とある妹の独り言③
余の価値観が完全に変わったのは、ある一人の存在のおかげだ。
彼の名前は……レオ・オールド。
血を分けた実の兄であり、そして余の――――
◇
元魔族であり、魔王という種にまで上り詰めた前世を持つ人間、それが余マナ・オールド。
前世という特殊な経歴を持つ余は当然、人間になりきることができなかった。むしろ前世に固執し、魔法に焦がれ、いち早く前世の力を取り戻すべく苦心する愚か者だった。今生に初めて得た家族という存在と向き合わず、心を向けられても拒み、魔族領にある禁術書庫という宝の山に目が眩んでいた。
その結果、生まれて五年目の年に最悪の事故を起こした。もしも過去に戻ることができたなら、当時の余を問答無用で殴り飛ばし、叱りつけたくなる黒歴史だ。
だが、そのおかげで余は人間として生きていく決心ができた。大切な……大切にするには羞恥と自己嫌悪で死にたくなるような過去だが、忘れることのできない出来事だ。
余は力を求めるあまり、前世で最もよく使っていた精霊を召喚して契約することにより、少しでも前世の力に近づこうとしたのだ。
だが、結果は大失敗に終わった。しかも余を庇ったせいで、兄に一生ものの傷を負わせてしまったのだ。そのうえ余の家族たちの間柄を引き裂くような事態も招いてしまった。
なのにこの時の余は、あらゆることに気づけないほど憔悴していた。
異変を感じ取って駆けつけてきたエルフ――ジェーン――のおかげで兄は一命を取り留めたが、生死の境をさまよう重症であったため、なかなか目が覚めなかった。余も魔力を分け与えて治療に加わったが、そんなことでは罪滅しにならないことはわかっていた。
朝も昼も夜も、余は兄を介抱し続けた。そうすることが贖罪だと思ったし、そうしていないと何かに押しつぶされて動けなくなってしまいそうだったからだ。
今ならば、それがなんだかわかる。あれはただの罪悪感……だけでなく、恐怖だ。
当たり前のことだが、寿命の長い魔族と寿命の短い人間族では時間の流れや感じ方が違う。そのことをまだ実感できていなかった。
そして前世が孤児だったため、家族という存在に対して感情を持て余していた。一方的に与えられる愛情、それに戸惑い、無関心を決め込み生きてきた。
だが当たり前のことだが、人間族にとっての五年間は決して短いものではない。その間、家族からの愛情をたくさん受けていた余に、無自覚ではあるが情が湧くのは当然のことだった。
今までにいなかった親しき相手――――それが私のせいで死んでしまうかもしれない。罪悪感もあったが、それ以上に恐怖の方が大きかったのだ。
兄が大怪我を負ってから一ヶ月が経過した日の明け方、ついに目を覚ました。
その場にはエルフのジェーンもいて、少しだが話す許可ももらった。
余は兄に謝ろうと思った。自分の容態を聞いているかはわからないが、10歳の子供が背負っていくには重すぎる傷を負わせてしまったのだから。
「どうして…………マオを助けようとしたのだ」
なのに、この口から出たのは兄を責める言葉だった。
そんなことを言うつもりはなかった。助けられたことは嬉しいし、怪我を負わせたことは申し訳ないと思っていた。けれど……目覚めたばかりの兄を目を見たら、そんな思いは消し飛んでしまった。
兄は余を見て、心底安堵していたのだ。無事で良かったと、怪我がなくて安心したと、声は出せなくてもそう語りかけてきた。
最初に浮かんできたのは、ただの疑問だった。そこまでの大怪我を負って、目も失明していて、どうして自分以外の誰かの心配ができるのだと。だが口を開けば開いたら、その言葉は兄を責めてしまった。
違う、違う! そうじゃないのだ。兄を責めたいのではない、責め立て罵倒してやりたいのは、余自信なのだ。慌てて言い方を変え、いかに余がひどい妹だったのか吐き捨てた。客観的に振り返っても、助けてやりたい、無事で良かった、などと思えるような妹ではなかった。
そんな妹のために、兄はどうして身を投げ出せたのだ。
ああ、そうだ。これは疑問なのではない。ただの自責だ。あまりにも無愛想に繋がりを蔑ろにしに来たのに、余だけが無事でのうのうとしていることが許せなかったのだ。
「っ、あ、に……?」
許せない、許したくない。それなのに兄は、余の頭を撫で、笑いかけてくれた。
もう気にするなと、自分を責めるなと、そう言ってくれたのだ。今までの愚かな行いを振り返り、貴方の妹として相応しくなかっただろうと聞いても、そんなことはないと言ってくれる。これだけの大怪我を負ったにも関わらず、後悔はなかったと微笑みをくれた。
ああ――――この気持ちはなんだろう。
安堵ではない。喜びでもない。胸の奥に身を焦がしそうなほど熱いのに、どこか心地良い炎が灯り始めた。
「兄、は……本当に、マオを想ってくれるの、だな……」
自然と口から出た言葉に、驚きよりも得心の方が大きかった。
ああ、そうだ。余は兄を想っている。不出来で無愛想で迷惑ばかりかけてきたのに、ずっと傍にいて温もりを与え続け、力ない人間でありながらも守ろうと体を張ってくれる、小さな人間に想いを馳せたのだ。
兄としての親愛の情であることはわかっている。血の繋がった兄弟であることも理解している。
それでも余は、わたしは――――この夜、小さな兄に恋をした。
◇
それから、わたしは大きく変わった。今まで蔑ろにしてきた家族や村人との交流を大事にし、特に兄――――いや、兄様へと積極的にお世話するようになった。
禁術書庫への未練をさっぱり打ち切り、魔族領へと行く理由も魔法の知識のみを探求する欲求もなく、ただ愛しい人たちと触れ合えることが嬉しかった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。兄様がまだ意識を失っていた頃、この国の王都からわたしが起こした事件のあらましを調査しに来た。そして危険な魔法を発動させた人間として、何かしらの処置が必要だと一時的に引き上げていったのだが、その結論を持ってやってきたのだ。
「断るのだ!」
アイワーン国からの決定を聞き、私は断固拒否した。その内容は、10歳になったら修道院に入り聖女候補生になるまで出ることが適わないというものだった。
わたしはもう、以前までのわたしじゃない。家族と、ましてや愛しい人と引き離されるなど、冗談ではなかった。
「でもこれを聞いてくれないと、貴方だけでなくご家族にも累が及ぶかもしれないわ。それだけ大きな魔力を持つ人は重要視されるし、まして暴走させた前科があるようなら王国の上層部は見逃しはしないわ」
わたしにこの話を持ってきた女騎士は、申し訳なさそうにそう言った。下っ端にいくら抗議しても無駄なのはわかるが、それでもこれだけは飲めない。「父様や母様、そして兄様と離れるのは嫌だ」と突っぱねた。
すると……女騎士の目が微かに怪しく光った。ような気がした。だがきっと間違いではないだろう。
「そうね。きっとご両親も納得されないでしょう」
「当たり前だ! マオを連れては行かせんぞ!」
「成人も待たずにそんな遠くの修道院に入れるなんてあんまりです! どうか、どうかもう少し処罰を軽くしてくださいませんかっ」
「父様……母様……」
二人から向けられる愛情に、胸が苦しくなる。こんな温かなものを今まで拒絶し傷つけてきたのだから、嬉しいと思うと同時に申し訳なくなる。今も離してなるものかと、二人が抱きしめてくれている。
「マオさん、でしたね。随分とご家族と仲良く(・・・)なられたようですね」
「……それがどうした?」
「いいえ。でも、もっと仲良くなりたい人がいるのでは、と思いまして」
「は、い――――?」
予想だにしない指摘をされて、思わず間の抜けた声が出てしまった。もちろん、頭の中に兄様の顔が浮かんだのは言うまでもない。
「そこでですね、こちらを見てもらいたいのです」
女騎士が差し出した書類は、わたしに課した聖女候補生となるための条件や、なった後の特権などが記された書類だった。読めば読むほど、母様の表情は厳しくなっていく。父様はあまり賢くないので首を傾げているが。
わたしからすれば……実はそれほど難しそうな気はしていない。要は信心深くなったと司教以上の位を持つ者に認められること、魔力の制御が完璧にできることが条件だ。
精霊召喚を行ったせいで暴走したと判断されたが、魔力の制御はもう完璧だ。司教に認められろという話だけが難しいが、やりようはなくはない。だが、最低でも三年間は修道院にいなければならないという指定がある。やはり受けたくはない。
わたしも母様も突っぱねようと書類を返そうとしたが、もうひと組書類があった。
それは、聖女になるための条件と特権について書かれていた。
「なっ」「あら」「 ??? 」
読んだあとの感想は、三者三様だった。相変わらずよくわかっていない父様と、何故か目を輝かせる母様。そしてわたしは、ひどく複雑だった。
聖女の特権には様々なことに便宜が図られ、収入や業務にも色々書かれていたが、一番に目を引いた項目はこれだ。
『聖女となる者は、一度世俗との繋がりをゼロに戻し、戸籍を抹消し巡礼の旅を一年間務めること』とある。
それはつまり、わたしは書類上の関係ではあるが、父様と母様の子供ではなくなるということ。そして、兄様とも兄弟ではなくなるのだ。
これが意味することは家族としての縁を絶つということ。彼らの優しさ、大切さを知って今では、ふざけるなと突き返すべきなのに……わたしの手は書類を握る手に力が入るばかりだった。
(もし……もしも、わたしが聖女になれたら――――)
「マオさんが聖女になれたら、お兄さんと結婚することは可能になりますよ」
「「!?」」
この女騎士……わたしの気持ちを知っている!?
思わず腰を浮かし口封じしそうになったが、相変わらず父様と母様に抱かれていたので軽く椅子から浮き上がる程度で留まってしまった。これでは図星であると宣言してしまったようなものだ。
人間に転生してから、当然人間界の常識についても調べた。兄様への思いを自覚したあと、血の繋がった兄弟では結婚はできないということを思い出した時は、人知れずに声を押し殺して泣いたものだ。
ずっと隠し、兄様が許してくれる限りは傍に侍っているつもりだった。それなのに、この女騎士は無遠慮にわたしの気持ちを暴いたのだ! それも、父様と母様の目の前で――――――――
「あらあらあら、まあまあまあ!」
「あー……マオもそうなのか」
…………って、なんだか思ったよりも全然違う反応をしている二人。
父様は困ったもんだと頬を掻いているが咎めてくる様子がない。母様に至っては何故か嬉しそうに微笑み、目を輝かせている。お二人共、法で禁じられている想いを抱いた娘に対し、その反応はおかしくはないか?
「おめでたわおめでたいわマオちゃん! 今夜はご馳走作るからねっ」
「うーん、マオも俺の娘……いや、叔母と同じ血筋だということか……」
これは後で聞いたことなのだが、昔、父様と母様が冒険者として現役だった頃、ある女性と一緒に父様を取り合った経験があるのだそうだ。その人物こそわたしと兄様の叔母、つまり父様の妹だったのだ。
母様にとって叔母は妹であると同時に、良いライバルだったらしい。しかもまだ父様のことを諦めていないらしく、転生の秘術を探していまだに世界各地を旅しているとか。
初めて聞く叔母の話に、非常に親近感が湧いた。というか本当に他人事ではない。他種族になる可能性はあるが、なんとか前世の転生術を教えて差し上げたい。
つまりは二人にとって、血の繋がった者同士の恋愛というのは他人事ではないのだ。というか当事者であり、現在進行形らしい。
「私は応援するわよマオちゃん! 可愛い息子と娘が家族になってくれるなんて、素敵じゃない!?」
「レオならそんな間違いは……いやでも、それだとマオがかわいそうだし……でも罰せられないんなら止める理由も……」
母様は全面肯定。父様は否定しようか悩んでいるが、わたしの気持ちのことも考えてくれているようだ。しかし……
「でも、もしも聖女になってしまったら、二人の子供ではなくなってしまうのだ!」
わたしはそれが嫌だった。兄様に振られるだけならば、悲しいけどまだいい。けれど二人の子供である資格まで失うというのだ。何もかもが駄目になってしまったら、きっと恐ろしい程の虚無感に襲われるはずだ。だって、想像しただけで既に涙が滲んでくるのだから。
「何言ってるの。たとえこの先何があったって、マオちゃんは私たちの娘よ」
「そうだな! 書類があるから家族なんじゃない。俺たちがお前を娘だと思っている限り、いくつになろうがどこにいようが、お前は俺たちの娘で家族だ!」
母様がわたしを優しく抱きしめ、父様が兄様にそっくりな笑みを浮かべて言い放った。
(いいのだろうか、本当に……)
こんなに優しい人たちの娘に生まれて。わがままで不出来な娘だったのに、自分の望む未来を願ってしまって。
「「さあ。マオはどうしたい?」」
きっと、二人は良いと言ってくれる。
兄様は……どうだろうか。きっと、わたしを妹としてしか見ていない。それが嫌というわけではない。兄様だけの妹という、特別な椅子に座らせてもらっているのだから。
けれど、もし……もう少しだけ、わがままを言わせてもらっていいのなら――――――
「わたしは、セフィーラ修道院に行きたいと思います」
兄様に……わたしを一人の女の子としてみてもらうために、努力していくことを許してもらいたい。
◇
これがわたしの始まり。今年から修道院に入った、本当の動機。とてもではないが、他の修道女たちには絶対に教えることのできない秘密だ。
聖女になるためには、聖女候補生などより比べ物にならない試練を受けなければならない。なにより、数多くいる神のいずれかから信託を授からなければならないのだ。わたし一人の努力だけでは、どうにもならない問題がたくさんある。
「それでも、諦めることはしないのだ」
背中を押してくれた母様のために。なんだかんだと許してくれた父様のために。
そして……同じく今年から、王都のアカデミー『アイワーン学園』に通うことになった兄様のために。
本当ならば、兄様はそんな遠くのアカデミーに行く必要はなかった。父様と母様から兄様を……愛しい子供たち二人を手放すような事態を招いたのは、すべて五年前の私のせいだ。
それなのに、すべてを受け止めてくれた父様と母様には感謝しかできない。兄様との関係はもちろん大切だけど、それと同時に親孝行をしてあげたい。それが聖女という夢の次に大切な、私の夢だ。
これにて第一章部分は終了です。
次回からは第二章になります。ようやく戦闘描写が入るようになるので、もう少しファンタジーらしい作品観になると思います。




