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戦火の轟音

「ああ、そうだ。アライアスにも伝えておいた方がいいな。……おい、その賊の姿を見た者がいるんだったな。どんな見た目だったか……私は思い出せんな。お前から話してやれ」


 父に促され、控えていた兵士の一人が顔を上げ、証言を始めた。

「はっ。丁度、屋敷の裏門を出ていく不審な者を見かけたのです。……亜麻色の短い髪に、琥珀色の瞳。そして、すれ違いざまに漂ってきたのは……香ばしいパンの香り。……ああ! 今思えば、街で見かけるパン屋の店員によく似ておりました。その日の搬入の報告は受けていなかったので、少し歩きながら考えた後、急いで追いかけたのですが……用意されていた馬車に乗ったのか、忽然と姿を見失ってしまいまして」


 その一言一言が、私の心臓を鋭く冷たい指先で撫で回していった。

 自身の体から、一気に血の気が引いていくのが分かった。

 亜麻色の髪。琥珀色の瞳。パンの香り。

 そんな特徴を持つ人間を、この領内で私は一人しか知らない。


(まさか……イユが……!? いや、そんなはずがない。絶対に。彼女が盗みなどするわけがない。何かの間違いだ)


「父上、何を盗まれたのですか?」


 自らの喉から出たとは思えないほど、掠れた声で問いかける。

「ああ? ああ、まあ大したことではない。金貨数枚だ。だがな、我が家の紋章入りだ。平民が使えばすぐに足がつく代物だ。なあに、心配するな。お前が日々鍛え上げてくれているおかげで、我が領の兵士は優秀だ。その賊をすぐに捕らえ、……速やかに絞首刑にしてやる。法は曲げられんからな」


 絞首刑。

 その不吉な言葉が、私の頭の中で鋭利な凶器となって暴れ回る。イユがそんな短絡的なことをするはずがない。けれど、兵士の証言はあまりにも、残酷なまでに彼女と一致しすぎていた。なぜだ。彼女に一体何があったというのか。それとも、私の知らない彼女の側面があったというのか。何が起きているのか、全く理解が追いつかない。


 葛藤し、青ざめて立ち尽くす私の元へ、父がゆっくりと歩み寄ってきた。

「どうした、アライアス。その賊のことを心配しているのか?」


「いえ、ただ……その……」


 言えるはずがなかった。私が魂の底から愛している女性が、今、父が処刑を宣告した「賊」の特徴に酷似しているなどと。もし知られれば、彼女の命の灯火は今、この瞬間に吹き消されるだろう。


 父は優しく、慈しむように私の肩に手を置いた。

「さすが我が息子だ。賊といえど領民。等しく慈愛を見せるとは、それでこそ我が伯爵家の跡取りとして相応しい」


 父の信頼に満ちた言葉が、罪悪感に苛まれる私の心に激しく突き刺さり、血を流させる。

「言わずとも、お前の気持ちは分かっている。その賊はきっと、生活に困っていたのだろう。だがアライアス、盗みは罪だ。公務を担うお前や私が、泥棒を匿うわけにはいかんだろう? 味をしめた賊が、今度は罪のない他の領民を手に掛けるやもしれん。それを放っておくことは、領主としての怠慢だ。……そうだろう?」


「……はい。その通りです、父上」


 私は、絞り出すように頷くことしかできなかった。父の言葉は完璧な正論であり、私が目指すべき理想的な領主の姿そのものだったからだ。

 今すぐ、今すぐにでも山小屋へ行きたい。イユに会い、彼女が無実であることをこの目で確かめたい。私は彼女を信じている。だが、もし……もし万が一、彼女が本当に、何らかの理由で犯人だったとしたら。私は守るべき「法」と、捧げた「愛」のどちらを選べばいいのか。


 その破裂しそうな思考を、激しい衝撃音と不気味な地響きが遮った。


 ガシャン、ガシャンと、重い鎧特有の金属音が屋敷の廊下に響き渡り、急速に近づいてくる。私は反射的に剣の柄に手を置き、鋭い殺気を込めて身構える。


 しかし、目の前に現れたのは、先ほど労をねぎらって別れたばかりのアドウィルだった。彼は肩を激しく上下させ、顔の血相を変えている。その額からは嫌な、ねっとりとした汗が流れていた。


「オルドレイク伯爵、大変です! ゼリュキアの重巡洋艦地攻撃群が現れ、港や街に砲撃を開始しました! 激しい砲撃で、街の防衛障壁がもちそうにありません!」


「何だと……!?」


 父の言葉が終わるより早く、空を引き裂くような凄まじい、絶望的な飛来音が聞こえてきた。

 

 ドンッ!!


 屋敷全体が巨人に揺さぶられたかのように激しく震動し、窓ガラスが悲鳴を上げる。

 幸い、屋敷を包む強力な個別の魔法障壁が着弾を防いだようだが、窓の外を見れば、空を覆う透明なドーム状の壁が激しく火花を散らし、悲鳴を上げているのが見えた。


「お前たちは急いで障壁の出力を強化しろ!」

「はっ!」


 父の的確な指示が飛ぶ。私は震える手で剣の柄を強く握りしめた。

「父上、私は砦に向かい、防衛の指揮を執ります!」

「ああ、気をつけろよアライアス。私もすぐに向かう」


 私はアドウィルと共に屋敷を飛び出し、待機させていた愛馬に跨った。

 外に出た瞬間、目に飛び込んできた光景に私は息を呑む。

 遠くに見える活気あるはずのアドララや、麓ののどかなソドラナの、あちこちから不吉な黒煙が上がっていた。水平線の彼方には、ゼリュキアの禍々しい巨艦が多数、味方の船を無慈悲に沈めながら航行していた。


 激しい砲撃が放たれるたび、街を覆う障壁が破裂するように白く光り、必死に再生を繰り返す。しかし、その一瞬の再生の隙間を縫って、数発の砲弾が容赦なく無防備な街へと降り注いでいた。


(ゼリュキア……。幸い奴らは貧弱な陸軍しか持たないはずだ。だが、もしこのまま上陸を許せば、この領地は……)


「アドウィル、行くぞ! 遅れるな!」

「了解!」


 私は手綱を強く、千切れるほどに握りしめ、愛馬の腹を蹴った。

 黒煙に包まれ、太陽が隠れていく暗い空の下、私は祈るような心境で、戦火の渦巻く砦へと馬を走らせた。頭の片隅で、今もなお、亜麻色の髪をなびかせて笑う彼女の幻影を追いかけながら。

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