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水曜日の朝、恭介は東京から新幹線で約一時間半かけて名古屋に来ていた。名古屋大学まではそこから地下鉄を乗り継いで二十分ぐらいで着く。
父親の部屋の鍵は真由美に渡し、父が帰ってきたらすぐに教えてもらえるようにお願いした。
突然名古屋にいくことに、真由美は驚いていたが、特に反対をすることはなかった。
同時に、岡山の忠にも名古屋に行くことを連絡した。忠にはもっと反対をされるかと思ったが、真由美から聞いていたのか、特に何も言われなかった。
そして若菜には……結局連絡はできなかった。
十一時頃、名古屋大学に着いた恭介は、緑の多さに驚いた。まるで公園のなかに建物が建っているようで、開放的で落ち着いた雰囲気だ。
木々は色づき、紅葉が美しかった。
恭介が歩いていると、自転車に乗った学生や、友だち連れの学生たちが歩いていたり、ベンチに座って話をしている。
恭介は自分より少し年上の人たちに緊張した。
恭介は案内表示を見たり、人に聞きながら文学部の神谷研究室に着いた。
ドアをノックすると、ヒゲを生やした学生が顔を出した。
「あの。僕、井久見恭介と言います。最上
慎一郎さんの紹介で伺ったのですが、神谷先生はいらっしゃいますか?」
学生はまじまじと恭介を見ると、部屋の中に向かって大きな声を出した。
「先生、お客さん!」
しばらくすると、修が部屋の奥から出てくる。
兄弟と聞いてきたけれど、葵の父や勝とはまったく違い、眼鏡をかけた優しそうな雰囲気に、恭介は安心した。
「こんにちは。よく来てくれたね」
「はじめまして。井久見恭介です。突然すみません」
「まあ、立ち話もなんだから、こちらへどうぞ」
恭介が入ると、部屋にいた学生たちが珍しそうに恭介を見た。その視線に緊張しながら、修に連れられて更に奥の部屋に入った。
部屋の中は本と資料で埋め尽くされていた。なんだか、父の部屋とよく似ていると、恭介は思った。
来客用のイスに座るよう勧められ、恭介は遠慮がちに座った。
「最上から話は聞いたんだけど、怪魔について勉強したいんだってね」
「はい。父も研究している世界について教えていただきたいんです」
「お父さんは井久見康介さんだね。お話ししたことは無いけれど、噂はかねがね聞いているよ」
「最上さんが、父さんの研究を理解するには、神谷先生に教えていただいた方がいいと、紹介してくださったんです」
「でも、君のお父さんは科学者で、僕はしがない文系の学者だからね。
分野が違うんだよね」
「知っています」
だけど、今は神谷先生に教えてもらう他には、頼る人がいない。
「でも、他に教えてもらえる人もいなくて……。
お願いします」
恭介は深々と頭を下げた。修は恭介を見て柔らかく笑った。
「まあ、そんなに固くならないで。まずは僕の研究室を案内するよ」
そう言うと、修は自室の部屋のドアを開けた。
隣にいた数人の学生たちが、一斉に修を見た。
修は隣に恭介を立たせる。
「今日からしばらくの間研究室に来る、井久見恭介君。
恭介君も困ったことがあったら、先輩たちに何でも聞いてね」
学生たちが笑顔で恭介を迎える。そんな先輩たちに恭介は慌てて、よろしくお願いしますと頭を下げた。
再び教授室に戻ると、恭介は修と向かい合って椅子に座る。
そんな恭介と修のもとに、学生がコーヒーを入れてくれた。
修はブラックだが、恭介は砂糖とミルクがしっかり入った甘いコーヒーで、恭介も飲みやすかった。
修はコピー用紙を机の上に広げると、ボールペンで二つの丸を描く。
「君のお父さんや僕たちが提唱しているのは、人間の世界と妖怪の世界があるというのが基本的な考え方なんだ。
昔話や平安時代の物語などから、人間ではないものがたくさん描かれているからね。
だけどそういったものがどこから生まれてどこで死んでいくのかは分かっていない。
僕は昔話や古い文献から資料を調べて、そういうことを研究しているんだ」
「先生は妖怪の世界があると考えているんですか?」
「そうだね。
少なくともそう考えると、辻褄が合うしね。
あまり知られていないけど、怪魔について書かれた文献が現れるのは、平安時代末期から鎌倉時代初期なんだ。
それ以前には怪魔と思われるものは資料として見つかっていないんだ」
「それ以前は怪魔はいなかったということですか?」
修は恭介の反応に嬉しそうに答える。
「断定はもちろんできないんだけど、その可能性が高いと思われてるね。
なぜ突然怪魔が現れたのか。というのも謎なんだけど、江戸時代以降、妖怪と人間が共存するような資料が少なくなっていることも、謎なんだよね。
だからこそ僕の興味はそこにあるんだ」
恭介は何度も頷いた。
「君のお父さんは、そこを科学的に証明しようとしているよ。
詳しい説明は省くけど、お父さんは妖怪の世界とこちらの世界は時空の歪みのようなものがあり、そこから繋がっているのではないかと考えているようなんだ」
そう言うと、修は二つの丸の間に壁のように長方形を書く。
「この歪みを人為的に作ろうとしているようだよ」
「人為的に作る……」
恭介は父親の研究に呆然とした。
「現実には難しいし、そもそもそんなことはできないという研究者も多いからね。
お父さんの研究は僕たちの間でも有名なんだ」
どうして、父さんはそんな研究を始めたんだろう。
そんな話、一度も聞いたことがないし、父さんの研究に興味を持ったこともなかった。
いつも表情の少ない父の胸の中の情熱を知って、恭介は戸惑っていた。
「最後に、資料室を案内するよ」
修に促されて、恭介は資料室に行く。
その部屋は壁一面、本や資料で埋め尽くされていた。
修はその中の一つを手に取り、恭介に見せる。美しい文字だが、崩し字ばかりで、とても恭介が読めるようなものではない。
困った顔をする恭介に、修はパッドを持ってきて、その資料の写真を撮り、アプリに読み込ませた。
すると、その写真の文章が恭介にも理解できる程度に解読された。
「すごい……」
感動して思わず声を上げると、修は嬉しそうに言った。
「最近はAIである程度解読できるようになったんだ。
もちろん完璧ではないから、分からないところは、僕や先輩に聞くといいよ」
「これなら、僕でも読めそうです」
その言葉に修は大きく頷いた。
「君が知りたいことが少しでも見つかるといいね」
その言葉に、恭介は大きく頷いた。
それから、恭介は先輩たちにも聞きながら資料を探して、のめり込むように読んだ。
時間はあっという間に過ぎていった。
「恭介君、そろそろ帰ろうか」
時計を見ると6時半が過ぎていた。恭介は慌てて資料を片付け始めた。
「あっ、先生。もう少し読んでいたいんですけど……パッドと資料はお借りできませんか?」
そんな恭介に修は苦笑する。
「まだまだ時間はあるんだから、家ではしっかり休もうね」
その言葉に恭介は赤くなる。
「すいません。なんだか夢中になっちゃって……」
「そういう姿勢は大歓迎だよ。
だけど今日のところは休もうね」
そう言って恭介は修に促されながら、修の家に向かった。
修の家は、大学から地下鉄に乗って十分程度で着いた。駅前はにぎやかだったが、緩やかな坂を上り住宅地に向かっていくと、落ち着いた雰囲気へと変わって行く。
壁に囲まれた大きな家が多く、恭介は興味深く家の外観を見つつ、修と話しながら帰った。
やがて黒塀に囲まれた日本家屋に着く。修は鍵を取り出して門を開け、家の中へ入る。それに続いて、恭介も入っていった。
「そうそう、言い忘れていたけど、親戚の子が今来てるんだ。
年頃も同じぐらいだから、仲良くしてね」
「わかりました」
最上が言っていた通り、いろんな人が集まる家なんだなと恭介は思った。
「帰りました」
「お邪魔しします」
修の後ろに続いて入ったリビングには、奥さんとおじいさん、中学生らしいお子さんが二人いた。
「家族を紹介するね。
義父の泰蔵。妻の静江。そして子どもたちの真尋と真緒だよ」
「井久見恭介です。お世話になります。よろしくお願いします」
恭介は修の家族に頭を下げた。
「恭介君、何か食べられないものとかあったら教えてね」
「僕、好き嫌いは特にないので、大丈夫です」
恭介がにこりと笑うと真緒がきゃっと声を上げて、恥ずかしそうに口を押さえた。
恭介が真緒を見ると、真尋もにやにやと面白そうに真緒を見た。
「真緒のタイプだよな」
「う、うるさいわよ」
二人でささやき合う声はかろうじて恭介には聞こえない。
「恭介君、君は目の色も薄いけれど、日本人かい?」
泰蔵が恭介の金色に近い髪と、グレーに近い目の色を見て、不思議そうに尋ねた。
「おじいちゃん、今頃は髪も染めるし、カラコン入れたりするから珍しくないのよ」
「そうそう。それに初対面で失礼ですよ」
真緒と静江が恭介を庇う。
「いえ、もともと色素が薄いんで、染めたりカラコンを入れたりしてるわけではないんです。
父も祖母も黒目黒髪なので、母の影響が強いのだと思うんですが、母のことはよく知らなくて」
「ごめんね。義父は気になったら聞かずにはいられない性格で」
「いえ、慣れてるので大丈夫です」
済まなそうにする修に、恭介は慌てて言った。
「それにしても、武尊君遅いわね」
静江が心配そうに時計を見た。
静江の言葉に、恭介は目を見張る。
「どうかしたの?」
修が静江にたずねた。
「ランニングに行ってくるって出たきり、帰ってこないの」
「迷子にでもなってんじゃないの?」
「真尋、ちょっと見てきてよ」
真尋は明らかに不満そうな顔をした。
とその時、玄関が開く音がする。
「帰りました。迷って遅くなって、すみません」
「ほら見ろ」
真尋が呆れたように言う。
「仕方ないじゃない。この辺りは初めてなんだから」
静江は真尋をたしなめた。
武尊がリビングに入ってくると、振り返った恭介と思いきり目が合った。
「恭介君、紹介するね。親戚の杉原武尊君」
まさかこんなところで会うなんて……。
恭介は言葉を失ったまま、武尊の顔を見つめた。
本作品は個人創作です。
一部の表現や設定の整理にAI(ChatGPT)を補助的に使用しています。
本作はフィクションです。作中には実在する地名や施設名などが登場しますが、物語の演出上、設定や描写には創作・脚色が含まれます。実在の人物・団体・事件とは関係ありません
「さち」名義で「pixiv」「小説家になろう」「カクヨム」にて同時掲載しています。
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