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断頭台に散った悪役令嬢は、現代でプログラマーとなり乙女ゲームに『真の救済エンド』を実装する  作者: あとりえむ


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第1話

都内にある中堅ゲーム会社、ルミナス・ソフトウェア。

第3会議室の空気は、新プロジェクト「セイクリッド・ブーケ」の始動を告げる期待感で満ちていた。


リードプログラマーの結城莉奈は、ノートPCを開き、無機質な画面を見つめていた。


彼女の仕事は、企画を動くプログラムへと翻訳することだ。

感情を排し、効率と論理を優先する彼女は、社内で「氷のデバッガー」と評されていたが、本人はその評価を気に入っていた。



「では、メインキャラクターのビジュアルを公開します」


プロデューサーの声と共に、部屋の照明が落された。

プロジェクターが白い壁を鮮やかに染め上げる。


最初に映し出されたのは、ピンク色の髪に慈愛に満ちた瞳を持つ、いかにも王道乙女ゲームのヒロインといった風貌の少女だった。


聖女アリシア。

その姿を見た瞬間、莉奈の指先が、わずかにピクリと跳ねた。


どこかで見たことがあるような、奇妙な既視感が胸を掠める。


「そしてこちらが、彼女のライバルとなる悪役令嬢、セレスティアです」


画面が切り替わった瞬間、莉奈の思考が、真っ白に塗り潰された。


スクリーンに映し出されたのは、紫色の長い髪を誇り高く波立たせ、冷徹なまでの美しさを湛えた令嬢だった。


『セレスティア・ヴァン・オズワルド』


(……あ、あ……)


脳の奥底で、何かが爆ぜた。


会議室の空調の音が消え、代わりに、幾千もの群衆が浴びせる罵声が鼓膜を打つ。


背後に感じたのは、重い鉄の質感。

視界に割り込んできたのは、高く掲げられ、太陽の光を凶悪に反射するギロチンの刃。


冷たい鉄の感触が首筋に触れた。


一瞬の静寂のあと、自らの首が、物理的に切断される感触。

重力に従って視界が回転し、地面に置かれたバスケットの中、泥の匂いと共に暗転していく世界。




「……結城さん? 結城さん、大丈夫ですか?」




隣に座る後輩の声が、遠い場所から聞こえる。


莉奈は、自分が激しく震えていることに気付いた。


呼吸ができない。

肺が、鉄の檻に閉じ込められたように膨らまない。


脂汗が額を伝い、膝がガタガタと音を立てて笑っている。

吐き気がせり上がり、胃の底がひっくり返るような不快感に襲われる。



(ここは、どこ? 私は、誰……?)



目の前には、自分を殺し、嘲笑いながら処刑場へと送り出した「アリシア」が微笑んでいる。


そして、無残に首を切り落された「自分」が、キャラクターデータとして定義されている。


莉奈は、テーブルの下で自分の腿を、血が滲むほど強くつねった。

激痛が、混濁した意識を強引に現代へと引き戻す。



「……すみません。少し、貧血です。問題ありません」


莉奈は、震える手でマウスを握り、無理やり視線をモニターに向けた。


顔面は蒼白だったが、その瞳には、死の淵から這い上がってきた者だけが持つ、異様な鋭さが宿っていた。


まだ、会議は続いている。

彼女は社会人としての仮面を必死に張り直し、濁流のような前世の記憶を脳の奥へと押し込めながら、資料の文字を追った。


だが、その内側では、かつて令嬢として抱いたプライドと、処刑の恐怖が、黒い炎となって混ざり合い始めていた。



スクリーンに映し出されたのは、金髪をなびかせ、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる美青年だった。


王太子アルフレッド。

前世の莉奈にとって、愛し、信頼し、そして最後には裏切られ、死へと追いやられた元婚約者の顔だ。


彼が聖女アリシアの肩を抱き寄せ、優しく囁きかける立ち絵を見た瞬間、莉奈の心臓は再び激しい動悸を刻み始めた。



(……黙れ。その口で、私に汚名を着せた癖に)



耳の奥で、処刑宣告を読み上げる彼の冷酷な声が再生される。

莉奈は奥歯を噛み締め、指先の震えを隠すためにノートPCのキーボードの上に手を置いた。


隣では、シナリオライターの神崎が熱を込めて語り続けている。


「この王太子と聖女の純愛を際立たせるのが、悪役令嬢セレスティアの役割です。彼女は徹底的に愚かで、嫉妬深く、最後には自業自得の死を迎える。プレイヤーが最もスッキリする瞬間を、断頭台のシーンに持っていきたいんです」


神崎の声は、莉奈の古傷を執拗に抉るナイフのようだった。


プロジェクターの光が、会議室の壁にセレスティアの処刑シーンのラフ画を映し出す。


荒い線で描かれた、血に濡れた刃。

莉奈は視線を落とし、手元の仕様書を凝視した。


「……質問です」


莉奈は、自分でも驚くほど冷徹な声を絞り出した。


「セレスティアの救済ルートは、本当に一本も用意しないのですか。たとえば、彼女が冤罪を証明するような分岐は」


その問いに、神崎は鼻で笑った。


「結城さん、君はプログラミングのプロかもしれないが、物語というものが分かっていない。悪役は、主人公が輝くための踏み台なんだ。プレイヤーが求めているのは、鼻持ちならない公爵令嬢が惨めに処刑されるカタルシスだよ。彼女に救いなんて与えたら、ゲームの評価が下がる。セレスティアの死は、この物語の絶対的な『仕様』だ」


仕様。

莉奈はその言葉を、呪文のように頭の中で繰り返した。


エンジニアにとって、仕様は絶対のルールだ。

だが、その仕様を構築する手が自分にあるという事実を、神崎は忘れている。


莉奈は表情を一切変えず、ただ一言「分かりました」とだけ答えた。


周囲の人間には、それがいつもの彼女の、仕事に徹するドライな返答に見えただろう。


だが、彼女の指先は、仕様書の「処刑」という文字の横に、見えない血で署名するかのような鋭さでタイピングの準備を整えていた。




神崎の饒舌な解説は、その後も一時間近く続いた。


彼は自慢げに、アリシアがいかにして攻略対象たちの心を射止めるか、そしてセレスティアがいかにして孤立していくかの詳細なプロットを並べ立てる。


周囲のスタッフたちは、ヒット作の予感に目を輝かせ、熱心にメモを取っていた。

莉奈はその光景を、まるで冷たい水の底から眺めているような感覚で見ていた。


彼らにとって、セレスティアの絶望はただのエンターテインメントに過ぎない。


だが、莉奈の首筋には、今もなおあの断頭台の冷たい感触が、幻影としてこびりついている。


ふと、莉奈は自分のノートPCの画面に視線を落とした。

開発用エディタの黒い背景に、白いカーソルが一定の刻みで明滅している。


(……そうだ。私はもう、あの無力な公爵令嬢じゃない)


莉奈は、自分の手がキーボードに触れている感触を確かめた。


今の自分には、魔法も権力もない。

だが、この指先には、論理と数式で構築された「世界の理」を操る力がある。


神崎が書くのは、物語の「表面」だ。

だが、その物語を現実に動かすのは、自分が組む「システム」に他ならない。


神崎がどれだけ過酷な運命を書き連ねようとも、プログラムの深層に隠された一本の条件分岐が、すべてを覆す鍵となる。



莉奈の瞳から、恐怖の色が消えた。

代わりに宿ったのは、システムを支配する者特有の、静かで冷徹な熱量だった。


「結城さん、このあたりのフラグ管理、かなり複雑になりそうだけど大丈夫かな?」


プロデューサーの問いかけに、莉奈は淡々と答えた。


「問題ありません。……仕様通り、完璧な因果律を構築してみせます」


その声に、怯えは微塵もなかった。


彼女はすでに、脳内で最初の一行を書き始めていた。

神崎が用意した地獄の底に、誰にも見つからない、自分だけの「出口」を隠すためのコードを。




「以上で本日のキックオフを終了します。今年最大のヒット作にしましょう!」


プロデューサーの号令と共に、会議室の照明が点灯した。

暗闇に慣れていた目に、蛍光灯の白い光が刺すように痛い。


莉奈はノートPCの天板を静かに閉じ、深く息を吐き出した。

指先の震えはもう止まっていたが、代わりに胃の奥が冷たい塊になったような、奇妙な感覚が残っている。


「期待しているよ、結城さん。君の正確な仕事があれば、この『聖女アリシアの物語』は完璧なものになる」


神崎がすれ違いざま、満足げに莉奈の肩を叩いて去っていく。


彼にとって、このプロジェクトは自分の才能を誇示するためのステージに過ぎない。

だが、莉奈にとっては、一度死んだ場所への片道切符だ。



空になった会議室で、莉奈は一人、自分の座席に深く背中を預けた。


モニターに映っていたセレスティアの気高い瞳を思い出す。


かつての自分は、無力だった。


王太子の愛を信じ、聖女の嘘に惑わされ、ただ流されるままに断頭台へと歩まされた。


だが、今の自分には武器がある。

運命という名の論理を解体し、書き換えるための技術がある。


(……仕様通りにはさせない)


莉奈はノートPCを抱え、会議室を出た。

廊下を歩く彼女の足取りは、先ほどまでの怯えを脱ぎ捨て、確かな重みを伴っている。


神崎がどれほど残酷な結末を用意しようとも、プログラムを走らせる主導権は莉奈の手の中にある。


バグの一行、あるいは隠された一万行のコード。

それがあれば、絶望のシナリオを希望の叙事詩に変えられる。


莉奈は自席に戻り、電源ボタンを押した。

ログイン画面の青い光が、彼女の冷徹な決意を映し出す。


これが、私にできる唯一の復讐であり、そして救済だ。


キーボードに指を置いた莉奈の視界には、もはや処刑台の刃は映っていなかった。

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