《鯨空亭》の料理番
「この香草の料理は、今日から出してるって聞いたよ。本当かい?」
「ああ。今日の夜の営業で初めて出した料理だ。口に合わんか?」
「これは……これは……最高に美味いじゃないかっ!」
そのお客さんはリーズヘッグに勢い込んで喋り出した。
「うちに食いに来てくれる客がいるんだけどさ。そいつが、ここで最高に美味い香草の料理を食ったって自慢しに来たんだよっ! ああ、あたしは《鯨空亭》の料理番さ。東のラムダ共和国で修行を積んだ、いっぱしの料理長さ。うちの料理だってちょいとしたもんなんだよ」
「《鯨空亭》なら知っておる。辛い料理を出す料理屋だろう。そうか、香草といえば東の国か」
「当たり前だよっ! 辛い料理ならうちが一番さ! それなのに……ここの店がうちの店よりも美味い料理を出すなんてねえ。あえて言うなら辛みは足りないけれど、十分に美味だったよ。お題は青銅貨5枚だね? そら、受け取りな!」
リーズヘッグにお代を渡したその女性は、ううむと唸りだした。
先程午後9時の鐘が鳴ったので、もう閉店だ。
居残っていた客もどんどん帰っていく。
そして、《鯨空亭》の料理番は──まだ帰らずにカウンターで唸っていた。
「お前さんは、何を悩んどるんだ? 他の客はみんな帰ってしまったぞ」
「ああ。他に客がいないなら丁度良い。腹を割って話そうか。あたしはね……この香草の料理をうちで扱わせて貰えないか、とそう考えてるんだよ。でも、料理帳を売って貰うなんざ、ただ事じゃないだろう? だからこうして唸ってるのさ」
青い瞳をきらめかせ、胸を張ったその料理番に、俺はひとつの真実を明かすことにした。
「俺はこの店の料理番、キョウスケといいます。このカレーには数多くの香草が使われており、固めるのにサフアを使っています。カレー粉という、味の粉のようなものを使って料理を作るわけですね。実は今日、このカレー粉の製法をサフア屋にお売りしたところなんです。この料理のカレー粉でしたら、料理帳を買わずに安価で仕入れられるはずですよ」
「何だって! サフア屋が手がける事になったら、あちこちの店でこの料理が売られる事になる。あんたはそれで、いいってのかい?」
「ええ。うちでは辛みを抑えていますが、これに辛みを加えた辛口カレーなんてのも、美味しそうですね。他のお店とは、切磋琢磨出来れば良いと考えています」
「わかった。サフア屋に問い合わせる。ありがとう、キョウスケ。あたしはあんたに負けないよ! あたしは、ペンネ。覚えておきな!」
「はい。いつか《鯨空亭》の料理も、味あわせて頂きますよ」
ペンネは勢いよく立ち上がり、店を出て行った。
皿洗いをしていたプリムが、俺に笑いかけてくる。
「なんか随分カレーを気に入ったみたいだったね。《鯨空亭》って、うちよりも大きな料理屋だったと思うよーっ! そこでカレーを扱って貰えたら、もっともっとカレーの愛好家が増えるかもねーっ!」
「そうだね。カレーはクセになる味わいだろうから、どんどんカレー愛好家は増えそうだ。取り合えず、うちの店では週に二度、カレーを出してみるよ」
「ふん。ところで、フランスパンは余っとるのか? フランスパンが余らぬと作れない菓子というものは、まだお披露目されておらんだろう」
「うーん、昼と夜を合わせても、5本しか余らなかったよ。取り合えずお客さんにはまだ出せない。だけど、二人には味見をして貰えるかい? 今、夕食を作るからね」
俺は手早く野菜を切り、鉄鍋を熱した。
乳脂を鉄鍋に入れて、兎肉を投入する。
肉の色が変わったら、野菜を投入する。
タマネギのごときカペラと、ニンジンのごときメイリグ、ナスのごときビトー、ブロッコリーのごときセルルを入れて、手早く炒めていく。
味付けは塩と少量の醬油のごときユーカンを使っている。
俺は炒め物を仕上げて皿に盛り、カレーを取り分けた。
フランスパンは輪切りにして、料理に添える。
「さあ、食べようか。お腹空いたね」
俺は皆と一緒に木匙を取り上げた。
炒め物を口に頬張り、ゆっくり味わう。
火の通り方も申し分ないし、醬油のごときユーカンと乳脂の風味がたまらない。
フランスパンを千切って食べつつ、カレーも味わう。
甘口と中辛の間を意識した、俺の渾身のカレーだ。
このカレーが、この町に受け入れられた第一歩が、今日であった。
《鯨空亭》でも取り扱って貰いたいし、他の料理屋にも広がるといい。
俺はカレー愛好家の第一人者として、そうなったら休日に食べ比べに出向こうと決意するのだった。
それから6日間は、嵐のような忙しさで過ぎ去っていった。
サフア屋にカレー粉の料理帳を無事に買い上げて貰い、リーズヘッグは銀貨70枚を手にしていた。
プリムの仲間であるリリアとそのお仲間も、一度食べに来てくれた。
忙しすぎてゆっくり話も出来なかったが、相変わらず元気そうだった。
リリアの事を、もっと知りたい。
やはり、逢い引きに誘うしかないのだろうか。
しかし、財宝漁りで忙しいリリアが、俺と逢い引きしてくれるだろうか?
疑問は尽きないし、年齢の事もある。
しかしチャンスさえ掴めたら、勇気を出せる気がする。
俺はもっとこの世界の事を知らないといけないし、どこで遊んだらいいかもわからない。
だけど、このまま諦めたくない。
そんな気持ちを抱えたまま週末を迎えて、今日は待ちに待った休日である。
朝食を済ませた俺達のもとにやってきたのは、来月露店を出してくれる二人──ルルイエとダビである。
「ちーっす。露店に出す料理を教わりに来ましたぁ! ルルイエは金勘定を担当する予定なんで、調理は俺一人だ。今日は何から始める?」
「そうだね。日替わりで3種類のパスタを出そうと考えているよ。そのパスタソースの仕込みも覚えて欲しいんだ。まずは手を清めて貰って、兎の肉を包丁で叩いて貰えるかな?」
「了解! ルルイエも見ておくか?」
「うん……手伝える事があったら、手伝いたいし……わたしも調理場に入るね……」
俺は鉄鍋に水を入れ、トマトのごときイノッサを茹で始めた。
「ルルイエはこのイノッサの鍋を見ていておくれよ。ダビは、次はカペラとメイリグとダッキをみじん切りにしておくれ」
「あいよ!」
「はい……」
ダビのみじん切りが終わったら、鉄鍋に火を入れて貰う。
「まずはマオマオの油でダッキを炒める。そこにみじん切りにした、カペラとメイリグを入れる。しんなりするまで炒めてくれ」
「おう」
「次に兎の挽肉を入れて、色が変わるまで炒める。その後にサフアを加えて、粉っぽさがなくなるまで炒める」
「あいよ!」
ダビの手つきは滑らかで、信頼することが出来る。
普段から料理を作っているのかもしれない。
「次に、ルルイエが茹でていたイノッサを取り出して加える。塩と黒胡椒、味の粉を加え、とろみがつくまで煮込む」
「おう、出来たぜ」
「よし、ミートソースの完成だ。じゃあ次は、パスタを茹でてみよう」
鉄鍋に水を入れ、ダビに向き合う。
「パスタを茹でる時は、少量の塩を入れてね。それで、このくらいが一人前。沸騰したお湯にパスタを円を描くように入れるんだ」
「おう!」
「茹で時間は、この砂時計で計ってね。砂が落ちきったら、このざるに入れて水を切るんだ」
「おうよ!」
「出来上がったら、パスタを皿に盛って、ミートソースをかければ完成だよ。二人分、仕上げてみてくれ」
「あいよ、おまちどう!」
カウンターに並べられた皿をチェックして、俺は頷いた。
「初めて作ったものだから、ダビとルルイエに味見をお願いするよ。木匙でくるくるっと巻き取って食べてね」
二人は真剣そうな面持ちで、木匙を取り上げた。
そしてパスタを巻き取り、口に運ぶ。
「美味い! 野菜と肉の旨みがこのにょろにょろとした食いもんで、いっそう美味くなったみたいだ!」
「パスタって……美味しいね。あと2種類……どんな煮汁を教えて貰えるのか、楽しみだね……」
「よおし! 食ったら次の煮汁を教わるぞ! ミートソースの作り方は、覚えたよ!」
ダビは、にっと歯を見せて笑った。
「遠征中って、どうしても自炊するんだけど、干し肉が具材だから味がイマイチなんだ。でも、この煮汁を真似て作ったら美味そうだな!」
「ああ、干し肉もみじん切りにすれば、そんなに味は落ちないかもね。味付けは、次に教えるケチャップっていう調味料を持って行くといいかもしれないよ」
「すげー楽しみになってきた! とっとと食って、次だ、次!」
「うん……ダビが楽しそうで、あたしも嬉しい……」
二人は幸せそうに、パスタを食べてくれた。
食べ終わったら、再びの調理場である。
俺はナポリタンの作り方を教えるべく、まずはケチャップの作り方を伝授するのであった。




