第33話 自己記録不能領域──“鏡の迷宮”とアイデンティティの罠
塔の第四層に足を踏み入れた瞬間、俺は直感的に悟った。
「ここ、めっっっちゃ嫌な感じする……」
それは、今までのどの階層よりも妙だった。何もない白い部屋に、一面──鏡。
天井も床も、壁も、全て鏡。正直どっちが天地かすら怪しい。
「わ、わ、わ……目がチカチカします、一朗さん……!」
篠崎さんが目を押さえて、俺の袖をぎゅっと掴んでくる。なにこの“鏡の迷宮”ホラー仕様。
そして、俺の《記録》スキルも──完全に沈黙していた。
「ユグ……? なんか説明ないの?」
「……ここでは、あなた自身が“記録対象”です。つまり──“自分を記録できない領域”です」
「自分を……記録できない……?」
「この階層では、過去も未来も、あなたが自分に下した“定義”がすべて曖昧になります」
「……それ、精神的にヤバいやつじゃん」
すると鏡の奥から、誰かの足音が聞こえてきた。
──現れたのは、俺だった。
いや、厳密には“もう一人の俺”。
同じ顔、同じ声、同じ服、でも──目つきだけが、違う。
「よう。はじめまして、“高野一朗”。」
「……いや、知ってるし俺だし!」
「違うな。“お前が信じている自分像”だ。俺は、お前が《記録》してこなかった“もう一人の高野一朗”」
「なにその裏設定ぶちこみ型自己紹介!? いや、今まで記録してきたし!」
鏡の“俺”はニヤリと笑った。
「じゃあ訊くぞ。お前、何のために異世界で生きてる?」
「……へ?」
「最初は復讐だったろ。正社員にざまぁするために無双して……それで終わりか?」
「そ、それは……今は違う!」
思わず声を張る。
「俺は今、篠崎さんやユグや、他のみんなと……! この世界で“ちゃんと生きて”……!」
「なら──なぜ、記録に自分の名前だけ“あえて”入れてない?」
「……え?」
「お前の《記録》には、“他人の行動”や“周囲の変化”ばかり記されている。
お前自身の想いや選択、その“核”が、ない。お前自身を、“記録してこなかった”んだよ」
言葉が胸に刺さる。確かに、俺は──“観察者”だった。
他人の強さを記録し、スキルを解析し、環境を観察し、結果を予測する。
でも、俺自身の“目的”は──
「……俺は、なんでここにいる?」
ふと、その疑問が浮かんだ。
「自分を記録しない者に、未来はない──」
鏡の“俺”が、俺に向けて剣を構えた。
「行くぞ、《自己否定斬り》!」
「そんなネーミングあるかぁぁぁッ!!!」
慌てて木剣を抜いて応戦する。
「一朗さんっ!!」
篠崎さんの声が後ろから響くが、目の前の“俺”が襲いかかってきて、それどころじゃない!
……剣がぶつかる。重い、痛い、心に刺さる(比喩ではない)。
「やめろよ! そんなこと言われたって俺は──!」
バシンッ!
──次の瞬間、篠崎さんが鏡の“俺”に張り手を食らわせていた。
「な、なにしてんの!?」
「一朗さんが苦しんでるのに、自分のフリして追い詰めるなんて──そんなの、一朗さんじゃない!」
鏡の“俺”は驚いたように目を見開き──そして、霧のように溶けていった。
「え、撃退……?」
「はい、張り手で」
「え、物理!?」
「心がこもってれば、なんとかなるんですよ。だって、私は……あなたの全部、信じてますから」
「……それ、ちゃんと記録しとく」
ふと、ポケットの中で《記録ペン》が光を放った。
鏡の迷宮が砕け、天井から一筋の光が差し込む。
「自己記録不能領域、突破です」
ユグが、青い瞳でうなずいた。
「あなたは、“あなた自身”を、記録できました」
俺は、鏡のかけらに映った“自分”を見て、そっと微笑んだ。




