第8話「突然ですが、女神さまに謝られた」
サラサラ、サラサラ、……と、何かが零れていく音が聞こえる。
何の音だろうかと思って目を開けようとすると、どういうわけか瞼が重い。
顔を何かが覆っている感覚があり、それが邪魔をしているんだろう。
取れば目を開けられるな、と寝起きの俺はぼんやりとそう考えた。
だが、どういうわけか体がピクリとも動かない。腕を持ち上げようとしても、上半身を起こそうとしても、微動だにしない。
顔と同じように体も何かに覆われて身動きが取れないんだろうか。
そう考えたが、顔と違って体の方は特に何かに触れている感触がなかった。
「まだ起きてはいけませんよ」
ふと、懐かしい声が聞こえてきた。
俺の人生の中で、最も大きな影響を与えてくれた人の声だ。
たとえどれだけ時間が経っても、忘れるはずがない。
「お久しぶりです、マイナ様」
転生の女神マイナ。おそらく本名じゃないんだろうが、そう呼んでくださいと言われたから、親愛と信仰の念を込めてそう呼んでいる。
「ええ、お久しぶりです。随分と無茶をされたようですね」
「…………無茶、ですか?」
「顔のそれも無茶の影響ですよ。絶対に取らないでください」
「取るなと言われても……これじゃ、何も見えないんですが」
それに、取ろうと思っても体が動かない。
一体俺は、どうなっているんだ?
「見えないのはある意味で仕方がないんですが……レオさん、ご自分に何が起きたか把握してますか?」
何が起きたか?
そう言われても…………いつも通りに朝起きて、父さんに付き合って鍛錬して、みんな揃って食事して、家事を手伝っていたはずだ。
……ああ、そういえば珍しくマオが外出したんだった。
何をするのか気になって声をかけたら――――
「――――――マオ!! マイナ様、マオは無事なんですか!?」
電流が走ったかのような勢いで、意識を失う直前の記憶がすべて蘇った。
マオが魔法を試したこと。
燃え盛る体毛を持つ獅子が現れたこと。
その獅子がマオを殺さんと爪を振り被り、俺が庇ったことを。
「お、おお、落ち着いてください! いきなり動こうとしちゃダメです! 今度こそ本当に助かりませんよ!?」
がしっと肩を掴まれ、押さえ込まれる。
声からしてマイナ様だろう、肩を掴む手は小さいのにすごい力だ。
「マオさんは無事です! 命に別状はありませんし怪我もしていないので安心してください」
「はぁっ…………そうか。よかった……」
心底、安堵したため息が出た。もしも体が動いていたなら、全力でベッドに倒れ伏すほど体から力が抜けた。
「というかですね、自分のことは気にならないんですか? 意識がはっきりして一番に確認するのが妹のことですか? シスコンですか? ドン引きです」
何やら辛辣なお言葉を頂いた。その顔は見えないが、氷のように冷たいジト目を向けていることだろう。
「いや、助けに入ったんだから普通はどうなったか気になるでしょう。普通です。シスコンじゃないです」
「本当にぃ?」
うわ、絶対信じてない。
「確かに私の方から転生者であるマオさんを気にかけてやってくださいとは言いましたが、貴方が身を挺してまで助ける必要はないんですよ?」
「いえ、それはあります」
きっぱりと言い切った。それがよほど驚きだったのか、マイナ様の息を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「前世がどうのって話は、正直に言ってしまえばもう関係ないんです」
「……関係ない、ですか」
「そもそもマオは前世のことを話しませんし、俺も調べる気はない。だから見ているのも、接しているのも、ありのままのマオだけなんです。五年間一緒に暮らしていて、一度だって俺は「マオは妹じゃない」って考えたことはありません」
「――――――」
「マオは俺の妹です。だったら、妹を守るのは兄の役目です。だから体を張るし、命も懸けますよ」
とはいえ、さすがに死ぬ気はない。遺されていく側の気持ちを、短い間とはいえずっと見続けたんだ。
あの悲痛な姿を知ったら、簡単に命を投げ出すことはできないし、死んでも守るなんて口が裂けても言えない。死なずに守るのが理想的だ。
「すみませんが説得力ないです。現在進行形で、すごい心配かけてるんですよ、貴方」
鋭い指摘を入れるマイナ様。そういえば、俺って結局どうなったんだ?
「詳しい説明は省きますが、貴方死にかけてるんですよ」
「オゥ…………」
「全身火傷。左半身に重度の裂傷。傷口が焼けたせいで出血は少なかったですが、左目は二度と見えないでしょう」
自分で具合を見ることはできないが、意識を失う前に見た獣の姿を思い出す。獅子が発する炎の、尋常ではない熱量を思い出す。
あんな炎の塊が爪を振り下ろしたんだ、無事ではいられないと思ったが……予想以上にダメージがでかい。
「今頃、現実では貴方の治療が行われています。今回はいつもの交信ではなく、臨死体験で紛れ込んできた感じですね」
「それって、ここにずっといたらまた転生するってことですか?」
「もし転生するなら、その時は綺麗さっぱり前世のことは忘れて、綺麗な魂で逝くことになりますね♪」
正しく輪廻転生するわけか。いかん、早く目を覚まさないと。
「ああ、まだダメです! 魂が抜けかかってるってことは、それだけ肉体が負ったダメージが大きいんです。今戻ったりしたら、怪我の負荷で今度こそ先に魂が死んでしまいますよ!」
むっ……そう言われると、戻るのが怖くなる。
まあ実際は、戻り方なんてわからないんだが。
いつもは朝が近づいて目を覚ますか、マイナ様から別れを切り出されるか、そのどちらかだからだ。
「さっきはああ言いましたが、交信中は普段から私がいる場所とは違います。あそこ、いつも真っ白でしょう? あれは神界の情報を見せないために作られたカーテンなんですよ」
「なるほど……神界だっていうわりに、何もないんで不思議に思ってました」
「別にお見せしても構いませんよ? 正気を失っても構わないんなら」
「なんで急にホラーな話になったんです?」
「それが嫌なら、顔の包帯は取らないでくださいね」
見えてはいないが、可愛らしく舌を出すマイナ様の姿を幻視した気がする。
「…………ごめんなさい」
不意に、マイナ様から頭を下げる気配を感じた。
「……さっきも言いましたけど、マオが転生者であっても」
「そうじゃありません。私はあの子の転生先を選ぶことができました。貴方の元に送り出さない、ということもできたのです。でも……私はそうしなかった」
「あの子が貴方のところに行けば、遠い未来で良い結果になる。私はそれを知っていました」
俺は「先のことなんて誰にもわからない」「だからマオを送ったことに責任を感じないでいい」、そう言いたかった。
でもマイナ様は、未来を知っているという。
それは転生の女神としての力なのか。それとも、マイナ様のもう一つの面が持つ能力なんだろうか。どちらにしても……。
「私が視たのは未来の一部だけ。そこに至るまでの道のりは見えず、貴方がこんな大怪我を負うことになるとは知りませんでした。知っていれば……」
「知っていたら、マオは俺の妹にはならなかった」
「マイナ様。俺はね、なんだかんだ言ってこれまでの五年間は嫌いじゃなかったんです」
「つっけんどんなマオを構いに行くのは苦じゃなかったし、あの手この手で会話を引き伸ばそうと考えるのは楽しかった。きっと、父さんと母さんもおなじはずです。もう、マオ以外の妹なんて考えられないんですよ」
もしもの話をしても意味がない。
起きてしまったことを変えられたかもしれない、なんて悔いても虚しいだけだ。
それも変えようとした結果、マオがいなくなるんだとしたら俺は絶対に頷かない。
あの子はもう、家族なんだ。俺が負った怪我のことで、恨んだりはしない。
わざとじゃないのは見ていればわかったし、強く止めなかった俺にだって非がある。
当然、マオの転生先をウチに指定したマイナ様だって、悪くない。
誰にもこうなるとわからなかったんなら、誰かを責められるはずがないじゃないか。
「だから、マイナ様が気にすることは何にもないんですよ。ただちょっと、辺鄙な村で大きな事故があった、それだけのことなんですから」
「レオさん――――」
ふと、頬に何かが触れた。
人肌程度に温かく、瑞々しく柔らかい感触。それは一秒ほど触れていると、じんわりと熱を全身に伝えていった。
俺の自惚れと勘違いでなければ、今のは唇だったような……。
「マ、イナ、様…………?」
「貴方のお人好しさ加減には怒るを通り過ぎて呆れてしまいます。このまま放っておいたら命がいくつあっても足りませんし、危険の方から諸手を挙げて突貫かけてくるでしょう。せっかく転生したのに天寿をまっとうできないとか虚しすぎるにも程があると思いませんか」
唐突なマシンガントーク。
顔が見えていれば、きっとテンパりながら真っ赤になるマイナ様が見られただろう。
「なので! 貴方に与えた加護を一段階進化させ、『ギフト』としましたっ」
パン! と柏手を打って空気を切り替えようとするマイナ様。
こうしてマイナ様と夢の中で話せるのは、その加護だったはずだ。それを『ギフト』にするとは、一体?
「私と交信できるのは確かに加護によるものですが、はっきり言ってそれだけでは『ギフト』とは呼べないのです。『ギフト』とは信仰者に与える特別な恩恵。交信とは、言ってしまえば神託の簡易版でしかありません。神託と『ギフト』は完全に別物でしょう?」
言われてみれば、その通りだと思う。
神託は信仰者が頑張っていれば、いつか授かれるかもしれないもの。内容は様々だと思うが、神託という行為そのものであることに変わりはなく、資格さえあれば誰でも等しく与えられると言い変えることができる。
『ギフト』はむしろその逆。信仰する神が持つ特性に類似した恩恵を授かれるが、必ずしも全員が同じ恩恵であるとは限らない。
人それぞれ個性や違いがあるように、その人に合った恩恵が『ギフト』として選ばれる。
「私も転生の女神として本格的な加護を与えるのは初めてなので、どのような『ギフト』になるかはわかりませんが、何もないよりはマシでしょう?」
確かにその通りではあるんだが、何を与えるのかも貰うのかもわからない贈り物って、どことなく不安を覚える。
「それと……現世に戻ったら、貴方を取り上げてくれた産婆を頼りなさい。あの人、実は結構すごい人なので、上手く取り入れられれば今後の役に立つと思いますよ」
「今後って……怪我の治療とかですか?」
「それだけじゃありません。さすがに神託でもないのに色々と教えすぎるのは神界のルールに反するので言えませんが、頑張らないとこれから大変ですよ?」
待って、なにそれ怖い!
俺が眠ってる間に、一体何が起きてるって言うんです!?
「ふっふっふ……内緒です」
茶目っ気満載に言ってるけど、姿が見えないからむしろ邪悪な笑み浮かべてるんじゃないかって疑ってしまう。
だがせっかくもらった助言なんだし、従っておいたほうが身のためだろう。
さすがにマオが呼び出した獅子みたいなものと、そうそう出くわすことはないだろうけど……陥った危険からマオを連れて逃げ出せるくらいには、体を鍛えたほうがよさそうだし。
それよりも先に、リハビリかな。話に聞いただけでもひどい重症だったし、元の生活が送れる程度に回復を目指さない、と――――――……。
「どうやら、目覚めの時間が来たようです。
頑張ってください。レオさん…………貴方の道は、これから始まるのですから」
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遅筆な作者のペースが上がる! ……かもしれません(汗




