が叫び、震える手でナイフを構えた。


「お、同じ顔が……二人……!」


 その言葉に、キャスパーは目を見開いた。目の前にいる男とまったく同じ男――両サイドを刈り上げた特徴的な金髪(ブロンド)が、おれの肩に手を置いて笑っていた。


「さぁ、ひとまずはここを出ようじゃないか。俺に協力してくれると、とても助かるんだがな?」


 また宙にナイフが舞ったが、上がったのは誰ともなく発した悲鳴だった。


 キャスパーは、眼前の光景をなに一つとして理解しえなかった。


 わかったのは、目の前にいた一人目(・・・)の男が野盗たちの一団に近づいていったこと。野盗たちが数で囲んで男に対抗しようとしたこと。


 そしてその一団の中心で、突如として爆発が起こったことだった。


 吹き飛んだ内装の欠片や、爆発の衝撃によって飛び散った肉片や血や、巻き込まれた不運な野盗たち。彼らのうめき声や周囲の悲鳴をまったく気にすることなく、二人目(・・・)の男はキャスパーに外に出るよう促した。


「カーネル・グランジェットだ」


 放心状態のなか、男がいった単語が名前であることに、キャスパーはしばらく経ってから気づいた。


「キャスパー・バディゴウです……」


 名乗らずに済む空気ではなかった。カーネルと名乗った男は、キャスパーの震える言葉に頷いた。


「いい名前だ。お互い、良好な関係を築けるように楽しもうじゃないか」


 キャスパーにとっての本当の不運は、これから始まろうとしていた。

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