第28話 明日という未来に
こうやって過ごす現在が、どうしようもなく愛しい。
突然現れたポコリンの話に驚きながらも、タイムマシンに乗ったこと。そのタイムマシンは試作品であり、訪れる過去も人の想いが作用する、ままならないものだったこと。
愛美を火事から救おうとして繰り返す失敗。それでも、少しずついろんなことが見えてきて。愛美の過去を変えるために、自分が未来でプロポーズをすると決めたこと。うまくいかず繰り返す時間。成功したと思ったら、現在にたどり着けず、やり直し。心の隙を突かれたような悪夢にうなされたり。くじけそうになったり、立ち直ったり、様々なことに気づきを得たり。
ポコリンと二人で懸命に考えて行動したこの数時間。過去にも未来にも想いを込めたひととき。そして、取りもどした、この現在。
それは、今ここにあるものが、かけがえのないものだと教えてくれたのかもしれない。
肉じゃがの味が胃に染み入る。温かく満たされていく。それは胸に広がって、心の奥深くへ浸透していく。
「何だかさ、幸せな感じ……」
しんみりと口にした言葉に、愛美が驚いたように顔を上げる。
「どうかしたの?」
「ううん……」
過去の積み重ねが今のこのときを作っているのだと実感している。この出来事を、自分の意志で掴み取ったのだと。
そして、自分が今未来を選び取ろうとしていることを。
「ねぇ、何かあった?」
愛美が不思議がって、ローテーブルの向かい側から自分のそばへやってくる。横に並んでこちらを心配そうに窺う。
何と説明したものか。
「愛美の肉じゃがをこうして食べられてよかった」
小さく笑って、愛美は耳を傾けている。その左手の小指を見て、拓ははっとする。
「愛美、その怪我は?」
絆創膏が貼ってある。いつもなら、料理していて包丁でちょっと切ったとか、そんなところしか思い浮かばない。だが、何か予感めいたものが心に迫る。
「ああ、これ?」
愛美は何でもないように答える。
「一昨日筑前煮を作ったときに、間違えて鍋に手を触れちゃって。火傷しちゃったの。でも、大丈夫……」
言葉が終わらないうちに、拓はその手をそっと取る。
「痛くなかった?」
「うん、ちょっと。でももう治りかけてるから」
「よかった……」
小指の小さな火傷。
これがおそらく、変わってしまった過去では、火災に遭って左腕の大火傷になったのだろう。
だとすると。
終わったのだ、本当に。
タイムマシンは、たどり着くべきところへ到達したのだ。
本来の過去は、小さな火傷だったに違いない。
これで、完全に過去は元通りになったのだ。そう確信できる。
パズルのピースは、かちりと音を立てた。すべてきちんとはまっている。
ポコリンと何度も試みた時間はここで終わった。空腹もやっと満たすことができた。
前へ進むときがやってきたのだ。
今まで愛美とは、時々一緒にいることが心地よい二人だった。
その二人でいつも共にいて、時には穏やかに言葉をかけ合い、心を通わせ合う未来がすぐそこにある。
「愛美」
拓は声をかけて、そのまま両手で愛美の左手を包み込む。
「おいしかったよ。愛美にずっと会いたかった。愛美の肉じゃがをずっと食べたいと思ってた。これからも、ずっとずっと一生食べたい。他の料理だって、愛美の作るものなら、何だって食べたい。それに、時々は僕が愛美に何か作ってあげたい」
拓のなかから自然と言葉が溢れ出す。
「これまでの付き合いではお互いに遠慮してきたと思うけど、これからはもっと愛美に近づきたいんだ。愛美のことをどんなことでも聞かせてほしいと思っている。僕にとっては、愛美はかけがえのない存在なんだよ。ずっとずっと愛美と一緒にいたい。これからは、人生のパートナーとして、愛美のことをたくさん理解したいし、いっぱい話し合ったりもしていきたい。愛美、結婚しよう」
「拓……」
愛美の瞳がじわじわと潤む。
「嬉しい。結婚しようって言ってくれるの、本当は待ってた。遠慮していたけど、本当はわたしも拓ともっと近づいて、もっと一緒に、ずっと一緒にいたかった。わたしにとっても、拓はかけがえのない人なのよ。拓にわたしを、……選んでほしかったの」
「僕は愛美だけしか選ばないよ。愛美だからこそ、選んだんだよ」
拓は、愛美を優しく抱き寄せる。
背中のぬくもりが手のひらに触れた。髪の甘い香りがして、愛美の柔らかい体が腕のなかに確かにある。
二人は互いの体を抱きしめる。
拓は、世界中で愛美にだけ聞こえればいい言葉をささやく。
「愛してる」
拓の心のなかに、木洩れ日の差す緑が広がっていく。
翌朝、玄関で拓は待っていた。
拓は愛美の部屋に泊まった。
一緒に眠り、一緒に朝食を作った。
朝食といっても、パンとサラダと目玉焼き程度。ちょっと崩れてしまった卵が、フライパンのなかでハートの形をしている、とどちらからともなく言い出して、笑い合った。
「実はね、明日は有給休暇を取っているの」
昨夜の愛美の言葉は、拓には思いがけないことだった。真面目で一生懸命な愛美は、なかなか休暇も取らなかったから。
「え、本当に?」
「うん。ちょうど忙しくない時期だったから。月曜日に電話もらったでしょ。そのときに、大事な話があるって言ってくれたから、何だかどきどきしちゃって。ゆっくり過ごせたらいいなって思ったの」
月曜日の電話はこんなところに繋がっていたのか。
しみじみと実感してきて、拓はただひと言答える。
「よかったよ」
二人で明日はどこかへ出かけようという話になった。食事でもしながら、話し合いたいことがたくさんあった。
仕度をする愛美を待つ間に、拓はハンガーにかけてあった上着を手にしようとして、気づいた。
そういえば、メモ帳とペン。
もともと胸ポケットに入れていたのを、ポコリンに貸していた。もしかして、今は……。
靴を履いて、ドアノブに手をかける。
扉を開いて、朝の眩しい陽光に、拓は一瞬目を細める。
その光の差す先に、確かにメモ帳とペンはあった。玄関の前の地面にそっと置かれていた。
全く、いちいち律儀なものだな。
そう思いながら取り上げ、また靴を脱いで戻った。
ポコリンの手の温かみを探すかのように、用紙をめくってみる。表紙のすぐ次の紙に何か書かれていた。
拓は、はっとする。
どうやら、一度未来に戻ったポコリンがこっそり帰ってきて、置いてくれたらしい。
決して上手とは言えない字でこう書いてあった。
――ひいおばあちゃんの火傷はなくなったよ。他にも変わったことは何もなかったよ。
おかげで、タイムマシンを使ったこともバレずにすんだよ。ありがとう。
まずは向こうでも成功したことが分かって、ほっとする。
――愛美さんと二人でゆっくりお話しできたよ。「ひいおじいちゃんのこと、愛してる?」って聞いたら「もちろん、愛してるよ」って言ってた。よかったね、拓さん!
「なっ」
拓は思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐ。
「からかうなって言っただろう、全く」
遥か時空の向こうから、ポコリンのふふふっという笑い声が届いたような気がしてしまった。
それでも、その次にはこう書いてあった。
――わたしも愛美さんみたいになりたいな。
ひ孫のくせに、何言ってるんだか。
拓はそう思いつつも、何だか嬉しい気持ちが湧いてくる。
用紙をめくると、こう書かれていた。
――それからね、こっちに戻ってきてからお母さんが帰ってきて、ひいおじいちゃんからついさっき連絡があったって言うの。「ひいおじいちゃんの風邪が治って、やっぱりこっちに来る」って。
うちに明日来るんだって。
とりあえず、それまでタイムマシンのことは内緒ね。わたしに会ったことも、秘密にしておいてね。
明日には会えるよ! 楽しみにしています。ポコリン。
「何が明日には会えるよ、だ」
拓は文句も言いたくなる。こちらには長い歳月が横たわっているのに。
ポコリン、と書いてあったあとには、あちらの西暦と日付が記してある。
自分は一度、生まれたばかりのポコリンに会いに行く。そこで、本当の名前も知ることになるに違いない。
そのあとは、今回の出来事を守るために、何かと理由をつけて会おうとしないのだろう。
「こっちは、70年も先なんだぞ」
でも、その歳月はきっと、愛美と穏やかに過ごす日々の積み重ね。それはきっと、平凡だけれど密かな楽しみのある年月。
これから愛美と一緒に築いていく未来は、ポコリンへと繋がっていくだろう。
そうして、そのときになったら。
まだ名も知らない僕たちのひ孫――賢い小さな科学者で、ちゃっかりしていて、頑張り屋で健気で、好奇心いっぱいで、恋もしている女の子がいて、自分は意気揚々と会いに行くのだろう。
今日よりたった一日だけ先の少女に。
それって、悪くないな。
想像するだけで、そう思う。
「拓。お待たせ。仕度できたよ」
愛美が笑顔でこちらへやってくる。拓はメモ帳とペンを鞄にしまい、上着を羽織った。
「よし、行こうか」
拓は、愛美と一緒のこれからの人生へ、一歩踏み出す。
最後までお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました!





