訪問者2
貴族の間では、書物を収集するのが粋だという傾向があって、教養の高さと富を誇示するために、たいして読みもしない書物をこれ見よがしに書架に並べている貴族は多い。
メリディエル家もそんな時流に乗っているらしく、別邸にもかかわらず、舞踏会でも開けそうな広さの書庫には、壁が見当たらないくらい隙間なく立派な書架が並んでいて、もちろんそのすべてにびっしりと書物が詰まっていた。
「どうせ並べるなら、もう少しわかりやすく分けておいてほしかったわ」
いったいどういう基準で並べられているのかさっぱり理解できない蔵書の数々をぐるりと見まわし、ソファに腰かける。
今まで書庫なんてものに足を踏み入れることがなかった私が、なぜ毎日こんなところに入り浸っているのかというと、その理由はブリアール城にいるイデルから届いた手紙にあった。
イデルからの手紙には、お兄さまの助力もあってラウラスが快復に向かいつつあること、イデル自身の体調も戻り、近いうちにソルラーブに向かう予定であることが書かれてあった。
そして、もうひとつ重要なこと。
誰がイデルに九十九茸のパイと夜狐の実の組み合わせを教えたのか。
いまだに信じられなくて、懐から手紙を取り出してその文字を指でなぞる。
『ミリッシュ』という、イデルの几帳面な文字を。
『前日に女中からもらった焼き菓子の味付けの仕方を教えてもらおうと思って厨房を訪ねましたら、そこにミリッシュがいたのです。もうほんとうに驚きました。どうして仕立て屋のミリッシュがバーン城の厨房などで働いているのかと。よく似た別人かとも思いましたが、声をかけるとやはりミリッシュ本人でした。なぜ厨房の使用人などをしているのか理由は教えてもらえませんでしたが、シュリアさまには言わないでほしいとのことでしたので、シュリアさまには何もお伝えしなかったのです。ミリッシュも結婚を控えている身ですし、なにか事情があるのだろうと思って』
いったいどういうことなのだろう。
ミリッシュがどうしてバーン城にいたのかも疑問だけど、それよりもなぜイデルに毒になるようなパイの食べ方をさせたのか。
見間違いではないかと、何回も手紙を読みなおしたけど、やっぱりそこにある文字は『ミリッシュ』なのだ。
でも、たしかに黒幕がミリッシュだというなら、さまざまなことに納得がいくのも事実だった。
ミリッシュは東方育ちなので、東方で使われている夜狐の実のことを知っているのは当然だろう。それに、イデルはミリッシュを介して香辛料を入手していることがあるから、今回もミリッシュ自身がイデルに夜狐の実を渡していたとしても何も不思議ではない。イデルだって何も疑問には思わなかっただろう。
おまけに私たちはよくいっしょにお菓子を食べながら衣装の相談をしていたから、ミリッシュはイデルの味覚が変わっていることも、食後の習慣も知っている。
考えてみれば、私はバーン城からそれほど大きく離れていない薬草師の店で、間接的にとはいえミリッシュの姿を見ているのだ。
彼女がバーン城にいたというのも、それほど突拍子のない話ではない。
ミリッシュが薬草師の店にいたのは、あの迷子の少女が母親と店に入ったときだから、私があの町に入るすこし前のことだろう。
つまり、ミリッシュは私よりも先にバーン城を出ていたということになる。イデルが倒れたころか、それよりも前。
「いったい何なのよ。なんでミリがバーン城にいたの? イデルに毒を食べさせて……さっぱり分からないわ」
ガシガシうなじを掻き毟って唸ったところで、分からないものは分からない。
毒といえば、トルナード男爵夫妻も羽舞草の毒で倒れているけど、まさか、ね……。
うん。まさか、さすがにそれはいくらなんでも──。
いや、でも、ラウラスはイデルが倒れたあのとき、たしかに言っていた。「おそらく一日が限界」と。
イデルは、私が薬草を持ち帰らなければ命を落としていた可能性が極めて高い。
ずっと親しくしていたイデルの命さえ奪おうとしたくらいなのだから、どんな関係かは知らないけど、トルナード男爵夫妻の命を奪うことを厭わなかったとしても不思議ではないのかもしれない。
そもそもミリッシュが厨房にいたというなら、彼女がこっそりパイの材料に羽舞草の種を混ぜておくことは十分に可能だったろう。
トルナード男爵夫人の口紅の水にしても、仕立て屋のミリッシュはドレスを調達するくらい何でもないだろうし、それなりの衣装を着れば女中に紛して化粧室に出入りすることも可能だろう。私がそうして男爵にお茶とパイを運んだように。
ミリッシュのあの目立つ銀髪だって、髪を上げてキャップをかぶれば何とでもなる。女中のふりをすれば、男爵の部屋に行って花を活けることだってできただろう。
だけど、もしもそうだったとしても。
トルナード男爵夫妻を毒殺しようとする動機がまるで分からない。
それどころか、いつも控えめでおとなしいミリッシュが、誰かの命を奪おうとすること自体が想像できない。
最後に会ったときも、癇癪を起こした私をいつもどおり少し困った顔でなだめていて──。
……あれ。ちがう。
いつもどおりじゃなくて、何か言っていた。うつむいて。
「結婚?」
そうだ。長年想いを寄せていた相手とは違う人と結婚するとか、そんなことを言っていた。




