第64話 赤い丘を越えたら、道端で野菜を売っていました
風抜け台の朝は、名前に反して穏やかだった。
昨夜は小屋の屋根を絶えず撫でていた風が、夜明け前にはかなり弱まったらしい。ルシルが外へ出たときには、赤い地面に生えた短い草が、ときおり思い出したように揺れる程度になっていた。
空には薄い雲がいくつか浮かんでいる。
東から差す朝日は雲の隙間を通り、昨日見渡した赤い大地へ細長い光を落としていた。
「今日は静かだな」
ルシルは小屋の前で立ち止まり、昨夜とは違う景色を眺めた。
高い場所にある休み場なので、朝でも遠くまで見える。
低い岩丘。
赤褐色の地面。
細い緑。
その中を、西南へ向かう街道が長く伸びている。
海は見えない。
昨日と同じだった。
「探してます?」
背後から声がした。
振り返ると、モモが白い外套を羽織りながらこちらへ歩いてきていた。桃金色の長い髪が朝日に照らされ、毛先だけが淡く輝いている。
「何を?」
「海です」
「……ちょっとだけ」
「やっぱり」
モモはルシルの隣へ並び、同じ方向を眺めた。
「私も探しました」
「見えた?」
「見えてたら、もっと騒いでます」
「だよな」
二人で遠くを見る。
しばらくして、モモが小さく笑った。
「昨日、帳面に『海はまだ見えない』って書いたばっかりなのに」
「今日も書く?」
「朝から同じことは書きません」
「よかった。毎日一行ずつ増えるのかと思った」
「本当に何日も続いたら面白いかもしれませんけど」
「それ、海に着いたとき帳面の半分が『まだ』にならない?」
「そこまで遠かったら困ります」
会話をしながらも、二人の視線は遠い街道へ向いたままだった。
海を急いでいるわけではない。
いつまでに着かなければならないという約束もない。
それでも目的地があるというのは、道を見る楽しみを一つ増やしてくれる。
「お二人とも、朝から何をしているんですか?」
今度はシモンが現れた。
紺色の外套を着込み、眼鏡の位置を直しながら歩いてくる。
「海探し」
ルシルが答える。
「まだ見えませんよ」
「即答だな」
「地図上の距離を考えれば当然でしょう」
「夢がないです、シモン君」
「見えないものを見えるとは言えません」
モモは頬を少し膨らませたが、すぐに笑った。
「じゃあ、いつ頃見えると思います?」
「今後どの道を選び、どこへ立ち寄るかによります。地形もありますから、海岸へ近づいたからといって必ず遠くから海面が見えるとは限りません」
「すごく正しい答えが返ってきた」
「聞いたのはモモ嬢でしょう」
「そうですけど」
ルシルは二人の会話を聞きながら、もう一度だけ西南を見る。
見えない。
なら、今日もそこへ向かって進むだけだ。
「馬、見ようか」
「はい」
三人は並んで馬繋ぎへ向かった。
◇
トルクとベルクは、今日も問題なかった。
風が弱かったこともあり、二頭とも落ち着いている。
昨夜はほかの馬から十分に距離を取っていたため、ベルクもよく休めたらしい。シモンが脚を確認している間も嫌がる様子はなく、鼻先を彼の肩へ軽く寄せていた。
「大丈夫ですね」
シモンが右後脚から手を離す。
「ベルク君、今日もよろしくお願いします」
モモが声をかける。
ベルクは耳を動かした。
一方のトルクは、すでに朝食の入った飼葉袋へ意識を向けている。
「トルクは今日も元気だな」
「食欲だけで判断しないでください」
「でも食べないより安心だろ?」
「それはそうですが」
ルシルも教わった通りに脚や蹄、体表を確認していく。
目立った傷はない。
昨日の長い移動による異常もなさそうだった。
馬の確認を終えたあと、自分たちも朝食を取る。
硬めのパン。
保存肉。
少量の煎り土房豆。
温かい湯。
昨日と似た内容である。
ルシルはパンを食べながら、しばらく無言だった。
モモも同じだった。
やがて二人の視線が合う。
「……野菜」
「野菜ですね」
シモンが眉をわずかに寄せた。
「朝から何ですか」
「いや、昨日も野菜が欲しいって話しただろ」
「しましたね」
「朝飯見たら、改めて欲しくなった」
「私もです」
モモが保存肉を一口食べる。
「美味しいですけど、そろそろ違うものも食べたいです」
「備蓄自体には余裕があります」
「それは分かってるんだけどさ」
ルシルはパンを見る。
まずいわけではない。
むしろ旅の途中で食べるものとしては十分だ。
しかし、町や村で新鮮な食材を買って料理する楽しさを、三人はもう知っている。
「次に売ってたら買おう」
「はい」
「状態と量を見てからですよ」
「シモン君、それ昨日も言ってました」
「お二人が『売っていたら買う』としか言わないからです」
「買いすぎないって」
「モモ嬢が市場に入ると、その言葉の信用度は下がります」
「野菜ですよ?」
「甘いものだけの話ではありません」
モモが少し不満そうな顔をする。
「ちゃんと必要なものを選べます」
「それなら問題ありません」
「絶対、見張るつもりですよね?」
「管理するだけです」
「同じです」
そんな話をしながら朝食を終える。
出発準備を整えた頃には、休み場に泊まっていたほかの旅人たちも次々と動き始めていた。
昨夜見かけた荷馬車が先に西南へ出ていく。
小型の旅用馬車は反対方向へ向かうらしい。
御者台に座った年配の男性が、三人へ片手を上げた。
ルシルも手を上げて返す。
互いの名前も知らない。
行き先も詳しくは知らない。
それでも、一晩同じ場所を使った旅人同士として挨拶を交わす。
それだけで十分だった。
◇
今日の最初の御者はルシルだった。
風が弱く、道も見通しがいい。
トルクとベルクが歩き出すと、馬車は風抜け台から緩やかな下りへ入った。
「昨日は上るの長かったけど、今日は下りからか」
「速度を出しすぎないでください」
隣のシモンがすぐに注意する。
「分かってる」
ルシルは手綱だけでなく、車輪の感触にも意識を向ける。
馬車が重いぶん、下りでは勢いがつきやすい。
急坂ではないものの、二頭へ負担をかけないよう慎重に進む。
少し前までなら、こういう道ではシモンに任せていた。
今も難しい道なら迷わず交代するつもりだ。
けれど、この程度の緩やかな下りなら、自分で判断しながら進める。
「どう?」
ルシルが尋ねる。
「問題ありません。今の速度で」
「よし」
後ろからモモが顔を出す。
「私のときより厳しくないですか?」
「同じですよ」
「昨日、私にはもっと細かく言ってました」
「風がありましたから」
「なるほど」
納得すると、モモは車内へ戻った。
ルシルは少し笑う。
「モモ、御者やるの好きになったよな」
「最初から嫌いではなかったでしょう」
「そうだけど、前より自分からやるって言うようになった」
「お二人とも慣れてきましたからね」
「シモンは楽になった?」
何気なく聞いた。
シモンは少しだけ考える。
「そうですね。運転を任せられる時間が増えたという意味では」
「それだけ?」
「何を期待しているんです?」
「いや、もっと『成長しましたね』みたいなの」
「言ってほしいんですか?」
「そう言われると別に」
「では言いません」
「なんか悔しいな」
ルシルが笑う。
会話をしながらも、視線は前へ向けたままだ。
新道は緩やかに下っている。
赤い地面はまだ続いているが、昨日より草が増えていた。
低い岩丘の間隔も広くなっている。
そして一刻ほど進んだ頃。
景色の中に、昨日まであまり見なかったものが現れた。
「畑?」
ルシルが速度を少し落とす。
街道の右側。
遠くに規則正しく並ぶ緑が見える。
「そう見えますね」
シモンも目を凝らす。
「人もいる」
小さな人影が数人。
畑らしき場所で作業している。
さらに先へ進むと、左側にも木の柵が現れた。
その向こうには数頭の家畜らしき影。
「生活してる場所に入ってきたな」
「集落が近いかもしれません」
モモも窓から外を見る。
「野菜ありますかね」
「最初にそれ?」
「朝から話してたじゃないですか」
「そうだけど」
シモンが小さく息を吐く。
「畑があるからといって、街道で売っているとは限りませんよ」
「分かってます」
その言葉から、まだ半刻も経たなかった。
街道の先に、小さな屋根が見えた。
最初は休憩所かと思った。
しかし近づくにつれて、その前に木箱が並んでいることが分かる。
さらに、その横には手書きの板。
『朝採れ 根菜・葉菜』
ルシルが無言になる。
モモも無言だった。
二人の視線が、ゆっくりシモンへ向く。
「……何です?」
「売ってる」
ルシルが言う。
「売ってますね」
モモも続く。
「見れば分かります」
「止まっていい?」
「まず安全に寄せられる場所を確認してください」
「つまり止まっていい?」
「購入するかは品物を見てからです」
「やった」
「まだ買うとは言っていません」
シモンが言い終わる前に、モモが小さく拍手した。
◇
街道脇の売り場は、店というほど大きくなかった。
木柱四本に屋根を載せただけの簡素な造りで、その下に野菜の入った箱が並んでいる。
隣には小さな農家らしい建物があり、その裏手に畑が広がっていた。
馬車を停められるよう、街道から少し入った場所が平らに整えられている。
すでに一台の荷車が停まっていた。
ルシルは十分な距離を取り、馬車を寄せる。
「ここなら邪魔にならない?」
「大丈夫でしょう」
シモンが周囲を確認する。
三人が降りると、屋根の下にいた女性が顔を上げた。
五十代ほどだろうか。
日に焼けた肌に、灰茶色の髪を後ろでまとめている。
「いらっしゃい。旅の人?」
「はい。西南へ向かっています」
ルシルが答える。
「なら、持つものがいいかね」
女性は並べた野菜を手で示す。
「今日食べるなら葉菜もいいけど、旅ならこっちのほうがいいよ」
箱の中には、拳より少し小さい丸い根菜が入っていた。
薄い黄土色の皮。
形は少し歪んでいる。
「これは?」
モモが尋ねる。
「土鈴根。煮ても焼いてもいい。生じゃ硬いからやめときな」
「どれくらい持ちます?」
シモンが聞く。
「傷がなければ、この時期なら何日かは平気だよ。涼しくしておけばもっと持つ」
シモンが一つ手に取る。
表面を見る。
柔らかくなっている場所はない。
傷も少ない。
「悪くありませんね」
その言葉を聞いた瞬間、ルシルとモモが同時に箱へ視線を向けた。
「何個?」
「まだ決めていません」
「三個?」
「二個で十分でしょう」
「三人なのに?」
「一個を一人で食べる大きさではありませんよ」
女性が笑った。
「兄ちゃん、しっかりしてるねえ」
「放っておくと増えるので」
「増やしてませんよ」
モモが抗議する。
「まだ買ってないからな」
ルシルも一応モモ側につく。
「ルシル様も同じ側でしょう」
「俺も?」
「あなたもです」
女性はさらに笑う。
「仲いいねえ」
三人が一瞬黙った。
ルシルが先に肩をすくめる。
「まあ、一緒に旅してるんで」
「それが一番だよ。旅は飯と相手が悪いと長く続かないからね」
「飯と相手」
モモが繰り返す。
「覚えておきます」
「帳面には書かなくていいからな?」
「まだ出してませんよ」
女性は土鈴根のほかにも、細長い緑色の野菜を見せた。
「こっちは細葉菜。今日か明日食べるならいいよ。火を通せばすぐ柔らかくなる」
「美味しいですか?」
「うちで作ってるんだから、美味しいって言うに決まってるだろ」
「確かに」
モモが笑う。
「味は?」
「少し苦みがある。肉と炒めるといい」
ルシルがシモンを見る。
「どう?」
「量を抑えるなら両方買ってもいいでしょう」
「おお」
「ただし土鈴根二個、細葉菜一束です」
「決まるの早いな」
「必要量を考えれば十分です」
結局、その通り購入した。
土鈴根二個。
細葉菜一束。
大した金額ではない。
女性は代金を受け取りながら、三人の馬車を見る。
「この先へ行くなら、昼過ぎには赤土がだいぶ薄くなるよ」
「赤い土地、終わるんですか?」
ルシルが尋ねる。
「完全になくなるわけじゃないけどね。ここから先は畑が増えるから、土も少し変わる。あと二刻くらい行けば、小さいけど村があるよ」
「泊まれますか?」
シモンが聞く。
「旅人向けの宿は一軒。馬小屋もある。ただ、今日はまだ朝だろ? そこまでなら昼前後には着いちまうよ」
「その先は?」
「さらに西南へ行くなら、夕方までに石風車の休み場まで行ける。村で道を聞けば詳しく教えてくれるよ」
シモンは頷く。
「ありがとうございます」
「いいって。うちの野菜、ちゃんと食べておくれ」
「はい!」
モモが元気よく返事をした。
◇
馬車へ戻る前に、モモは畑を少し眺めていた。
もちろん中へ入ることはしない。
街道側から見える範囲だけ。
土鈴根らしい葉が規則正しく並び、その間で二人の農夫が作業している。
先ほどの女性が戻っていくと、そのうちの一人が声をかけた。
「母さん、旅人?」
「ああ。三人で西南だってさ」
「野菜売れた?」
「土鈴根と細葉菜」
「なら今日の晩飯はうちと似たようなもんになるかもな」
その会話が聞こえ、モモが少し笑った。
「何?」
ルシルが尋ねる。
「今日の夕食、ここの人たちと似るかもしれないです」
「じゃあ地元の飯っぽくなる?」
「料理次第でしょう」
シモンが荷物を収納しながら答える。
「肉と細葉菜を炒めて、土鈴根を焼く?」
「いきなり両方使わなくてもいいでしょう」
「じゃあどっちか」
「夕食の場所と時間が決まってから考えます」
「はいはい」
ルシルは御者台へ戻る。
出発するとき、売り場の女性が屋根の下から手を振った。
「気をつけて!」
「ありがとうございました!」
モモが大きく手を振り返す。
馬車が離れていく。
後ろでは、次の荷車が街道脇の売り場へ入っていった。
あの場所は旅人のためだけにあるわけではない。
農家が作ったものを、通りかかった者へ売る。
ただそれだけの小さな場所。
けれど三人にとっては、朝から話していた野菜を買えた場所として、しばらく覚えていることになりそうだった。
◇
「帳面に書く?」
馬車が安定して走り始めてから、ルシルが尋ねた。
「書きます」
モモはすでに開いていた。
「やっぱり」
「土鈴根と細葉菜。あと、赤土がこの先少しずつ薄くなるって」
「店のおばさんの言葉は?」
「旅は飯と相手が悪いと長く続かない?」
「それ」
モモは少し迷った。
「書こうかな」
「書くんだ」
「面白かったので」
さらさらと文字を記す。
シモンは隣で地図を確認していた。
「村の名前は聞きませんでしたね」
「あ」
ルシルとモモが同時に声を出した。
「シモン、聞いてなかった?」
「私も失念しました」
「珍しい」
「必要なら到着前の標識で分かるでしょう。分からなければ、そのとき聞けばいいだけです」
「そっか」
ルシルは気にしなかった。
名前を知らなくても、道は続いている。
やがて街道の左右に畑が増え始めた。
赤い土も、女性が言っていた通り少しずつ変わっていく。
赤褐色一色だった地面に、茶色が混じる。
草も高くなった。
低い岩丘は遠ざかり、代わりに木立や柵が目立つ。
昨日までの景色が終わりつつある。
それを少し寂しいと思うより先に、ルシルの目は新しいものを探していた。
「あれ、風車?」
遠くに羽根のような形が見える。
「小型ですね」
シモンも見る。
「畑で水を上げるためのものかもしれません」
「石風車の休み場って言ってたよな」
「それとは別でしょう。ここから見えるものは木造に見えます」
「風車いっぱいある地域なのかな」
「まだ一つしか見ていませんよ」
「これから増えるかもしれないだろ」
モモが窓から顔を出す。
「私は三つ見えます」
「え?」
「ほら、右奥にも」
よく見ると、確かにある。
小さな羽根がゆっくり回っている。
「本当だ」
「畑と関係している可能性は高そうですね」
シモンが言う。
風は強くない。
それでも羽根は一定の速さで回っていた。
何をしているのかは、まだ分からない。
わざわざ畑へ入って聞く必要もない。
三人は馬車の上から眺めながら進んだ。
◇
昼が近づく頃。
前方に家々の屋根が見えてきた。
十数軒。
いや、近づくにつれて、その奥にも建物があることが分かる。
小さな村だ。
街道の手前には木製の標識が立っていた。
ルシルが速度を落とす。
「名前あるぞ」
大きく刻まれた文字を読む。
「フェルナ村」
「これで分かりましたね」
モモが帳面へ書き加える。
「フェルナ?」
ルシルが少し考える。
「何か似た名前、前になかった?」
「フェルナハです」
シモンがすぐに答えた。
「ああ、それだ」
「別の場所です。こちらはフェルナ村。以前立ち寄ったのはフェルナハですから、混同しないようにしてください」
「一文字違い?」
「音は近いですが、別名です」
モモも帳面へはっきり書き分ける。
「フェルナ村。フェルナハとは別」
「そこまで書く?」
「後で私が間違えそうなので」
「それなら必要だな」
村の入口へ近づく。
畑が広がり、その間を細い水路が走っている。
家の屋根は赤茶色と灰色が混じり、ところどころに小型の風車が立っていた。
街道沿いには荷車が二台。
村人らしい男女が荷物を積んでいる。
子供たちが道の端で遊んでいたが、馬車が近づくと大人に呼ばれて脇へ寄った。
「馬車だ!」
一人の少年が声を上げる。
「道から離れなさい!」
近くの女性がすぐに注意する。
少年は素直に下がったものの、三人の馬車を興味深そうに見ている。
ルシルは十分に速度を落とした。
子供たちの横を通る。
少年が馬車ではなく、トルクとベルクを見ていた。
「でっかい!」
「トルクのことかな」
「二頭ともでしょう」
モモが笑う。
ベルクは子供の声へ耳を動かしたが、歩調は乱れない。
村へ入ると、土の色はさらに茶色へ近づいた。
赤みは残っている。
けれど昨日の風抜け台とは明らかに違う。
赤い大地の旅が終わったわけではない。
ただ、景色の主役が少しずつ変わっていた。
「どうする?」
ルシルが尋ねる。
「昼食と情報収集でしょう」
シモンが周囲を見る。
「まだ昼前です。このまま宿へ入る必要はありません。馬を休ませられる場所を探し、昼食を取ってから先の道を確認しましょう」
「石風車の休み場まで行く?」
「道と二頭の状態次第です」
「了解」
モモが村の中心らしい方向を見る。
小さな広場がある。
井戸。
共同の馬繋ぎ。
その向かいには、木の看板を掲げた建物が一軒。
食事処らしい。
入口から、焼いた肉と何か青い葉の匂いが漂ってきた。
モモの顔がそちらへ向く。
ルシルも同時に向いた。
シモンだけが、二人より一呼吸遅れて看板を見た。
「……昼食は、あそこでよろしいですか?」
「いいの?」
「まだ何も言ってませんよ?」
「顔に出ています」
今度はシモンが二人の顔を読んだ。
ルシルとモモは顔を見合わせる。
「じゃあ、ここにしよう」
「賛成です」
馬車を共同の馬繋ぎへ寄せる。
まずはトルクとベルクを休ませる。
それから昼食。
そのあと、村でこの先の道を聞く。
海へ続く西南の道は、まだ先へ伸びている。
けれど今は、食事処から流れてくる香ばしい匂いのほうがずっと近かった。
「細葉菜、買ったばっかりだけどな」
馬車を止めながらルシルが言う。
「食事処の葉っぱは別です」
モモが真顔で答える。
「何が別なの?」
「作ってもらった料理と、自分たちで作る夕食は別です」
「なるほど」
「納得しないでください」
シモンの声に、二人の笑い声が重なる。
赤い丘を越えた先で辿り着いたフェルナ村。
三人はまだ、この村の名と、畑と、小さな風車しか知らない。
どんな料理があるのか。
石風車の休み場までの道はどうなっているのか。
その先で赤い土がどこまで続くのか。
知るのは、これからだった。




