第59話 英雄の肩書き──求められる者の苦悩
記録庁から出た直後、俺──高野一朗は、王都ノヴァリアの青空の下で盛大に深呼吸した。
「ふーーーーーーーー……生きて出られたああああああっ!」
「通行人の目がすごいですよ、一朗さん!」
葵が袖を引っ張りながら苦笑いしている。俺も思わず周囲を見渡した。確かに数人、こっち見てヒソヒソ言ってる。やばい。
「いやだってさ! あんな仮面軍団に囲まれて“あなたの記録は消去対象です”とか言われたらどうすんのよ!?マジでトラウマもんだぞ!?」
「でもちゃんと“特級記録者”に認定されたんですから、大丈夫ですよ。むしろすごいです」
「すごいけども!!!」
ポーチから例の登録証を取り出して、太陽にかざしてみる。
金縁でピッカピカ。裏には俺の名前と特級の刻印。まるで豪華なトレーディングカードだ。
「なあ……これ、絶対盗まれそうなやつじゃん……」
「ちゃんと転写防止と魔力認証ありますから!」
「おお、現代技術っぽい!」
と、俺たちがそんな会話をしている間に、すでに王都は騒がしくなっていた。
王都中に設置された魔導掲示板、通称『速報板』に、俺の名前と顔がドーンと表示され、横に「異世界人・記録者・特級認定」とデカデカと書かれていたのだ。
「うわああ! 写真まで載ってる! 顔バレしたーっ!!」
「……よく撮れてますね。ちょっとキリッとしてます」
「そんな問題じゃないのよ! 恥ずかしいわぁぁぁ!」
通りすがりの市民たちが俺の方を見てヒソヒソ話してくる。
「異世界人らしいよ」「特級だって」「記録魔術すげー!」「でも無職だったんでしょ?」「え、それで特級?どういうこと?」
あああああ! このままどこかの森に隠れたい!いや、いっそもう一回異世界転生し直したい!
その日の夕方、記録庁からの推薦という名の強制によって、俺たちが泊まっていた庶民的な宿──「月光亭」から急遽立ち退きを命じられた。
「『著名人の身の安全確保のため』だそうです」
「つまり、追い出されたんじゃん!!」
代わりに用意されたのは、王城直属の迎賓館。名前からして格が違う。
案内された先で、俺は思わず立ち尽くした。
「……ここ、ホテルっていうより博物館じゃない?」「床、光ってる……」
広い玄関ホールにはシャンデリア。応接室には金縁のソファ。浴室は3つ、トイレは2つ。何故だ、なぜトイレが2つ……?
「これ……うっかり尻拭く前に迷子になるぞ」
ベッドも巨大すぎて、寝返りを十回くらい打っても端に辿り着けそうになかった。
「ユグが寝返りうったら壁抜けるんじゃ……」
「それ、ちょっとやってみたいかも」
「やめろォォォ!」
晩飯は、白い手袋をしたメイドっぽい人たちが静かに給仕してくれるコース料理。フォークとナイフが5本ずつ並んでいて、俺の脳内Windows XPがエラー音を鳴らし続けていた。
「これ、何から使うんだ……外側?内側?誰か正解くれ……」
「大丈夫です、一朗さん。私がこっそり真似しておきます」
ありがとう、葵……天使。
食後、湯船に沈みながら思わず口からこぼれる。
「なんか……俺、世界から期待される側になっちゃったんだなぁ……」
そしてその夜、ベッドに寝転がり、ふかふかの羽毛布団に包まれても眠れなかった。
記録庁からの“特級認定”。それは名誉だ。認められたという証。でも同時に、それは──
「責任、ってやつなんだよな……」
今後どう動くか。何を記すか。誰の歴史に立ち会い、どんな判断を記録するか──。
誰からも強制されていないけど、皆が「この人なら」と期待している。
特に、王都ではそれが目に見えてわかる。すれ違う人々の視線が、重たい。
「……あの仮面連中め、ただじゃ済まさんぞ……」
天井を見つめながら、布団の中で丸まる俺。葵の寝息が隣の部屋から聞こえてくるのが唯一の癒やしだった。
英雄ってのは、自由の象徴じゃない。
英雄ってのは、“周囲の理想を全部乗せされた苦労人”だ。
そしてその事実を、俺はようやく受け入れ始めていた──。




