とある妹の独り言①
余が転生してから、はや五年の月日が経とうとしていた。
今世の余の名前は、マオ・オールド。父ダーディ・オールド、母マーザ・オールドの間に生まれた人間族の娘だ。
そう、人間族だ。彼の転生の神が最後に言っていた言葉で、悲惨な生を送ることになると覚悟していたが、不幸中の幸いといえよう。少なくとも人間族であれば、魔法は覚えられる。
正確に言えば、魂はそのままだったので魔王時代に培った知識は残されている。
だが、それを活かせるだけの技術がない。
魔力も人間に転生したことで魔王であった時には遠く及ばず、しばらくは体の成長に合わせて少しずつ技術を磨いていくしかなさそうだった。
不幸中の幸いというべきか、余の生まれたオールド村の村長はかつて魔法を学んでいたことがあったらしく、魔道書の類を何冊か持っているようだった。
普段から魔力の制御訓練をしつつ、大人相手に有益な情報を売ったり手助けをしたり、伝手を作っていくうちに5歳という若さで魔道書を貸し出してもらえるようになった。
(……複雑なことだがな)
余の前世は魔族だった。はっきり言って、人間など殺す相手としてしか見ていなかった。
当然、彼らの生態系や社会などに興味はなかった。
さらに言ってしまえば、余は孤児だった。親兄弟などおらず、手を取り合うより拳をぶつけ屠り合うような幼少期を送っていた。
そんな余が穏便に人間社会にとけ込めたのは、ある人物のおかげと言える。
余としては素直に認めたくないことだが。その人物とは――――――
「兄よ、何の用だ?」
扉をこっそりと開け、余のことを伺っている赤髪の子供がいる。
この人物の名前は、レオ・オールド。余より早く生まれた、5歳年上の兄だ。
誤解を恐れずはっきり言おう。
余はこの兄という存在が苦手なのだ。
転生した直後、余は赤ん坊だった。体は小さく魔力もほとんどない、当然満足に口も聞けず、自分の体で動くこともできなかった。
ひどく無力感に苛まれた。何百年と生きた余が、今さら誰かに甘え、縋り、助けを求めることはひどく困難だった。
しかし、そうしなければ余は死んでしまう。
背に腹は変えられないが、泣いて請わねば生きてはいけないのだと、よく葛藤していた。
そんな時、どこからともなく現れたのがこの兄だ。
『どうしたマオ? お腹空いたのかい』
『ん? そろそろおねむかい、マオ』
『ああ、これは気持ち悪いよな。すぐに取り替えるから、待ってて』
泣き声を上げる前に、兄は余の様子に気づく。
誰もが寝静まっている夜中や、家の中に誰もいないときに耐え切れず泣き出せば、父母より先に駆けつけてくることもあった。
そのせいで、この兄には余のあられもない姿を何度も見られてしまっている。
子供のすることだし、余の体自体も赤ん坊だ。そこまで気にすることはない……と、自分に何度も言い聞かせてみるが、精神的には前世の延長線上にいるのだ。
これがひどく惨めで屈辱だった。
しかも、余が人間の暮らしというものを参考にしたのも、この兄の行動だった。
歩けるようになればどこかに連れ出そうとし、村の子供たちや大人たちとの関わり方を見せてもらった。
だが余は兄ほど社交的な交友はできず、大人相手に知恵を出すという方針をとることになったわけだが。
結局余は、赤ん坊の時も子供の時も、この兄によって助けられたのだ。
だからだろう。人並みに口が聞けるようになり、一人で歩けるようになり、本を読めるようになった余は、兄相手に愛想を振りまくまいと頑なになった。
「母さんが、夕飯はマオの好きなものを作るって言ってるんだ。何か食べたいものはある?」
「別に」
「まあまあそう言わずに。肉なら鹿とか牛とかあるだろ? 今夜は何の気分だ?」
「特に」
「まあまあまあそう言わずに。野菜はどうだ? マオってあんまり野菜は食べないだろ? 嫌いなものがあるなら、今夜くらい避けてもらってもいいと思うんだ。なんでむしろ食べたくないものはあるか?」
「別に」
「まあまあまあまあ……!」
村長から借り受けた魔道書を読んでいる間、兄は余にひたすら語りかけてきた。
余はそれに対し、一瞥すらせず適当に答え続けた。
だが……喉が枯れはじめるほど話しかけられ、やがて余の方が困惑し少しだけ歩み寄ることになった。
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ、はぁ……じ、じゃあ、今夜は卵メインで母さんに頼んでくるよ」
兄は夕飯のメニューを訊ねにに来ただけなのに、ひどく疲れきることになった。これもいつものことだ。
余と兄の会話は、いつもこんな感じなのだ。
たとえどんな話題であろうと素っ気なく返す余に対し、兄は根気よく……というより粘着質だと思うほどにしつこく語りかけてくるものだから、こっちが折れるしかない。
疲れきって様子で部屋を出ていこうとする兄の姿は、やはりいつも通りだった。
その背中に、珍しく余は声をかけた。
「どうして、ここまでかかわろうとするのだ」
相槌ばかりではあったが、兄との会話は魔族の時以上に長いものだった。
子供の体ということもあるが、それがひどく体力を使う。
五つも違う異性だとはいえ、兄も所詮は子供である。ここまで疲れるような会話を、何度も何度も何度も繰り返す。
一体、何があの男にそこまでさせるのだろうか。
何冊目かの魔道書を読んで知的好奇心が刺激されていたのだろう、気づけば余は今までの疑問を兄にぶつけていた。
「いやな女だと思わないか。話がいのない女だと思わないか。つまらない女だろう? どうして兄は、そこまでしてかかわろうとするのだ?」
魔王としての地位を得た余だったが、日常から暴力を振るう機会が極力減っただけで、あとはあまり変化がなかった。
魔法を探求する時間は増えたが、誰かと交流する時間は相変わらず皆無だった。
だが当たり前である。力の差がそのまま畏敬に変わる魔族であれば、魔王にまで上り詰めれば恐れ多くて気安く話しかけることなどできない。
しかも余は基本的に他者に関心を持たず、興味のある話題でも振られない限り一言二言で全てを済まそうとしていた。
人間のコミュニケーションを見ていれば、よくわかる。関わっても面白味のない相手なんて、率先して関わり合うメリットがない。話していても楽しくない。だから余計に関わりが減っていく。
兄もそのはずだ。少なからずソリの合わない相手はいるし、そういう相手とは相対的に関わりあう頻度が少なくなる。
人間族である以上、兄もその例に漏れないはずだと思っていたのだが……。
「俺はマオの兄さんだぞ? どうして放って置けると思うんだ」
「――――――――――――………………あに、だから?」
その口から出てきた回答は、余の理解の範疇を超えていた。
兄は言った。
たとえマオがどんな態度を取ろうと、何をしていようと、俺の妹であることに変わりない。だから顔を見合わせれば挨拶するし、声をかける。
他愛のないことだって話したいし、好き嫌いの話をするのもコミュニケーションの一つだ。家族との交流だよ? 面倒臭がったりするわけないだろ。
家族なら、マオと話すことに理由なんていらないよ。だって大切だからね。
父さんと母さんも、きっと同じことを言うと思うよ?
兄……家族……それは何百年と生きた余の前世の中で、一度として得る機会のなかったもの。
知識としてはあっても、理解はしていても、意味もわかっていても、縁のなかった言葉だけの存在。
「もう疑問は解けた? そろそろ母さんに伝えないと、別の料理ができちゃうかも知れないぞ」
「…………ああ。もうわかったのだ」
兄であるから、家族であるから、彼らは損得の考えもなく余と関わりを持つ?
血の繋がりというものか。それを尊重しているからこそ、無意識のうちに強い仲間意識が生まれて余に手を差し伸べる。
(なるほど、理屈がわかってしまえば簡単な帰結だ)
この時の余は、それほど兄の言葉を重く受け止めていなかった。
しかしほどなくして、余の価値観を大きく揺り動かす事態が起きた。
――――余が、引き起こしてしまった……。




