8
※本作には虐待や暴力など、心身に負担を感じる可能性のある描写が含まれます。物語上必要な表現として描写していますので、苦手な方はご注意ください。
学校から帰った幸は、ポストに手紙が届いていることに気が付いた。
見覚えのある筆跡で、父の名前が書いてある。幸は高鳴る胸を押さえながら、急いでその封を開けた。
しかし、その中には幸が期待したものは何一つ入っていなかった。
ただ定形どおりに書かれた離婚届を除いて。
幸は震える手でそれを机の上に置いて、部屋に入る。
予想はしていたことだが、母は二度とこの家に帰るつもりはない。
そして、幸を迎えに来るつもりもない。
捨てられたんだ。
そのことが、現実に突きつけられた。
幸の目から涙が溢れる。
幸は声が枯れるまで泣き続けた。
帰ってきた父の荒れようはひどかった。台所からは皿やコップが割れる音が聞こえてくる。
たまに、叫ぶような、唸るような、とても人間の声とは思えない音も聞こえてきた。
幸は男からもらった札をお守りに、胸にしっかりと抱いて、震えながら布団の中で丸くなっていた。
やがて足音が幸の部屋の前で止まる。
部屋のドアを開ける音が聞こえてきて、父が怒鳴りながら入ってきた。
布団をめくろうとするが、幸はそれに必死に抵抗する。その行動にさらに腹をたてて、父は何度も幸を蹴りつけた。
蹴られるたびに、体中に鈍い衝撃が走る。
どうして、誰も助けに来てくれないのだろう。
確かに幸の家は一軒家で、隣とは数メートル離れている。
だけどこれだけ父が叫んでいたら、誰が気がついているのでは。
しかし助けは来るとこなく、幸は父の不満のはけ口として、終わることなくけられ続ける。
痛い。痛い。痛い……。
誰でもいい。誰でもいい。
誰か、助けて。
この人を、止めて。
私を殴らないようにして。
誰か、助けて。
強く、強く念じた時だった。
胸に、抱えていた札がもそりと動いたような気がした。
そして、胸の中から何か空気の塊のようなものが幸の体を押しのけた。
幸と父はその塊に吹き飛ばされる。
父の驚く声。
部屋から逃げて行く音。
その音を背後に幸は脇目も振らず、窓から逃げ出した。
幸は痛む体を引きずりながら、夜の町を歩いた。気がつくと、足はいつものコンビニへ向かっていた。
まわりは田んぼばかりの中、唯一明かりが灯っている。
それに安心して、幸はいつもの場所に座り込んだ。しばらくすると、ネコが餌をねだって寄ってくる。しかし今日はお金もなく、あげるパンもない。
ネコは幸のまわりをうろうろしていたが、何も貰えるそうにないと気がつくと、あきらめたようにどこかへ行ってしまった。
幸はうずくまったまま、泣いた。
やがて落ち着いてきた幸は、家に向かって歩きだす。
どんなに酷いことが起きても、幸が帰る場所はそこしかないのだ。
重い足取りで家に着くと、窓から部屋に入った。
明かりのついた家の中は、気持ちが悪いほどの静けさだった。
父の音が何一つ聞こえない。
不審に思い、幸は恐る恐る台所を覗く。
怒りに任せて壊した食器が散らばる中で、父はうつぶせになって倒れていた。
「父さん!」
慌てて父のそばにいき、抱き起こす。しかし父はぐったりとしたままで、ぴくりと動かない。
父の倒れているそばには、男からもらった札が落ちていた。
ふいに男の言葉が蘇る。
『もしも、殺したい相手が出来たら、これに念じるといいよ』
幸は咄嗟にその札をポケットにしまった。
幸の呼吸が荒くなる。
救急車? 警察?
スマホを取り出す手が震えて、思うようにタップできない。
幸はLINEのアプリを起動させる。登録されているのは一つしかない。
若菜につながる、唯一の番号だ。
迷わず恭介に電話をかける。
若菜、若菜、若菜。
何度目かのコールの後、恭介が電話に出る。
『もしもし?』
「助けて! 助けて! 若菜!」
その声に向かって、幸は何度も何度も同じことを繰り返した。
夕食も終わり、そろそろ帰ろうかと、恭介たちが思っていた頃、恭介のスマホが突然鳴った。
画面を見ると、幸からだ。
こんな時間に何だろう。
不思議に思いながら、恭介は画面をタップする。
「もしもし?」
その瞬間、スマホから流れてくる幸の切羽詰まった声に恭介は驚く。
『助けて! 助けて! 若菜!』
「幸! 幸! どうしたの!」
呼びかけても、幸は同じことを繰り返すばかりで、恭介の声は届いていない。
恭介は焦って忠に助けを求める。
「おじさん! 幸のようすがおかしいよ!」
ただならぬようすに、忠は恭介からスマホを受け取ると、幸に向かって声をかける。
「幸ちゃん! 聞こえてる? 大丈夫? 何があったの?」
若菜が青くなって忠を見守る。
『お父さんが! お父さんが、動かないの!』
「わかった。幸ちゃん、すぐにそっちに向うから、スマホを切ったらだめだよ」
忠がスマホを恭介に渡すと、それを若菜が奪い取る。
「幸! パパがすぐに行くからね! 待ってて!」
忠は車の用意をしようと、外に出る。若菜もそれに続く。
「若菜は家で待っていなさい」
「嫌! 若菜も行く」
「何が起こっているか分からないから」
忠の説得にも若菜は耳をかさない。若菜は車に乗り込んだ。それに続いて恭介たちも車に乗り込む。
忠は何も言わずに車を出発させた。
法定速度をオーバーさせながら、忠は幸の家まで急いだ。
若菜は幸に向かって、もう少しだよと、何度も繰り返した。
急いでいるはずなのに、道のりがいつもより遠く感じる。
恭介は祈るような気持ちで、拳を固く握りしめた。
幸の家に着くと、幸は玄関先で蹲るようにしゃがんで待っていた。
そのようすを見た、若菜と忠が幸に駆け寄る。
「幸、よかった!」
若菜は安心して、幸に抱きついた。
「幸ちゃん、大丈夫?」
幸は無言で頷いた。
忠は二人を車まで連れて行く。
恭介と武尊は一旦車から降りて、幸を車の中に促した。
幸はふらつく足取りで、車に乗り込み、座った瞬間泣き出した。
若菜はそんな幸をただただ抱きしめた。
「おじさん、中に入ってくるから、ここで待ってい。
おじさんが、いいって言うまで、絶対についてきたら駄目だよ」
緊張した面持ちの忠に、恭介は頷いた。
「おじさん、なんかすごく怖い感じがするから、気をつけて」
「わかったよ」
忠は頷くと家の中に入っていった。
部屋の中に入った忠は、荒れ果てたようすに足を止めた。
机の上は空き缶が転がり、流しに洗っていない食器と弁当の容器がいくつも積まれていた。
床の上には雑誌やガラスの破片が飛び散り、散乱している。
壁を見ると、明らかに殴って開いた穴が空いていた。
そんな異様な部屋の中で、幸の父は倒れていた。
忠は足元に注意をしながら近寄ると、おそるおそる肩に触れて声をかける。
しかし、父親はぴくりとも動かなかった。
忠はすぐに消防に連絡をした。
そして、外傷は見当たらないが、部屋のようすから、念のため警察にも連絡をした。
そして恭介の、スマホに電話をかける。
「今、救急車を呼んだから、幸ちゃんをお願い」
恭介が緊張したようすで返事を返してくれる。
「それと、おじさん、救急車が来るまで、部屋の中にいるけど、恭介たちは車からは出ないように」
改めて子どもたちに釘を差して、忠はスマホを切った。
玄関からスリッパを探し出して、改めて部屋の中を確認した忠は、部屋の荒れように顔をしかめた。
ゴミだけではなく、父親の脱ぎっぱなしの衣類も床に散らばったままになっていた。
それはこの家が、数日前、もしかしたらもっと前から、壊れていたことを物語っていた。
そして床の上に真っ二つに破られた離婚届を見た忠は、この家で起きていたことを想像して、胸が締め付けられるようだった。
本作品は個人創作です。
一部の表現や設定の整理にAI(ChatGPT)を補助的に使用しています。
「さち」名義で「pixiv」「小説家になろう」「カクヨム」にて同時掲載しています。
無断転載・無断使用・AI学習への利用は禁止しています。




