代償5
侯爵令嬢という立場ではあるけれど、私は軍神の化身を思わせるお兄さまに、なぜか小さいころから直々に馬術を仕込まれている。
『戦場では武術の優劣ではなく、馬術が勝敗を分け、己の命を左右するんだ。分かるか? 妹よ! 馬に乗れ。地の果てまで駆け抜けろ!』って。
……まあ、私は戦場には行かないと思うけど。
もはやお兄さまの暴走っぷりに口を挟もうとする気力さえ湧かない。
それでも、私はお兄さまが手放しで褒めてくださるくらい乗馬は得意だった。キャナラもそれを知っているから私を行かせようとしてくれたのだ。
「お嬢さまはずいぶん乗馬がお上手なのですね」
「……まあ、子供のころからお兄さまに仕込まれているから」
湖が近くなり、馬の速度をゆるめたところで、それまで黙りこくっていたラウラスが感心したように口を開いた。
非常に、ほんっとうに、ものすごく不本意ではあるのだけど、私はいま、ラウラスの腕の中にいた。
……なんていうと、なんだか妖しい雰囲気に聞こえるけど、断じてそうじゃない。
薬草が分かるラウラスもアモル伯爵夫人の屋敷へ同行することになったのだけど、庭師の彼は馬で早駆けすることなんてないし、そもそも馬にも乗ることがないから、先を急ぐ私たちとしてはこうするしかなかったのだ。すなわち、私が手綱を握る馬にラウラスが同乗するという……。
こんなに彼の近くにいられるのは素直に嬉しい。嬉しいけど……、正直言って、かなり恥ずかしい状況だった。
か弱い令嬢の私が手綱を握る馬に、見目麗しい青年であるラウラスが乗っているなんて……。
できることなら立場が逆であってほしかった。
「あそこが渡し場のようですね」
私と馬に同乗することに対して「申し訳ございません」と何度も謝っていたラウラスではあったけど、それ以外のことはとくに気にしているそぶりがなくて、それがまた妙に胸に堪える。
ちょっとは気にしてほしいんだけどな。
こんなときまで沈着冷静なラウラスが心底恨めしい。
ちいさく溜息をこぼしながら改めて顔を上げたら、ラウラスの言うとおり前方には渡し場が見えた。まばらではあるけど、人も集まっている。
けれど、舟は見当たらない。
「舟がまだこちらに戻ってきていないようですね。次の舟はいつごろになるのか訊いてまいりますね」
ひとり残された私は馬の首筋を撫でながら湖の向こうを見つめた。
この国で二番目に大きいと言われる湖は、ほんの欠片も向こう岸を見せてはくれなかった。
この湖は細長い形をしていて、私の位置から見れば、ちょうど横長になっている。
向こう岸へ行くためには、多少舟を待つことになっても、この湖を渡るのがいちばんいいというのは分かる。だけど、目の前に舟がないと、馬を駆って陸路を行きたい気持ちになってしまうのは、じっとしていることが落ち着かないからだ。それに──。
「お嬢さま、舟はいちばん早いものでも、こちらに着くのは四の鐘が鳴るころではないかという話でした」
私は空を見上げた。
太陽はまだ、やや東寄りの空にある。
四の鐘ということは、ちょうど真昼ということか……。




