第160話「乾いた風の向こうに見えた屋根と、帰り道で交わした新しい約束」
夜明けの少し前、ルシルは馬車の外から聞こえてきた低い物音に目を覚ました。誰かが歩いているような音ではなく、硬いものが地面を軽く叩き、そのあとに草を擦る音が続いている。薄暗い荷台の中でしばらく耳を澄ませていると、今度は聞き慣れた馬の鼻息が聞こえ、ルシルはようやく身体の力を抜いた。
昨夜の野営地は、街道から少し離れた平らな草地にあった。近くには背の低い木々が集まり、風を避けられる場所もあるため、三人はそこで夜を過ごすことにしたのだ。見張りの間にも大きな異変はなく、空が白み始める頃には、草原の向こうから鳥の鳴き声が聞こえてきていた。
ルシルが外へ出ると、濃灰色のベルクが地面へ鼻先を近づけていた。どうやら落ちている草を探していたらしく、蹄を一度動かしたあと、何事もなかったように首を伸ばしている。その隣では栗毛のトルクが耳を動かしながら立っており、ルシルの姿を見つけると、早速こちらへ顔を向けてきた。
「おはよう、トルク。ベルクも、今日は早起きだね」
声をかけると、トルクは鼻先をルシルの肩へ寄せてきた。いつものように何か食べられるものを期待しているのかもしれないが、ルシルが手を広げて何も持っていないことを見せると、少し残念そうに鼻を鳴らす。その様子があまりにも分かりやすく、ルシルは思わず笑ってしまった。
「朝ご飯はもう少し待ってね。先にベルクの様子を見たいんだ」
トルクの首筋を撫でてからベルクへ近づくと、濃灰色の馬はゆっくりと顔を上げた。昨日も短い距離を進むことができたが、右後ろ脚の動きにはまだ慎重さが残っている。休息を取ったことで少しずつ落ち着いているように見えるものの、完全に回復したと考えるには早かった。
ルシルがベルクの額へ手を伸ばしたところで、背後からシモンの声が聞こえた。
「おはようございます、ルシル様。今朝も早いですね」
「おはよう、シモン。ベルクが動く音で目が覚めたんだ。今は落ち着いてるみたいだけど、脚の方はどうかな?」
「これから確認するところです。昨夜の見張りの際には、特に大きな変化は見られませんでした。ただ、今朝の状態を確かめてからでなければ、今日の移動については決められませんね」
シモンはそう言いながら、ベルクのそばへ歩いてきた。紺色の外套の裾には朝露が少しついており、眼鏡の奥の目はいつもどおり落ち着いている。彼はベルクへ声をかけながら身体を撫で、肩や背中、脚の状態を順番に確認し始めた。
ルシルはその様子を見守りながら、昨日通った街道のことを思い出していた。深い轍が残る柔らかな土の場所では、車輪が沈まないよう三人で慎重に進み、古い石垣の跡を見つけた時には、そこが何のために作られたものなのか話し合った。道そのものは大きく変わっていないように見えても、歩く速度が遅くなったことで、以前は気づかなかったものがいくつも見えるようになっていた。
シモンはベルクの右後ろ脚を確認し、反応を見ながら静かに頷いた。
「目立った腫れや傷はありません。昨日の夕方と比べても、立っている姿勢に大きな違いはないようです。ただし、歩き方は別に確認しましょう」
「うん。僕も一緒に見るよ」
「ありがとうございます。では、ルシル様は少し離れた位置から、右後ろ脚の動きを見ていてください」
シモンは馬具をつけていないベルクを、野営地の中でも平らな場所へゆっくりと歩かせた。最初の数歩は落ち着いており、昨日の朝と比べても大きな違いは見られない。ところが、方向を変えた際には右後ろ脚を出すまでにわずかな間があり、ルシルは思わず眉を寄せた。
「やっぱり、曲がる時が少し気になるね」
「ええ。私も同じところを見ていました。悪化しているとは限りませんが、完全に普段どおりではありません」
シモンはベルクを止め、首筋を撫でながら呼吸を確認した。短い距離を歩いただけなので息は大きく乱れておらず、ベルクも落ち着いた様子で立っている。
「今日はどうしようか。昨日と同じくらいなら進めるかな?」
「その可能性はあります。ただ、ここから先の道の状態も考えなければなりません。まずは朝食を済ませて、地図を見ながら相談しましょう」
ルシルは頷き、ベルクの額をそっと撫でた。
「今日も無理はしないからね。ゆっくり帰ろう」
ベルクは小さく鼻を鳴らし、ルシルの手へ鼻先を寄せてきた。その温かな感触に、ルシルの表情は自然と和らいだ。
ちょうどその時、馬車の荷台から布の擦れる音が聞こえてきた。モモが白い外套を肩へかけながら顔を出し、三人の姿を見つけると、眠そうな目を瞬かせている。
「おはよう、ルシル君、シモン君。あれ、もうベルク君の確認してたの?」
「おはよう、モモ。今朝も少し歩いてもらったところだよ」
「どうだった?」
モモは荷台から降りると、すぐにベルクのそばへ歩いてきた。彼女の表情には心配が浮かんでいたが、必要以上に騒ぐことはせず、シモンの返事を待っている。
「大きく悪くなっている様子はありません。ただ、右後ろ脚の動きにはまだ気になるところがあります。今日も慎重に進む必要があるでしょう」
「そっか……。じゃあ、今日もベルク君に合わせて歩こうね」
モモはそう言ってベルクの首筋を撫でた。ベルクは彼女へ顔を向け、静かに鼻を鳴らしている。
「でも、ハルミナへ戻ったら、ちゃんと馬に詳しい人に見てもらいたいね。シモン君だけじゃ分からないこともあるでしょう?」
「ええ。そのつもりです。宿のマリナさんに相談すれば、町で馬を診られる方を紹介していただけるかもしれません。まずはそこから確認しましょう」
「うん。それなら安心だね!」
モモは少しだけ表情を明るくした。
ルシルも頷いたが、胸の奥には小さな不安が残っていた。ハルミナへ戻ればすべてが解決するとは限らないし、ベルクがどのくらい休めば元気になるのかも分からない。それでも、今できることを一つずつ考えるしかないのだと思う。
◇
朝食の準備を始める頃には、草原に差し込む光が少しずつ強くなっていた。モモは荷台から保存食と乾燥野菜を取り出し、ルシルは水の容器を並べて残量を確認する。シモンは地図と帳面を広げ、昨日までに進んだ距離と、これから先の道について考えていた。
「シモン、残りの水はどうかな?」
ルシルが尋ねると、シモンは容器を確認してから答えた。
「節約してきたおかげで、まだ残っています。ただ、次の補給場所が確実に分かっているわけではありませんから、余裕があるとは考えない方がよいでしょう」
「うん。じゃあ、今日も料理に使う分は少なめだね」
「ええ。馬たちの分も必要ですからね」
モモは二人の会話を聞きながら、食材を並べ直した。
「それなら、今朝は火を使わなくても食べられるものを中心にしようかな。温かい料理も好きだけど、お水をたくさん使うのは避けたいし」
「僕もそれでいいよ。モモが作ってくれるものなら、何でもおいしいし」
ルシルが何気なく答えると、モモは一瞬きょとんとした顔をした。すぐに頬を緩め、少し得意そうに胸を張る。
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな! でも、何でもおいしいって言われると、ちょっと責任重大かも」
「大丈夫だよ。今までだって、いつもおいしかったから」
「もう、ルシル君ったら。そんなこと言われたら、もっと頑張りたくなっちゃうじゃない!」
モモは笑いながら保存食を分け始めた。
シモンはそのやり取りを聞き、穏やかな表情を浮かべていた。彼自身もモモの料理を楽しみにしているが、今は食料と水の管理が重要な時期である。だからこそ、限られた材料でも三人が笑顔で食事をできることを、ありがたく感じていた。
朝食を終えた後、シモンは地図を広げ、二人へ今日の予定を説明した。
「昨日までの進み方を考えると、ハルミナまではまだ時間がかかります。今日も短い距離を進むつもりですが、途中で休める場所が見つからなければ、早めに引き返すか、その場で安全な場所を探す必要があります」
「うん。無理して先へ進むより、その方がいいと思う」
ルシルは地図を覗き込みながら頷いた。
「でも、シモン。今いる場所って、行きに通った時と同じ道なんだよね?」
「ええ。ハルミナとリーヴェルを結ぶ街道を戻っています。ただ、行きは今より速く進んでいましたから、周囲の景色を細かく覚えていない場所もあるでしょう」
「そうだよね。僕も、見覚えがあるところと、初めて見るようなところが混ざってる気がする」
ルシルがそう言うと、モモも頷いた。
「私も! 行きはもっと遠くの景色ばっかり見てたのかも。今は道端のお花とか、石とか、そういう小さいものがいっぱい見えるんだよね」
「歩いているからこそ気づけることもありますね」
シモンは穏やかに答えた。
ルシルは地図へ視線を戻し、少し考えてから口を開いた。
「じゃあ、今日は前に通った場所を探しながら歩いてみようかな。もし覚えてる景色があったら、帰り道の目印になるかもしれないし」
「それはよい考えですね。ただし、景色が似ている場所もありますから、見覚えだけで判断しないようにしましょう」
「うん。ちゃんとシモンにも確認するよ」
モモは嬉しそうに笑い、旅帳面を取り出した。
「じゃあ、私も見つけたものを描いておこうかな! あとで見返したら、行きと帰りで何が違ったか分かるかもしれないし」
ルシルは頷いた。
「それ、楽しそうだね」
三人は朝の準備を終えると、馬車の周囲をもう一度確認した。シモンは馬具の位置を慎重に調整し、ベルクの身体に余計な負担がかからないよう確かめる。ルシルは車輪と荷台の固定を見て回り、モモは荷物が偏っていないか確認した。
準備が整うと、三人は馬車に乗らず、歩いて出発することにした。
「それでは、行きましょう。今日は昨日より少し進めるかもしれませんが、距離を目標にはしません」
「うん。みんなで無事に進むことが一番だね」
「了解! 私も後ろからちゃんと見てるよ!」
モモが元気よく答えると、シモンは小さく笑った。
街道へ戻ると、朝の光が乾いた土を照らし、古い車輪の跡が細い影を作っていた。道の両側には背の低い草が広がり、その向こうには緩やかな丘が続いている。遠くには木々の集まった場所が見えたが、町や村の姿はまだ見当たらなかった。
三人はゆっくりと歩き始めた。トルクは落ち着いた足取りで進み、ベルクも隣に並んで歩いている。シモンは手綱を持ちながら二頭の様子を確認し、ルシルは右側からベルクの足取りを見守った。
モモは馬車の後ろを歩きながら、道端の草花へ目を向けていた。昨日見つけた黄色い花とは違い、今日は淡い青色の小さな花が点々と咲いている。花びらは細く、風が吹くたびに揺れていた。
「ねえ、ルシル君。今日は青いお花がいっぱい咲いてるよ!」
モモが声をかけると、ルシルは振り返って笑った。
「本当だね。昨日の黄色い花とは違う種類かな?」
「たぶんね。あとで旅帳面に描いておこうっと!」
モモは嬉しそうに答えたが、すぐに馬車の車輪へ視線を戻した。今は絵を描くことより、ベルクと馬車の様子を見守る方が大切だと分かっている。
しばらく進むと、街道の先に少し変わった地面が見えてきた。道の中央には固く乾いた土が続いていたが、左側には浅い轍が残り、その周囲だけ土の色が濃くなっている。
ルシルは足を止めずに目を凝らし、シモンへ声をかけた。
「シモン、あそこ、車輪の跡が残ってるね」
「ええ。昨日通った場所ほど深くはありませんが、念のため確認しましょう」
シモンは馬車を止め、二頭が落ち着いていることを確かめてから、ルシルへ地面の様子を見るよう頼んだ。モモは後方からほかの旅人が近づいてこないか確認し、シモンは馬車の位置を固定する。
ルシルが問題の場所へ近づくと、浅い轍の周囲には細かなひび割れがあり、乾いているように見える表面の下には、少し柔らかい土が残っていた。靴先で軽く押すと、固い部分とは違う感触が伝わってくる。
「昨日ほどじゃないけど、ここも少し柔らかいみたい」
「そうですか。では、中央寄りを通りましょう」
シモンは道幅を確認し、馬車が安全に進める位置を選んだ。ルシルは右側から車輪の動きを見守り、モモは後方から荷台の揺れを確認する。
馬車は大きく傾くことなく進み、浅い轍のある場所を無事に通り抜けた。三人は少し先の平らな場所で一度止まり、車輪と馬具を確認した。
「昨日よりは楽に通れたね」
ルシルが言うと、シモンは頷いた。
「ええ。ただ、同じように見える場所でも状態は違いますから、毎回確認することが大切ですね」
「うん。分かった」
モモも後ろから声をかけた。
「荷物も大丈夫だったよ! 今日はあんまり揺れなかった!」
「ありがとうございます、モモ嬢」
シモンは穏やかに答えた。
その後も三人は、馬たちの様子を見ながらゆっくりと進んだ。道の状態は比較的安定しており、ベルクも大きく歩調を崩すことなく歩いている。
昼が近づく頃、街道の先に小さな木立が見えてきた。木々の間には平らな草地があり、馬車を止めるには悪くなさそうだった。
シモンは周囲を確認し、そこで昼の休憩を取ることにした。
「今日はここまで、ベルクも大きく歩調を崩さずに来られました。ただ、午前中に柔らかい土の場所を通りましたから、少し長めに休ませましょう」
「うん。そうしよう」
ルシルは頷き、ベルクの首筋を撫でた。
モモは荷台から水の容器を取り出し、二頭に与える準備を始めた。シモンが呼吸と状態を確認してから水を分けると、トルクはすぐに鼻先を近づけ、ベルクも少し遅れて飲み始めた。
水を飲む二頭の姿を見ながら、ルシルは静かに息を吐いた。
「今日もちゃんと歩けたね」
モモが隣で頷いた。
「うん。でも、まだ無理はさせない方がいいよね」
「そうだね。ハルミナまで、焦らず帰ろう」
シモンも穏やかに頷いた。
「ええ。今日はここで十分に休んでから、午後の行動を決めましょう」
昼食は保存食を中心に簡単に済ませることにした。三人は木陰に腰を下ろし、乾いた風を感じながらゆっくりと食事をした。
モモは食べ終えると旅帳面を取り出し、午前中に見つけた浅い轍と青い花の絵を描き始めた。彼女は花びらの形を思い出しながら何度か筆を動かしたが、思うように描けず、少しだけ首を傾げている。
「うーん、青いお花って、花びらがもう少し細かったかなあ」
ルシルは隣から絵を覗き込み、少し考えてから答えた。
「うん。たぶん、もう少し細くて長かったと思う」
「なるほど! それなら、こうかな?」
モモは嬉しそうに筆を動かし、花びらの形を描き直した。
ルシルはその様子を見ながら、旅の記録には楽しいことだけでなく、困ったことや気をつけなければならないことも残しておくべきなのだと感じていた。
シモンは少し離れた場所で地図と帳面を広げ、今日進んだ距離と道の状態を書き留めていた。浅い轍の場所、ベルクの歩き方、休憩した地点など、今後同じ道を通る時に役立ちそうな情報を整理している。
その様子を見たルシルは、シモンの隣へ移動した。
「シモン、僕も何か手伝える?」
シモンは顔を上げ、少し考えてから答えた。
「では、今日通った道の状態を、ルシル様の言葉で教えていただけますか。私が見ていたものと違うところがあるかもしれません」
「うん。えっと、最初は固い道だったけど、途中で左側に浅い轍があったよね。表面は乾いてたけど、下の土は少し柔らかかった」
「ええ。そのとおりです」
「それから、中央寄りを通ったら車輪が少し揺れたけど、大きく傾くことはなかった。あとは、青い花がたくさん咲いてたね」
ルシルが順番に話すと、シモンは頷きながら帳面へ書き加えた。
「ありがとうございます。こうして整理すると、道の状態が分かりやすくなりますね」
「僕も、ちゃんと覚えておこうと思う。次に同じ道を通る時、役に立つかもしれないから」
ルシルが答えると、シモンは穏やかに微笑んだ。
「ええ。旅の経験を記録することは、次の旅を安全にすることにもつながります」
その言葉を聞き、ルシルは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
旅に出たばかりの頃は、知らない場所へ行くことが楽しみだった。今もその気持ちは変わらないが、同じくらい、そこで何を学び、次にどう生かすかを考えることが大切になってきている。
午後になっても、ベルクの足取りは大きく悪化していなかった。しかし、シモンは午前中に柔らかい土の場所を通ったことを考え、今日はこれ以上長く進まない方がよいと判断した。
「午後は短い距離だけ進んで、早めに野営地を探しましょう。今日は無理をしないことが大切です」
「うん。僕もそれがいいと思う」
「賛成! 夕方はゆっくりご飯を作りたいし!」
モモが笑うと、ルシルも自然と笑顔になった。
三人は荷物を片づけ、馬車の準備を整えてから再び出発した。午後の街道には柔らかな日差しが差し込み、草原を渡る風も穏やかだった。
しばらく進むと、道の先に低い木々が集まった場所が見えてきた。街道から少し離れており、地面も比較的平らに見える。
シモンは周囲を確認し、馬車を止められる場所を探した。木々の近くには柔らかい土が残っているところもあったが、少し離れた草地は固く、車輪を置いても沈みにくそうだった。
「今日はここで野営しましょう。馬たちも十分に休ませられそうです」
「うん。お疲れさま、トルク、ベルク」
ルシルは二頭の首筋を撫で、ゆっくりと声をかけた。
ベルクは静かに鼻を鳴らし、トルクも隣で耳を動かしている。
モモは荷台から荷物を降ろしながら、大きく伸びをした。
「ふう、今日もいっぱい歩いたね! でも、なんだか昨日より慣れてきた気がする!」
「僕もそう思う。歩きながら周りを見る余裕が出てきたかもしれないね」
ルシルが答えると、シモンも穏やかに頷いた。
「ええ。ただし、慣れた時ほど注意が必要です。足元や馬たちの様子を確認することは、これからも続けていきましょう」
「うん。分かった」
ルシルは頷いた。
夕暮れが近づくと、草原は淡い橙色に染まり始めた。三人は馬車を安全な場所へ止め、車輪を固定してから野営の準備を進めた。
モモは夕食用の食材を取り出し、ルシルは水の残量を確認した。シモンは馬たちの状態をもう一度調べ、ベルクの脚に大きな変化がないことを確かめる。
夕食は、残っている保存肉と乾燥野菜を使った簡単な料理になった。モモは農家でもらった香草をほんの少し加え、温かな匂いが広がると嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり、この香草いいね。ハルミナに戻ったら、似たものを探してみたいなあ」
「うん。僕も楽しみだよ」
ルシルが答えると、シモンも小さく頷いた。
「町へ戻ったら、まず馬たちの状態を確認してもらい、その後で必要な補給を整えましょう。それが済めば、ゆっくり店を見て回る時間も取れると思います」
「やった! じゃあ、エルナさんのパンも買いに行こうね!」
モモは嬉しそうに笑った。
ルシルも笑いながら頷いた。
「もちろん。僕も、あのパンが食べたいな」
三人は温かな食事を囲みながら、ハルミナへ戻った後の楽しみを話し合った。馬のことや水のことなど、考えなければならない問題はまだ残っている。それでも、帰った後に楽しみにできることがあるだけで、旅の疲れは少し軽くなるように感じられた。
食事を終えた後、モモは旅帳面を開き、今日見つけた浅い轍と青い花のことを書き加えた。ルシルはその横で、星が見え始めた空を眺めている。
「ねえ、モモ」
「なあに、ルシル君?」
「今日も、道の状態をちゃんと見られてよかったね」
ルシルがそう言うと、モモは嬉しそうに頷いた。
「うん。私たちも少しずつ旅に慣れてきたのかもね」
「そうだね。でも、まだ知らないこともいっぱいあるんだろうな」
「それなら、これから覚えていけばいいんだよ!」
モモはそう答え、旅帳面を閉じた。
ルシルは彼女の言葉を聞き、胸の奥が温かくなるのを感じた。
知らないことがあるのは、恥ずかしいことではない。
大切なのは、知らないままにせず、少しずつ学んでいくことなのだろう。
シモンは二人の会話を聞きながら、穏やかな表情を浮かべていた。
「旅の中で学ぶことは、まだまだ多いでしょう。ですが、三人で考えれば、気づけることも増えていくと思います」
ルシルは頷いた。
「うん。僕も、そう思う」
夜が深まり、草原に静かな風が吹き始めると、三人は交代で見張りをする準備を整えた。トルクとベルクは馬車の近くで落ち着いており、周囲にも大きな異変は見られない。
ルシルは星空を見上げ、静かに息を吐いた。
(明日も、みんなで無事に進めますように。そして、ベルクが少しずつ元気になりますように)
その願いを胸に、彼は仲間たちのいる野営地へ視線を戻した。
ハルミナまでは、まだ道のりが残っている。
けれど、今日も三人と二頭で無事に進むことができた。
それだけで、今は十分だった。
乾いた街道の夜は静かに更けていき、三人と二頭の馬は、次の朝へ向けてゆっくりと休息の時間を迎えた。




