第157話「朝露の街道と、ベルクが選んだ小さな休息」
夜明け前の草原には、まだ冷たい空気が残っていた。街道から少し離れた木立のそばでは、昨夜のうちに火を消した焚き跡が灰色に沈み、馬車の車輪や荷台を覆う布には細かな露がついている。遠くの丘の向こうから鳥の声が聞こえ始めていたが、空はようやく白み始めたばかりで、周囲の景色は薄い青色の中に静かに浮かんでいた。
ルシルは荷台の入口から顔を出し、眠気の残る目をこすりながら外を見渡した。夜間の見張りは三人で交代し、大きな問題もなく朝を迎えることができたものの、昨日は長い時間を歩いて過ごしたため、身体にはいつもより重たい疲れが残っている。肩をゆっくり回してみると、背中のあたりが少し張っていることに気づいた。
「おはようございます、ルシル様。もう少しお休みになっていてもよかったのですよ」
馬車の前方から声をかけてきたのは、すでに身支度を整えていたシモンだった。彼は紺色の外套の袖を軽くまくり、二頭の馬の様子を確認していたらしく、手には柔らかな布を持っている。
「おはよう、シモン。目が覚めちゃったんだ。それに、トルクとベルクのことが気になって」
「そうでしたか。二頭とも夜の間は落ち着いていましたよ。ただ、ベルクについては今朝も慎重に確認したいと思っています」
ルシルは頷き、荷台から降りた。朝露を含んだ草が靴の先に触れ、ひんやりとした感触が伝わってくる。昨夜は気づかなかったが、野営地の周囲には小さな白い花が点々と咲いており、夜明けの光を受けて淡く輝いていた。
馬車の近くでは、栗毛のトルクが耳を動かしながらルシルを見つめていた。その隣にいる濃灰毛のベルクも顔を上げたが、いつものようにすぐ近づいてくることはなく、静かに立ったまま彼の動きを追っている。
「おはよう、トルク。ベルクも、よく眠れた?」
ルシルが声をかけながら近づくと、トルクは鼻先を彼の肩へ寄せた。ベルクは少し遅れて首を伸ばし、ルシルの手に鼻先を触れさせる。温かな息が指先にかかり、ルシルは自然と表情を和らげた。
「昨日もいっぱい歩いたもんね。今日はどうしようか、シモン」
「まずは脚の状態を確認してから決めましょう。予定ではハルミナへ向かって進むつもりですが、馬たちの状態を優先する方針は変えません」
シモンはそう答え、ベルクの身体を丁寧に調べ始めた。肩や背中、脚の付け根を順番に確かめ、触れた時の反応を見ながら、普段と違うところがないかを確認していく。ルシルはその横でベルクの首筋を撫で、馬が落ち着いていられるよう静かに声をかけ続けた。
ベルクは大きく嫌がる様子を見せなかったが、右後ろ脚を持ち上げる際に、わずかに体重を移す時間が長くなった。昨日も似たような動きがあったことを思い出し、ルシルは眉を寄せた。
「シモン、やっぱり右の後ろ脚が気になるよ」
「ええ。私も同じところを見ていました。目立った傷や腫れはありませんが、疲労だけと決めつけるのは早いでしょう」
シモンは脚を下ろさせ、ベルクが自然に立つ姿勢を確かめた。馬具を外して休ませていたため、今は背中や肩に強い圧迫がかかっているわけではない。それでも、身体のどこかに負担が残っている可能性はある。
「今日は出発を急がず、朝のうちにもう少し様子を見ましょう。必要なら、ここで一日休ませることも考えます」
「うん。僕はそれがいいと思う」
ルシルはすぐに頷いた。ハルミナへ戻れば宿でゆっくり休めるし、馬に詳しい人を探すこともできるだろう。しかし、そこへ到着するためにベルクへ無理をさせてしまっては意味がない。
彼はベルクの額を撫でながら、穏やかに語りかけた。
「大丈夫だよ。今日は急がないからね」
ベルクは小さく鼻を鳴らし、ゆっくりと耳を動かした。その反応が何を意味しているのか、ルシルには正確には分からなかったが、少なくとも落ち着いているように見えた。
◇
しばらくすると、荷台の中からモモが顔を出した。桃金色の髪は寝起きのせいか少し乱れており、白い外套を肩にかけたまま、眠そうに目を瞬かせている。
「おはよー……あれ、二人とももう起きてたの?」
「おはよう、モモ。今、ベルクの様子を見てたんだ」
ルシルが答えると、モモの表情が少し引き締まった。彼女はすぐに荷台から降り、靴を履き直してから二人のそばへやって来た。
「ベルク君、どうだった?」
「昨日より悪くなっているとは言い切れないけど、右の後ろ脚がまだ気になるんだ。だから、今日は出発を急がないことにしたよ」
「そっか……。うん、それがいいと思う。ベルク君、ずっと頑張ってくれてたもんね」
モモはベルクの顔を見上げ、そっと首筋へ手を伸ばした。ベルクは彼女の手を避けることなく、静かに鼻を鳴らしている。
モモはしばらくそのまま撫でていたが、やがてルシルへ顔を向けた。
「ねえ、ルシル君。もし今日はここで休むなら、私たちもちゃんと休もうよ。昨日はいっぱい歩いたし、ルシル君だって疲れてるでしょう?」
「僕? うん、少しだけ。でも、大丈夫だよ」
「そう言うと思った!」
モモは少しだけ頬を膨らませた。
「ルシル君って、トルク君やベルク君のことはすぐ心配するのに、自分のことになると大丈夫って言うんだもん。シモン君もそうだけど!」
突然名前を出されたシモンは、わずかに目を瞬かせた。
「私もですか?」
「そうだよ! シモン君だって、昨日ずっと歩いてたでしょう? それなのに、朝からもう働いてるんだもん」
モモの言葉に、ルシルは思わず笑ってしまった。確かに、シモンはいつも誰より早く起き、馬車や荷物の確認をしている。自分たちが安心して旅を続けられるのは、その働きに支えられている部分が大きかった。
「モモの言うとおりかもしれないね。シモンも、今日はちゃんと休もう」
「ルシル様まで……」
シモンは困ったように笑ったが、すぐに穏やかな表情へ戻った。
「分かりました。では、今日は休息を優先することにしましょう。ただし、水や食料の確認だけは済ませておきたいと思います」
「それなら私も手伝うよ!」
モモは元気よく手を上げた。ルシルも頷き、三人で朝の準備を進めることになった。
水の容器を確認すると、農家で補給した分はまだ残っていた。ただし、二頭の馬と三人が使うことを考えれば、無計画に消費できるほどの余裕はない。シモンは残量を記録し、今日の休息に必要な分と、明日以降の移動に残す分を慎重に分けて考えた。
「今日はここで休むとしても、次の補給場所が分からないことには変わりありません。ですから、飲み水を優先し、調理には必要な量だけを使いましょう」
「うん。昨日みたいに、少しだけ温かいものを作るのはどうかな?」
モモが尋ねると、シモンは頷いた。
「問題ありません。ただし、洗い物に使う水も考えて、簡単な料理にしてください」
「了解! それじゃあ、今日は保存肉と乾燥野菜を使って、軽い朝ご飯にしようかな」
モモは荷台から食料を取り出し、ルシルと一緒に調理の準備を始めた。昨日使った香草の包みも確認したが、残りはまだ十分にあるため、今朝はほんの少しだけ加えることにした。
火を起こす場所を整え、乾いた草が近くにないことを確認してから、小さな鍋を火にかける。朝の冷たい空気の中に温かな湯気が立ち上り、香草の爽やかな匂いが広がり始めると、モモは嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり、これいい匂いだね。あのおばあさん、普段からこういう料理を作ってるのかなあ」
「きっと、いろいろな料理に使ってるんだろうね」
ルシルは鍋を見つめながら答えた。農家の女性がどんな暮らしをしているのか、詳しく聞いたわけではない。それでも、井戸の水を分けてくれた時の落ち着いた様子や、乾燥香草を包んで渡してくれた手つきを思い出すと、あの家で過ごした短い時間が温かく感じられた。
「また会えたら、お礼を言いたいな」
「うん! 今度は困ってない時に会いに行きたいね」
モモは笑顔で頷いた。
朝食ができあがると、三人は馬車の近くに腰を下ろし、温かな料理を分け合った。豪華な食事ではなかったが、朝露の残る草原で食べる温かなものは、それだけで身体をほっとさせてくれる。
ルシルは器を両手で持ち、ゆっくりと一口食べた。
「おいしいね。昨日より、少し香りが強いかな?」
「えへへ、今日はちょっとだけ多めに入れてみたんだ。でも、入れすぎないように気をつけたよ!」
モモは得意そうに笑った。
シモンも一口食べ、穏やかに頷いた。
「確かに香りがよく出ていますね。少量でも十分に味が変わるものです」
「でしょう? ハルミナへ戻ったら、こういう香草を売ってるお店も探してみたいなあ」
モモの言葉に、ルシルは微笑んだ。
「それも楽しそうだね。僕は旅日記を探したいし、モモは香草のお店を見たいんだね」
「うん! シモン君は何か見たいお店ある?」
突然尋ねられたシモンは、少し考え込んだ。
「私は、まず馬具を扱う店と、旅の補給に詳しい商人を訪ねたいですね」
「やっぱりシモン君らしい!」
モモが笑うと、シモンも小さく笑った。
「必要なことですからね。ただ、それが済めば、私も少し町を歩きたいと思っています」
その答えに、ルシルは嬉しくなった。シモンが自分のために何かをしたいと口にすることは、あまり多くないからだ。
「じゃあ、三人で町を歩こうよ。急がずに、いろいろなお店を見て回るのも楽しそうだね」
「いいね! それ、絶対楽しいよ!」
モモは嬉しそうに頷いた。
シモンも穏やかな表情を浮かべ、二人の提案を受け入れた。
◇
朝食を終えた後、三人は野営地の片づけを済ませた。火が完全に消えていることを確認し、食器や道具を荷台へ戻してから、馬たちの様子をもう一度確かめる。
トルクは落ち着いて草を食べていたが、ベルクは木陰の近くで静かに立っていた。朝より少し首を高くしているように見えたものの、右後ろ脚の動きについては、まだ慎重に見守る必要がありそうだった。
シモンはしばらくベルクの様子を観察し、ルシルへ顔を向けた。
「今日はここで休ませましょう。無理に移動するより、身体を休める方がよいと判断します」
「うん。僕も賛成だよ」
ルシルはすぐに答えた。
モモも頷き、馬車の近くへ腰を下ろした。
「じゃあ、今日はのんびりする日だね!」
その言葉に、ルシルは少し笑った。
「そうだね。でも、ただ何もしないっていうのも、なんだか不思議な感じがするよ」
「えー? 何もしない日って、すごく大事だと思うけどなあ」
モモは首を傾げた。
「だって、毎日ずっと歩いてたら疲れちゃうでしょう? たまには、景色を見たり、お話したり、ゆっくりご飯を食べたりする日があってもいいと思うんだ」
ルシルはその言葉を聞き、少し考え込んだ。
王宮にいた頃、何も予定がない日はほとんどなかった。勉強や礼儀作法、会議への同席、さまざまな行事の準備など、常に何かをすることが求められていた。
旅に出てからは、自分たちで予定を決められるようになったが、それでも毎日どこかへ進もうとしていた。
何もしないことを、自分たちで選ぶ。
それもまた、自由の一つなのかもしれない。
「……うん。そう考えると、今日はいい日になるかもしれないね」
ルシルが笑うと、モモは嬉しそうに頷いた。
「でしょう? それに、今日はベルク君がゆっくり休める日なんだから、私たちも一緒に休めばいいんだよ!」
シモンも穏やかに頷いた。
「休息も旅の一部です。特に、今回のように予定外の負担がかかった後は、回復のための時間を取ることが重要でしょう」
ルシルは二人の言葉を聞き、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
ハルミナへ戻ることばかり考えていたが、今は急ぐ必要がない。大切なのは、三人と二頭が無事に旅を続けられることだった。
午前中、ルシルは馬車の近くに座り、ベルクの様子を見守りながら静かな時間を過ごした。トルクは時折鼻先を近づけてきたが、ルシルが首筋を撫でると満足したように草を食べ始める。
モモは旅帳面を開き、昨日見つけた薄紫色の花や、古い木の杭の絵を描いていた。細かな部分を思い出すたびに首を傾げたり、ルシルへ確認したりしている。
「ねえ、ルシル君。昨日の杭って、上の方が少し斜めになってたよね?」
「うん。たぶん、右側が少し欠けてたと思う」
「そうそう! それだ!」
モモは嬉しそうに筆を動かし、杭の形を描き直した。
ルシルはその様子を見ながら、自分も旅日記を持つことを改めて楽しみに感じていた。モモのように絵を描くことは得意ではないかもしれないが、その日に感じたことや、三人で話したことを書き留めておきたい。
シモンは少し離れた場所で地図と帳面を広げ、今後の旅程を見直していた。水の補給地点については、今回の経験で信頼できる情報が少ないことが分かっている。ハルミナへ戻ったら、共同井戸のバルドや宿のマリナ、街道をよく知る商人たちから、改めて情報を集める必要があるだろう。
彼は地図へ目を落としながら、静かに息をついた。
(次に同じ道を進むなら、今度はもっと確実な準備が必要ですね)
そう考え、補給計画の見直しについて帳面へ書き加えた。
◇
昼近くになると、太陽が高く昇り、草原の空気も少し暖かくなってきた。木陰にはまだ涼しさが残っていたが、日向に出ると乾いた風が頬へ当たり、朝の冷たさはすっかり薄れている。
モモは旅帳面を閉じ、大きく伸びをした。
「ふう、いっぱい描いた! ルシル君、ちょっと見てくれる?」
「もちろん」
ルシルは隣へ移動し、モモが開いたページを覗き込んだ。そこには、昨日見つけた薄紫色の花と古い木の杭、それからゆっくり坂道を歩くトルクとベルクの姿が描かれていた。
「すごいね、モモ。ベルクの歩き方も、昨日の感じがよく出てると思う」
「本当? よかったあ。何度も描き直したんだよ」
モモは嬉しそうに笑った。
ルシルは絵を見つめながら、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。昨日はベルクのことが心配で、周囲の景色を楽しむ余裕があまりなかった。しかし、こうしてモモの絵を見ると、あの時間にも確かに旅の思い出があったのだと分かる。
「モモの旅帳面って、すごいね。見てるだけで、その時のことを思い出せるよ」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
モモは少し照れたように笑った。
「でもね、私も全部覚えてるわけじゃないんだよ。だから、こうして描いておくの。あとで見返した時に、ああ、こんなことがあったなって思い出せるように」
ルシルは頷いた。
「僕も、そういう日記を書きたいな」
「うん! ルシル君の日記、楽しみだね!」
二人が笑い合っていると、シモンが近づいてきた。
「そろそろ昼食にしましょうか。今日は簡単なものにして、午後も休息を続けたいと思います」
「はーい!」
モモは元気よく返事をし、旅帳面を丁寧にしまった。
昼食は保存食を中心とした簡単なものになった。温かい料理は朝に食べているため、今度は火を使わずに済むものを選び、水の使用量も抑える。
三人は木陰に腰を下ろし、ゆっくりと食事をした。
食事の途中、ルシルはベルクへ目を向けた。ベルクはトルクの近くで落ち着いており、時折草を食べながら、静かに尾を動かしている。
「シモン、ベルク、少し元気になったかな?」
ルシルが尋ねると、シモンは馬たちを見つめながら答えた。
「落ち着いているようには見えます。ただ、休んでいる時の様子だけでは判断できません。明日の朝、歩き方を確認してから移動するか決めましょう」
「うん。分かった」
ルシルは頷いた。
モモもベルクを見つめながら、少しだけ表情を和らげた。
「早く元気になってほしいね」
「そうだね。でも、焦らず待とう」
ルシルが答えると、モモは小さく頷いた。
午後は三人とも無理に何かをすることなく、静かな時間を過ごした。モモは旅帳面の続きを描き、シモンは地図と記録を整理し、ルシルは馬たちのそばで本を読もうとしたものの、手元に読む本がないことに気づいて少し笑った。
「そういえば、旅に出る時に本を持ってくればよかったな」
ルシルが呟くと、モモが顔を上げた。
「ルシル君、本も好きなの?」
「うん。王宮にいた頃は、よく読んでたよ。歴史の本とか、知らない土地のことが書かれた本とか」
「へえ! じゃあ、ハルミナで本屋さんも探してみる?」
モモの提案に、ルシルは少し考えた。
「うん。旅日記を探すついでに、見てみたいな」
「いいね! 私も面白そうな本があったら読んでみたい!」
モモは嬉しそうに笑った。
シモンも会話を聞き、穏やかに頷いた。
「ハルミナには旅人向けの店もありますから、紙や筆記具を扱う場所が見つかるかもしれませんね。詳しい場所は戻ってから確認しましょう」
ルシルはその言葉を聞き、ハルミナへ戻った後の楽しみがまた一つ増えたことを嬉しく思った。
◇
夕方が近づく頃、草原を渡る風が少し強くなってきた。木々の葉が揺れ、馬車の側面に吊るされた三つの貝殻が、かすかな音を立てている。
ルシルはその音を聞きながら、ベルクのそばへ歩いていった。ベルクは朝よりも首を高くしており、ルシルが近づくと静かに顔を向けた。
「ベルク、今日はゆっくり休めた?」
ルシルは首筋を撫でながら尋ねた。
もちろん、ベルクが言葉で答えることはない。それでも、落ち着いた様子で鼻先を近づけてくる姿を見ていると、少しだけ安心できた。
シモンも近づき、ベルクの脚をもう一度確認した。
「朝よりも動きが落ち着いているように見えますね。ただ、明日になってどう変わるかは分かりません。今夜も十分に休ませましょう」
「うん。明日も無理しないで進もう」
ルシルは頷いた。
モモもそばへ来て、ベルクの額をそっと撫でた。
「ベルク君、今日はお休みの日だったね。明日も元気だったら、少しずつ歩こうね」
ベルクは小さく鼻を鳴らし、モモの手へ鼻先を寄せた。
その様子を見て、三人は自然と笑顔になった。
夕食の準備を始める頃には、空が淡い橙色に染まり始めていた。モモは今夜も簡単な料理を作ることにし、ルシルは水の量を確認しながら手伝った。シモンは火の管理と周囲の安全確認を担当し、三人で協力して食事を整えていく。
料理が完成すると、三人は馬車の近くに腰を下ろした。
「今日は、なんだか一日が長かったね」
ルシルが言うと、モモは首を傾げた。
「そう? 私はあっという間だったよ。絵を描いて、ご飯を食べて、お話してたら、もう夕方なんだもん」
「僕は、いつもよりゆっくり時間が流れてる感じがしたんだ」
ルシルは笑いながら答えた。
シモンも穏やかに頷いた。
「何も急がずに過ごす時間は、旅の途中では貴重かもしれませんね」
ルシルはその言葉を聞き、静かに微笑んだ。
今日一日、三人はほとんど移動していない。
けれど、それは無駄な時間ではなかった。
ベルクを休ませ、自分たちも身体を休め、これからの旅について考えることができた。
そして、何よりも、三人で穏やかな時間を過ごすことができた。
「……こういう日も、いいね」
ルシルが呟くと、モモは嬉しそうに笑った。
「でしょう? 私、こういう日も大好きだよ!」
シモンも小さく頷いた。
「ええ。明日も、今日のように無理のない判断をしていきましょう」
ルシルは二人の顔を見つめ、胸の奥が温かくなるのを感じた。
王宮を出てから、さまざまな場所を訪れ、いろいろな人と出会ってきた。
その中には、楽しいこともあれば、困ったこともあった。
けれど、今こうして三人で過ごしている時間は、どんな立派な場所にいた時よりも、心が落ち着くものだった。
夜が深まり、星が空に広がり始めると、三人は交代で見張りをする準備を整えた。トルクとベルクは馬車の近くで落ち着いており、周囲にも大きな異変は見られない。
ルシルは星空を見上げ、静かに息を吐いた。
(明日も、みんなで無事に進めますように)
その願いを胸に、彼は仲間たちのいる野営地へ視線を戻した。
ハルミナまでは、まだ少し距離が残っている。
けれど、今は焦らなくてもいい。
三人と二頭が一緒に進めるなら、きっと大丈夫だ。
そんな思いを抱きながら、ルシルは静かな夜の中で、明日へ向けて身体を休めることにした。




