とある妹の独り言②
村長から借りた魔道書を読んでいると、ある魔法陣が目に入った。
『召喚魔法』……それは術式にもよるが、何かしらの者や生き物を瞬時にその場に呼び出すことができる魔法だ。
もちろん前世の余も習得していた覚えはあったが、この魔法陣を見るまで忘却していた。どうやら転生による弊害により、こういった知識や経験を忘れているらしい。
だが、一目見れば関わりのある知識をいくつも思い出せた。そこで一つの計画を思いついたのだ。
それが――――『精霊召喚』だ。
精霊は平たく言ってしまば、自然界から発生した魔力の結晶だ。
だからこそ、そんな精霊と『契約魔法』でパスを繋ぐことができれば莫大な魔力を得ることができる。魔王となった余が恐るべき魔力を持っていたのは、数体の精霊と契約していたからにほかならない。
手っ取り早く前世の力を取り戻すために、かつて契約した精霊を呼び出し再契約を結ぶ。
精霊は魂を見ることができるのだから、一目で余のことにも気づくはずだという勝算もあった。
しかし、そんな短絡的な考えのせいで、余は取り返しのつかない過ちを犯した。
「当たり前であろう、炎獅子リーオンよ。むしろ其方の方こそ、我を忘れたとは言わせぬぞ。
我はふたたび生を得てもどった。故に力を取りもどすべく、その第一号として貴様を選んでやった。喜びにふるえよ」
余が最初に『精霊召喚』で呼び出したのは、もっとも相性の良い炎属性を持つ炎の精霊。炎獅子の二つ名を持つ若き精霊、リーオンだった。
最も多く戦場に連れて行き、最も多くの敵を屠り、最も多く力を借りた精霊だ。あのものを最初に引き込むことができれば、余の力を大きく取り戻すことができる、はずだった……。
だが、そんなリーオンは余のことがわからなかった。
前世から引き続き意識を持っている余だが、まさか転生したことにより魂に変調をきたしているのか?
精霊は魂を見ることができる。姿形や種族までも変わってしまったが、それでも精霊であるリーオンならばわかってくれると踏んでいたのに……。
『どうやって我を呼び出せたかは知らぬが、報いを受けよ小娘!』
聞く耳を持たないリーオンが、上位魔族さえ簡単に屠れる爪を振り下ろした。咄嗟に魔力防壁を張ろうとするが、この程度では絶対に防げないという確信がある。
襲い来る痛みを堪えるべく歯を食いしばり……横合いから、誰かに突き飛ばされた。
「え――――――――?」
地面に倒れる寸前、突き飛ばした誰かの姿を見た。ここまでついてきた、血の繋がりに重きを置く兄という存在。
それが展開した魔力防壁もろとも切り裂かれ、ボールのように弾け飛び何度も地面を転がっていく。赤い血飛沫と体にまとわりつく火の粉を撒き散らしながら、やがて倒れ伏したまま動かなくなる。
(何が、起こったのだ……)
頭が考えることを拒否する。目の前にある現実を拒絶する。口の中がカラカラで、全身から熱が引いて、凍えそうなほど冷たくなる。
遠くに転がった男から聞こえてくる、火の爆ぜる音と血液の滴る音しか聞こえない。
焼ける半身と血の気の失せた幼い体、二度と動き出さない死に体しか見えていない。
『ん……? なんだ、小娘を何かが庇ったのか? 矮小な存在のくせに、我の邪魔をするとは生意気だ』
庇った…………そうだ、余は庇われたのだ。
兄という存在に。
血の繋がり、家族の繋がり、他者より少しだけ近しい存在だからという理由で構い続ける、兄という存在に。
命を守られた――――己の命を、盾にして…………。
それを、ちっぽけだと……何かが評価した。
『ケダモノ、フゼイガ……』
目の前が真紅に染まる。音も視界も狭かった世界に、余に害を為し牙を向いた獣が映り込む。
氷のように冷たかった体が焼ける。高ぶる。熱を通り越して天を灼く稲妻の如く、魔力が迸り怒りが立ち上る。
『せ、精霊言語……!? こ、小娘がなぜ……!?』
『余ヲ忘レルバカリカ、手ヲアゲルトハ見下ゲハテタ。マシテヤ……』
ましてや……? 余は、なんと言おうとしたのだろう。
覚えていない。言葉にできない。怒りに焦がされ冷静な思考ができない。
ただ唯一わかっていることは、このケダモノをぶち殺さねば気がすまないということだ――――!
『こ、この魔力、は……! まさか小むす…………い、いや、貴方は――――!?』
『黙ッテ消エロ!!!』
『何をやってるんだこのボケナスども――――――!!!!!!』
余と獣の間に、天から稲妻と共に何者かの声が降り注いだ。
轟音と爆風に吹き飛ばされ、地面を転がされる。何度も何度も頭が揺さぶられたことで、焼き焦げるほどに熱くなった頭から熱が引いていく。
『このクソ馬鹿どもめ。こんな辺境でこれ以上の大惨事を引き起こしてみろ、向こう五百年は忠実なしもべとして使い倒すかんな』
余とリーオンを同時に吹き飛ばした雷属性の魔法を叩き込んだのは、空に浮かぶ一人のエルフだった。
あれは確か……村の物から産婆と呼ばれ、正体を隠蔽しているエルフだ。種族としての背景を考えれば隠し通したい理由はわかるが、まさかここまでの魔法の使い手だったとは。しかも、リーオンの方には拘束魔法を叩き込み、その動きを封じている。
あのエルフが隠し通すことがうまい……いや、素直に認めよう。そこまで見抜けないほど、今の余は力がないのだと。
『てめえらアンポンタンに仕置きをしたいのは山々だが、今はこっちだ』
そう言ってエルフは余の背後に降り立ち、そこに倒れている誰かに――――――
「!! あ、あに……兄はぶじか!?」
「黙ってろ小娘、話しかけんな」
「兄は余を庇って怪我をしたのだ! だから」
「黙ってろって言ってんだ! こいつを殺したいのかドアホ!」
エルフは、兄が死ぬといった。
やはり今の余程度の魔力防壁ではリーオンの爪を防ぎ切ることはできず、兄は死の淵まで追い込まれているようだ。
左半身が炎に焼かれ、爛れ、深々と爪痕が刻まれている。左目は完全に潰れているし、肩は千切れかけ、肉の焦げる悍ましい臭いが止めどなく漂っている。
(余のせいだ……余が軽はずみに精霊召喚をし、兄の同行を許したから……)
「小娘」
再び全身から血の気が引き、体が勝手に震えだす。そんな余を心底蔑んだ様子で、エルフは顎をしゃくってリーオンの方を指し示す。
そこには拘束魔法で四つん這いにされていて、何故かガクガクと震えるリーオンの姿があった。
「あの猫は当分動けん。お前が呼んだんだろ、さっさとなんとかしろ」
「し、しかし兄が」
「お前のような未熟者に出せる手なんかないんだよ。邪魔だからあれを何とかして来い」
余は……反論できなかった。
魔法が使える、使えないではない。余は生き物として、あまりにも未熟すぎた。
己を過信し、力を求めて歯向かわれ、怒りに忘れて恩人を蔑ろにする。これが未熟で、うつけで、大馬鹿者でなくてなんだというのだ。
言われた通り、リーオンの方へ歩を進める。一歩ずつ近づくたびに、震えが大きくなっている。
『……魔王様、なのですね』
「…………余のことがわかったのか」
『も、ももも! 申し訳ありません! まさか、人間に転生しているとは露程も思わず……!』
「良い。今の余の魂は、魔王であった時とは似ても似つかんのだろう?」
『それは……! ……はい、恐れながら……』
やはりか。だが、今さらそんなことを知っても、取り返しがつかない。
「リーオンよ。元の場所に去れ」
『へ――――?』
「疾く去れ。余のことがわかったのなら、この命令を聞け」
『お、お咎めはないのですか……?』
「余計なことを聞くな! 去れ!!!」
『は、はいぃっ!!』
背後で魔法陣が明滅し、文字が跡形もなく消失するとリーオンの姿も掻き消える。
魔力は失ったが、それをはるかに上回るほどに精神的な疲れがどっと出た。思わずその場に膝をつき、立ち上がる気力も残っていない。
今はもう、何も考えたくない。兄の無事以外、何も祈りたくない。
「小娘。終わったんならこっちに来い」
エルフが何か言っているが、それにも反応できない。自己嫌悪で死ぬ一歩手前に追い込まれ、誰にも合わせる顔などないのだ。
そんな余のことなど知らんと言わんばかりに、エルフは声を張り上げる。
「さっさと来んかタコ! このままじゃ魔力が足りん、レオ坊を死なせたくないんなら搾りカスになるまで魔力をよこせ!」
レオ……? それは、兄の名前だ。余を庇ってくれた、兄が死ぬ……?
砕け散っていた心がわずかに息を吹き返し、小さな体に喝を入れて立ち上がらせる。
そうだ、兄を死なせてはならない。その一心で余の体は動き、エルフに言われるがままに魔力を渡し続けた。
それからのことは、よく覚えていない。魔力を渡しすぎて意識が朦朧としていたということもあるが、まるでミイラ男のようになった兄以外に意識が向かず、ずっと傍にいたかったのだ。
だが、何故こんな惨事が起こったのか理由を説明せねばならなかった。一部始終を知っているのは、余だけだった。
聞かれたことを包み隠さず話し、廃牧場に巻き起こった火炎も、兄の重篤も、すべて余のせいだと語った。
だというのに、両親はそんな余を抱きしめた。叱られた。嘆かれた。けれど最後には、無事でよかったと抱き締められた。
(なぜだ……? なぜ、余のことを糾弾しない。突き放さない。憎まないのだ……!?)
それからの余は、兄が目を覚ますまでずっと悪夢の中を彷徨っているような心地だった。
頭の中が疑問という名のモヤに包み込まれ、罪悪感という息苦しさに窒息しそうになり、両親の変わらない優しさに死にたくなるほど胸が苦しくなる。
それでも、兄の介抱をやめてはならない。頭でもない、心でもない、体が勝手にそう動いていた。
◇
「今思い返しても、自分で自分を殺してやりたい程の黒歴史だ……」
だが、そんな事件があったおかげで、余は人間として生きていく決意ができた。
あの日々からさらに五年が経ち、余は修道院に入った。これは彼の大事件の影響でもあるが、最終的に選んだのは余自身である。
日課の水垢離で身を清め終え、今日も聖女候補生となるべく教導が始まる。
このようなことになってしまい、両親にも、兄にも申し訳ないと思う。平凡で、当たり前で、どこにでもあるような家族にはなれなくなってしまったことに。
それでも、変わらず家族として接してくれた彼らのおかげで、余は新しい目標ができたのだ。
魔王としての力を取り戻すのではない。
今生の家族である、彼らに報い、幸せになってもらうことだ。
そして、兄レオ・オールドと――――




