第36話「突然ですが、レッスン1です」
「これ本気で言ってるのよね?」
自力で魔法陣を描くためには、いくつかの工程を経て訓練していく必要がある。
いきなり神代言語を書こうとしても、最初のアルメリアのようにうまくいかずに失敗する。
魔力を操作する、というペンを持つ段階には至っているのだ。ならばまずは、文字を書く練習をしなければならない。
「わかりにくいですか? それじゃあ、あとで0から9まで書いたメモを渡しておきます」
俺がアルメリアに貸した最初の特訓メニューは、『魔力で0から9までの数字を書いてみる』ことだった。
最初はゆっくりでいいし、実際に指でなぞるように書いてもいい。
まずは綺麗に文字を書くことから始める。
そして慣れてきたら、今度は10秒以内に文字を書けるようにし、最終目標は『綺麗な文字で0から9まで10秒以内に書く』ことである。
そんなに複雑なことは言っていないはずだ。
普段から魔力を体外に出す訓練をしていないアルメリアにとっては、それさえも難しいことだと理解しているが、神代文字は数字よりも書き方が複雑だ。
一番練習しやすい形状は、ドイツ語や英語のアルファベットよりもアラビア数字なのだ。
画数が少ないし、書き起こす数も少なくてすむから。
「それはありがたいのだけど、そうじゃないのよ。私が驚いているのは……」
目の前で実演しながら、右手で昇順、左手で降順に数字を変化させていく。
簡単な1ですらミミズが這ったような形になってしまうアルメリアからすれば、やはりドン引きしている。
「いや違う、そうじゃなくてねっ。貴方訓練の目的のあと、なんて言った?」
もう一度訓練の内容を確認したいのだろうか。
アルメリアは実に熱心である。
「別に難しい設備も指導も必要はないので、時間がある時に率先してやりましょう。休み時間も寮にいる時も寝る前にでも、いつでもやれますよ」
「…………一言一句違えずに言い切ったわね。本気で言ってるの?」
「やればやるほど上達します。これで気をつけなければいけないことは、昏倒するまで魔力を使うのは危険ということです。あれはやばい。まる一日頭痛が引かなくて二日酔いなんか目じゃないレベルの苦しみでした」
「既に経験済みなのね……」
なぜだろう。さっきから話せば話すたびに、ドン引きされている気がする。
だがこの訓練には、魔法陣を手書きするため以外の利点も存在するのだ。
「ぶっ倒れるまでやれ、とは言いません。しかし自分を追い詰めるほど打ち込めば、アルメリア様の魔力も増えていきますよ」
「! そうだったわね。魔力は、魔法をたくさん使えば少しずつ増えていく……」
「正確に言えば、魔力を消費すれば消費するだけ最大値が少しずつ増えていくんです。この訓練は体外に魔力を放出することが必須なので、やればやるだけ魔力も増えるというおまけ付きです」
「そのうえ必要なのは腕一つ、指一本。着替える必要もないし、場所を確保する必要もない。まさにいつでも、どこでもできるわけよね」
「とは言いましたが、実際にアルメリア様にはアルメリア様の生活サイクルがある。それを崩して学園生活がけんもほろろになっては本末転倒なので、加減は自分で見つけた方がいいでしょうね」
そういう話をしていたのが、大体一週間ほど前だ。
アルメリアをはじめとした、侯爵家以上の生徒は寮に入るか、王都内の実家、あるいは別荘から通うか自由に選択することができる。
アルメリアは、実家からの通いだ。
彼女には兄弟がいるが、フォーシーズン公爵家の令嬢は彼女一人だけだ。娘に万が一のことがあってはならないと、両親に反対されて実家からの通いになったらしい。
そのため訓練の進捗は学園内にいる間に見るしかできない。
しかも彼女の意向で放課後以降の長い時間は訓練に当てたいらしく、休み時間に見てもらえないかと打診があった。
まあ実際そこまで長々と確認する必要はないので、その要望に納得した。
だがしかし、それで昼休みを一緒にするようになるとは思わなかった。
昼食は自分で持ってくるか、各学年の寮に戻れば好きなメニューを注文して食事をとることができる。
そんなわけで、ただ今一年生の学生寮でアルメリアと顔を付き合わせて食事中である。
「大丈夫ですか? フォーシーズン様」
訓練を始める前と比べて、アルメリアには明らかに疲れが見える。
化粧で誤魔化しているみたいだが、何度も溜息を吐いているし食もあまり進んでいない。
「……レアに続いて、貴方で二人目よ。私の疲労に気づいたのは」
「授業中もたまにぼうっとしていましたよね」
「それはっ……そうね、不注意だったわ。気をつけますわ」
「疲れているならそれも仕方がない、と思うのですけどね……」
朝見かけた時よりも魔力が減っている。
わずか十分程度の休み時間を積み重ねても、とてもここまで減るとは思えないほどに。
「授業中にもやっていましたね?」
「っ――――」
「日常生活に支障を来たしたら本末転倒だ、とお伝えしたはずですが?」
ジトっと目を細めて非難すると、悪いと自覚しているのが視線が泳いだ。
気が急いてしまうのはわかるが、俺の時と違ってアルメリアには大切にすべき時間がある。それは勉強だったり、家族との憩いの時間だったり。
俺は目的のために磨り減るほど時間を割いたが、それには家族の理解と助けがあったからだ。
アルメリアは俺との約束を守り、誰にも何をしているのか話していない。
孤立無援の状態で自分を追い込み、成績を落としては悲惨な目に合うことは間違いない。
「……やるなとは言いません。しかし、授業はちゃんと聞いてください」
「止めないの?」
「止めて聞く人でもないでしょう。それに、必死に努力したい気持ちは理解できますから」
「…………ありがとう」
とは言っても、無茶をするようならやはり止めなければならない。
俺が教えたことで成績が下がった。なんて彼女の家族や侍女に知れたら絶対にロクな目に遭わされない。
なにより、いくら熱心にやったところでまだレッスン1。
言ってしまえばペンで字を書くことに慣れる段階だ。
ここから神代言語の文章を書き取りできるようになるためには、まだまだ時間が掛かる。
「焦らずにじっくり行きましょう。先はまだ長いのですから」
「ええ、そうね。そう思いたいんだけど……」
落ち着かせようとしたはずなのに、何故か恨みがましい目で見据えられた。何故に。
「目の前でそんなことをやられていると、とてもじゃないけどのんびりやろうって気になれないのよ」
「……そんなこと、とは?」
「とぼけるつもりならそうやってグルグル動かすのをやめなさいっ」
淑女らしく大声を出していなかったが、食器をトレイに置く音が少し大きくなった。
アルメリアの言う"それ"とは、もしかしなくても体中を行き来しまくる小さなネズミっぽい形をした魔力の塊のことだろう。
この訓練を始める前にアルメリアに行ったことだが、この制御訓練は自分の身一つあればいつでもどこでもできるわけだ。
そして俺もまた、ジェーンさんやマオの領域には至っていない未熟者だと思っている。
であれば、時間があれば訓練をするのは当たり前である。
ただ周囲に気づかれると面倒なので、なるべく魔力の気配を薄めて行っているが。
「よく見えましたね、フォーシーズン様」
「これだけの距離で、目に魔力を集中してようやくだったけどね。本当に……魔法じゃなくただの魔力制御でここまで差があるとか、自信喪失するわ」
「フォーシーズン様も魔法陣を自力で描けるようになれば、このくらいはできるようになりますよ」
実際俺は魔法陣が描けるようになってから、複雑な形をした魔力を放出して操作するという訓練を思いつき、実行に移した。
これが意外に良い訓練になる。まず動物の複雑な動きを魔力で再現するのが困難だし、それを走り回らせようとした時は集中しすぎて半日が経過していたこともあった。当然そのあとぶっ倒れた。
「先は長そうだわ……」
「目に見えた成果が現れづらい訓練ですからね」
「いえ、貴方の常軌を逸した技術のせいなんだけど……一体どんな師事を受ければこんな訓練を思いつくのよ」
「鬼に頼み込んだからですね」
「鬼……?」
「ナンデモアリマセン、独り言です」
いかん、ついジェーンさんを一言で表してしまった。こんなことがバレたら、ただではすまない……。
和やか(?)な雰囲気の食事の最中に背筋が寒くなってしまい、なんとか軌道修正をしようと口を開きかけ、結局それは叶わなくなった。
「メリア……君は何をしているんだ」
アルメリアの背後に、タンザー・シーダ・ウェスカの三人組が立っていた。
みんな眉をひそめ歯を食いしばり、露骨に機嫌最悪だと言わんばかりの形相で俺たち……もとい俺のことを睨みつけている。
「見ての通り、食事よタンザー」
「食事って……君の前に座っているのが誰だかわかっているのか?」
「平民のくせに貴族と同席するとか、礼儀も知らねえのかよ」
「君の無礼な行動にはいくつか目を瞑ってきたけど、メリアを巻き込むんならさすがに黙っていられないよ」
お前たち、鏡を見て同じセリフを言ってみてほしい。全部自分に返ってくるから。
今まで食事時に絡まれたことはなかった。何故なら彼らは常に某かのご令嬢たちと一緒に食事を取っていたからだ。
しかし、今回はどういうわけかそれを切り上げて噛み付いてきたらしい。
彼らの背後を見てみれば、食事を邪魔されて恨めしげに睨みつけてくる令嬢方がいる。
「彼は私から誘いました、非はありません。それより、ここには多くの生徒がいるのですから、もう少し声を落としなさい」
「君が許したって……おいおい、メリアはどれだけ慈悲深いんだ。教室で孤立している平民を誘ってあげるだなんて」
「だが、それでも遠慮すべきだぜ平民。第一非常識だと思わねえのか、食事時に仮面なんかつけやがってよ」
「カッコイイと思ってるのかもしれないけど、はっきり言ってダサいよ。メリアと同席するつもりなら、もっとファッションセンスを磨きなよ」
(ほんと、好き勝手言ってくれるよこの人たちは……)
返答する権利を与えられていないから無視を決め込んでいるものの、彼らは平然と人を馬鹿にする。
気にしていない体を取っているものの、許しが出るなら二、三発はゲンコツをお見舞いしてやりたいところだ。
だがそんなことができるわけもなく、アルメリアをこの場に残すのは申し訳ないがさっさと片付けて教室にでも戻ろう。
そう考えていると、不意に彼女はニヤリと笑みを浮かべた。
それはまるで、いたずらっ子がイタズラを思いついたかのような笑みだった。
「こう言われているけど、レオはどうかしら?」
アルメリアが俺の名前を呼び捨てにし、その声を聞いていた周囲の貴族がギョッとしている。
何故いきなり俺に話を振ったのか……そう考えたところで、微かにウインクされた。
その目が言っている、早く言い返してやりなさい、と。
どうやら間接的にでも、一矢報いる機会を与えてくれたようだ。
それならば、と遠慮せずに答えを返させてもらう。
「この仮面は古傷を隠すためです、フォーシーズン様。お見苦しい傷なので、隠すことこそ礼儀だと思い食事時でもつけさせて頂いています。センスを問われましたが、隠せるサイズはこれしかなかったもので」
「そう……それは、申し訳ないことを聞いたわね」
おや? なぜかアルメリア様の表情に陰りが……そういえば俺の身の上話とか、そういうのは一切していなかった。
しまった、意図せず重い話を口にしてしまった。
「気にしていませんよ」と返したものの、やはり表情は優れなかった。
「コホンッ……それで、シーダとウェスカ? 彼にはそういった理由があったそうだけど、それでも貴方たちは仮面がどうのと口を挟むのかしら? いたずらに相手を傷つけることが貴族のすることなのかしら」
「「うっ……」」
「これからは相手のことを考えてから発言しなさい。さあ、他に食事をしてみる皆様の邪魔になるわ。これ以上用がないのなら、早く立ち去りなさい」
取り付く島もないアルメリアの様子に鼻白んだ。
これだけの生徒の目がある中で、顔に傷のある男を中傷するような言い方をしたのだ。
たとえ本人たちにその気がなくても、周りの目が白いように感じられるだろう。
狼狽える二人をよそに、「邪魔をしたね」と行ったタンザーが最初にこの場を立ち去った。
彼の後を残された二人が追い、さらについてきていた令嬢方は居心地が悪くなったのか散り散りになっていった。
「ふぅ……しまった。迂闊だったわ」
彼らの姿が見えなくなったところで、アルメリアは小さく溜息を吐いた。
「どうかされたんですか?」
「いえ……ごめんなさい。今の騒動は私の軽率な行動が原因だったわ」
「軽率って……一緒に食事を取ることですか?」
確かに彼らが絡んできたのは、アルメリアを見つけたからだ。
そこに俺という異分子がいたから噛みついてきたのだが、そこまで軽率な行動だろうか。
食堂は公共の場という扱いで、別に男女同席になってはいけないという決まりはない。
身分による違いは確かにあるが、上の者の許可さえあれば同席は許されている。
事実、他の席でも侯爵令息と男爵令嬢たちが一緒に食事をしている。
彼らがあそこまで目くじらを立てたのは、俺がいたからだと思う。正直、他の誰かと食事をしても難癖つけてくるイメージが拭えない。
「……そういえば、貴方にはまだ話していなかったわね。さっき失礼なことを言わせてしまったし、このくらいは話しておくのが礼儀よね」
そういったアルメリアは、いつか見せたような疲れた表情を見せた。
しかしそれも一瞬のこと。他の生徒たちの目がある以上、気軽に公爵令嬢の仮面を外せないためすぐに居住まいを正した。
「私とあの三人は、幼馴染なのですよ」
…………………………………………………………ああ、それは、また。
「今、ものすごく同情したでしょう」
「ソンナコトハゴザイマセンヨ?」
「だったらなんで目を逸らすんですか」
「そんなことはございませんよ」
「だったら目を開けてこっちを見て言いなさい」
無理だ……俺には、真正面から彼らに対して好意的な評価をすることはできない。
素直に申し訳ありませんと謝罪して頭を下げよう。
そう思ったのだが、アルメリアは「気持ちはわかるから咎めないわ」と嘆息した。
「彼らは昔からあの調子でね。魔王を討伐した勇者たちの子孫だからと、他の者を見下す傾向があるの。特に無意識にね」
親は止めなかったんだろうか。
まあ、止めなかったんだろうな。
むしろ周りに担ぎ上げられて貴族になったんだし、現在進行形で天狗になっている可能性の方が高い。
「周りの者も諫めなかった。正確に言えば、諫められる勢力が彼らの近くにいなかったの。私の父が勇者様たちとアカデミーの同期生でね、その繋がりで彼らと幼馴染になったのよ」
貧乏くじを引かされたんだな、とは口が裂けても言えなかった。周りの耳もあるからな。
「父は勇者たちの次世代を担う者たちを正しく導くよう微力を尽くせと仰られたけど、その結果が今の彼らよ」
「聞く耳は持って頂けなかった、と?」
「聞いてはいるのよ。自分たちに都合のいいように解釈してしまうけどね」
前世で流行っていた、難聴系主人公でも気取っているのだろうか。
いや、あの様子だと多分、素であれなんだろう。
「平民に限らず身分が下の者を無意識に侮ったり、貶したりするから一部の貴族にはよく思われていないの。そんな彼らより成績上位に立ってしまった、他ならぬ貴方と幼馴染みが一緒にいたわけでしょう?
いつもより強めに当たってくるのは当然だったのよ。それを予期せずこんな目立つ場所で食事をしていたのだから、私に責があるといっても過言ではないわ」
誰だって自分の親しい人、ましてや異性が気に入らない相手と親密にしていたら面白いはずがない。
でも今回はこれだけで済んだけど、ひょっとしなくてもこれは……。
「今後一緒にいるところを見られると、さっきみたいに絡まれるということですか」
「…………そう、なるわね」
(うわ……なんだそれ、面倒くさい……)
でも、投げ出すつもりはない。教えるといった以上、最後まで面倒を見る責任が俺にはある。
しかし顔に出てしまったことを悟られ、「迷惑になるなら学園内では会うことは控えましょう。手紙でのやり取りで進捗を見てもらえればいいわ」とさせる必要のない遠慮をさせてしまった。
いかんいかん。自分の意志で彼女に手を貸すと決めたんじゃないか、あの程度の妨害を面倒くさがっている場合じゃないぞ。
気を取り直すべく軽く頭を振り、まっすぐアルメリアの目を見据えて返答した。
「大丈夫です。言った言葉には責任を持ちます、最後まで誠心誠意、お手伝いしますよ」
「……そう。ありがとう」
俺の返事は意外だったのか、目を丸くして瞬かせるとややそっけない口調で感謝された。
見間違いでなければ、銀糸から覗く耳が赤みを帯びていた気がする。
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遅筆な作者のペースが上がる! ……かもしれません(汗




