第140話 急がない旅の行き先と、ハルミナで見つけた新しい選択
ハルミナの旅人の休み家に、静かな夜が訪れていた。
食堂からは夕食を終えた客たちの話し声がかすかに聞こえ、厨房ではマリナが食器を片づけているらしい。二階の小さな部屋には、窓の外から入り込む涼しい風と、遠くで鳴く虫の声が満ちていた。
ルシルは寝台の端に腰掛け、膝の上に広げた紙を見つめていた。
そこには、ハルミナから南へ続く道について、これまで三人が集めた情報が書かれている。最初に訪れた井戸でバルドから聞いた話、実際に馬車で進んだ範囲、丘の肩から先をシモンが歩いて確かめた結果、そして村の人々から追加で聞いたことが、それぞれ分けて記されていた。
紙の上に並ぶ文字は、決して少なくなかった。
それでも、次の集落へ安全にたどり着けると判断するには、足りないことが多すぎた。
「……やっぱり、分からないことが多いなあ」
ルシルが小さく呟くと、窓際の寝台に座っていたモモが顔を上げた。
「南の道のこと?」
「うん。僕たちが確かめたところまでは分かるんだけど、その先がね。道幅も、水場も、次の集落までの距離も、まだはっきりしないんだ」
モモは手にしていた旅帳面を閉じ、ルシルの隣へ移動した。
桃金色の髪が肩の上で揺れ、緑色の瞳が紙の上をゆっくりと追っていく。
「でも、最初にハルミナへ来たときよりは、いっぱい分かったよね。あの丘のところまで行ってみたし、戻れる場所も見つけたし、村の人たちにも話を聞いたし」
「そうだね。何も分からないままじゃなくなったのは、すごく大きいと思う」
ルシルが頷くと、モモは少し安心したように笑った。
机に向かっていたシモンも、二人の会話を聞いて筆を置いた。
「ただ、情報が増えたことと、安全に進めることは別です。今回の調査では、むしろ慎重になるべき理由が明確になったとも言えます」
「うん。シモンの言うとおりだと思う」
ルシルは紙を机へ置き、窓の外へ目を向けた。
ハルミナの家々には、ところどころに小さな灯りがともっている。
共同窯のある方角にはもう煙が見えず、昼間は賑やかだった広場も、今は静かになっているようだった。
「僕さ、少し考えてたんだ」
ルシルが口を開くと、モモとシモンがこちらを見た。
「最初は、ハルミナに着いたら南へ進もうって、なんとなく思ってたんだよね。丘の向こうに何があるのか気になったし、知らない景色を見てみたかったから」
ルシルはそこで一度言葉を切り、二人の表情を確かめた。
「でも、南へ行くこと自体が目的だったわけじゃないんだ。僕たちは、自由に旅をしたくてここまで来たんだから」
シモンは静かに頷いた。
「ええ。特定の場所へ急いで向かわなければならない事情は、今の私たちにはありません」
「そうなんだよね。だから、南の道が難しいなら、別の道を選んでもいいんじゃないかなって」
モモは少し考え込んだあと、ゆっくりと微笑んだ。
「わたしも、それでいいと思う。南の丘の向こうは気になるけど、そこだけが楽しい場所ってわけじゃないもんね」
「うん。僕もそう思う」
ルシルは微笑み返した。
ただ、別の道を選ぶと言っても、今すぐ行き先が決まるわけではない。
ハルミナへ来た道を戻れば、以前通った大きな道へ出られる可能性がある。けれど、その先でどちらへ向かうかについては、改めて考える必要があった。
「明日の朝、もう一度相談しようか。今日はもう遅いし、疲れているときに急いで決める必要もないからね」
ルシルがそう言うと、シモンは穏やかに頷いた。
「賛成です。明日は天候と馬たちの状態も確認したうえで、道の選択肢を整理しましょう」
「じゃあ、明日は旅の作戦会議だね!」
モモが嬉しそうに言うと、ルシルは笑った。
「作戦会議っていうほど大げさなものじゃないと思うけど、そうだね」
「でも、三人で地図を広げて相談するのって、なんだか冒険者らしくない?」
モモは楽しそうに旅帳面を抱え直した。
シモンは眼鏡の奥で目を細め、少しだけ笑った。
「私たちはすでに旅をしておりますから、十分に冒険者らしいと思いますよ」
「そうかな? じゃあ、明日もいっぱい相談しようね!」
三人は笑い合い、それぞれ寝る準備を始めた。
ルシルは机の上の紙を丁寧に重ね、窓の隙間から入る風で飛ばされない場所へ置いた。
今日までに得た情報は、すぐに次の道を決める答えにはならなかった。
それでも、無駄になったとは思わなかった。
(進まなかった道も、僕たちが選んだ道の一つなんだろうな)
ルシルはそう考えながら、部屋の灯りを落とした。
窓の外では、ハルミナの夜が穏やかに更けていった。
◇
翌朝、ルシルは窓の外から聞こえてくる鳥の声で目を覚ました。
薄い朝日が部屋の中へ差し込み、木の床を柔らかく照らしている。
昨夜は少し遅くまで話していたものの、身体には十分に休めた感覚があった。
寝台から起き上がると、シモンがすでに身支度を整えていた。
「おはようございます、ルシル様」
「おはよう、シモン。今日も早いね」
「少し前に目が覚めましたので、窓から空の様子を確認しておりました」
シモンはそう答え、窓の外へ視線を向けた。
「今のところ、雨が降りそうな様子はありません。ただ、昨日より少し風が強いようです」
ルシルも窓へ近づき、外を眺めた。
庭の木々はゆっくりと揺れ、葉の間から朝の光がこぼれている。
雲は薄く、空の大部分には淡い青色が広がっていた。
「本当だ。いい天気になりそうだね」
「ええ。ただ、遠くの天候までは分かりませんから、出発する場合は引き続き注意が必要です」
その言葉に、ルシルは頷いた。
すると、背後の寝台から毛布の擦れる音が聞こえた。
「……おはよう……」
モモが眠たげな声を出し、毛布の中から顔を覗かせた。
桃金色の髪は少し乱れており、まだ完全には目が覚めていないようだった。
「おはよう、モモ。よく眠れた?」
「うん……いっぱい寝た気がする……」
モモは小さく欠伸をしたあと、窓の外を見た。
「今日も晴れてるね」
「うん。風は少しあるけど、今のところいい天気だよ」
ルシルが答えると、モモは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、今日もいい一日になりそう!」
シモンはその言葉を聞き、穏やかに頷いた。
「そうですね。まずは朝食をいただいて、それから馬たちの様子を確認しましょう」
「賛成!」
モモは元気よく返事をし、寝台から降りた。
三人は身支度を整え、朝の食堂へ向かった。
◇
食堂には、温かな麦粥の香りが漂っていた。
マリナは厨房で朝食の準備をしており、三人の姿に気づくと笑顔で迎えてくれた。
「あら、おはよう。今日は三人とも元気そうね」
「おはようございます。昨日もゆっくり休ませていただきました」
ルシルが答えると、マリナは頷いた。
「それならよかったわ。今日はどうするの? また道を調べに行くのかしら」
ルシルは少し考えてから答えた。
「今日は、進む方向を改めて相談しようと思っています。南の道だけじゃなくて、ほかの道も考えてみようかと」
マリナは少し驚いたような顔をしたあと、穏やかに微笑んだ。
「そう。それなら、焦らず決めるといいわ。旅は道を選ぶところから始まるものね」
「はい。ありがとうございます」
ルシルは丁寧に頭を下げた。
朝食には麦粥と野菜、それから薄く切ったパンが用意された。
三人は料金を確認してから席に着き、温かな食事をゆっくりと味わった。
モモは一口食べると、満足そうに頬を緩めた。
「やっぱり、マリナさんのご飯はおいしいね」
「そうだね。毎日少しずつ味が違うのも楽しいよ」
ルシルが答えると、シモンも頷いた。
「食材を無駄なく使いながら、味に変化をつけていらっしゃるのでしょう。こうした工夫も、旅先で学べることの一つですね」
モモは少し考えてから、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、わたしも今度、料理を手伝ってみたいな」
「いいね。僕も一緒にやってみたい」
ルシルが答えると、シモンは穏やかに微笑んだ。
「その際は、私も参加させていただきましょう」
「三人で料理!」
モモは嬉しそうに声を弾ませた。
「なんだか楽しそう!」
ルシルは笑いながら頷いた。
旅を続ける中で、料理をする機会はこれからもあるだろう。
そのときに、三人で相談しながら食事を作ることができれば、きっと楽しい時間になる。
そんな小さな楽しみを想像するだけで、今日という一日が少し明るく感じられた。
◇
朝食を終えると、三人は馬小屋へ向かった。
トルクとベルクは屋根の下で落ち着いており、朝の飼葉を食べているところだった。
ルシルが近づくと、トルクはすぐに耳を立てた。
「おはよう、トルク。今日も元気そうだね」
ルシルは首筋を撫で、身体の状態を確かめた。
脚元に目立った異常はなく、歩き方にも違和感はない。
ベルクも落ち着いており、シモンが蹄の周囲を確認している間、静かに立っていた。
「二頭とも、今のところ問題はなさそうですね」
シモンが言うと、ルシルはほっと息をついた。
「よかった。昨日はゆっくり休めたみたいだね」
モモはベルクのそばに立ち、優しく声をかけた。
「今日はどこへ行くか、まだ決まってないんだ。でも、決まったらまた一緒に旅してね」
ベルクは静かに耳を動かした。
その様子に、モモは嬉しそうに笑った。
「聞いてくれたみたい!」
ルシルは笑いながら頷いた。
「きっと、モモの声は覚えてるんだろうね」
そこへ、馬たちの世話をしている男性がやってきた。
「おはよう。二頭ともよく休んでるよ。今朝も飼葉はしっかり食べてる」
「ありがとうございます。今日はまだ出発するか決めていないんですが、もし出ることになったら、また確認させてください」
ルシルが説明すると、男性は頷いた。
「もちろん。無理をさせないのが一番だからな」
三人は礼を述べ、馬小屋をあとにした。
◇
休み家の庭には、朝の風が心地よく通っていた。
ルシルは木陰の腰掛けへ座り、昨日までに整理した道の記録を広げた。
モモは隣に座って旅帳面を開き、シモンは向かい側から二人の記録を見比べている。
「じゃあ、今日の相談を始めようか」
ルシルが言うと、モモは嬉しそうに頷いた。
「うん! 作戦会議だね!」
シモンは少し笑った。
「では、まず現在の状況を整理しましょう」
シモンは紙を指さした。
「南へ続く道については、丘の肩までしか馬車で確認できていません。その先は道幅が狭く、地面の状態も不明です。次の集落までの距離と、確実に利用できる水場も分かっていません」
ルシルは頷いた。
「うん。だから、今のまま南へ進むのは避けた方がいいと思う」
「私も同意見です」
シモンは静かに答えた。
モモは少し考え込んだ。
「じゃあ、別の道を探す?」
「そうだね。ハルミナへ来た道を戻れば、以前通った大きな道へ出られるはずだし、そこから別の方向へ進むこともできると思う」
ルシルが答えると、シモンは頷いた。
「ただし、大きな道へ戻ったあとにどちらへ向かうかについても、確認が必要です。以前通った道だからといって、その先まで安全だと分かっているわけではありませんから」
「うん。そこは慎重に考えよう」
ルシルは紙の上へ視線を落とした。
南へ進む道。
ハルミナへ来た道を戻る選択。
そして、まだ知らない別の道。
どれも、今すぐ決めなければならないわけではない。
けれど、選択肢を整理することで、少しずつ考えやすくなっていた。
「僕は、来た道を戻ることも考えていいと思うんだ」
ルシルが言うと、モモは顔を上げた。
「戻るの?」
「うん。もちろん、今すぐ決めるわけじゃないけどね。知らない南の道へ無理に進むより、分かっている道へ戻って、そこから新しい場所を探す方が安心できるかもしれない」
モモは少し考えてから頷いた。
「そっか。戻ることも、新しい旅につながるんだね」
「そういうことだと思う」
ルシルは微笑んだ。
シモンも穏やかに頷いた。
「私も、その考え方はよいと思います。大切なのは、戻ること自体ではなく、その先でどのような道を選ぶかですから」
モモは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、わたしも賛成!」
ルシルは二人を見て、少し安心したように息をついた。
南へ進むことを諦めるわけではない。
ただ、今は別の道を選ぶ可能性も考える。
それだけで、胸の中にあった小さな焦りが和らいでいくようだった。
◇
相談を終えた三人は、午前のうちに村の広場へ向かった。
井戸の周囲では、いつものように住民たちが水を汲んでいた。
バルドの姿も見える。
ルシルたちに気づくと、彼は軽く手を上げた。
「おう、今日も来たか」
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
ルシルが頭を下げると、バルドは笑った。
「気にするな。それで、今日はどうした?」
「南の道については、もう少し情報が必要だと思ったので、別の方向へ進むことも考え始めたんです」
ルシルが説明すると、バルドは頷いた。
「そうか。それなら、来た道を戻るのが一番分かりやすいだろうな」
シモンは丁寧に尋ねた。
「ハルミナへ来るときに通った道について、最近大きな変化があったという話はありますか?」
バルドは少し考え込んだ。
「俺の知る限りでは、特に聞いてないな。ただ、道の先まで全部知ってるわけじゃないから、そこは気をつけてくれ」
「承知しました。ありがとうございます」
シモンは頷いた。
モモは旅帳面へ短く書き加えた。
「来た道は、今のところ大きな変化の話はなし……っと」
バルドはその様子を見て、少し笑った。
「ずいぶん丁寧に記録してるんだな」
「はい! 忘れちゃうと困ることもあるので!」
モモは嬉しそうに答えた。
バルドは感心したように頷いた。
「いいことだ。旅の記録は、あとで役に立つことがあるからな」
ルシルは礼を述べ、三人は井戸の邪魔にならない場所へ移動した。
広場では、子どもたちが石を並べて遊んでいた。
モモはその様子を眺め、少しだけ微笑んだ。
「ハルミナって、いつ来ても落ち着くね」
「うん。僕もそう思う」
ルシルは広場を見回した。
ここへ来たばかりの頃は、知らない村だった。
しかし今は、井戸の場所も、共同窯の位置も、休み家までの道も分かる。
村の人々の顔も、少しずつ覚えてきた。
そのことが、ルシルには嬉しかった。
◇
昼前、三人は共同窯の近くを通りかかった。
窯の周囲には、焼いた穀物の香ばしい匂いが漂っている。
エルナが作業台のそばに立っており、三人に気づくと笑顔で声をかけた。
「あら、旅人さんたち。まだハルミナにいたのね」
「はい。南の道を少し調べてみたんですが、馬車で進むには難しそうだったので、戻ってきたんです」
ルシルが説明すると、エルナは少し驚いたような顔をした。
「そうだったの。無理をしなかったならよかったわ」
モモは嬉しそうに前へ出た。
「エルナさん、昨日買ったパン、すっごくおいしかったです!」
エルナは笑った。
「あら、もう食べたの?」
「少しだけです! 丘の途中で休憩したときに食べたんですけど、すごく香ばしくて!」
「ふふ、それならよかったわ。旅の途中で食べるパンは、家で食べるのとはまた違うでしょう?」
モモは大きく頷いた。
「はい! 草の匂いもして、すごくおいしかったです!」
ルシルは二人の会話を聞きながら、穏やかに微笑んだ。
エルナは作業台の上の布を整えながら、三人へ尋ねた。
「それで、これからどうするの?」
「まだ決めていませんが、ハルミナへ来た道を戻って、別の方向へ進むことも考えています」
ルシルが答えると、エルナは頷いた。
「そうね。旅は無理をしないのが一番よ。どこへ行くにしても、気をつけてね」
「ありがとうございます」
三人は礼を述べ、共同窯をあとにした。
モモは歩きながら、少し名残惜しそうに振り返った。
「またエルナさんのパン、食べたいな」
「うん。いつかまたハルミナへ来ることがあったら、買いに行こう」
ルシルが答えると、モモは嬉しそうに笑った。
「約束だよ!」
「うん。約束」
シモンも穏やかに微笑んだ。
◇
休み家へ戻ると、マリナが昼食の準備をしていた。
三人は食事をお願いし、温かな野菜の煮込みとパンをいただいた。
食事を終えたあと、ルシルはマリナへ今日の相談について話した。
「南の道は、今のところ無理に進まない方がよさそうだと思いました。だから、来た道を戻ることも考えています」
マリナは静かに頷いた。
「そう。それなら、焦らず決めるといいわ。ここへ戻ってきたことも、きっと無駄じゃなかったでしょう?」
「はい。たくさんのことを教えてもらいました」
ルシルが答えると、マリナは嬉しそうに微笑んだ。
「それならよかったわ」
モモも笑顔で頷いた。
「わたし、ハルミナが大好きになりました!」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」
マリナは少し照れたように笑った。
「また来ることがあったら、ぜひ寄ってちょうだい」
「はい!」
モモは元気よく返事をした。
シモンも丁寧に頭を下げた。
「大変お世話になりました。まだ出発日は決めておりませんが、改めてご相談させていただきます」
「もちろんよ」
マリナは穏やかに答えた。
◇
午後、三人は休み家の部屋で、もう一度旅の予定を整理していた。
机の上には、これまでの記録が並べられている。
南へ続く道については、まだ不明なことが多い。
一方、ハルミナへ来た道は、少なくとも自分たちが実際に通った経験がある。
ルシルはその違いを考えながら、ゆっくりと口を開いた。
「僕は、来た道を戻る方向で考えてみたいな」
モモは顔を上げた。
「うん。わたしも、それでいいと思う」
シモンも頷いた。
「私も賛成です。ただし、出発する前に、食料と水の残り、馬たちの状態をもう一度確認しましょう」
「もちろん」
ルシルは微笑んだ。
「それから、戻った先でどちらへ進むかは、まだ決めなくてもいいよね」
「はい。まずは安全に大きな道へ戻ることを考え、その先は改めて判断するのがよいでしょう」
シモンは落ち着いた声で答えた。
モモは旅帳面を開き、今日の相談を記録した。
「じゃあ、『南の道は今は進まないことにした。来た道を戻る方向で相談中』って書いておこうかな」
「うん。それがいいと思う」
ルシルは頷いた。
まだ出発日は決めていない。
それでも、三人の考えは少しずつまとまり始めていた。
◇
夕方になると、ハルミナの空は柔らかな橙色に染まった。
休み家の庭では、トルクとベルクが穏やかに休んでいる。
ルシルは二頭のそばへ行き、首筋を撫でながら声をかけた。
「もう少ししたら、また旅に出ようと思うんだ。今度は、僕たちが通ってきた道を戻ることになるかもしれないけど、よろしくね」
トルクは鼻を鳴らし、ベルクは静かに耳を動かした。
モモはその様子を見て、嬉しそうに笑った。
「二頭とも、ちゃんと聞いてくれてるみたいだね」
「うん。そうだと嬉しいな」
ルシルは微笑んだ。
シモンは少し離れた場所から二頭の様子を確認し、穏やかに頷いた。
「今日は十分に休めたようですね。明日も状態がよければ、出発の準備を進められるかもしれません」
「うん。でも、明日の朝にもう一度確認しよう」
ルシルが答えると、シモンは微笑んだ。
「承知しました」
三人は馬小屋をあとにし、休み家へ戻った。
◇
夜、部屋の窓からは、ハルミナの静かな灯りが見えていた。
モモは寝台の上で旅帳面を開き、今日の出来事を書き留めている。
シモンは机に向かい、明日の確認事項を整理していた。
ルシルは窓際の椅子に座り、外の景色を眺めていた。
南へ続く道は、まだ分からないことが多い。
けれど、三人はその道へ無理に進む必要がないことを理解していた。
来た道を戻ることも、別の方向へ進むことも、自分たちで選べる。
その自由が、今のルシルには何より嬉しかった。
(王位なんて、やっぱりいらないな)
ルシルは心の中で、静かにそう思った。
誰かに決められた道を歩くのではなく、自分たちで考え、自分たちで選ぶ。
それが、彼の望んだ旅だった。
背後では、モモが旅帳面を閉じる音がした。
「ルシル君、今日はいっぱい相談したね」
「そうだね。でも、少しずつ決まってきた気がするよ」
ルシルが答えると、モモは嬉しそうに笑った。
「うん! 次の旅も楽しみ!」
シモンも机から顔を上げた。
「私も楽しみにしております。ただし、出発の準備は慎重に進めましょう」
「もちろん!」
モモが元気よく返事をした。
ルシルは二人を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「明日も、三人で決めようね」
モモは大きく頷き、シモンも静かに微笑んだ。
ハルミナの夜は、今日も穏やかだった。
そして三人は、急がない旅の中で、新しい道を選ぶための一歩を踏み出していた。




