フランスパンの焼き方
トントンとノックの音が響いた。
扉が開き、メイドが入室してくる。
メイドはカートを引いており、紅茶のかぐわしい香りが匂い立つ。
まずはカトリーヌから茶が配られ、次に小さな皿に乗せられた、フランスパンが配られた。
フランスパンは輪切りにされた後、4分割にされたようである。
「では、お味見をさせて頂きましょう」
俺達も毒味のつもりでフランスパンをつまみあげる。
カトリーヌも一口で食べており、メイドも同様だ。
口に放り入れたフランスパンを飲み込んで、紅茶に口をつける。
「これは……楽しい食感ね」
「ええ。とても美味です」
「味の強い料理と、とても調和するように思うわ。リーズヘッグは、このフランスパンを店で使おうというの?」
「ああ。まだ常連客にも出してねえが、このサフアの風味は格別だろう。商談が成立したら、サフア屋から毎日100本、フランスパンを注文させて貰いたい。昼に50本、夜に50本、というわけだな。勿論、サフア屋がどこでどれだけフランスパンを売っても問題ねえ」
「では、買わせて頂きましょう。……ねえ、リーズヘッグ。あなたの父親が残した借金は、銀貨30枚だったわね」
「ああ、それがどうした」
「どうした、って事はないでしょう? 借金があって不適格とされてしまったけれど、あなたはわたしの婚約者候補だったのですからね」
「ああ。カトリーヌが嫁に来てくれるんなら、こっちはいつでも歓迎するぜ?」
「借金がなくなっても、わたしがフランスパンの販路をしっかり広げなければなりません。今しばらくは無理でしょうね」
「はは。なかなか思うようにいかねえなぁ」
「それが世の中というものです。フランスパンの製法を、他に広めないという約束のもと、わたしは銀貨60枚を支払います」
「銀貨60枚か……ちっと、貰いすぎじゃねえか?」
「この後、キョウスケには何度もフランスパンを焼いて貰いますし……できる限りの助言もして欲しいのです。フランスパンの食べ方や売り方、作り方で出来る工夫など、できる限り細やかにお聞きしたいのです」
「リーズヘッグ、いくつかの料理帳も開示して構わないかな?」
「ああ。カトリーヌは公正な取引相手だ。しっかり教えてきて良いぞ」
「取引成立ね。じゃあ、キョウスケは調理場へ案内するわ。お願いね、アンナ」
「かしこまりました」
俺はメイドに案内されて、1階の調理場へ足を踏み入れた。
たくさんいる料理番の横を通り過ぎ、一番奥の卓へ導かれる。
そこで待っていたのは、おなかがぽっこり出ている白い調理服を纏った男性だった。
顔は髭もじゃで、髪は赤褐色、瞳は黒色だ。
身体はがっしりしていて、俺より身長が数センチ高い。
「カトリーヌ様のお客人をお連れ致しました」
「おう。あの不思議なサフアを持ち込んできたのがお前さんなんだろう。俺はホルエン。ここの料理長だ。サフアについては、誰より詳しいと自負しとる。さあ、まずはサフアを焼いて見せてくれ!」
「わかりました」
俺は鞄から天然酵母の瓶を3つ出した。
「これが天然酵母になります。これは3つとも置いていきますので、フランスパン作りにお役立て下さい」
そして俺は、サフアを練り始めた。
途中で天然酵母を入れて、また練っていく。
一次発酵の最中に、俺はケチャップとウスターソースを仕込ませて頂いた。
別々のソースとしても美味しいと、料理長にしっかり伝えておく。
そして、ケチャップとウスターソースとコンソメスープ、それと乳脂を合わせて、デミグラスソースの完成だ。
フランスパンのお披露目に相応しいのは、ビーフシチューであろうという意図で料理を作っている。
フランスパンを再度練った後、成形する。
石窯を余熱して、その間に二次発酵を済ませる。
ほどよく膨らんだら、縦に三本、クープを入れて、石窯に入れて焼くだけだ。
焼き上がったフランスパンは余熱を取った後、ホルエンが入念に味を確かめる事になった。
俺はビーフシチュー用の牛肉を切り分けて、片手鍋で強火で両面、しっかり焼いた。
野菜を薄切りにして切り分け、肉と一緒に煮込む。
デミグラスソースに野菜が溶け込むまで、弱火でじっくり煮込んでいく。
フランスパンの味見を終えたホルエンが、にこやかに近づいてきた。
「いやあ、不思議なサフアだった! 次は俺が焼いてみるから、見ていてくれないか? 火の番は、ライキ、お前が受け持て」
「料理長~。俺もそのサフアを焼いてみてえよぉ」
「これから飽きるほど焼くことになるのだからな。明日まで待っておけ。今日は俺がしっかり覚えてやろう。わかったな?」
「はい、料理長」
火の番を変わって貰えたので、卓の横でサフアを捏ねるホルエンを見守る。
さすが料理長、捏ね方に何の不備もない。
「手がべたついて生地が引っ付いてしまうときは、打ち粉をするといいですよ」
「ああ」
「天然酵母は入れすぎないようにご注意下さい」
「ああ」
ホルエンは上手に生地を丸めて、一次発酵に入った。
「では、肝心の天然酵母の作り方をお教えします。瓶と葡萄と砂糖をご用意下さい」
「わかった。おおい、シェンナ、リズ、こっちに来てくれ!」
「はい、料理長!」
「まず、瓶と葡萄と砂糖を持ってこい」
「はい、今すぐに!」
シェンナとリズと呼ばれた女性達は、いずれも白い調理服を纏っており、10代後半のように見えた。
「お待たせしました、準備できました!」
「じゃあ、まずは瓶を煮沸消毒しよう。熱湯で瓶を消毒するんだ」
「はい、今すぐ湯を沸かします!」
「火傷しないように気を付けてね」
そして、一次発酵の終わった生地をホルエンが練っていく。
成形に手こずっているようだったので、一つを見本で成形して見せる。
「ほほう。こうやって成形するのか」
ホルエンは納得顔で、残り二つを成形した。
石窯の余熱を開始して、二次発酵に入る。
ホルエンは楽しそうに生地が膨らむ様を見守っていた。
縦に三本、クープを入れて、フランスパンを焼き上げる。
あたりに小麦のようなサフアの香ばしい香りが充満している。
焼き上がったフランスパンは見劣りしない出来映えであった。
「故郷ではフランスパン用の天板というものがありました。普通に焼くとくっつきやすいので、こう、フランスパンを覆うような形をしていました」
俺は筆と紙を持ってきたホルエンに礼を言って、覚えているフランスパン用の天板の絵を描いた。
あとはなんとか渾身の説明でなんとか、理解を頂くことがかなった。
気付けば0時の鐘が鳴り、3時間程度が経過したことになる。
すっかりビーフシチューも野菜を溶かし込んで出来上がっていたので、一食分取り分けて頂く。
焼き上がったフランスパンを何切れか貰い、いざ立ち食いである。
ホルエンも同じように食べ始めたので、おかしな行いではないのだろう。
ごろりとした肉をフォークで刺して口に運ぶ。
かじり取った肉は柔らかく、肉汁たっぷりで、とても美味であった。
味が強いので、合間にフランスパンを食べると、より美味である。
一食分のビーフシチューは、あっという間に食べ終えて、次はフランスパンを使った料理の伝授であった。




