90話 思い込むが大切
エルセが消えた。
次の瞬間、ジョーカーが俺の目の前を光速で吹っ飛んでいった。
エルセがジョーカーを、『背後』から攻撃したのだ。具体的には、背中を蹴ったらしい。
「ホントです! 凄いです、グレイスさんっ!」
蹴りの後、膝を高く上げたまま足を折りたたんで、エルセが瞳をキラキラさせている。
「……いや、ワタシはそんな芸当出来ないのだが……」
「しっ。黙っとけって、グレイス。コスプレーヤーには『思い込み』が大切なんだから」
目の前で起こった不可解な出来事の説明を求めるように、グレイスがこちらを向いている。
グレイスに出来なくとも、「グレイスなら出来るに違いない」と思い込んだエルセには出来るのだ。
それでいいじゃないか。
「そもそも、コスプレーヤーというのは、コスプレした相手の能力を、『自分のレベルに合わせて』発動出来る職業のはずだけれど……」
スティナがそんな疑問を口にするが、それに対する明確な答えは俺も持ち合わせていない。
ただ感覚的に、エルセの身に起こった現象は理解出来る。
『なりたいものになりたい』。そう思うからこそ、コスプレをするのだ。
その意志こそがコスプレーヤーの限界を突破してくれる。
ジョーカーが、コスプレによって明らかに人智を超える力を発揮していることからも、その仮説は裏付けられる。
もしかしたら、転移者のみがこちらの世界のコスプレーヤーの規格を飛び越えてしまうのかもしれない。
「とにかく、ジョーカーに『あ、やばい』と思わせる前に攻撃を当ててしまえば、ヤツは無敵状態には移行出来ない!」
ジョーカーは、その能力故に滅多に攻撃を食らうことがないのだろう……背中に一撃を受けて身動きが出来なくなってしまっている。
「追い打ちをかけるなら今だなっ!」
「待てグレイス! それは悪手だ!」
駆け出そうとしたグレイスを止める。
今グレイスが接近すれば、ジョーカーは『あ、やばい』と思うだろう。
そうなればジョーカーは無敵状態になってしまう。
「では、手の施しようがないではないか!」
「そうね……では、こういうのはどうかしら?」
両手を口の横に添え、メガホン代わりにしてスティナが叫ぶ。
「エルセ。グレイスはドラゴンに変身して、敵を瞬殺出来るわ」
「あはは。そんな人間いるわけないじゃないですかぁ~」
「コーシどういうこと!? なぜ信じないのかしら!?」
「度が過ぎたんだよ」
「瞬間移動も大概だとも思うのだけれど!?」
そんなクレームを俺に言われても知らん。
エルセの感性はエルセ以外には理解出来ないということだけしっかり理解していればいいのだ。
「グレイスよ。あのマッドゴーレムたちの始末を頼むのじゃ」
「そうだな。あちらならワタシにでもなんとか出来る!」
言って、グレイスは腰の剣を抜き、マッドゴーレムの群へと飛びかかっていった。
それにしても、数が多過ぎる。いくらグレイスが強いと言っても、あの数を一人では…………結構、イケる、かも?
数十体もの巨大な敵と対峙しながらも、グレイスは一歩も引くことなく戦いを繰り広げている。むしろ少し優勢なくらいだ。いやいや、押している、明らかに。
「……あながち、コーシの言った言葉が的外れというわけでもなさそうね」
その、あまりの強さにスティナが顔を引き攣らせている。
瞬間移動とまではいかないまでも……人知を超えた能力という点では大差ないかもしれない。
一騎当千は伊達ではないようだ。
「お、おのれ…………女神…………様、め……っ!」
ジョーカーがふらつく足で立ち上がる。……律儀に『様』を付けるんだな、こんな状況でも。
「そうまでして、邪魔したいか……っ!」
口の端から、軽く血が滲んでいる。
それを見て、エルセが明らかな動揺を見せた。
「コ、コーシさん……どうしましょう……わたし…………」
あの目、あの顔……エルセはもう、ジョーカーを攻撃出来ないだろう。
もともと、自分が巻き込んでしまったという負い目もあったんだ。傷付けるような真似は、出来ればしたくないはずだ。
「ニコ。スティナを頼む」
「コーしゃま、どうするつもりじゃ?」
「たぶん、エルセには無理だろうから、俺がケリを付けてくる」
「結界の外には、マッドゴーレムとからくり兵士もいるのじゃ。コーしゃまでは無理じゃ」
まぁ、そうかもしれないけどよ。
「あんな顔してるエルセを、放ってはおけないだろ?」
自分がやったことを後悔して、今にも泣きそうな顔をしてるエルセをさ。
教えてやりたいじゃん。
大丈夫だって。
怪我させたってとこだけを切り取れば非難されるのかもしれんが……そうしなきゃいけない時だってあるんだって、今回はそういう時だったろって、あいつにちゃんと言ってやりたいんだよ。
「あいつ一人に責任を背負い込ませるのは、俺には無理だから」
それだけ言って、結界の中から飛び出す。
一歩踏み出せば、すぐそこにマッドゴーレムとからくり兵士がいる。
爛々と輝く瞳が俺を捉え、巨大な腕を振り上げて襲いかかってくる。
グレイス級のパワーがなければ太刀打ち出来ない。
俺には逃げることしか出来ないだろう。
そうだとしても、俺はエルセの元へ行かなきゃいけないんだ!
「コーシ!」
結界の中から、スティナが俺を呼ぶ。
心配すんな。むざむざやられたりはしないさ。
振り返っている暇はない。
前だけを向いて必死に足を動かす俺の背中に、スティナの声が飛んでくる。
「あなたが行かなくても、エルセがこちらに瞬間移動してくればよかったのではないかしら?」
……ん?
そーだった!?
あいつ、瞬間移動出来るんだった!?
戻ろうかなと、振り返るも、もうすでに退路はマッドゴーレムたちに断たれている。
オォーウ、ジーザス。
「テメェも邪魔だっ!」
ジョーカーの声がして、咄嗟に視線を向ける。
そして、思わず硬直してしまった。
空気砲が俺に向けられていた。
壁をへこませるくらいの強烈な空気の弾丸……そいつが、俺に向かって発射される。
硬直したのがまずかった。……避けられない。
「コーシさんっ!」
空気の弾丸が俺に着弾する、その間際――エルセが俺の目の前に突如出現した。
瞬間移動を使って、俺の前に現れたのだ。
そして。
「エルセッ!」
エルセの胸に、強烈な一撃がめり込む。
「エルセェェエッ!?」
エルセが…………エルセが…………っ!
「さすがグレイスさん。防御力も物凄いですね」
「ケロッとしてたぁぁ!?」
俺の心配と絶叫を返して!
「あっ!? エルセ、あなたっ!」
だが、次の瞬間。スティナの言葉が俺たちに危険な現実を突きつけた。
「胸の空気が抜けてしまっているわよっ!」
「えっ!?」
見ると、先ほどの一撃を胸に喰らい、風のブラジャーがしぼんでしまっていた。
「わっ、わぁっ!? か、風よっ! 風よぉっ!」
慌てて膨らませようとするが、情けない空気の抜ける音がするだけで、風のブラジャーは膨らまなかった。
周りにはマッドゴーレムとからくり兵士。ジョーカーの空気砲が俺たちを狙い、ニコとスティナ、そしてグレイスからも離れてしまっている。
この状況で、エルセのコスプレが封印されてしまった……




