20.なじかは知らねど
集落からの出発は明朝となり、それまでは各々で仮眠を取ることで全員の意見は一致した。夜間の見張りを担当することを告げると、マチェは深く頭を下げた。
「あなたにも、本当にご迷惑をおかけしました。それなのに、こんな仕事まで引き受けてくださって」
「それはいいんだけど、一つ大丈夫か?」
ちょうどいいので、疑問を問うてみる。
「おれのことについて、どのくらい勘づいているんだ」
質問に焦りを隠さないマチェに、おれは口端を曲げた。
「そのことについてどうこういうわけじゃないんだ。たださっきの場で気になっただけで……おれにわかるのは、少なくともラブロスはなにも知らないってことだな」
マチェたちが村長邸でおれと抵抗なく一緒にいられたということは、おれはある程度の信頼を回復していたと考えていいだろう。おれはラブロスたちと同じ部外者であり、おそらくは魔物の味方か魔物そのものかもしれないと思われていたはずなのだから。
しかしそうすると、街へ向かうための護衛の話がおれに回ってこないのは少し違和感がある。つまりマチェや村人たちは、おれが彼らに同行しないものだと確信しているという考えにいたることができるのだ。
マチェは腰に手をあてて、口を開くべきかどうか迷っているようだったが、結局は話す気になってくれたらしい。
「なんとなく、です。あなたが普通じゃないってことと、どういうわけか、夜にしか動けないんじゃないかっていう推測と……」
そういってから、マチェは慌てたように顔を上げて手を振った。
「いや、変な考えをしているわけじゃないんです」
「わかってる。それに、残念ながらついていけないのは事実だからな」
「やっぱり、そうですよね」
そういって笑うマチェには、やはりどこかおれに対する畏怖が見え隠れするような気がする。しかしそこを突くのも野暮だろうと、おれは彼を見送った。
そうして村長邸の前には、おれと少女の二人が残された。村長邸のほか、まだ使えるいくつかの家を使って明日の準備をおこなうようだ。少女はてっきりシスターと話し合うのかと思ったのだが、彼女の目線が少し高い位置に浮いているライアに向いているあたりでおれはそれを察した。
「さぁ、どこから話す?」
そういって、おれは手近にあった大きな木箱に腰かけた。
「自己紹介しとくか?」
「あ、はい。そうですね」
ライアは地面へ降り立ち、ごほんと咳払いを挟んだ。
「ぼく、ライアット・スウっていいます。たぶん、ファントムっていう魔物です。ライアって呼んでください」
「ライアでいいのか」
おれの言葉に、ライアは首を捻った。
「つけたのはバネさんじゃないですか」
「だからだよ。別に強制してるわけじゃない」
「なるほど。独占欲というやつですね?」
「ちょっと待て。欠片もあってないからな、それ」
「ライア……は、バネさんの守り神なんですか?」
少女がいった。ライアとバネさん。そこを突くのは野暮か。
「そうともいえるし、そうともいえないような」
「へぇ……」
少女はライアに手を伸ばしたが、当然その手はすり抜けた。手を戻した彼女に、おれは問うてみる。
「シスター不在のまま訊くのもどうかと思ったんだけど、流れとしてな。きみの名前の件だ」
「うん」
少女が頷く。
「別に必要がないならそのままでいいと思うし、もし必要だと思うなら自分で考えていいと思う。わからないならいっそ、シスターにつけてもらうっていうのもありだな」
「シスターに、名前を?」
「そう。たとえばおれのバネッダって名前は、両親が尊敬してる人が挙げた候補なんだ。でも別に、必ずしもそうしろってわけじゃない」
「バネッダ? 『バネさん』じゃないの?」
おや。そういえばライアに自己紹介を促しておきながらおれ自身がしっかりと名乗っていなかったかもしれない。
バネッダ・ハウクというフルネームを名乗ろうとしたとき、ライアが頓狂な声を上げた。
「急にどうした」
「そういえばさっき、ママっていってましたよね」
ライアの質問に、少女が頷いた。
「ということはですよ? もしかしてお母さんは人間の姿なんですか?」
それは先ほどの話。単に意識を回復した際、まだ混乱のなかでいってしまったのかと流していたが、そう考えてみるとそもそもあの文脈でおれを『ママ』といったのは不思議だ。おれが頭領の外見ならばまだしも、たしかに理由は気になる。
しかも驚いたことに、少女はそれを肯定したのだ。
おれとライアは顔を見合わせ、声を潜めた。
「メタルクローなんだろ?」
「わかりません。もしかしてバネさんみたいに、メタルクローの持つ力を異能として持ったりしているのでは?」
「じゃあ頭領ってのはなんだよ」
「パパはパパだよ?」
会話に割り込んできた少女におれとライアは体をビクリと震わせた。
「でも、パパはママのパパじゃないの。パパのママも、ママのパパもわからない」
「……?」
おれとライアはともに眉間にシワを寄せて思案した。はじめに正解らしきものにたどり着いたのはおれだった。
「パパは育ての親なのか?」
少女は頷いてくれた。どうやら正解できたらしい。
しかし、正解したからといって彼女の正体については依然として謎のままだ。
問うてみてもいいのだろうかと考えていると、少女がなにかの気配を察知したようにピクリと動き、顔を動かした。その動作はメタルクロー――あるいは猫や虎などの動物たち――でも見たことがあり、なにかをおれたちもそちらを見ると、シスターがこちらに歩いてきていたのだった。
シスターは微笑んで頭を下げた。
「準備が終わりましたので。あの、本当に任せてもよろしいのでしょうか?」
おれはその言葉に頷いた。シスターがいっているのは、ここで命を落とした者たちの供養の件だ。供養といっても墓を作る程度のことしかできず、しかも一括しての火葬である。労力の問題もあるし、動物や魔物が昼間に遺体を掘り起こすのを阻止できないからだ。
街への道程はさまざまな障害を考えると大勢で移動するのが望ましく、ここを出るのならば明朝ほかの者たちとともに、というのがおそらくもっともリスクが低い。だからおれはシスターが気にかけていたことの一つを請け負うことにしたのだった。
「ちょうど良かった。訊きたいことがあるんです」
少女の話について疑問をぶつけてみると、シスターは苦笑した。
「それは秘密なのだそうです」
「シスターとの?」
「いえ、彼女だけの、です」
シスターがいい、少女が頷いた。それならばここで掘り下げるのはやめておこう。おれは話題を戻すことにした。つまり、少女の名前についてのことだ。
「ガレ! ガレがいい!」
「ライアには聞いてないし、ガレってなんだガレって」
挙手して叫んだライアを無視して、シスターに話を振る。
「そうですね……申し訳ございません。すぐには思いつきません」
「ねぇ、ガレっていうのはどう?」
「この子を困らせるな」
おれやシスターを飛ばして少女本人にすり寄っているライアに呆れながら、しょうがないと反応してやる。
「だいたいどこからガレって出てきた」
「この子、がれれれれって唸ってない?」
「いや……そうだっけ?」
戦闘時にメタルクローのような唸り声を発していたことは覚えているが、それを文字起こししてそうなるかどうかはまったくわからない。まさか彼女本人にここで唸ってもらうわけにもいくまい。
「ガレは、ガレなの?」
少女の言葉に、おれは唸った。
「それは……やめておいたほうがいい気がする」
「どうしてです?」
「なんとなくだ」
いや、本当になんとなく。
「えー。じゃあ、バネさんはどんな名前がいいんですか? 他人が考えた名前を蹴ってるんですから、さぞかしいい名前が思いついているんでしょうね?」
「あー……じゃあ、クロ」
「……微妙ですね」
「うるさい」
おれは不満足な様子のライアにいった。
「無難だろ」
「無難だからなんだっていうんですか? ほかの意見を否定する理由にはなりませんよね?」
ライアのもっともな話にまったく反論できず、思わずぐうとでもいってしまいそうなとき、シスターが目を見開いて柏手を打った。
「ああ!」
「どうしたんですか?」
「メタルクローだからクロなんですね!」
そういってシスターが笑った。詳細の解説はどうにも悲しくなってくるからやめてほしい。
しかし意外にも、少女はその名前に顔を輝かせていた。
「クロ! クロはクロ?」
「ガレだよ、ガレちゃん」
「ちょっと黙ってろ!」
怒鳴ったおれに、シスターはさらに笑った。しばらく笑って落ち着いてから、彼女は一息を吐いた。
「仲がいいのですね。いまはそちらにいらっしゃるのですか?」
「残像です。いまはここ」
位置を移動して、ライアがニヤリと笑う。視えない、聴こえない相手にボケても意味ないだろうに。
「おれがいうのもなんですが、気軽に案を出してもいいと思いますよ」
シスターに向けた言葉だったが、答えたのは腕を組んで唸っていた少女だった。
「……ぎんば?」
「ぎんば?」
復唱したおれも、横のライアも、唐突に出たその単語にポカンとしてしまった。シスターだけは事情がわかっているようで、困ったような笑みを浮かべている。
「なにが銀歯なんだ?」
「名前!」
「え、銀歯ちゃん?」
「うん、ほら見て!」
そういって口を大開きにした少女に従って見てみると、たしかに両の犬歯が銀色に輝いていた。
「どこで施術したんだ?」
「せじゅつ?」
「えーっと……お医者さんにやってもらったのか?」
「わからない。ずっとこれだよ」
少女がいった。まさか生まれついてという意味ではないだろうし、物心がついてから、あたりが妥当だろうか。よく見ればこの銀歯は全体が銀のようになっており、要するに義歯なのだが、この谷で暮らしてきたはずの少女が精巧な犬歯を模した加工銀を義歯として使用する理由がわからない。
「むかしね、これがめずらしいっていわれたことがあるの。パパはあんまり見せびらかしちゃダメっていってたけど、ママは……」
少女は、そこで唐突に口をつぐんだ。なにかを思い出しているかのように、なにかを堪えているように口を真一文字に結んでいた彼女は、少し間を置いて、ふたたび口を開いた。
「ママは、これがステキだってほめてくれたの。ほかのみんなには、これがないから」
「そっか」
おれは相槌を打って口端を曲げた。
「じゃあその歯にちなんだ名前を考えよう」
しかし少女は、ふるふると頭を振った。
「ううん。だから、この名前はダメ。ママもパパももういないから……」
「いないから?」
「いないから、むかしのことはわすれないと」
「別にいいだろ。おれも過去はよく振り返るし……なぁ?」
最後の部分は同意を求めてシスターやライアへ向けたものだ。シスターはすぐに頷いてくれた。
「そうですね。思い出は決して、心を弱くするものではありません」
シスターの言葉におれも頷く。
「どこからそういう理屈を持ってきたのかは知らないが、忘れなきゃっていうのはそういう理由なんだろ?」
小さく首肯した少女に、おれは笑いかけた。
「頭領も……パパもママも、ちゃんと心に留めてあげてくれ。その思い出はおれたちにはないものなんだから」
「うん、わかった」
目に涙を湛えた少女になにがあったのか、どういう思考の末の発言だったのか。それはおれにはわからないし、無理に共感すべきことでもない。それは少女が思い、考え、解決することだ。
「ぼくは振り返る過去はありません。記憶喪失なので」
「もう話すな」
※
シスターと少女が二人で話したいということで、おれたちは解散することにした。こちらもまだ、話すべきことが残っている。
「アッシュ? 返事できるか?」
「本当にアッシュなんですか?」
ライアはまだ疑っているらしい。それは当然で、彼女はあくまでおれの口とおれの声帯から出たアッシュの声を聞いただけに過ぎないのだから。
しかしなぜか前回と状況は異なっていた。
(バネさん……バネさん……いまわたしは、直接あなたの脳内へと話しかけています)
その言葉の通り、アッシュの声はおれの脳内に響いていた。もしかすると脳内ではなく体内全体にかもしれないが、正確にはわからない。確実にいえるのは、その声がアッシュのものであること、アッシュの声がライアにはまったく聞こえていないことの二つだった。
「バカなことやってないで、さっきみたいに乗っ取っていいぞ」
(そうしたいのはやまやまなんだけど、全然できる気がしないのよね)
「頑張ってくれ。ライアを納得させられないだろ」
(そうはいってもなぁ)
「バネさん……」
ジトリとした視線と大きなため息が、ライアから送られてくる。
「本当だからな?」
「それはバネさんの想像上のアッシュに過ぎないのではないでしょうか?」
「お前、身内に遠慮がなくなるタイプか」
「ちょっと……お前とか身内とか、亭主面はやめてもらってもいいですか?」
「記憶喪失はどうした記憶喪失は」
「こういう会話をしている方たちを道中に傍から見てしっかりと学んできました。任せてください」
「育つ環境の重要性を感じるよ。なぁアッシュ、どうにかしてくれ」
(どうっていわれてもなぁ……)
アッシュの目がさらに鋭く重くなっている。そんな目でおれを見るな。
「あの、わたしを喜ばせたいのかもしれませんけど、もういない友だちをネタにするのはちょっと……」
「だから……どうすりゃいいんだ。というかアッシュ。さっきの話の限りでは随分むかしから目を覚ましてたみたいだが、どこから起きてたんだ?」
(ずっと起きてたよ? いつだったっけ? 吸血鬼の攻撃を受けたときに衝撃がきて、それで気づいたら外に出られるようになってたの)
「それで、さっきはおれの口を動かせたくせにいまはなにもできないと」
(なんでだろうね? 完全に同化するまでは普通に話せてたから、同化が解けた……とか?)
「同化が解けたらライアにも普通に声が聞こえるはずだろ」
「あの……」
見ればライアが、おれをじっと見ている。今度の表情は険しいものではない。おそるおそるといった様子で、彼女が口を開いた。
「本当に、アッシュの声が聞こえるんですか?」
(バネさん。よかったらわたしの代わりに、頑張ったねっていってあげて? それから、心配かけてごめんねって)
そういう役には慣れてないんだけどな。しかしアッシュが意思疎通できない以上は、おれがやるしか方法はない。
「アッシュが、頑張ったなってライアを褒めてる。それと、心配をかけてごめんとも」
おれがそういうと、堰を切ったようにライアは声を上げて泣き出した。半透明の彼女の涙を拭うことはできないし、彼女に寄り添うことはできない。だから、おれはただ、彼女を見守っていた。




