第6話 思い出の帰り道
翌日。
朝のホームルームで、眼鏡をかけた男の担任が言った。
「先立って、このクラスの学級委員だけ決めたいと思う」
教室が一気に静まり返ったのは、みんなやりたくないからだろう。目立たぬよう息を潜め、誰かが名乗り出るのを待っているんだ。
鼻を啜る音、隣りの教室の男の先生の喋り声、どこかの車の音。それらはいかにこの教室が静かなのかを間接的に教えてくれていた。
『おい、脇に穴アイてんぞ』
「えっ、まじ?」
俺は腕をピンと伸ばす。
迂闊だった。
「おお北山。やってくれるか。はい皆で拍手だ」
「えええ?」
教室じゅうがどっと湧いて、拍手喝さいが起こった。
「おいお前どうしてくれるんだよ!」
『しー、しー、あんた一人で喋ってることになってるって』
きゃはは、とはしゃぐミレイ。見えないことをいいことに飛び跳ねて俺を指差している。
俺は帰ってからどう仕返しをしようか考えた。
その時。
一瞬教室がどよめいた。
「おおっ、向井もやってくれるか。じゃあ学級委員は向井と北山だ。よろしくな」
控えめに手を上げながら、委員は気まずそうにこちらに向かって笑みを浮かべていた。
教室には再び拍手喝さいが巻き起こる。その中に男子からの羨望や憎悪の声も混ざっているような気がした。
ミレイが俺の肩を抱いた。
『ほらビッグチャンスだぞ。逃すなよ』
「……ビッグチャンス」
まさか、こうなることが分かってミレイは……?
*********
あの後担任から委員と俺が呼ばれて、さっそく放課後に集まってほしいと告げられた。
何をするのかと思っていたが、実際放課後に集まると、委員会の仕事や年間スケジュールなどの共有をして解散、あってもなくてもいいような時間だった。
「一緒に帰ろ?」
「あっ、えっと……うん」
それよりも主戦場は帰りに待っていた。
俺は委員と一緒に帰ることになってしまったのだ。
しかし考えてみれば委員会終わりで、互いに最寄り駅は一緒。これで一緒に帰らないシチュエーションのほうが考えづらいのかもしれない。
という訳で俺たちは一緒に帰ることになり、他愛もない話をしながら駅までの道のりを歩いた。
「学級委員ってやること多いんだな」
「うん、でも慣れればどうってことないよ。私も高校の学級委員は分からないけど」
「……そもそもどうして、学級委員なんてやろうと思ったんだ?」
「小学校の頃の話?」
「うん」
委員は少しの間、宙を見つめて、それから話しはじめる。
「4年生ぐらいかな。急に喧嘩やもめごとが増えはじめたの覚えてる?」
「そういえば……そうだったか」
正直覚えてなかった。ただ、俺が周りから疎まれはじめたのは、同じく4年生ぐらいからだった。
「これまでどうでも良かったことが大切になったりして、それぞれ強い自我を持ちはじめた頃じゃないかな」
「なるほど、しっくりくる表現だな」
「だから平気で人を傷つけるし、気に入らなければ排除する。それがなんだか私はちょっと嫌で……クラスのみんなで仲良くしたいって思ったの」
委員は向かい風に目を細めながら、言葉を紡ぐ。
「だからね、みんなの橋渡しになれればいいなって、それで5年生になってから学級委員になった。別に学級委員じゃなくても、手段はなんでも良かったんだよね」
正直、烏滸がましいけれど感心していた。学級委員にここまでの志を持って立候補している人間が果たしてほかに居るのだろうか。
スキー旅行のロッジで声を掛けてくれた、優しい委員が頭に浮かぶ。
「まあでも自己満足だけどね。できることなんて些細なことばかりだし」
「……できてると思う」
「ん?」
「困ってる人の力になっていたと思う」
少なくとも、あの頃の俺にとって彼女の存在は救いだった。
「俺は、委員が素晴らしい学級委員だったと思う」
「……ありがとう」
委員は少しして吹き出すように笑った。
「委員って、紛らわしいね」
「あ、そっか」
「また委員になっちゃったもんね……はははは」
「たしかにそうだ……はははは」
俺たちは二人して声を出して笑いながら駅までの道を減らしていった。
あっという間に駅に着いて、それから電車に乗って最寄り駅にたどり着く。すると遠くの空が、まだ眩しいけれど僅かにくすみはじめていて、夕暮れの準備を始めていた。
駅前の小ぢんまりとしたロータリーで、かつての俺たちと同じ制服を着た中学生がたむろをしている。うしろを振り返ると、駅舎の向こう側に大きな校舎が見えた。
俺たちの通っていた中学は駅の真裏にある。
「なんだか懐かしいね」
「ああ、たしかに――」
その瞬間、どこかでカモメの水兵さんが聞こえた。何を売っているのかは分からないけれど、夕方になると必ずどこかから聞こえてくる移動販売車のBGM。
思わず委員のほうを見ると、彼女も同じことを思ったらしくこちらを見ていて、俺たちはまた吹き出すように笑った。
「ははははは……飼育小屋の掃除した日のこと、覚えてる?」
「ああ、もちろんだよ」
「すっかり遅くなっちゃって、一緒に帰ってる時にちょうどこの場所で聞こえてきたんだよね」
そう。俺が一方的に当番を押し付けられた小屋の掃除を、彼女もいっしょになって手伝ってくれた。
あの時もこのぐらいの時間だっただろうか。彼女とこの駅前のロータリーで肩を並べているときに、遠くでカモメの水兵さんが鳴っていた。
そして委員は透き通るような声で歌ったんだ。
かーもーめーのすーいへーいさんっ――。
その日の晩、頭から彼女の歌声が離れなくなったことは言うまでもない。
もっと言うと、あれ以来カモメの水兵さんを聞くと委員の顔を思い出してしまう病気に罹ってしまったのだ。
「ねえ、北山くん。せっかくだから三角公園にも寄っていかない?」
断る理由なんて無かった。
「もちろん」
俺たちは思い出の公園に寄り道をして、それから日が暮れるまで、時間を忘れて思い出話で盛り上がった。




