とある転生者の独り言
余の最後の記憶は、胸に突き立てられた冷たい刃の感触だった。
突き刺した男は不敵な笑みを浮かべながら、こう吐き捨てた。
「これでお前の最後だ、魔王!」
黒髪黒目という、この世界――アレスガルドと呼ばれる大地――に住む人族の中でも珍しい外見特徴を持つ青年。勇者として異世界から呼び出され、余を討伐する使命を受けた者。
そして、忌々しいことにその使命は今、達成された。
◇
命が途絶えた感触の後、余は再び意識を取り戻した。
周囲には何もない。空も、大地も、真っ白に染め上げられた平坦な世界だ。とても現実にある世界とは思えない特殊な空間に、ふむ、と余は思案げに唸った。
「ふむ……記憶違いでなければ、確かに余は死んだはずだが……」
確信を抱きながら、全身をためつすがめつ。この体に一片の変化も訪れていないか、知るために。
指先から前腕、二の腕、肩。足先から脹脛、太もも、腰。表に出る機会が極端に少なくなり、異様なほどに白くなった細い女の四肢。だが見た目とは裏腹に筋肉はしなやかで、魔力をまとえば鉄を砕き、大地を穿つ、最も頼りになる剣と化す。
スラっとしたクビレのある細い腰と、無駄な脂肪や贅肉のない胴回りと胸部。勇者に貫かれたはずの胸には傷一つなく、四肢と同じく白い肌と慎ましやかな胸――絶壁と言った輩は皆殺しにしてきた――は健在だった。そして、自慢の髪も同じだ。
頭のてっぺんから毛先に向かい、緋色の髪が濃淡のグラデーションを描いている。それはさながら炎のように、余が怒れば波のごとくウェーブがかかり、余が悲しめば凪のごとくストレートになる。幼い頃から伸ばし続けた髪は踵に触れるほどに長く、常に手入れを欠かさず絹のような艶やかさが自慢の一つだ。
ああ……間違いない。この体は余のものだ。何一つ歪みが存在しないことを、夜中の海のように暗い青の瞳で確認した。
だが、その中で唯一、動作不良するパーツがあった。
心臓が動いていないのだ。
それどころかよく目を凝らしてみれば、この肉体には実体が存在しない。今の姿は、魂だけの状態なのだ。
「どうやら、成功したようだな」
今から数十年前、余は代々の魔王が住まう城に居を構え、退屈を潰すべく無駄に広大な城を散策していた。
そこで見つけたのだ、『禁術書庫』を。
『禁術書庫』は歴代の魔王が開発した魔法であったり、人間やそれ以外の種族が作った悍ましい術理だったり、実現不可能と烙印を押された未知の神秘だったり、危険であるが故に封じられた知識の保管庫だった。
そこに眠る知識の数々は膨大であり、非常に難解だった。数多の精霊を契約の下に従え、古代言語に精通し、新たな魔法を生み出す『大魔道士』の称号を得た余でさえ、たった一つの禁術を覚えるのに十年の時間をかけてしまった。
余が最初に覚えた禁術、それは『転生術』と呼ばれるものだった。
読んで字のごとく、自身の魂の情報を欠落させることなく来世へと引き継ぎ、第二の人生を己のまま歩むことができるのだ。
死後に発動するのであれば、あまり意味がないように思うだろう。だがこの術を覚えてしまえば、余は再び魔族に転生し、今まで積み上げてきた魔法の知識と腕を持ってすぐに魔王に上り詰めることができる。
そうすれば、再びこの『禁術書庫』に足を運べる。すべての禁術を研究し、この魂に刻み込むまで、何度でも繰り返すことができるのだ。これほど素晴らしい禁術があるだろうか!
だが当時の……そしてこの時の余は、なぜ『転生術』が禁術に分類されているのか、深く考えなかった。
その選択を後悔することになると、これからの余はそう思う。
そして来世の余は……この選択に感謝することになる。
「さて、それでは転生を始めるとしよう。しかし、まさかこれほど早く転生することになるとはな……」
あの勇者の若造め、来世であったらぶちのめしてくれる。
そもそもだ、一対一だったら、絶対に負ける戦いではなかったのだ!
賢者が常に味方の能力を向上させ、
聖女が余の全能力を低下させ、
剣聖と弓聖が常に共に攻撃を仕掛け、
聖騎士と武聖が余の攻撃を引きつけ、空振りさせ、
勇者が万全の状態で挑めるようにサポートしたからだ!
というか勇者を名乗るであれば、一対七という圧倒的な数の差に対して思うことはなかったのか? 男ならばタイマンで挑むべきだろうに。余は女だが。
とはいえ、別に絶対に報復しようとは考えてはいない。
勇者たちに腹は立っているが、余は人間そのものを毛嫌いしているわけではない。魔王になったのだって、ケンカを売る阿呆や見境なく暴れる馬鹿や、余の気分を害す愚か者を適当にぶちのめしていたら、いつの間にか魔王になっていたというだけの話だ。人間との争いは余とは関係ない、先代魔王の一派が主導でやっていたこと。
お飾りではあるが旗頭がいなくなったことで、魔族側はしばらく混乱するだろう。しかし完全に戦争が終わるわけではない。
余と同じく無関心でも力だけはある者を再び担ぎ上げるか、より好戦的で魔王に近しい魔族を担ぎ上げるのか。どちらにせよ、いずれ戦火は再び燃え上がることになるはずだ。
「せいぜい束の間の平和を楽しむがいい。その間に余は転生を繰り返すのだからな」
「残念ですが、そうはいかないんですよねえ」
「なに……?」
聞き覚えのない声が、聞こえてきた。
『転生術』を記した魔道書によれば、死後の魂は冥界にて神族に魂を浄化され、無垢なる魂となって輪廻転生すると伝えられている。
この術は、冥界に渡ることなく来世を迎えることができるはずだ。だのに――――!
振り返ると、そこには四枚翼を持つ女が立っていた。
いや、ただの女ではない。金色の髪と碧色の瞳は平均的な人族の特徴のままだが、内から滲み出る神気と精巧すぎる顔立ちは、神族であることの証明だ。だが。
「貴様、何者だ?」
あまりにも平凡すぎる。四枚の翼ということは、神格はさほど高くない。六枚翼を得られるほど神格が高くなければ、地上に干渉できないはずなのに。
いやそもそも死者に関する神は、冥界の女神『リゼット』以外に存在しないはずだ。
死を司るあやつの外見や特徴とは似ても似つかない。髪の色は闇のように深いダークブラウンで、瞳はエメラルドとガーネットカラーの美しいオッドアイだったはずだ。
「何者か、ですか……そうですね。今の私は、マイナと名乗ってます」
「マイナ……」
やはり聞き覚えがない。地上界に干渉してきた神族の名前と身体特徴は頭に叩き込んでいるが、そのどれにも引っかからない。
それに、名乗り方が気になる。『今の私』だと?
確か地上に干渉できる神は、一人につき二つの顔を持っているという。『火と剣』『水と鎧』といった感じに。だが二面性があるといっても、名前を変えるということはなかったはずだ。
何故なら、神族は信仰によって力を得るからだ。
一つの名前で二つの面から信仰をえられるのだとすれば、単純に考えても二倍近いの信仰心が得られるはず。わざわざ別々の名前を使って、信仰を分ける必要がどこにあるというのだ。
「聞き覚えがないな。して、何の用だ」
「何の用だとは随分ですねえ。貴方の方からここに来たというのに」
「なんだと……?」
「転生するのでしょう。だから私の元にやって来たんでしょうに」
まさか、転生を司る神だとでも言うのか? いや、そんな神など聞いたことがない……。
「当たり前でしょう? 転生すればすべてを忘れるんですから。私を知る者なんて限られています」
なるほどな、言われてみればその通りだ。前世の記憶を持った者の話なんて、聞いたこともない。であれば――――
「お前は私を消そうというのか?」
そして、ただで消されてやるとでも思っているのか?
心臓は止まっているが、魔力は変わらず存在する。魔法の知識も欠落していない。たとえ死後の世界であろうとも、魔王としての能力は遺憾なく発揮できる。
相手が神であろうと、その力は全能ではない。あくまで象徴そして二つの側面を司っているが、それを振るうためには信仰心を使わなければならないのだ。
転生の女神など、誰が知るといったのは此奴だ。であれば、余の全霊を持ってすれば倒せない相手ではない。
「勘違いしているみたいですけど、私は別に貴方を消すつもりはありませんよ」
「…………そう、なのか?」
「そもそも魂を浄化するのは冥界でのお仕事。この『転生の泉』にたどり着いた時点で、貴方の魂をどうこう出来るわけないじゃないですか」
「ならば何しに現れた。余に対して何も出来ないというのであれば、見学しに来たとでも言うのか?」
「何もできないなんて、一言も言っていませんよ?」
マイナという神が怪しげに微笑んだ瞬間、余の体がずぶり、と沈み込んだ。
「なっ…………!?」
その瞬間、白だけが広がるはずの空間が変化した。
頭上に広がるのは満天の星空さえ霞みそうな、何万もの星がきらめく夜空が広がっている。
月の姿もないのに明るく照らされた地上は、マイナと名乗った女神の立つ場所以外はすべてが水だった。
遥か遠方にある海かとも思ったが、波一つ立たず余が沈むことで現れる波紋以外、凪いだ静かなものだった。
そして女神のいる大地には、目を見張るほどの巨木がそびえ立っていた。
夜空に届かせるように伸ばした枝は雄大で、青々とした葉は星々を支えるかのように壮大だった。まるで霊山の如く猛々しく大地に根を張る大樹を見て、余は古い書物で見た伝説を思い出した。
世界樹――――すべての命を生み出した最初の樹にして、神族の座す神界に根付く生命の基盤。冥界が死者の魂が安らぐ墓所だとすれば、世界樹は生者が生まれる前の揺り篭なのだ。
よく泉を見れば、星と同じ輝きが無数に揺蕩っていた。星空が映り込んでいるのではない、泉の中にも星があるのだ。そして星の輝きたちは非常にゆっくりとではあるが、世界樹のある大地へと引き寄せられている。
余は直感した。この星々は命そのものであると。
空の輝きは今を生きる者たちの生命。泉に沈む輝きは、来世を待つ死者の輝きだと。
「貴様……まさかリゼット神か!?」
冥界の神殿に座す死を司る女神。地上にて信仰される至高神の一人。まさか術式に不備があり、冥界に誤って入り込んでしまったのかと、冷や汗が出た。
だが、マイナと名乗った神は笑って否定した。
「いやですねえ。ただでさえ私の仕事は忙しいのに、あの子の仕事を押し付けられちゃたまりませんよ。それに、言ったじゃないですか。ここは転生の泉。冥界のさらに先ですよ」
「では貴様は何ものだ! 余をどうするつもりだ!」
「どうもこうも、ここに来たということは転生を希望しているのでしょう? だから転生させてあげますよ」
「ただし、何に転生するかを決めるのは私ですが」
「なん、だと……?」
「不思議に思わなかったんですか? なぜ『転生術』が禁術扱いされていたのか。なぜ、ただの一人も転生者を名乗る魔族がいないのか」
言われて、背筋が凍りついた。
そうだ。魔族ほどの魔力と知識があれば、たとえ魔王でなくても高位魔族であれば『転生術』は行使できる。術式は複雑ではあったが、制御そのものは比較的簡単だった。
だのに、成功者は一人もいない。
少なくとも、魔王城の膨大な図書の中に転生者の記述は異世界の勇者以外に存在しなかった。『転生術』で二度目の魔族となった者がいなかったのだ。
「まさか……貴様が……?」
「ご名答」
マイナは、そう言って楽しげに笑った。余にはそれがひどく恐ろしい怪物に見えた。
「転生を止めることはできません。どこかのおバカさんが勇者召喚なんてものを伝えてしまいましたからね、術式を解析したら転生は結構すんなり出来てしまいます。でもその結果、各種族間のバランスが大きく崩れるようなら、それは神として避ける必要があります。たとえ魔族でも、人間でもです」
「だから、魔族の転生者がいないのか……っ」
「いないわけではないですよ? ただ、『転生術』を行使できるほどの人を同じ種族で転生させていないだけです。肉体と魂のバランスが崩れれば前世の力はほとんど行使できませんから、一から頑張ってくださいね」
「きさ、まっ……!」
抗うべく魔法を行使しようとするが、泉に浸った体から徐々に力が抜けていく。魔力が大きく乱れすぎていて、魔法を行使できない。沈まないように浮き上がろうとしても、力が入らず溺れていく。
ああ、なるほど……転生者という成功例がこうして阻止され続ければ、確かに禁術にもなるかっ!
「まさか魔王ともあろうものが、神族にいいように扱われようとは、なっ……」
「おや? そんなにいやですか」
「屈辱だ!! そして……無念だ!」
魔族に生まれ変われないこと、それははっきり言ってしまえばどうでもいい。
だが……『禁術書庫』に眠る叡智を我が物にできないことだけが、非常に無念だ。
暴力と退屈に塗れた人生の中で、唯一余が興味を抱き、のめり込んだ魔法だった。余にとって魔法とはまさに生き甲斐だったのだ。それこそ、生まれ変わって永遠に探求したいほどに。
だのに、こんな屈辱があってたまるか! 余が修めた禁術により魂は守られたのに、『禁術書庫』という宝の山が手が届かないほどの場所に置かれるというのだ。
「だが、覚えておけ……たとえ何に生まれ変わろうとも、必ずや全盛期の力を取り戻し、再び魔法の深淵をこの手に収めてくれよう! 貴様が何度余の道を阻むことになっても、必ずだ!」
正直に言って、これが強がりであることはわかっていた。
あの女神が何者かはわからないが、ことこの場においては魔王となった余であっても足元にも及ばない。力で脅し、転生先を望み通りにすることは不可能に近いだろう。
次の生は、どうなることか。人の形であればまだ望みがある。獣であれば魔獣にでも上り詰めれば、どうにかなる。それ以下に、例えば虫や家畜になった場合……想像するのも悍ましい生が待っていよう。
目の前の神を睨みつけていなければ、思わず後悔の念が口をついて出そうになる。「転生術など身につけねば、無念のまま死に二度と目を覚ますことがなかったのに」と。
「何度道を阻んでも、ですか……」
勇者どころか上位精霊でさえも怯ませる余の眼力を受けて、しかし神は虚空をぼんやりと眺めながら小首を傾げていた。
その両の瞳が、一瞬だけ七色に輝いて見えた。
「残念ですが、その機会は訪れそうもないですよ。次の人生で、貴方の転生の旅は終わりです」
それは遠まわしな死刑宣告であった。
転生の旅が終わる……つまり『転生術』が使えない状態に陥り、この魂は失われるのだと。
魔法を修めることを生き甲斐にしている余は、たとえ人間になったとしても探求の道を諦めることはないだろう。であればその道半ばで倒れるか、そもそも魔法を修められない種族へと転生させられるか。
どちらにせよ、次の人生はひどく過酷なものになるということだ。
「お、のれ……女神、め……!」
既に余の体は喉元まで沈んでしまっていた。
忌々しげに吐き捨てた言葉に、神は頬を膨らませた。
「マイナと名乗ったじゃありませんか。ちゃんと覚えておいてください」
忘れたくても忘れられぬわ、この疫病神め!
呪詛を残しておきたかったが、もはやこの身は完全に埋没した。
温かいような、冷たいような、形容し難い心地よさに包まれながら、深く深く沈んでいく。余の意識もだんだんとまどろみ始め、深い深い眠りへと落ちていくようだった。
(こんなに、深い眠りに落ちるのは……一体、いつ以来だろうか――――)
それが魔王として生きた余の、最後の思考だった。




