カトリーヌの来訪
その翌日から休日までは、忙しなく働いた。
そうそう、奥さんの誕生日をうちの店で祝った常連さんは、奥さんが上機嫌だったと翌日に教えてくれた。
「歌の選曲も気が利いてたし、この店を選んで良かったよ。料理も菓子も、夢にように美味しかったって、そりゃあもうご機嫌さ」
常連さんは、奥さんの分もサンドイッチを買って帰っていった。
それを聞いていた他の常連さんが、嫁の誕生日をここで過ごしたら、『陽の差し込む生まれ落ちた日』を歌ってくれるのか、と騒ぎ出した。
「ああ。予約してくれれば、対応するぞ」
そう、リーズヘッグが答えた。
「嫁の誕生日は、過ぎちまったけど……予約すりゃあ、指定の歌を歌ってくれるのかい? 嫁は『メルハリアの朝』が大好きでね」
「もちろん、歌うよっ! 予約していく?」
「ああ。名はアイル。日取りは、明日で頼むよ」
「りょうかーいっ! お嫁さんに喜んで貰えるように、張り切って歌うからね!」
そんなわけで、歌の予約を取るシステムが出来上がり、お客の中では、記念日に指定の歌を歌ってもらう風習が生まれた。
これは長く続く風習になるのだが、それはまた別の話だ。
そして露店の方も絶好調のようだった。
昼も夜も、200食ずつパスタは完売している。
400人前を仕込んだガトーショコラも、大体を売り切って、残るのは8個程度だった。
それはおやつに食べてしまえたし、さして問題ではなかった。
問題は、200食でもパスタが足りない事だが、これは仕方がないだろう。
とにかく出来ることはやっているのだ。
肉料理をお求めのお客もちらほらいるそうだが、《竜の跳ね鳥亭》へ誘導して事なきを得ている。
そうして迎えた休業日──12月7日の事である。
プリムは朝早くから仲間の元へ遊びに行った。
そして俺達は……そわそわしながら、客人が来るのを待ち受けた。
ジュレは予定がないとの事だったので、顔見せのために集まってもらった。
事の起こりは先触れの小姓が来た事だった。
なんとカトリーヌが、この店に視察に来るというのである。
露店も今日はお休みなのだが、何かあったのだろうか。
カトリーヌとは、サフア屋の長女である。
そして、リーズヘッグとは浅からぬ仲であると、ジュレには説明した。
視察だろうが、何だろうが、カトリーヌに会えるのである。
リーズヘッグはとても嬉しそうにしていた。
先触れによると、午前11時に来るとの事だったので、カトリーヌの分も昼食を仕込むことにした。
とっておきの菓子も用意して、準備万端だ。
午前11時の鐘が鳴った後、表にエミューの車が止まった。
からりと戸が開いて、カトリーヌが店に入ってくる。
リーズヘッグが相対し、奥のテーブルに誘った。
「今日はお時間を頂いて、どうもありがとう。リーズヘッグもキョウスケも、久しぶりね」
今日は黄色のワンピースを着たカトリーヌである。
髪は金髪で、瞳は青色だ。
カトリーヌはにっこり笑って、ジュレを見た。
「それで、あなたは新顔ね?」
「は、はい。縁あって雇っていただきました。ジュレと申します」
「あなた……どこかで見かけた事があるような気がするわ」
「はい。僕の家は先月末に没落しましたが、サフア屋と取引はありました。どこかの舞踏会か、晩餐会で、お目にかかっていたかもしれません」
「その赤い瞳は印象的だったから、覚えていたの。そう、没落した家のことは知っていてよ。ご当主夫妻が失踪されたそうね。借金取りが目の色を変えて行く先を追っているわ」
「はい。借金取りの男性には、とてもお世話になりました」
「リーズヘッグは信頼に値する男よ。安心して働くと良いわ」
「はい、ありがとうございます」
俺はお茶を入れて、人数分配膳した。
つまむものとして、ガトーショコラを中央に置く。
「さて、視察の内容の前に、お父様からリーズヘッグに伝言よ。本日より、カトリーヌの婚約者を名乗ることを許す、ですって。私達、やっと婚約者を名乗れるのね」
「ああ……いつか、この日が来ると夢見ていた。嬉しいよ、カトリーヌ。しかし、婚姻はまだ先なんだろう?」
「そうなの。私は弟に仕事を引き継いで、この店にお嫁に来たいの。でも、弟はちょっとおっとりしていて、商売に向いていないようなのよ。だから、サフア屋を引き継げそうな女性と婚姻させようと狙っている所なの」
「お前さんの弟は、たいそう絵画が好きだったな」
「ええ。貯蔵している絵画の数は、凄い数なのよ。絵画のことだけは、一人前なの」
「それなのに、親父さんは俺を婚約者と認めてくれたのか。親父さんからしてみたら、キョウスケとお前を娶せようと考えそうなもんだ」
「そうね。キョウスケを取り込みたいって人もいなくはないわ。キョウスケ、お嫁さんは欲しいかしら?」
「あいにく、恋人がいるんだ。そんな話があるのなら、全て断っておいてくれ」
「まぁ。やっぱりキョウスケは人気があるのね。キョウスケの心を射止めた彼女は、何を生業になさっている人?」
「うん。財宝漁りだね」
「ふうん。わかったわ。こっちで何とか断っておくから安心してね。リーズヘッグ、わたしは数十人の男性とお見合いさせられたけれど、将来を考えられたのは、あなただけなの。自信を持って頂戴」
「うむ……。弟さんに、良い嫁さんが来てくれると良いな」
「目星はつけてあるの。平民で学び舎に通っているお家で、絵画に理解のある娘さんを選べば良いの。私達の未来の為に、見つけてみせるわ」
「俺に出来ることはないか?」
「たまに、こうして会いに来ても良いかしら。リーズヘッグに会えるだけで、わたしは十分に頑張れるわ」
「そうか。いつでも来てくれていいぞ。休業日なら一日空いとる」
「嬉しいわ。じゃあ、視察を始めるわね。露店の少年に聞いたけれど、昼と夜で400食もパスタを売っているそうね」
「ああ。あと、菓子も売っとる。このガトーショコラだな。明日からは、違う菓子を売り出すという話だ」
「これは真っ黒だけど、サフアの菓子よね? いただくわ」
カトリーヌはぱくりとガトーショコラを食べた。
「すごく強い味ね……でも、美味だわ。確かにこれなら売れるでしょうね」
「これはヨーデルを使った菓子になります。明日から出す菓子は、昼食後にお出ししますよ」
「それは楽しみだわ。あとは、パイ生地を使った料理と菓子ね。兎肉とカレーと果実の3種類の味でサフア屋では売っているのよね。出来上がったものは飛ぶように売れていくんだけど、パイ生地は、主婦層に広がっていかないようなの。これはどうしたらいいと思う?」
「参加費を募って、料理教室を開いたらどうですか? パイ生地は使ってみれば使いやすいんですが、見たことがないうちは、手に取りづらいでしょう」
「料理教室か……なるほど。料理番に料理を作って見せて貰うのね?」
「一緒に主婦達にも作って貰った方が良いでしょうね。そうすると、広い調理場が必要になってしまうわけですが……」
「うちは、サフア屋よ。2階にも広い調理場があるわ。その案は面白いわね。是非着手してみるわ」
「小さいお子さんも招待すると、楽しいかもしれませんよ。それで、作ったものを皆で食べるわけですね」
「わかったわ。やってみる。……実はね、フランスパンの人気は凄いのだけれど、まだまだ貴族には浸透していなくて、挨拶回りが大変なの。毎週が晩餐会なのよ。少しは気が滅入るわ」
「晩餐会か……休業日なら、俺も同席出来るんだがな」
「あら、いい考えね、リーズヘッグ。お父様に進言しておくわ」
カトリーヌはくすくす笑い、お茶を飲んだ。
リーズヘッグはガトーショコラを口に放り入れ、仏頂面であった。




