第27話 忘れないよ
「もしかして、ここで……お別れなのか」
やっとのことで出した声は、少し掠れていた。
「うん、そうだね」
小さく頷くポコリンに、拓がまず伝えたいのは、感謝の言葉だった。
「ありがとうな」
「何言ってるの、こっちが頼んだんじゃない。わたしのほうこそ、本当にありがとう。わたし、愛美さんの過去のことで何回タイムマシンに乗ったかもう分からないんだけど、でも、こうして解決したらどうでもよくなっちゃった。本当に拓さんのおかげだよ」
そう言われて、何と返そうか考えても、拓には月並みな言葉しか思いつかない。
急に切ないような気持ちが胸に押し寄せてきた。
「ポコリン、頑張ったよな。よかったな」
「うん。よかった」
「大変だったけど、楽しかったよ。忘れないよ、いつまでも」
さまざまな過去を経験したが、自浄作用により現実に存在しない過去は、どうしても夢のような曖昧な記憶になりやすいという。けれど、ポコリンと一緒に旅したことは、全部覚えていたい。
「……うん。そうだね。わたしもだよ、忘れないよ」
ポコリンも名残惜しんでくれるのだろうか。何か言いたそうだけれど、やはり詰まっているみたいだ。
互いにしんみりしてしまう。
拓が次の言葉を思いつかないままでいると、ポコリンはふと水色のスカートのポケットに手を入れた。
「あれっ、大変っ」
「え、何?」
この場に及んで、大変とは。拓の心臓が跳ね上がる。
「拓さん、ごめん」
「な、何が?」
「拓さんのメモ帳とペン、持ってくるの忘れちゃった。タイムマシンのなかに置いてきちゃったよ」
「ああ、そんなことか……」
拓は安堵した。たいしたことではなかった。本当に最後まで脅かしてくれる。
そういえば、ポコリンに貸したままになっていた。忘れないと言った途端に、忘れ物とは。
「そんなの、持っててくれて構わないよ」
「でも、返せないままになっちゃうよ」
「いいって。面倒じゃないか」
断ろうとするが、ポコリンは納得できないみたいだ。
「ええっ、よくないよ。拓さんはもう愛美さんの家に入っていいから。わたし、あとで玄関の前に置いておくよ」
「そんな無理しなくていいよ。持っててもらって構わないから」
「じゃあ、もしも持ってこられたら、玄関の前に置いておく。無理だったら、そのままもらっておくね。今度会うときまで取っておくよ」
ポコリンの律義さに呆れつつ、まあ、自分も愛美もそんなところがあるかもな、と思って気持ちを受け取る。
「それでいいよ。無理しないで、ちゃんと未来に帰るんだよ」
もう夜も遅いし、と付け加えようとして止める。ポコリンの行先は、ずっと未来の昼間だった。
「うん」
ポコリンは返事をしてから、今度は両手を耳元へ持ってきて、眼鏡を取った。
「眼鏡は普段かけていないんだ。これは変装用だから」
ポコリンの顔立ちがはっきりする。そこには、やはり愛美の面影があった。
「取ると、やっぱり愛美に似ているよ」
「本当?」
「うん」
実際、目もとや口もとはよく似ていると思う。
「ただね」
拓は続ける。
「そのくせっ毛は、僕と一緒かも」
「ええっ、愛美さんみたいなストレートヘアがよかったのに」
「しょうがないだろ。僕の血が入ってるんだから」
ポコリンは小さく微笑む。
「拓さんと一緒なら、この髪の毛でもいいよ」
「そうか」
少しだけ笑い合った。
「また会おうな」
そっと声をかけると、ポコリンは笑顔を見せる。
「絶対に会おうね」
「うん、未来に会おう」
「うん」
ポコリンが大きく頷くと、ツインテールが揺れた。
「……それじゃ、遅くなっちゃうから、もう愛美さんのところへ行ってね。わたしも早く帰らなきゃ。こっちでも愛美さんが待ってる」
「そうだな。お互い愛美を待たせちゃいけないな」
「うん。またね」
「またな」
ポコリンは一歩下がったかと思うと。
「ばいばい」
手を振って、足早に歩き出す。
やがて、外階段を駆け降りていく音が響いた。
振り返ってほしかったような、名残惜しさが自分のなかに残っている。
それでも、拓は前を向く。インターホンに手をかけた。
夜空へ小気味よくインターホンが鳴る。その音とともに、肉じゃがの甘辛い匂いが迫る。またお腹が鳴ってしまう。
そこへ、ドアの内側から物音がして戸口に明かりがつく。
ドアが開く。明るさと温かさと、求めていた人の姿がそこにある。
「拓、待ってたよ」
愛美の柔らかい笑顔が目の前に広がった。探していた安らぎが。
「愛美。おいしそうな匂いだな。今日はいろいろあって、すごくお腹空いているんだ」
「肉じゃが、できているよ。すぐ食べられるから」
「よかった」
拓は玄関で上着を脱いで、愛美にハンガーにかけてもらう。愛美は薄青い色のワンピースに茶色のエプロンをつけている。
「仕事忙しかった?」
訊かれて、仕事はどうだったか、すぐには出てこなかった。そこから先の出来事があまりにもいろいろで。空腹で。
「うん、ものすごく腹が減るくらい」
そう答えたら、愛美はおかしそうに笑った。
テーブルには、すぐにお箸と熱々のご飯が置かれる。
拓も台所へ進み、みそ汁を二つ持ってローテーブルへ並べる。それから、愛美に声をかける。
「麦茶、飲むよ」
「うん」
冷蔵庫を開けて、そこに麦茶を確認した。ポコリンと一緒に飲んだはずの麦茶が、飲む前のまま。
戻っている。
もしかして、過去をやり直して未来に戻るのなら、食べ物を食べたり飲んだりしても大丈夫なのかな。
拓は考える。
何か食べてもよかったような気がしてしまう。まあ、もう帰ってこられたんだから、いいのだけれど。
一瞬だけ「検証の余地がある」と真面目に言う、ポコリンの顔が思い浮かんだ。
コップを二つ出す。
これから、自分と愛美が、自分とポコリンの代わりにこのコップで麦茶を飲む。それで辻褄も合うのだろう。
台所から愛美の声がした。
「疲れているでしょ。座ってていいよ」
「ううん、二人で早く食べようよ」
話しながら、愛美のほうへ進む。彼女は拓に両手で器を差し出す。
「じゃあ、これ持っていって。熱いから気をつけてね」
湯気の立つ器には、二人分の肉じゃがが入っている。
これだよ、これ。
拓は妙に嬉しくなってしまった。でも、あまりここでにやにやしてしまうのも変だと思って、胸の内を抑え、平静を装う。
愛美が続いて、二つ重ねたお皿を持ってくる。それから、エプロンを解いた。
いよいよだ。
ご飯とみそ汁に肉じゃがの匂いが、湯気と共に漂う。
ここまで本当に長かった。
「いただきます」
「どうぞ」
愛美の声が聞こえるか聞こえないかのうちに、拓は肉じゃがをお皿にとって、すぐに口にした。
ぺしゃんこのお腹に入っていく。熱々の薄切りの豚肉、ほくほくのじゃがいも、柔らかいにんじんと玉ねぎと。つるつるしたしらたきと。みんな甘辛い汁が染み込んでいる。それに、添えられた色鮮やかなさやいんげん。
「おいしい。最高においしい」
気づくとそんな声が出ていた。
「えっ、そんなに」
愛美はくすくすと笑う。
うん、こんなふうに食卓を囲めたら最高だな。
思いつつも、また一口食べる。
「ん、おいしい」
「よかった。この前よりはうまくできたと思うんだけどね、どうかな」
愛美が明るい表情で、作った料理をつまんでいる。
そう。この感じに出会いたかったんだ。
ここまでくるのに、どのくらいかかったんだろう。
夢中で食べながらも、愛美のいない部屋に入ったときのことから記憶をたどっていく。
あのまま未来が訪れなくて、よかったのかもしれない。
拓は思う。
もちろん、ポコリンが過去を変えなければ普通に愛美はここにいて、今と同じように自分は愛美と食事をしていただろう。けれど、そのごく普通のことに何のありがたみも感慨深さも感じなかったに違いない。





