↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『王位なんていりません! 追放された元王子は、最強の聖女(笑)?と苦労人賢者と気ままな旅を満喫します!!』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
85/99

第85話 南浜で拾ったものは、貝殻だけではありません


 青波の集落を出てしばらくすると、街道の右手に広がる景色から建物が少しずつ減っていった。


 朝市の賑わいはすでに背後へ遠ざかり、代わりに聞こえてくるのは、車輪が乾いた道を踏む音と、草の間を吹き抜ける風の音だった。海は低い丘に隠れたり、丘の切れ目から突然姿を現したりして、そのたびにモモが車内の窓へ顔を寄せている。


「ルシル君、また見えたよ。今度はさっきより近い気がする」


「本当だ。あの辺り、海までほとんど草地しかないな」


 御者台から右手を眺めたルシルは、緩やかな斜面の向こうに広がる青い水面へ目を細めた。白砂浜で初めて波に触れたときの興奮はまだ残っているが、今は海が見えるたびに立ち止まりたいというより、次はどんな景色が現れるのかを確かめたくなる。


 隣に座るシモンは、膝の上へ広げた地図と道の先を交互に確認していた。


「南浜の分岐は、もう少し先ですね。案内所の方のお話では、石積みの小屋が目印になるそうです」


「海へ下りる道があるんだよな?」


「ええ。ただし、馬車を置く場所から先は徒歩です。浜へ直接乗り入れるようなことはしないでください」


「分かってるって。昨日の白砂浜だって、ちゃんと馬車を置いてから歩いたじゃないか」


「そうですね。今回は石の多い浜ですから、歩くときも足元へ気を配ってください」


 ルシルが頷くと、シモンは地図を畳んだ。


 トルクとベルクの足取りは安定している。青波の共同馬車場で十分に休んだおかげか、二頭とも軽快に歩いており、緩い上り坂でも速度が大きく落ちることはなかった。


 道端には内陸で見慣れた草花もあるが、海へ近づくにつれて、地面を這うように広がる葉の厚い植物が増えている。


 モモはそれにも興味を示していた。


「ねえ、シモン君。あの丸い葉っぱの草、昨日もあったよね」


「ありましたね。ただ、同じ種類かどうかは分かりません。海辺の植物については、私も詳しくありませんから」


「帰ったら本で調べられるかな?」


「今朝買った本には浜辺の生き物も載っていましたが、植物はあまり詳しくなさそうでしたね。以前買った草花の本も確認してみましょう」


「うん。名前が分かったら帳面にも書こう」


 モモは満足そうに窓から身を引いた。


 今朝、青波で購入した『青波沿岸の鳥と浜辺の生き物』は、すでに馬車の棚へ収めてある。青い風魚飾りも折り畳み机の近くで揺れており、車輪が小さな凹凸を越えるたび、薄い布の尾がゆっくりと動いていた。


 その魚飾りを見て、ルシルは少し笑った。


「なんかさ、あの魚、本当に旅してるみたいだな」


「風魚飾りのことですか?」


「うん。青波では風に揺れてたけど、今は馬車の揺れで泳いでる」


「海の魚なのに、馬車に乗ってるね」


 モモが楽しそうに言う。


「しかも馬車には木の馬と鳥もいる」


「そのうち動物だらけになりそうだな」


「棚の容量には限りがありますから、そこは覚えておいてください」


 シモンの現実的な一言に、二人は顔を見合わせて笑った。


 やがて道の右側に、低い石標が現れた。


 表面には『南浜』と彫られており、その下へ海側を指す矢印が刻まれている。


「見つけた!」


 ルシルが声を上げると、モモも窓から顔を出した。


「ここから下りるんだね」


「そのようです。道幅は十分ありますが、曲がった先の状態を確認しながら進みましょう」


 シモンの言葉に従い、ルシルはトルクとベルクの速度を落とした。


 分岐の先は緩やかな下り坂になっていた。道の両側には腰ほどの高さの草が茂り、その向こうにはところどころ白い石が露出している。


 海へ近づくにつれて潮の匂いが濃くなった。


 やがて草地が途切れ、前方に石積みの小屋が見えてくる。


 小屋の手前には平らに整えられた土地があり、馬車を数台停められるだけの広さがあった。木製の水桶と馬を繋ぐための横木も設けられているが、白砂浜のような旅人向けの休憩施設はない。


「ここだな」


 ルシルは馬車を空いている場所へ寄せた。


 先客の馬車は一台だけだった。


 少し離れたところでは、灰色の上着を着た男性が荷台から籠を降ろしている。足元には貝殻の入った木箱があり、どうやら浜で何かを集めてきたところらしい。


 ルシルたちが馬車を停めると、男性は顔を上げた。


「旅人さんかい?」


「はい。浜を見に来ました」


「だったらいい時間だな。今は波が低いし、歩ける場所も広い。ただ、昼を過ぎると風が上がるかもしれないから、海際へ荷物を置きっぱなしにしないほうがいい」


「ありがとうございます」


 シモンが礼を言う。


 男性は籠を荷台へ載せながら続けた。


「貝殻を拾うなら、砂のところより石の間を見たほうが面白いよ。ただし生きてる貝まで持っていかないようにな」


「分かりました!」


 モモが元気よく答えた。


 男性は笑い、荷物を積み終えると馬車を動かしていった。


 三人はトルクとベルクを横木へ繋ぎ、水を与えた。


 周囲には日差しを遮るものが少ないため、馬車は小屋の影が少し掛かる場所へ停めてある。長時間離れるつもりはないが、二頭の様子を見ながら戻れるよう、浜へ下りる前に必要な準備を整えた。


「お昼の包みも持っていこう」


 モモが宿で用意してもらった昼食を取り出す。


「鳥に取られないようにね」


 ルシルが言うと、モモは包みを胸へ寄せた。


「ちゃんと守るよ」


「宿の主人が言ってたの、覚えてるんだな」


「もちろん。シオハネは賢いんだから」


「鳥の賢さと、モモ嬢が包みを抱えることには、あまり関係がないように思いますが」


 シモンが苦笑する。


 モモは少しだけ頬を膨らませたものの、すぐに笑顔へ戻った。


 三人は昼食と水、貝殻を入れるための小さな布袋を持ち、浜へ続く細い道を歩き始めた。


     ◇


 南浜は、白砂浜とはまるで違う場所だった。


 緩やかな斜面を下りきったところで、ルシルは思わず足を止めた。


 目の前に広がっているのは、白い砂だけの浜ではない。


 灰色や茶色の小石が混じる砂地が海へ向かって続き、その途中には丸く削られた大きな石がいくつも転がっている。波打ち際には黒っぽい岩が点在し、潮が引いた場所には小さな水たまりが残されていた。


 波が寄せるたび、小石同士が触れ合って、さらさらとも、ころころとも聞こえる音を立てる。


「……音が違う」


 ルシルが呟く。


「うん。昨日の浜は砂が動く音だったけど、ここは石が鳴ってるみたい」


 モモも足元へ視線を落とした。


 白砂浜では波が砂をさらっていく感覚が印象的だった。


 けれど南浜では、波が引くときに小さな石まで転がり、その一つ一つが触れ合って独特の音を生み出している。


 シモンは二人の少し後ろから浜を見渡した。


「同じ海岸でも、地形や流れ着くものによってずいぶん違いますね。ここは足元が不安定ですから、走らずに歩きましょう」


「分かった」


「私も」


 三人は波打ち際から少し離れた場所を歩き始めた。


 足元には大小さまざまな貝殻が落ちている。


 白い二枚貝。


 薄茶色の巻き貝。


 表面に細かな筋が入ったもの。


 欠けたものも多いが、その中には形がきれいに残っているものもあった。


「ルシル君、これ見て!」


 モモがしゃがみ込み、小さな貝殻を指差した。


 それは薄い桃色を帯びた二枚貝の片側だった。


 内側には真珠のような淡い光沢があり、角度を変えると色が少しずつ変わって見える。


「きれいだな」


「ね。昨日拾ったのと全然違う」


 モモはそっと貝殻を持ち上げた。


 中に生き物が残っていないことを確認してから、布袋へ入れる。


「最初の一個」


「早いな。俺も探そう」


 ルシルは近くの石の間へ目を向けた。


 海水に洗われた小石はどれも丸みを帯びている。手のひらに収まるほどのものもあれば、両手で抱えなければ持てないほど大きなものもあった。


 その間に、白いものが少しだけ覗いている。


 ルシルはしゃがみ、周囲の石を動かさないよう注意しながら指先を伸ばした。


 取り出したのは、細長い巻き貝だった。


「おっ、これいいかも」


 殻の表面には薄い茶色の線が何本も走り、先端が少し尖っている。


 欠けた部分もなく、形はきれいに残っていた。


「見せて」


 モモが近づいてくる。


「わあ、長い」


「昨日のは丸かったけど、これは細いな」


「春雫のお店の人に見せたら喜ぶかな?」


「どうだろう。でも、海で拾ったものって分かりやすい気はする」


 ルシルは殻を手のひらで転がした。


 以前、春雫で貝殻の話をしたときには、海がどんな場所なのかさえ知らなかった。


 今はその海へ来て、自分の手で貝殻を拾っている。


 その違いを思うと、自然に口元が緩んだ。


「持って帰ろう」


「うん」


 シモンは少し離れたところで二人の様子を見守っていた。


 彼自身も貝殻を一つ拾い上げている。


 白い二枚貝の片側で、表面に細かな放射状の筋が入っていた。


「シモンも拾ったの?」


 ルシルが尋ねる。


「ええ。形が整っていましたので」


「シモン君も貝殻集めるんだ」


 モモが笑う。


「私が拾ってはいけませんか?」


「そんなこと言ってないよ。嬉しいだけ」


 シモンは少しだけ目を瞬かせた。


 それから手の中の貝殻を見下ろし、静かに笑った。


「では、これも持ち帰ることにしましょう」


 三人の布袋には、少しずつ海のものが増えていった。


     ◇


 浜を歩いているうちに、モモは岩の間へ残された小さな水たまりを見つけた。


 周囲を黒っぽい岩に囲まれ、海から少し離れた場所にある。


 水は澄んでおり、底の小石まで見えていた。


「ルシル君、こっちにも何かいる」


 呼ばれたルシルが近づくと、モモは水たまりの縁へしゃがんでいた。


 中には小さな生き物がいる。


 灰色の蟹が岩陰へ身を寄せ、その近くでは細長い魚のようなものが水底を素早く移動していた。


「魚?」


「たぶん。でも、すごく小さい」


 モモは指を水へ入れず、上から眺めている。


 ルシルも隣へしゃがんだ。


 小さな魚は二匹いた。


 片方が動くと、もう片方も少し遅れて動く。


 岩の影へ入ったかと思えば、しばらくして反対側から姿を現した。


「こんなところにも魚がいるんだな」


「波が来たときに入ったのかな?」


「そうかもしれませんね」


 後ろからシモンが答える。


「ただ、こうした水たまりで暮らす生き物もいると聞きます。種類によって違うでしょうから、詳しいことは本で確認しましょう」


 モモは嬉しそうに頷いた。


「今日買った本、持ってくればよかった」


「水辺へ持ち込むと濡れる可能性がありますから、馬車へ戻ってからで十分ですよ」


「それもそうだね」


 しばらく三人で水たまりを眺めていると、ルシルは岩の側面に小さな貝がいくつも付いていることへ気づいた。


 丸い殻を持つものや、細長く尖ったものがある。


 どれも岩へしっかり付着しており、波に流される様子はない。


「これも貝?」


 ルシルが尋ねる。


「そうでしょうね。ただし、生きているものはそのままにしておきましょう」


「うん。拾うのは落ちてる殻だけでいい」


 モモも頷く。


 三人は水たまりから少し離れ、再び浜を歩き始めた。


 今度は貝殻だけではなく、石の形にも目が向く。


 丸い石。


 平たい石。


 白い筋が一本だけ入った石。


 海水に磨かれた石は、山道で見てきたものとは触り心地が違う。


 ルシルは小さな平たい石を一つ拾い、手のひらへ載せた。


「これ、投げたら水の上を跳ねるかな」


「水切りですか?」


 シモンが尋ねる。


「うん。川でやったことはあるけど、海でもできるのかなって」


「波のある場所では難しいかもしれませんね。試すなら人のいない方向で、十分に距離を取ってください」


 ルシルは海を見た。


 近くの波打ち際には岩があり、その向こうでは波が絶えず動いている。


 水面は川の静かな場所ほど平らではない。


「……やめとこうかな」


「珍しいですね」


「何が?」


「試してみたいことを、試す前にやめるとは」


 シモンが少し意外そうに言う。


 ルシルは石を手のひらで転がした。


「だって、今は投げるより拾うほうが面白いし」


 そう言って、平たい石を元の場所へ戻した。


 シモンはその様子を見て、静かに頷いた。


「それもよい判断だと思います」


 ルシルは笑い、また貝殻を探し始めた。


 モモは少し先で、薄紫色の小さな殻を見つけていた。


     ◇


 昼が近づく頃、三人は浜の中央から少し離れた高い場所へ移動した。


 そこには大きな岩があり、海から吹く風を少し遮ってくれる。


 足元も比較的平らで、座るのにちょうどよかった。


「ここならお昼食べられそう」


 モモが周囲を確認する。


「波も届きませんし、問題ないでしょう。ただし、食べ物を地面へ直接置かないようにしてください」


 シモンは持ってきた布を広げた。


 ルシルが水を取り出し、モモは宿で包んでもらった昼食を開く。


 中には平たいパンと焼いた小魚、豆を香草で和えたものが入っていた。


 朝食と似た食材だが、浜で食べるとまた違って感じられる。


「いただきます」


 三人は海を眺めながら食べ始めた。


 風が吹くたび、潮の匂いが漂ってくる。


 遠くではシオハネが何羽も飛んでおり、ときどき鳴き声が聞こえた。


 モモは昼食の包みをしっかり手元へ置いている。


「鳥、来ないね」


「ここまで近づく理由がありませんからね」


 シモンが答える。


「でも、宿の人が気をつけろって」


「置きっぱなしにしないように、という話でした。今のようにきちんと管理していれば、必要以上に警戒することはありません」


「そっか」


 モモは安心したようにパンを食べた。


 ルシルは焼き魚を一口食べ、海へ目を向けた。


 昨日の白砂浜では、初めて波へ足を入れた。


 今日の南浜では、貝殻を拾い、岩の間に小さな生き物を見つけた。


 海そのものは同じでも、場所が変わるだけでできることが違う。


「海って、思ってたよりいろいろあるんだな」


 ルシルが言う。


 モモはパンを持ったまま頷いた。


「うん。昨日は海を見てるだけで楽しかったけど、今日は足元にもいっぱいある」


「本当にそうですね」


 シモンも海を眺めた。


「港では人々の暮らしがあり、白砂浜では波と砂があり、ここでは石や小さな生き物が見られます。海辺と一言で言っても、場所によってずいぶん違うものです」


「シモンも楽しんでる?」


 モモが尋ねる。


「もちろんです」


 シモンは自然に答えた。


 その返事があまりに迷いのないものだったため、モモは一瞬だけ目を丸くした。


 それから、嬉しそうに笑った。


「そっか。よかった」


 シモンは少し不思議そうな顔をしたが、何も尋ねなかった。


 ルシルは二人のやり取りを聞きながら、残りのパンを食べる。


 三人で同じ場所へ来ても、見ているものは少しずつ違う。


 それでも、あとから話せば互いの見つけたものを知ることができる。


 そういう時間が、今のルシルには心地よかった。


 昼食を終えると、三人はしばらく岩陰で休んだ。


 風は朝より少し強くなっている。


 波の高さが急に変わったわけではないが、海面には細かな白い筋が増え始めていた。


「そろそろ戻る?」


 モモが尋ねる。


「そうですね。午後は風が上がると聞いていますし、トルクとベルクも待っていますから」


「もうちょっとだけ、あっち見てもいい?」


 モモが指差したのは、浜の奥にある大きな岩の集まりだった。


 波打ち際から少し離れた場所で、岩の間に小さな砂地が見えている。


「足元が安全なら、そこまでにしましょう」


 シモンが答える。


 ルシルも頷いた。


「じゃあ最後にあそこを見て戻ろう」


 三人は荷物をまとめ、浜の奥へ向かった。


     ◇


 大きな岩の間は、思っていたより静かだった。


 海からの風が岩に遮られ、波の音も少し遠くなる。


 足元には細かな砂が溜まっており、その上に小さな貝殻がいくつも散らばっていた。


「ここ、いっぱいある」


 モモがしゃがみ込む。


 ルシルも隣へ近づいた。


 白い殻。


 薄い黄色の殻。


 淡い青みを帯びたもの。


 どれも小さいが、形のきれいなものが多い。


「風で集まったのかな」


「波で運ばれたものが、岩の間に残った可能性もありますね」


 シモンは周囲の地形を確認しながら答えた。


「ただし、ここも海の近くです。長居はしないようにしましょう」


「うん」


 モモは小さな殻を二つ拾った。


 ルシルも白い巻き貝を一つ見つける。


 そのときだった。


 モモが少し離れた砂の上へ目を向けた。


「……あれ?」


 ルシルが顔を上げる。


「どうした?」


「貝殻じゃないものがある」


 モモが指差した先には、砂へ半分埋まった小さなものがあった。


 灰色の石のようにも見えるが、表面の一部が不自然に滑らかだった。


 ルシルは近づき、しゃがんで確認する。


「石かな?」


「形が変じゃない?」


 モモも隣へ来る。


 シモンは二人の後ろから覗き込んだ。


「少し待ってください。無理に引き抜かず、周囲を確認しましょう」


 ルシルは手を止めた。


 シモンが砂の表面を軽く払うと、埋まっていたものの輪郭が少しずつ現れた。


 掌に収まるほどの大きさ。


 薄く平たい形。


 角は丸く削られている。


 材質は石に似ているが、普通の小石とは違い、片側に細い溝が二本入っていた。


「……何だろう」


 ルシルが呟く。


 シモンは慎重に表面を見た。


「加工されたものの可能性がありますね」


「道具?」


「断定はできません。波で削られた石に、偶然それらしい模様が残ることもありますから」


 モモは少し首を傾げた。


「でも、二本の溝がきれいに並んでる」


「ええ。そこは気になります」


 シモンは周囲の砂をもう少し払った。


 物は完全に埋まっていたわけではなく、軽く持ち上げると砂から離れた。


 表面には海水で磨かれたような滑らかさがあり、裏側には小さな欠けがある。


 ルシルはそれを見つめた。


 見覚えはない。


 何かの道具だと言われても、すぐには用途を思いつけなかった。


「拾っても大丈夫かな?」


 モモが尋ねる。


「危険な魔力反応は感じませんが、正体が分からない以上、扱いは慎重にしたほうがよいでしょう」


 シモンは少し考えた。


「青波へ戻ってから、宿の主人か、海辺の品に詳しい方へ見せてみましょう。単なる石ならそれで構いませんし、何かの道具なら持ち主がいる可能性もあります」


「そうだな」


 ルシルは頷いた。


 モモも納得したようだった。


「じゃあ、貝殻とは別にしておこう」


 シモンは持っていた布の端を使い、小さな物を包んだ。


 貝殻と混ざらないよう、別の袋へ入れる。


 その間、ルシルは周囲をもう一度見渡した。


 同じようなものは見当たらない。


 岩の間には小石と貝殻があるだけで、人が何かを置いたような跡もなかった。


 もちろん、波や風で消えた可能性もある。


「これ、海から流れてきたのかな」


 ルシルが言う。


「その可能性はありますが、ここへ来るまでの経緯は分かりません」


 シモンが答えた。


「青波の人なら分かるかもしれないね」


 モモは包みを見た。


 小さな物だった。


 特別な光を放つわけでもなく、魔力が溢れているわけでもない。


 ただ、貝殻を探していた三人の目に留まったというだけだ。


 それでもルシルは少し気になっていた。


 海辺では、こんなものまで流れ着くのだろうか。


 昨日まで知らなかったことが、今日もまた一つ増えた。


「よし。戻ろうか」


 ルシルが立ち上がる。


 モモも砂を払って立ち上がった。


「うん。トルクとベルクも待ってるしね」


 三人は岩の間を離れ、浜の入口へ向かって歩き始めた。


     ◇


 帰り道では、行きに気づかなかったものがいくつも目へ入った。


 岩の陰に残る細かな貝殻。


 小石の間を走る小さな蟹。


 風に揺れる浜辺の草。


 そして、波が引くたびに石が転がる音。


 ルシルは歩きながら、時折足元へ目を向けた。


「昨日の白砂浜もよかったけど、こっちも面白かったな」


「うん。貝殻もいっぱい拾えた」


 モモは布袋を軽く持ち上げた。


 中では小さな貝殻が触れ合い、かすかな音を立てる。


「春雫に持って帰る分、どれにしよう」


「あとで広げて選ぼう。割れてないかも確認したいし」


「そうだね」


 シモンは二人の少し後ろを歩きながら、別の袋へ入れた小さな物を気にしていた。


 手触りは石に近い。


 重さも特別なものではない。


 魔力反応もほとんど感じられない。


 それでも、平行に並ぶ二本の溝は自然にできたものとしては少し整いすぎているように思えた。


(海辺で使われる何かの部品でしょうか。それとも、まったく別の場所から流れ着いたものなのか……)


 今の段階で答えを出す理由はない。


 青波へ戻れば、海の仕事に詳しい人間がいる。


 まずはそこで尋ねてみればよい。


 シモンは袋を確かめ、二人のあとへ続いた。


 浜の入口へ戻る頃には、風が朝より明らかに強くなっていた。


 波打ち際では白い泡が少し増え、海鳥たちも風を受けながら低く飛んでいる。


 モモは振り返り、南浜をもう一度眺めた。


「また来たいな」


「来られるよ。青波から近いし」


 ルシルが答える。


「でも、次は違う浜も見てみたい」


「それもいいね」


 モモは笑った。


 海辺には、まだ知らない場所がたくさんある。


 南浜だけでもこれほど違うのだから、さらに南へ進めば、また別の景色が待っているのかもしれない。


 三人は小道を上り、馬車を停めた場所へ戻った。


 トルクとベルクは落ち着いて待っていた。


 水を与え、脚の状態を確認する。


 特に問題はない。


 ルシルはトルクの首を撫でた。


「待たせたな。青波へ戻ろう」


 トルクが小さく鼻を鳴らす。


 ベルクもシモンの手へ顔を寄せた。


 馬車へ荷物を積み、貝殻の袋は衝撃を受けにくい場所へ置く。


 シモンは拾った小さな物を別に保管した。


「これ、宿で聞いてみるんだよね」


 モモが尋ねる。


「ええ。主人が分からなければ、どこで尋ねるのがよいか教えてもらいましょう」


「何だったら面白いかな」


 ルシルが言う。


「面白いものとは限りませんよ」


「それは分かってるけどさ」


 ルシルは笑った。


「ただの石でも、海で拾ったってだけでちょっと面白いだろ?」


 シモンはその言葉に小さく頷いた。


「それは、そうかもしれませんね」


 準備を終え、ルシルは御者台へ上がった。


 シモンが隣へ座り、モモは車内へ入る。


 トルクとベルクが歩き始めると、馬車は南浜の小道をゆっくり上っていった。


 背後では波が石を転がし、さらさらとした音を立て続けている。


 青波へ戻る道は、来たときと同じだった。


 けれど馬車の中には、新しい貝殻が増えている。


 そして、その貝殻とは別に、正体の分からない小さな物が一つあった。


 ルシルは前方の街道を見ながら、少しだけ口元を緩めた。


 海へ来てから、まだ二日しか経っていない。


 それなのに、知らなかったことも、見たことのないものも、すでに数えきれないほど増えている。


 次は何が見つかるのだろう。


 そんなことを考えながら、ルシルは手綱を整えた。


 青波の集落へ戻ったら、まずは拾ったものについて聞いてみよう。


 その答えがどんなものでも、今日の南浜が楽しかったことに変わりはない。


 馬車は海風を受けながら、ゆっくりと北へ進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。