第11話 さっき脱げって言ったじゃないか
「終わったな」
『まだ終わってないよ』
家のリビングで、向かいに座るミレイ。どういう訳か澄んだ表情をしている。
しかし、委員の素振りは明らかに恋をしているそれだっただろう。
七沢の名を出した俺に対して、明確な否定をする訳でもなく笑い飛ばす訳でもなく、ノーコメントの一点張りで突っぱねたのだ。あんな火照った顔で。
もう終わったのだ。
砕け散った今だからでこそ分かったが、俺は今日の今日まで、“もしかしたら委員は俺のことを好きになってくれるかもしれない”と心のどこかで思っていた。
こんな下層の人間が、学校のアイドルに対してだ。
彼女と同じ目線にいる誰かが聞いたら、鼻で笑ってしまうだろう
俺はこれまで他人に期待しないで生きてきた。それが、ずっと一人で生きてきた自分に示された唯一の道しるべだった。
その道に背いたんだ。痛い目を見るのは当然だろう。
「もう勘弁してくれ。終わったものは終わったんだ。こっちの身にもなってくれ」
『ちがうの。聞いて』
なんだよもう。
『あたし消えてないじゃん』
「ん?」
『歴史修正の望みがなくなった時点で、私は未来に引き戻されるんだよ。遊びに来ている訳じゃないから』
「いや、でも明らかに」
『明らかはあんたの判断でしょ? こっちは先の未来から見て判断してることだからね?』
妙に説得力を感じさせる言葉だった。
でも、これ以上は……さすがに厳しいって。
『だから別になんもしなくていいよ』
「何もしなくていい?」
『何もできるような状況じゃないでしょ。いったん休憩だよ』
まだ終わってないのか……。
嬉しくも悲しくもない微妙な感情が胸に絡みつく。
いっそのこと望みを断ち切りたかった自分と、それでもやっぱり“いいこと”があるかもしれないという余計な期待がごちゃ交ぜになっている。
ミレイが俺と同じように頬杖をつきながら、思いついたように言った。
『ねえ……イメチェンしない?』
「休憩するんじゃなかったのかよ」
『イメチェンぐらい道楽じゃん。第一ね、あんた見た目が暗いんだよ』
「いいよもう、そっとしといてくれ」
ミレイは椅子から立ち上がって、俺の真横に立つ。
『はい、いくよ』
雑に手招きをするミレイ。
「どこ行くんだよ」
『お風呂』
「はあ!? 馬鹿じゃないのか!?」
ミレイは俺が何を考えているか気が付いて、大慌てで否定をした。
『ち、違うから。髪だよ髪! 髪型をイメチェンするの!』
「は……そういうことか」
『そっちこそ馬鹿じゃないの? 変態なの?』
「ミレイが紛らわしいこと言うからだろ」
『もういいから、いくよ』
はあ。
俺は素直にミレイへ腕を掴ませてあげて、一緒に浴室へ向かった。お風呂に連行されている絵面が、なんというか、ちょっと気恥しい。
『はい、脱いで』
「は?」
浴室の前でミレイが言うのだが。
今日はダメだ。変なことしか思いつかない。
「ミレイ、確認なんだが、下は脱がなくていいんだよな?」
『馬鹿じゃないの。上! 髪濡らすんだから!』
「ああ、なるほど」
俺はそそくさと上のワイシャツのボタンを上から順に外していく。
しかし、
『やっぱり、脱がなくていい……』
威勢のよかったミレイが、どういうわけか目を逸らしながらぼそぼそと言った。
なんとなく、全部が全部言いなりになるのも癪に障るから、俺は反抗をしてみせる。
構わずワイシャツのボタンを次々に外していった。
『お、おいっ脱がなくていいって言ってんだろ!』
「さっき脱げって言ったじゃないか」
『気が変わったんだよ!』
「俺は変わらないんだよ!」
俺はそうやって吐き捨てて、浴室に入り給湯器のボタンを押し、シャワーヘッドを手に取った。
蛇口をひねって水が出ているシャワーヘッドをミレイに突きつける。
「はい」
『……クソが』
ミレイは浴室まで入って俺からシャワーヘッドを受け取った。
『頭、よこしな』
言われたとおりに前かがみになると、少しして温いお湯が頭に当てられる。少しして、ミレイの女の子らしい指が控えめに髪をかき回した。
もっと乱暴にされるかと思っていたけど、ミレイは思っていたよりもずっと優しい手つきで、じゃぶじゃぶと俺の頭を洗った。
「おいそれ違うぞ」
無事にシャワーを終えて髪をドライヤーで乾かし終えた後、ミレイが持ってきたのはワセリンだった。
『え、違うの? ほらねばねばしてるよ』
「ちがうってそれ肌に塗るやつ……うわあっ何してんだ!」
『ヘアセットだよ。ほらっ大人しくしなさい!』
「だー気持ち悪いなあ!」
ミレイは散々俺の髪で遊んだ後、今度は私服を出せと言ってきた。
もはやどうでも良くなってきて、俺はベタベタの髪で自室に戻って、幾らかしかない私服を引っ張り出す。
ミレイは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして言った。
『え、これだけ?』
「休みの日は家を出ないし、基本制服さえあればいいと思ってる」
『さすがモテないだけあるね』
「なんか言ったか?」
ミレイはしばらく、俺が引っ張りだしたしわくちゃの衣服を眺めていたが、とうとう諦めたのか気の抜けた声で言った。
『うーん、なんだかイメチェンはもういいや。髪洗ってきていいよ』
「本当、勝手だな……」
ようやく解放された俺は、髪を洗うついでに温かいシャワーを長い時間浴び続けた。今日の風呂はこれでいいや、と。
しかし、ひとりになると途端に頭のなかは委員でいっぱいになった。
考えたところで何も解決しないのに、俺は意味もなく、再会してからの委員を次々思い返していた。
通学途中に手を振ってくれた委員。
同じ学級委員に立候補して微笑みかけてくれた委員。
小学時代を懐かしみながらカモメの水兵さんを歌った委員。
……ふと意識はひとりきりの浴室に戻ってくる。一人シャワーを浴び続けている浴室に。
もう終わったんだ。
……いや、終わってないのか。
でも、どうせなら終わってくれないか。
俺はシャワーを浴び終えて、もうミレイが未来に引き戻されていることを期待して自室のドアを開けた。
「……なにしてんだよ」
ミレイは、俺の私服を着て、鏡の前でポージングをしている。だるだるのシャツにジーパン。俺のほうを振り返って、少しばかり照れながら言った。
『男の子の服って、なんかいいね』
「……女の子が着るからだろ」
まだまだ騒がしい日々が続きそうだと、俺はこの時なんとなく思った。




