断罪の光
迫りくる衝撃を想像し、私はただ奥歯を強く噛みしめた。指輪を奪おうとする男の振り上げられた拳が、私の顔を無残に砕く瞬間を待つ。死の恐怖を無理やり心の奥底へ押し殺し、この嵐のような不条理な暴力に耐えることしか、今の私には許されていなかった。
その時だった。
ドンッ!
鼓膜を直接引き裂き、脳漿までをも震わせるような、凄まじい轟音が響き渡った。
それはかつて聞いた教会の荘厳な鐘の音に似ていたが、慈悲や救済など微塵も感じられない、純粋な破壊そのものの響きだった。音の暴力は頭蓋を易々と突き抜け、思考を粉々に砕く。一瞬にして世界から全ての音が剥ぎ取られ、キィィィンという刺すような高い耳鳴りだけが、私の意識を支配した。
視界が、船の揺れとは別の理不尽な振動でぐにゃりと歪む。
目の前にいたはずの、私を睨みつけていたあの男は――もう、どこにもいなかった。
「……あぁ……!?」
自分の体を見下ろした私は、喉の奥でせり上がった声にならない悲鳴を飲み込んだ。
泥を被っただけのはずの私の体は、生温かく、べっとりと赤黒い液体に染まり、そこには得体の知れない「肉片」がいくつも付着していた。つい数秒前まで、私を人間として脅かしていた存在の一部だったもの。
あまりの悍ましさに、私は狂ったように叫び声を上げた。けれど、自分の声さえも、今の私の耳には届かない。喉が張り裂けるほどに絶叫しているはずなのに、世界は冷酷な無音のまま、私は狂ったように叫び声を上げた続ける。何度も、何度も、しかし世界は無音のまま、ただ残酷な光景だけを私に冷酷に突きつけてくる。
周囲は一瞬にして、理性を失ったパニックの極致に達した。
薄暗かったはずの船底に、目が眩むほどの強烈な外光が差し込んでいる。分厚い船体の一部が、何らかの巨大な衝撃によって、まるで紙細工のように無造作に吹き飛ばされたのだ。
冷たい海水が、その巨大な大穴から濁流となって雪崩れ込んできた。
高波が外壁に打ち寄せるたび、水位は恐ろしい速さで上昇していく。膝を叩き、腰を浸し、あっという間に私の上半身にまで死の冷たさが迫ってきた。
「んん……!!」
突然、誰かに頭を上から強く押し付けられた。
不意に水中に顔を沈められ、肺の中の空気が泡となって無情に逃げていく。剥き出しの死の恐怖に駆られた私は、半狂乱になってその手を振りほどいた。必死で水面に顔を出し、狂ったように獣のような呼吸で空気を吸い込みながら、私にしがみつこうとする影を思いっきり突き飛ばした。
その人が無事に浮上してきたか、沈んでいったか、そんなことを確認する余裕など微塵もなかった。
突き飛ばし、沈め、踏み台にする。
頭の中は真っ白になり、何が起きているのかも、自分が何をしているのかも分からない。ただ、この濁った水獄の中から逃れたいという生存本能だけが、私の手足を冷淡に動かしていた。
その時、船内に積み上げられ、置かれていた木箱の上に避難していた人々が、一瞬にして視界から消失した。
何の前触れもなく、彼らの体は粉々に、跡形もなく吹き飛んでしまった。凄まじい血飛沫が周囲の海水と混ざり合い、視界のすべてが赤く染まる。もはや私は恐怖すら感じていなかった。あまりにも現実離れした光景に、心が壊れるのを防ぐ防衛本能のように、一切の感情が停止してしまっていた。
穴の空いた船体。その光の差す方へ、私は吸い寄せられるように視線を向けた。
そこにいたのは、今まで見たことも、想像したこともないような巨大な船の群れだった。
何隻も、何隻も、悠然と海を航行するその威容は、幻想的でありながら、この世の終わりを告げる残酷な使者のようでもあった。
一隻の巨船の先端から、再びまばゆい閃光が放たれた。
その瞬間、私の眼前にあったはずの船内の光景が、一瞬で消滅した。
砕け散る木材も、叫び声を上げる人々も、全てが白い光に飲み込まれ、次の瞬間には圧倒的な質量を持った水の濁流が私を飲み込んだ。
抗うことなど、できるはずもなかった。
押し寄せる水の力に、私の小さな体は荒波に揉まれる木の葉のように翻弄される。
大量の海水が口の中、鼻の奥へと容赦なく流れ込み、肺が焼けるような、引き裂かれるような痛みを訴え始めた。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
遠ざかる水面の光の下で、私の手にはまだ、あの銀の指輪が固くはまっていた。
薄れゆく意識の中、私は最後に彼にもう一度、会いたいと願った。そして……。
アライアス、ごめんなさい。
私は暗い、暗い、底知れぬ灰色の海の底へと、深く沈んでいった。




