9
※本作には虐待や暴力など、心身に負担を感じる可能性のある描写が含まれます。物語上必要な表現として描写していますので、苦手な方はご注意ください。
しばらくして救急車が到着した。
静かだった田舎の夜に鳴り響くサイレンの音に、近所の人たちが何事かと家から出て行く。
幸の父は病院に搬送されたのち、さらに到着したパトカーに近所の人たちは、ひそひそと話しながら遠巻きにそのようすをみていた。
恭介は言われたとおり家の中には入らなかった。
しかし車の外にいると、大人たちの好奇心に満ちた視線が、恭介に集まる。
それから逃げるように、恭介は車の中に入った。
泣き止んだ幸は、ぼんやりとしたままじっとして、若菜の肩に体を預けている。
そんな二人をそっと見守りながら、恭介は武尊と黙って車の中で待っていた。
30分ぐらいした頃だろうか。
忠が車をノックした。
恭介が車のドアを開ける。
「幸ちゃん、警察の人が話を聞きたいって」
忠の後ろには、警察官が立っている。
警察官は、当時のようすを何点か聞いたが、幸はおびえて首を振るばかりだった。
「すいません。まだお答えできる状態じゃないようです」
「そうですね。それでは、明日改めて署の方に来ていただけますか」
返事のできない幸に代わって、忠が返事をする。
そうして警察と忠は、再び家のほうへ戻って行った。
再びおもくるしい雰囲気が車に訪れる。
恭介と若菜はもちろんだが、武尊も息を凝らしてじっとしていた。
しばらくして、忠が車に戻ってくる。
「お待たせ。今日のところは帰っていいって」
その言葉に、3人はほっとする。忠はエンジンをかけると、車を出発させた。
その時間にはさすがに野次馬で来ていた近所の人たちも帰っている。
その姿に複雑なものを感じながらも、恭介は窓の外を見ていた。
若菜の家に着くと、時間は11時を回っていた。
清潔な部屋の灯りが眩しく思える。幸はそこに入って行くことに怯えた。
しかし若菜が肩を抱いたまま、幸を招き入れてくれる。
幸はソファーに座らせられる。その手にいつの間にか、温かいミルクが握らされていた。
恭介たちは家に帰ったのだろう。今は見当たらない。
忠と若菜が慌ただしく、幸のお世話をしてくれた。
「お風呂に入っておいで」
忠が声をかけたが、それもどこか遠くの出来事のように聞こえてくる。幸は断ったような気がしたが、結局若菜に連れられて、お風呂場へ行った。
服を脱ぎ、ゆっくりとお風呂に浸かると、父に殴られた場所がじんじんと痛んだ。
今日はいつもより長く蹴られた。それだけ、あの離婚届はショックだったのだろう。
幸ももちろんショックだった。だけど、こうなる日が来るのをどこかで分かっていた。
大人である父が、予想していなかったとは考えられない。それなのに、ああして幸に当たることしかできない父を心底軽蔑した。
それにしても、何が起きたのだろう。
ぷ~さんと名乗った男の人が言っていたことと、関係あるのだろうか。
「でも私は殺して欲しいなんて、思ってない」
その言葉を口に出して、幸はぞっとした。
本当に、本当に、望まなかったのだろうか。
幸の思考は、深く闇の中に落ちていく。
今は何も考えたくはなかった。
お風呂から上がった幸は、タオルで体を拭いていた。
その時、たぶん気が緩んでいたのだろう。
いつもだと考えられないような失敗をした。
ノックをして、声をかけてきた若菜を止めることができなかった。
若菜は幸の体を見て、顔色が変わった。持っていた着替えを落として声を出そうとする。
それを咄嗟に幸は止めた。
「言わないで! お願い! 誰にも言わないで!」
「だって、だって、だって幸、幸……
誰がやったのよ! 」
しゃがみ込む若菜を抱きしめて、幸は心底後悔した。
どうして気を緩めてしまったのだろう。
若菜だけには、絶対、絶対、絶対に知られたくなかったのに。
二人のただ事ではない声に、忠が慌ててお風呂場に来る。
幸は咄嗟に顔を伏せた。
見ないでほしいと、願いながら。
そんな幸に、忠は何も言わないでタオルをかける。
若菜は目に涙をいっぱいためて、幸の胸で悔しそうに泣いていた。
忠はすぐに警察に連絡をすると、病院へ幸を連れて行った。
本当は嫌だったが、心配してずっと離れない若菜の隣でそんな我儘は言えなかった。
警察から連絡が伝わっていたのだろう。
待つこともなく医師が診察を始めてくれた。
レントゲンと診察が終わり、疲れ果てて二人のもとに戻る。
忠は医師に呼ばれ、幸と入れ代わりで診察室に入って行った。
「痛い?」
おそるおそる、若菜が幸にたずねる。それに、幸はなるべく笑顔で応えようとした。
「ちょっと痛い。けど、大丈夫」
幸の顔を見て、若菜の瞳に涙がたまる。
「だ、誰にされたの?」
「……………お父さん」
言った瞬間、若菜の瞳から、また涙がこぼれた。それを必死に拭きながら、若菜は尋ねた。
「いつから?」
「お母さんがいなくなって、ちょっとしてから。
お母さん、実はおばあちゃんの介護で実家に帰ったわけじゃないんだ。お父さんとは別れるために、出ていったんだ」
若菜は、こらえきれなくなって、嗚咽をもらした。そんな若菜の隣で幸はうつむいた。
幸はずっと若菜を騙してきた。そのことを、若菜はどう思うのだろう。
友だちから、失格だ。
そう思っていた幸に、信じられない言葉が届く。
「ごめんね。ごめんね。友だちなのに、気がつかなくて。
ごめんね。幸」
幸は若菜を見る。その姿が、涙でどんどんぼやける。
「どうして、若菜が謝るの。
若菜、何も悪くないのに」
「一番近くにいたのに、気が付かなくて、悔しいの。
幸が痛い思いをしていたのに、気が付かなくて、悔しいの」
幸は言葉が出なかった。
殴られたときも誰も助けてはくれなかった。
母がいなくなってから、父は幸のことをほったらかしだった。
唯一の救いは、学校や若菜の家で若菜と過ごす時間だけだった。
だから、若菜には知られたくなかった。
幸を見る目が変わるのではないかと、恐れて。
だけど、若菜は変わらなかった。
いつもと同じように、幸を優しく包んでくれた。
それが、幸の心を優しく溶かしてくれた。
ごめんねと繰り返す若菜に、幸は若菜に抱きついた。
「ありがとう。ありがとう。若菜」
二人は暗い病院の待合室で、抱き合いながら泣いていた。
本作品は個人創作です。
一部の表現や設定の整理にAI(ChatGPT)を補助的に使用しています。
「さち」名義で「pixiv」「小説家になろう」「カクヨム」にて同時掲載しています。
無断転載・無断使用・AI学習への利用は禁止しています。




