第34話 心の迷宮を抜けて──次なる試練、“境界の村”と記録なき住民
鏡の迷宮を抜けた俺たちは、光の通路をくぐり抜け、ひとつの扉の前に立っていた。
「ここから先は……“外”です」
ユグがそう言ったとき、俺と篠崎さんは思わず顔を見合わせた。
「“外”? いや、まだ塔の中だろ?」
「ですがこの層は、“塔と世界の境界”に存在する空間……言うなれば、記録と現実のグレーゾーンです」
「もう完全にメタ領域じゃねーか……!」
ガチャン、という乾いた音とともに扉が開き、俺たちは歩みを進めた。
そこは──まるで現代日本の農村とファンタジー世界がごちゃ混ぜになったような、不思議な村だった。
古びた郵便局に、馬車が停まってる。井戸のそばに自販機があるし、通りの片隅ではおばあちゃんが魔法陣で洗濯してる。
「……なにこれ、どこのノスタルジー系転生村?」
「一朗さん、見てください。掲示板に……」
そこには奇妙な張り紙があった。
《お知らせ》
この村の住人は、前日以前の記憶を保持できません。
何度でもご挨拶をお願いします。
※驚かせると発作を起こす方がいますので、やさしくしてください。
※トマト泥棒は昨日も出ました。
「……いや、記憶喪失デフォルト村かよッ!!」
「まるで“セーブデータの読み込み忘れ”みたいな状態ですね」
「ゲームじゃないんだぞ!?」
そうツッコミつつ、俺たちは村の中へ。
最初に声をかけてきたのは、白髪まじりの優しいおじいさんだった。
「やあ、初めまして。旅のお方かな?」
「ええと……昨日も会ってたりします?」
「昨日? 昨日なんて、誰にもわかりゃしませんよ」
「やっぱそういう仕様なんですね!!」
驚いたのはここからだった。
村人はみんな普通に暮らしてる。でも誰一人として、昨日のことを覚えてない。
野菜も育ってるし、子どもたちも遊んでる。でも、朝起きるたびに「今日が初日」のつもりで生きてる。
「ここでは、“記録”されない生活が当たり前……?」
「そう。この村は、かつて記録に依存しすぎた文明が、“忘却”の力を使って作った最終実験区です」
ユグが空を見上げて呟く。空は常に曇天。太陽の位置すら定かじゃない。
「でも、それって……幸せなんでしょうか?」
篠崎さんの声が沈む。
──そのとき。
「トマトが……またやられたぞォォ!!」
叫び声が村に響いた。
「なんか定番のやつ来たぞ」
「いえ、これは明らかに昨日もあった事件……!」
俺は《記録》スキルを起動する。
だが──何も記録されていない。
「これまで俺が《記録》した中で、最も白紙に近い。ここ、マジで“書けない領域”だ……!」
「一朗さん、でもあなたは記録できないとこでも、“観察”してたじゃないですか」
「……あ」
そうだ。俺のスキルは単なる書き起こしじゃない。
“目にした事実”を、後からでも《記録》として昇華できる。
「つまり、観察から組み立てるっていう原点回帰──!」
俺はトマト畑へ向かった。
足跡、畑の荒れ方、獣の毛、残されたかじり跡──
「……これは、モンスターじゃない。人間の仕業だ」
そして、その場にいた少年がうつむいた。
「……僕です。たぶん、昨日の“僕”が、やったんだと思います」
少年の手には、かすかに赤い染みが残っていた。
「でも、昨日の僕がやったことで、今日の僕が叱られるのは……おかしいって、思っちゃって……」
その言葉に、俺はゆっくりしゃがみこんで目線を合わせた。
「昨日の自分が何をしたか。知らないまま生きるのは、楽かもしれない。
でもな、“過去を知らない自由”って、すごく危うい自由だ」
俺はその場で、地面に“記録”を書いた。
《2025年06月18日 少年K、トマトを盗む。理由:腹が減っていた》
「いいんだよ。こうして書き残して、向き合えば。昨日と今日を、つなぐためにな」
少年は泣きながら、うなずいた。
──空が、少しだけ晴れた。
「……一朗さん、見て。空……!」
「ああ。記録が、戻ってきたってことだ」
ユグがうれしそうに手を打つ。
「この層、クリアです。あなたは“記録できない村”で、“記録すべき想い”を残しました」
俺はノートに、新たなページを綴った。
《記録:この村には、忘れられた昨日がある。けれど、それを想い出すことは、決して罪ではない》




