↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『王位なんていりません! 追放された元王子は、最強の聖女(笑)?と苦労人賢者と気ままな旅を満喫します!!』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
90/99

第90話 潮凪村の共同家は、旅人にも居場所をくれました


 潮凪村の入口にある広場は、青波の共同馬車場と比べると、ずいぶんこぢんまりとしていた。


 石を敷き詰めた道の先に、低い木柵で囲まれた馬車置場があり、その隣には水桶を並べた小さな屋根付きの設備が見える。奥には二台ほどの荷車が停められていたが、いずれも荷を下ろしている最中らしく、村の人々が忙しそうに行き来していた。


 ルシルは案内板に従って馬車を広場の奥へ進め、通行の邪魔にならない場所でトルクとベルクを止めた。


「よし、到着。二頭ともお疲れさま」


 手綱を緩めて声を掛けると、トルクは鼻先を動かし、すぐ近くの水桶へ目を向けた。ベルクも静かに首を下げ、長い道を歩き終えたことを確かめるように息を吐いている。


「ここが馬車置場で間違いなさそうですね。ただ、利用の手続きが必要かもしれません」


 シモンは御者台から降り、木柵の入口に掲げられた小さな札を確認した。


『旅人用馬車置場。利用希望者は潮凪共同家へ申し出ること。馬の水は共同水場を使用可。餌は各自で用意』


「やはり共同家での受付が必要ですね。馬車はひとまずこちらへ寄せ、手続きが済んでから正式に停めましょう」


「了解。モモ、少し待っててくれる?」


「うん。でも、私も共同家に行きたい!」


 車内から顔を出したモモは、村のほうへ目を向けながら嬉しそうに答えた。


「もちろん、一緒に行こう。荷物は必要なものだけ持っていけばいいかな」


「そうですね。まずは宿泊できる場所があるか確認しましょう。馬車を預ける条件も聞いておきたいところです」


 三人は貴重品と必要な荷物をまとめ、トルクとベルクを落ち着かせてから、広場の脇にある建物へ向かった。


 潮凪共同家は、石造りの土台に木の壁を組み合わせた二階建ての建物だった。入口には小さな庇があり、その下に『潮凪共同家』と彫られた木札が掛けられている。


 青波の宿のような華やかな飾りはないが、壁には丁寧に補修された跡があり、窓枠もきれいに磨かれていた。人の手が行き届いていることが、建物の外からでも分かる。


「なんか、落ち着く感じの建物だね」


 モモが言った。


「うん。村の人が普段から使ってる場所なのかな」


 ルシルも頷く。


 入口の扉を開けると、中には木の長椅子と大きな卓が置かれていた。壁には漁の予定や共同作業の連絡らしい紙が何枚も貼られ、奥の棚には帳簿や木箱が並んでいる。


 その卓の向こうで、一人の女性が書類を整理していた。


 年齢は四十代半ばほどだろうか。肩のあたりで切りそろえた濃い茶色の髪を後ろでまとめ、薄い青色の上着を着ている。落ち着いた表情の女性だったが、三人が入ってくるとすぐに顔を上げた。


「こんにちは。旅の方ですか?」


「はい。今日、潮石の休み場から来ました」


 ルシルが答える。


「馬車を停めたいのと、今夜泊まれる場所があるか相談したくて」


 女性は笑顔で頷いた。


「それなら、こちらで大丈夫ですよ。私は共同家の世話役をしているミレナといいます」


「ルシルです。こちらがモモとシモンです」


 三人が挨拶すると、ミレナは順に頷いた。


「ようこそ、潮凪村へ。青波から南へ来られたんですね?」


「はい。昨日は潮石で一泊しました」


「それなら道は問題なかったようですね。今朝は風も穏やかでしたし、よかったです」


 ミレナは帳簿を開き、いくつか確認した。


「馬車は二頭立てですか?」


「はい。トルクとベルクという馬です」


「二頭ですね。旅人用の馬車置場は、今なら奥の区画が空いています。馬の水は共同水場を使えますが、餌は持っていますか?」


「十分にあります」


 シモンが答える。


「それなら問題ありません。馬車置場の利用料は一晩につき銅貨四枚です。二頭分の水場利用も含まれています」


 ルシルは頷いた。


「お願いします」


 ミレナは帳簿へ記入し、木札を一枚取り出した。


「こちらを馬車の見えるところへ掛けてください。利用者だと分かるようにしておくためです」


「ありがとうございます」


 ルシルは木札を受け取った。


 ミレナは続けて、宿泊について説明した。


「今夜の宿泊ですが、村には大きな宿屋がありません。旅人向けに部屋を貸している家が二軒あります。ただ、今日は漁の手伝いに来ている方が何人か泊まっていて、空きが少ないんです」


「そうなんですね」


 モモが少し心配そうに言う。


「三人で泊まれるでしょうか?」


 ミレナは帳簿を確認した。


「一軒はもう満室ですが、もう一軒なら二部屋空いています。男性二人で一部屋、女性一人で一部屋という形なら泊まれますよ」


 ルシルはシモンと顔を見合わせた。


「それなら、いつもどおりだな」


「ええ。問題ありません」


 モモも嬉しそうに頷いた。


「よかった!」


 ミレナは笑った。


「宿泊先は『浜灯りの家』というところです。共同家から海のほうへ少し歩いた場所にあります。女主人のエルサさんが部屋を貸してくれていますよ」


「ありがとうございます。そこへ行ってみます」


「先にこちらから連絡しておきましょう。部屋を確保しておきますね」


 ミレナはそう言って、棚から小さな木札を取り出した。


「こちらが宿泊の紹介札です。エルサさんへ渡してください。料金は宿で直接支払ってもらえれば大丈夫です」


 ルシルは札を受け取り、丁寧に頭を下げた。


「助かりました。本当にありがとうございます」


「いえいえ。旅の方が困らないようにするのも、共同家の役目ですから」


 ミレナは穏やかに笑った。


「それに、潮凪村は小さな村ですけど、海を見に来る旅人も少しはいるんですよ。青波ほど賑やかではありませんが、ゆっくりしていってくださいね」


 モモは嬉しそうに答えた。


「はい! 楽しみにしてます!」


     ◇


 共同家で手続きを終えた三人は、馬車置場へ戻った。


 ルシルは受け取った木札を馬車の見える場所へ掛け、指定された区画へゆっくり進ませた。石壁と木柵に囲まれた場所は風を避けやすく、トルクとベルクを休ませるにも悪くなさそうだった。


 シモンは馬具を外し、二頭の脚や蹄を改めて確認した。


「今日もよく歩いてくれましたね。二頭とも異常はありません」


「よかった。潮石からここまで、思ったより道が細かったもんな」


「ええ。ですが、ルシル様の操作も安定していました。待避場所でのすれ違いも問題ありませんでしたね」


 ルシルは少し照れたように笑った。


「シモンに褒められると、なんか嬉しいな」


「事実を申し上げただけですよ」


「それが嬉しいんだって」


 シモンは少しだけ目を細めた。


 モモはそのやり取りを聞きながら、トルクの首を撫でていた。


「トルクもベルクも頑張ったね。今日はゆっくり休んでね」


 トルクは餌桶へ顔を向け、ベルクは落ち着いた様子で水を飲んでいる。


 二頭の世話を終えると、三人は宿へ持っていく荷物をまとめた。


 青波で買った本や貝殻は馬車の棚へ残し、必要な衣類と貴重品だけを持っていく。


 モモは折り畳み机の近くに吊るされた青い風魚飾りを見上げた。


「この子、ここでも揺れてる」


 ルシルも顔を上げる。


 馬車の窓から入る風を受けて、青い布の魚が小さく尾を動かしていた。


「青波から一緒に来たんだもんな」


「うん。潮凪村でもよろしくね」


 モモはそう言って、風魚飾りへ小さく手を振った。


 ルシルは笑いながら荷物を持ち直した。


「じゃあ、宿へ行こうか」


「うん!」


 三人は馬車を後にし、村の中へ歩き出した。


     ◇


 潮凪村の道は、青波の中央坂ほど広くなかった。


 家々の間を通る道は石と土で固められ、ところどころに小さな排水溝が設けられている。海からの風が直接入り込まないよう、建物は低く造られており、屋根には重しの石が並んでいた。


 道端には魚網を干すための木枠があり、家の軒先には貝殻を使った小さな飾りが吊るされている。


 モモはその飾りを見つけると、足を止めた。


「見て、ルシル君!」


「ん?」


「あれ、貝殻だよね?」


 ルシルも見上げた。


 小さな貝殻が何枚も紐でつながれ、風に揺れている。


 貝殻同士が触れるたび、かすかな音がした。


「本当だ。青波は魚だったけど、こっちは貝殻なんだな」


「かわいいね」


 モモは嬉しそうに笑った。


 シモンも飾りを見上げた。


「海辺の村らしいですね。使われている貝殻も、南浜で見たものに似ています」


「同じ種類かな?」


「近い種類かもしれませんが、ここからでは分かりませんね」


 モモは頷き、もう一度飾りを見上げた。


 青波の風魚飾りは、風を受けて空を泳ぐように揺れていた。


 潮凪村の貝殻飾りは、風に揺れるたび小さな音を立てる。


 同じ海辺の村でも、飾り方が違う。


 ルシルはそのことが面白かった。


「こういうの、村ごとに違うんだな」


「そうですね。暮らしや使える材料によって、飾りも変わるのでしょう」


 シモンが答える。


 モモは嬉しそうに頷いた。


「旅帳面に書こうっと」


 その言葉を聞いて、ルシルは笑った。


 モモの旅帳面には、また新しい記録が増えるのだろう。


 潮凪村で見つけた貝殻の飾り。


 青波とは違う静かな道。


 そして、まだ会っていない村の人々。


 旅の思い出は、こうして少しずつ増えていく。


     ◇


 浜灯りの家は、村の海側に建つ小さな二階建ての家だった。


 白っぽい石壁と濃い茶色の木枠が組み合わされ、入口には小さな灯りの形をした木札が掛けられている。建物の前には低い花壇があり、潮風に強そうな草花が植えられていた。


 ルシルが扉を叩くと、中から女性の声がした。


「はい、今開けますよ」


 扉を開けたのは、五十代ほどの女性だった。


 明るい茶色の髪を後ろでまとめ、淡い色の前掛けを付けている。柔らかな表情の女性で、三人を見るとすぐに笑顔になった。


「あら、旅の方ね。ミレナさんから話は聞いてますよ」


「こんにちは。ルシルです。こちらがモモとシモンです」


「ようこそ、浜灯りの家へ。私はエルサです」


 三人が挨拶すると、エルサは嬉しそうに頷いた。


「さあ、どうぞ。荷物を置いて一息ついてくださいな」


 中へ入ると、小さな食堂と廊下があり、奥から温かい料理の匂いが漂ってきた。


 壁には海辺の風景を描いた絵が飾られ、窓辺には貝殻を入れた小さな器が置かれている。


 青波の網灯りの宿とは違うが、こちらも落ち着いた雰囲気だった。


「素敵な家ですね」


 モモが言う。


 エルサは嬉しそうに笑った。


「ありがとう。古い家だけど、少しずつ手を入れながら使ってるのよ」


 ルシルは周囲を見回した。


 床板には長年使われてきた跡があるが、きれいに磨かれている。窓からは海の光が差し込み、室内を明るく照らしていた。


「ここ、海が近いんですね」


「ええ。裏の小道を少し歩けば入り江が見えるわ。ただ、漁師たちの作業場もあるから、入っていい場所は確認してね」


「分かりました」


 ルシルが答える。


 エルサは二階へ案内しながら、宿泊について説明した。


「お部屋は二つ用意してあります。男性二人はこちら、女性の方はこちらね。どちらも小さいけれど、寝具はきれいにしてあるから安心して」


 ルシルとシモンの部屋には、寝台が二つと小さな机が置かれていた。


 窓からは村の屋根と、その向こうに少しだけ海が見える。


 モモの部屋も同じような造りで、窓辺には小さな花瓶が置かれていた。


「かわいい!」


 モモは嬉しそうに声を上げた。


 エルサは笑った。


「気に入ってもらえてよかったわ」


 ルシルは荷物を置き、改めて頭を下げた。


「今夜はお世話になります」


「こちらこそ。夕食は日が暮れる少し前から用意する予定よ。魚料理になるけど、大丈夫かしら?」


 モモの表情が一気に明るくなった。


「大好きです!」


 エルサは目を丸くし、それから楽しそうに笑った。


「それならよかった。今日は入り江で獲れた魚があるから、楽しみにしていてね」


 ルシルも笑った。


「ありがとうございます。楽しみにしてます」


 シモンも丁寧に頭を下げた。


「よろしくお願いいたします」


 エルサは頷き、階段を下りていった。


     ◇


 部屋へ荷物を置いたあと、三人は一階の食堂で少し休むことにした。


 エルサが温かい飲み物を用意してくれたため、窓辺の卓へ座り、潮凪村の景色を眺めながら一息つく。


 窓の外では、漁具を運ぶ人々がゆっくり歩いている。


 青波の市場のような賑やかさはないが、家々の間には穏やかな生活の音が流れていた。


「なんか、落ち着くね」


 モモが言った。


「うん。青波とはまた違うな」


 ルシルも頷いた。


「青波は朝から人がいっぱいだったけど、ここは静かだね」


「村の規模が違いますからね。ただ、漁の時間帯によっては、入り江の周辺が賑やかになるかもしれません」


 シモンが答える。


 モモは窓の外を眺めながら、少し考えた。


「ねえ、夕食まで時間あるよね?」


「あるな」


 ルシルが答える。


「ちょっと村を歩いてみたい」


 シモンは時計を確認した。


「そうですね。まだ時間はあります。ただし、初めての村ですから、まずはエルサさんに歩いてよい場所を聞いておきましょう」


「うん!」


 モモは嬉しそうに頷いた。


 ルシルも立ち上がり、食堂の奥へ声を掛けた。


「エルサさん、少し村を歩いてきてもいいですか?」


 厨房からエルサが顔を出した。


「もちろんよ。入り江のほうへ行くなら、共同家の前を通って海側の道へ進むといいわ。ただし、桟橋の先は漁師たちの仕事場だから、勝手に入らないようにね」


「分かりました」


「あと、海辺の石は濡れていると滑りやすいから気をつけて」


「はい!」


 モモが元気よく答える。


 エルサは笑った。


「夕食までには戻ってきてね」


「もちろんです」


 三人は宿を出た。


     ◇


 潮凪村の午後は、穏やかな潮風に包まれていた。


 家々の間を歩くと、あちこちから魚を干す匂いや、木を削る音が聞こえてくる。軒先には網や籠が掛けられ、庭先では小さな魚を干している家もあった。


 モモは興味深そうに周囲を見回していた。


「青波では市場に魚がいっぱい並んでたけど、ここは家の前で干してるんだね」


「家ごとに加工しているのかもしれませんね」


 シモンが答える。


「青波のような大きな市場へ運ぶものもあるでしょうし、自分たちで食べるために保存しているものもあるのでしょう」


 ルシルは頷いた。


 青波では、魚は店先に並ぶ商品として見ていた。


 けれどここでは、漁師たちの家の前で魚が干され、網が直され、籠が積まれている。


 魚が食卓へ届くまでの暮らしが、より近くに見える気がした。


 やがて三人は、入り江を見渡せる小さな広場へ出た。


 そこには低い石壁があり、その向こうに静かな海が広がっている。


 青波の港とは違い、大きな船はない。


 小さな舟が何艘も浮かび、岸辺では漁師たちが網を広げていた。


「わあ……」


 モモが小さく声を漏らした。


 ルシルも石壁の近くへ歩いた。


「ここ、いいな」


 入り江の海面は、外の海よりも穏やかだった。


 波が岸へ寄せる音も小さく、舟がゆっくり揺れている。


 遠くの海には白い波が見えるが、入り江の内側は静かだ。


「潮凪って名前、こういうところから来たのかな」


 モモが言った。


 シモンは少し考えた。


「そうかもしれません。ただ、由来は村の方に聞いてみないと分かりませんね」


「今度聞いてみよう」


 モモは頷いた。


 ルシルは入り江を眺めながら、青波の港を思い出した。


 青波には大きな市場があり、多くの荷車や人々が行き交っていた。


 ここには小さな舟と、静かな暮らしがある。


 どちらも海辺の集落だ。


 けれど、その表情はまったく違う。


(海の近くにも、いろんな暮らしがあるんだな)


 ルシルはそんなことを考えた。


 そのとき、近くで網を直していた老人が三人へ声を掛けてきた。


「旅の方かい?」


 ルシルは振り返った。


「はい。今日、潮石のほうから来ました」


「そうか。青波から南へ来たんだな」


 老人は笑った。


「潮凪は静かな村だろう?」


「はい。でも、すごくいいところですね」


 ルシルが答えると、老人は嬉しそうに頷いた。


「そう言ってもらえるとありがたいね。大きな港はないが、ここにはここなりの暮らしがあるからな」


 モモが興味深そうに尋ねた。


「この村の名前って、入り江が静かだから潮凪なんですか?」


 老人は少し考えた。


「そう言われてるな。昔からこの入り江は、外の海が荒れても比較的波が穏やかだったらしい。ただ、俺が生まれる前から潮凪って呼ばれてたから、本当の由来までは知らんよ」


「そうなんですね」


 モモは頷いた。


「教えてくれてありがとうございます!」


「いやいや。旅を楽しんでいきな」


 老人は笑い、再び網を直し始めた。


 三人は礼を言い、石壁のそばへ戻った。


 入り江には、午後の光が静かに差し込んでいる。


 舟がゆっくり揺れ、漁師たちの声が遠くから聞こえてきた。


 ルシルはその景色を眺めながら、穏やかな気持ちになっていた。


     ◇


 夕方が近づくと、三人は浜灯りの家へ戻った。


 食堂にはすでに温かな料理の匂いが漂っており、エルサが厨房で忙しそうに動いていた。


「お帰りなさい。村はどうだった?」


「すごくよかったです!」


 モモが答える。


「入り江が静かで、舟がいっぱいあって、貝殻の飾りもかわいかったです」


 エルサは嬉しそうに笑った。


「そう。気に入ってもらえてよかったわ」


 ルシルも頷いた。


「青波とは全然違う雰囲気ですね」


「そうでしょうね。青波は大きな港だから、人も物もたくさん集まるもの。ここは小さな村だけど、そのぶん顔を知っている人ばかりよ」


 エルサは料理の準備をしながら続けた。


「旅の方が来ると、村の人たちも少し嬉しいの。外の話を聞けるからね」


 ルシルはその言葉に頷いた。


 旅人が村の話を聞くだけではない。


 村の人々も、旅人から別の土地の話を聞く。


 それもまた、旅の中で生まれる交流なのだろう。


 やがて夕食が運ばれてきた。


 焼いた魚に香草を添えた料理。


 根菜と豆の温かい煮込み。


 そして、小さな貝を使った塩味の汁物。


 モモの目が輝いた。


「わあ……!」


 エルサは笑った。


「今日は入り江で獲れた魚を使ったのよ。青波の料理とは少し違うと思うけど、口に合うといいわ」


「絶対美味しいです!」


 モモが元気よく答える。


 ルシルは笑いながら席へ着いた。


 シモンも料理を見て、穏やかに頷いた。


「とても美味しそうですね。ありがとうございます」


「どういたしまして。ゆっくり食べてね」


 エルサはそう言って厨房へ戻った。


 三人は食事を始めた。


 魚は表面が香ばしく焼かれ、身は柔らかかった。


 香草の風味が強すぎず、魚そのものの味がよく分かる。


「……美味しい」


 ルシルが呟く。


 モモも嬉しそうに頷いた。


「青波の魚と違うね!」


「そうだな。こっちは少しあっさりしてる気がする」


 シモンも一口食べ、頷いた。


「調理法の違いもあるでしょうね。海辺の村ごとに、料理の特色があるのかもしれません」


 モモは目を輝かせた。


「じゃあ、これからもいろんな村で魚料理を食べられるね!」


 ルシルは笑った。


「モモの楽しみが増えたな」


「ルシル君も楽しみでしょ?」


「もちろん」


 シモンも穏やかに笑った。


「私も楽しみですよ」


 三人は顔を見合わせ、笑った。


 潮凪村での最初の夕食は、穏やかで温かな時間になった。


     ◇


 食事を終えたあと、ルシルは二階の部屋へ戻り、窓を開けた。


 夕方の海が、家々の向こうに少しだけ見えている。


 青波の宿から見た海とは違う。


 潮石の休み場で見た海とも違う。


 けれど、どこも同じ海につながっている。


 ルシルは窓辺へ肘を置き、しばらく景色を眺めた。


 王城を離れたとき、自分がこんなふうに旅をすることになるとは思っていなかった。


 行きたい場所へ行き、知らない人と出会い、初めての料理を食べる。


 そして、疲れたら休む。


 それだけのことが、今は何より楽しい。


(王位なんて、やっぱりいらないな)


 ルシルは小さく笑った。


 王城で過ごしていた頃には、自由な時間がこれほど大切なものだとは思わなかった。


 今は違う。


 自分の意思で道を選び、旅を続けられる。


 そのことが、何より嬉しかった。


 背後で扉が軽く叩かれた。


「ルシル様、少しよろしいですか?」


 シモンの声だった。


「どうぞ」


 扉が開き、シモンが入ってくる。


「明日の予定についてですが、今日は無理に決めず、朝の天候を見てから考えませんか?」


 ルシルは頷いた。


「いいと思う。潮凪村、もう少し見て回りたいし」


「私もそう考えていました。小さな村ですが、まだ見ていない場所もありますからね」


 ルシルは少し驚いた。


「シモンも?」


「ええ。せっかく来たのですから、急いで出発する必要はないでしょう」


 その言葉に、ルシルは嬉しくなった。


「じゃあ、明日はゆっくりしよう」


「はい」


 シモンは穏やかに頷いた。


 そのとき、廊下からモモの声がした。


「ルシル君、シモン君!」


 二人が振り返ると、モモが扉の前に立っていた。


「明日も潮凪村にいる?」


 ルシルは笑った。


「そのつもりだよ」


「やった!」


 モモは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、明日は貝殻の飾り、もうちょっと見たい!」


「いいな。俺も見たい」


 シモンも頷いた。


「では、明日は村の中をゆっくり歩きましょう」


 三人は顔を見合わせ、笑った。


 潮凪村での旅は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。