第9話「突然ですが、エルフと会った」
「おや? 気がついたみたいだね」
マイナ様と別れ、俺は今度こそ目を覚ました。
一瞬、まだ夢の中にいるんじゃないかと疑うほどに、体の自由が利かなかったが。自分の体がどういう状態なのかマイナ様に聞いていなかったら、無理にでも起き上がって確認したかもしれない。
「思ったより落ち着いてるね。あんた、自分がどんな目にあったか把握してるのかい?」
目だけを動かし、話しかけてきている聞き覚えのない声の主を確認した。
そこで見つけたのは、ベッドの傍に佇む翡翠色の髪をした美女だった。
腰まで届く長いエメラルドカラーの髪をうなじ辺りでひとつに括り、流れる前髪から覗く深い青……ラピスラズリの輝きによく似た瞳が、じっとこちらを見つめていた。
自分に会話のボールが投げられていることは理解していたが、それより彼女のことが気になってしまった。マイナ様の時以来かもしれない目を奪われるような美人だったが、一番気になっているのは翡翠の髪から突き出た一対の耳だった。
先端が鋭く尖り、人よりはるかに長く伸びた耳――――初めて見たが、それは間違いなくエルフと呼ばれる一族の特徴だ。
(この人は、エルフ……? でもこの村にエルフなんていたはずが……)
「まだ意識がはっきりしてないかい? 無理もないか。なにせ一ヶ月も寝たきりだったんだからね」
「いっかげっ……!?」
意識を失っていた期間を聞き、驚きのあまりつい声を荒らげてしまった。だが、本当に一ヶ月も眠っていたせいで、喋った瞬間に喉がひどく痛んだ。
咳き込むたびに、全身に鈍い痛みが走る。横になったままで体が硬くなってしまったのか、傷の痛みなのか、どちらにしても困るところだ。
「急に喋るからだよ。ほら、水だ。慌てて飲むなよ、腹壊すからね」
言われた通り、口の中を湿らせながらゆっくりと水を飲み込んだ。
その時に見えた左手は、見事に包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「取り敢えず今から質問する。イエスなら頷きな。ノーなら一回でもいいから首を振りな」
Q.意識を失う前のことを覚えているか?
A.イエス。
Q.私が治療をしたときのことは覚えているか?
A.ノー。
Q.炎の精霊――獅子といったほうがわかるか?――が消え去った時のことは?
A.ノー。
Q.私が助けに入った時のことは?
A.ノー。
Q.お前が獅子からマオを庇った時のことは?
A.イエス。
「なるほど。お前さんの記憶はそこで止まってるわけか……」
聞きたいことは一通り終わったのか、エルフの女性は指先を形の良い顎に添えて思案顔になった。
彼女の話を聞く限り、あのあと俺たちを助けてくれたのはこの人のようだ。怪我の手当てもしてくれたみたいだし、命の恩人に感謝をしたかった。
しかし、声を出そうとするとやはりうまくいかない。「まだ無茶しなさんな」と優しく頭を撫でられ、むしろ気を遣わせてしまった。
「さて、それじゃあ今のあんたについて教えようか。あんまり気持ちのいい話じゃないよ?」
「まず、ここはあんたの家だ。もうすぐ夜が明けるが、みんなまだ寝ている。後であんたが意識を取り戻したことは伝えておいてあげるから、話の途中でも眠くなったら寝ちまいな」
予想通り、紆余曲折はあったらしいが俺たちを助けてくれたのはこのエルフの女性だった。
炎の獅子は魔法陣を利用して元の場所に送り返したらしく、報復の恐れはないから獅子のことは気にする必要はないそうだ。
対して、俺の容態は危険なものだった。
左半身を中心に全身火傷、爪の被害を被った左目と胸の傷跡は決して消えず、失明の恐れもある。傷口は火傷ですぐに塞がったため失血死の恐れはなかったが、この人が駆けつけてすぐに消火しなければそのまま帰らぬ人になっていた。
エルフの人とマオが回復魔法を使い、それだけでは足りないからと秘薬を用いて傷の手当てを行った。それが今から一週間前まで毎日続き、ようやく峠を越えた。ここ数日は包帯を取り替えながら、意識を取り戻すのを待つばかりとなっていたらしい。
「最終的に言ってしまえば、お前さんの怪我はほぼ完治した。治らなかったのは顔と胸の爪痕、左目は失明。そして火傷の跡だ……」
火傷は爪痕を中心に、炎がそのまま押し付けられたかのように広がっている。顔は左目と頬を、体は左胸から右腰にかけて跡が残っている。
正直に言えば……半分はホッとした。
マイナ様から聞いていたとはいえ、死んでしまっても不思議じゃないほどの怪我の具合だった思う。それが傷跡は残るといっても、一命を取り留められたんだから上々じゃないか。
ただまあ、これからの人生設計は大幅に狂いそうだが。
包帯の下にある火傷跡がどんなものかは知らないが、綺麗な肌とは縁遠いものだろう。そんな顔をした男子と結婚したいと思う女子は、まずいないだろう。
父さんと母さんには悪いことをしたな。親からもらった体を早々に傷物にしてしまった上に、俺の孫は見せられそうにない。
「……思ったより動揺していないね。怪我なんてなんともないと思ってるのかい?」
ノー。首を軽く振った。
「怪我は気にしているが、助かったからまあいいやと考えてる。あるいはまだ実感がないか?」
イエス。イエス。何度か頷いてみせた。
「大変なのはここからさ。一ヶ月も寝たきりの上に、ひどい重体だったんだ。リハビリは相当きつくなると思っときな」
イエス。
「間髪入れずに肯定、か。お前さん、本当に子供っぽくないねえ」
今の口ぶりだと、この人は俺を知っているみたいだ。
だがエルフの知り合いなんて、ここ十年アレスガルドで生きてきたけど身に覚えがない。誰かから俺の話を聞いたんだろうか。
疑問に思っていると、キィ、と木戸が開く音が聞こえた。そう遠くない、おそらくこの部屋のドアだろう。
「ぁっ――――――!」
小さく息を飲む声が聞こえた。それと同時に闇の中から小さな影が飛び出し、勢いよく飛びつこうと。
「はいストップ! そのまま突っ込んだら、お前さんの手でトドメを刺すことになるよ」
すんでのところで、抱き抱えられて小さな影は手足をばたつかせる。「はなせ!」「具合は?」「兄が!」「お世話を!」「ワタシが!」と支離滅裂な言葉が飛び出すが、エルフの人の言葉が正しければ今はまだ明け方前だ。静かにしないと、他の人が起きてくる。
俺は左よりかは軽く動く右指を口に添え、シーっと声を潜めるように注意した。
それを見た影はビクッと身を強ばらせ、暴れるのをやめた。
そして夜明け前の空よりも深く彩られた青い瞳に、涙が浮かんだ。
「あ、兄……は、体は、もぅ……だいじょうぶ、なのか?」
小さな影……マオの声は震えていた。目尻に浮かんだ涙が、今にもこぼれ落ちそうだ。
通じるかわからないけど、とりあえず頷いて返した。
「声を出すと喉が痛むみたいでな。体力も戻っていないだろうし、あんまり長時間起こしておいてやるなよ」
そう言って、エルフの人は部屋を出ていった。兄妹水入らずにしてくれた。
だが二人っきりになった途端、マオは顔を俯かせてしまった。もしかして、泣いているのだろうか。そう不安になって声を掛けようとするが。
「どうして…………マオを助けようとしたのだ」
聞こえてきたのは、責め立てるような冷たい声だった。
「あれはマオのじごうじとくなのだ。身のほどをよく知らないままバカなことをした、そんなマオをどうして助けようとしたのだ? 見すてればよかったのだ! マオみたいななまいきで、言うこと聞かなくて、あいそが悪くて、自分勝手で、家族のことをちっとも大切にしようともしない、そんな大バカ者のために! 兄は一生ものの傷を負ってしまったのだぞ!? マオが、マオの……マオの、せい、で……!」
マオの言葉は、震えずに最後まで紡がれることはなかった。
床にポタポタと雫が落ち、声は嗚咽に変わってしまった。
おそらくマオは、俺が倒れてからずっと自分自身を責めていたんだろう。それがようやく意識を取り戻した兄を見て、気持ちを抑えられなくなったのか。
許しを請わずに自分を傷つけるその姿は、見ているだけでとても苦しくなった。
「っ、あ、に……?」
俯くマオの頭に手を乗せる。体を捻るのが難しくて、仕方がなく動きの鈍い左腕を使って、なんとか頭を撫でてやった。
「なにを、しているのだ……こんな、バカもの……ほうっておけば、よいのにっ…………」
だって俺は、マオに傷ついてほしくなくて身を投げ出したんだ。それなのに、マオ自身が傷をつけてしまったら、元も子もないじゃないか。
口で伝えられないのが歯がゆく、頭を撫でながら微笑んでみた。包帯と火傷で筋張ってしまい、うまく笑えたか怪しいが。
そんな俺の顔を見て、マオはひどく驚いた顔をした。大きく目を見開き、ポカンと口を開け、涙でクシャクシャに歪んだ瞳の中に、ミイラ男になった俺をしっかりを映している。
「…………気に、するなというのか?」
イエス。
「自分を責めるなと、言うのか?」
イエス。
「こんなおろかしくて、自分勝手で、わがままで、かわいげの欠片もないのに?」
ノー。それは違う。確かに短所ではあるが、別に可愛げがないとは思わない。
「っ、……兄、は…………マオを守って、そんなケガして、こうかい、してるんじゃ…………」
ノー。マオが言い切る前に、激しく首を振った。
急な動きをしたせいで痛みが走ったが、顔に出ないように我慢する。
「……ふ、っふふ、……兄、は……本当に、マオを想ってくれるの、だな……」
イエス。当たり前だ。
たとえマオがなんと言おうと、俺の妹であることに変わりはない。俺の代わりに妹が死ねば良かった、マオなんていなくなってしまえばいいんだなんて、そんなこと一ミリたりとも考えたことはなかった。
もしかしたら、この怪我のことを疎ましく思うことがあるかもしれない。火傷を目の当たりにして避ける人が出始めたら、挫けそうになるかもしれない。
でもそこで、マオを助けなければ良かった、なんて思うことは絶対にない。あの選択を間違いだと思っていないし、こうして助かったマオを見て心の底から安堵している自分がいるんだ。
悔いる未来は、きっと来ない。もしも過去をやり直せたとしても、またマオを助けに飛び出すはずだ。
だからマオはこれ以上、自分を責めなくてもいい。伝わるかわからないけど、そう気持ちを込めて頭を撫で続けた。
「あたた、かい…………ああ――――兄様が生きていてくれて、本当に、良かった……」
ちょうど朝日が顔をのぞかせる頃、泣きつかれたマオはベッドに突っ伏して、眠ってしまった。
マオの寝言を聞きながら、俺も再び眠りに落ちた。妹をベッドの上に寝かせてやれないのがなんとも情けなくもあったが、今は病み上がりということで許してほしい。
こうして、俺はわずか十年の歳月で転機を二つも迎えた。
前世を振り切り、妹を庇って一生ものの火傷を負った。
そして最後の転機――――――ある者たちに、目をつけられることになった。
父さんと母さんとマオ。この村で三人揃い、牧歌的に日常を送るという些細な夢は、こうして打ち砕かれるのだった。
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遅筆な作者のペースが上がる! ……かもしれません(汗




