第54話 塔の記録封鎖──ディサイファーの影
塔の中は、静寂だった。
一歩踏み込んだ瞬間、耳鳴りのような音が全身を包み、背後の都市の気配が途切れた。
塔の中に入っただけで、世界との接続が切れたような感覚──記録の流れから断絶されたのだ。
「ここが……記録の流れを切断する空間……」
篠崎葵が、魔導計測器を手に囁く。
「外の魔力が届かない。自分自身の記録だけが、ここでの唯一の存在証明になるわ」
塔の内部は、螺旋階段と浮遊する記録球で構成されていた。
壁には古代語で書かれた記録干渉の術式──カーヴァスの思想を反映した呪文群が刻まれている。
「これは……“無記録状態”の呪文式だ」
ユグが言う。
「記録されることを拒否することで、存在そのものを不確定にする……異端の記録魔術だ」
「つまり、ここにいる限り、“記録されること”を放棄したものだけが、自由に動ける……」
クラヴィスが顔をしかめた。
「やり口が気に入らねえな」
そのとき、塔の壁の一部が波打ち、影が現れた。
黒衣をまとい、顔を仮面で覆った人物。
「記録官・高野一朗。おまえは、記録に囚われすぎた」
その声は低く、乾いていた。
「……カーヴァス」
俺は静かに剣を抜いた。
だが彼は構えず、ただ手を一つ上げた。
すると空中の記録球が一つ、赤黒く変色し、震え始めた。
「過去の記録を見せよう」
記録球が映し出したのは、王都での記録庁襲撃事件。
だがそこに映っていたのは、俺──ではなく、篠崎葵が犯人として記録されている場面だった。
「な……何これ!? 私、こんなこと……してない……」
篠崎葵が目を見開く。
「これが、黒羽核の記録改竄能力だ。真実も嘘もない。ただ、“記録されたこと”が現実になる」
カーヴァスの声が、塔内に響く。
「そんなの、認められるわけないだろ……!」
俺は叫び、カーヴァスに斬りかかろうとした。
しかしその瞬間、足元が崩れ、俺は空間ごと“記録の裂け目”に飲まれた──
次の瞬間、俺は一人、記録のない空間に立っていた。
まるで自分の存在そのものが霧散しかけているかのような錯覚。
「……ここは、“記録にすら残らない空間”」
ふいに、目の前に現れたカーヴァスが言う。
「さあ、一朗。君は何を信じてここまで来た?」
「俺は──」
胸に浮かぶのは、篠崎葵の手の温もり。
彼女と過ごしてきた時間、言葉、笑顔。
すべては記録できない“想い”として、俺の中に残っている。
「記録じゃない。俺が信じるのは、“誰かと過ごした記憶”だ!」
叫ぶと同時に、俺の《記録写し(レプリカ)》が輝き、空間を切り裂いた。
裂け目の向こうに、葵の声が届く。
「一朗さん──っ!」
手を伸ばす。彼女の記憶が俺の存在を引き戻してくれる。
俺は記録の空間を突破し、再び現実に帰還した。
「カーヴァス……お前の“記録”は、ここで終わる」
俺たちは、最上階を目指して走り出す。




