幕間・レオの独白
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ごく普通の家庭に生まれたと思う。
大雑把で朗らかな父と、きめ細やかで優しい母。
さほど大きな金が入ってくるようなことはなかったから、つつましく王都で暮らしていた。
父の分厚くて硬い大きな手で頭を撫でられるのが、じんわりと胸があたたかくなって好きだった。
怪我をしがちなおれを、優しくたしなめながら手当をしてくれる母の眼差しが好きだった。
……もう、おぼろげにしか思い出せないけど。
七歳の時、父が、事故で死んだ。大工の仕事で、強風に煽られた木材の下敷きになって死んだ。
いっぱい泣いたし、たくさん悲しんだ。おれも、父の友人や仕事仲間も。
ふたりぼっちになってしまうから、おれが母を支えないといけないと思った。葬儀に来てくれた人たちも、助けてくれるって言ってくれた。
――けど、母は違った。
少しでも助けになるように、子どもでもできるような仕事を始めた。
仕事から帰ってくると、知らない男が、家にいた。
妙にくつろいでいて、妙に母と距離が近い。
嫌な予感が、背筋を冷たく伝っていく。
男は、「今日から俺がおまえの父親だ」と言った。
そんなわけない、と男を罵って、母の顔を見た。
そしたら頬を叩かれた。強く睨まれて、「なんて口を利くの」と怒られる。
――母は、父の死に耐えきれず、壊れてしまった。
けど、幼いおれには分からなくて、死んだ父を母は捨てたのだと……おれを裏切ったのだと思った。
それからは、変わってしまった母を見たくなくて、外にいるようになった。帰るのは、寝るときくらい。
日銭を稼ぎながら、友達と夜まで遊んで、自分の居場所のない家で寝る。
そんな日々を過ごしていたけど、十二歳の時、変化があった。
――家に、赤ん坊がいる。
泣き喚いているのに、母は見向きもしなかった。
シッターの仕事でも始めたのか、と聞いたら、弟だ、と言われた。
信じられなかった。
あの日から、母の男はコロコロと変わっていたから。
倫理観も壊れてしまったのかと、軽蔑の視線を向けても、母は気にも留めず葉巻を吹かせている。
煙は赤ん坊によくないんじゃないか、と聞きかじった知識から、おれはそいつを抱えて外に出た。
ふにゃふにゃとしていて、それなのにずっしりしている。
抱き方は見様見真似だった。何度も抱え方を変えているうちに、赤ん坊は泣き止んでいた。
あー、と鳴いて、おれの方へ手を伸ばした。
つやつやした瞳に、おれが映っている。
――こいつには、おれしかいないんだ。
そう思うと、じわじわと胸が熱くなった。穴が開いていたところが、ふさがっていくみたいに満たされていく心地。
こいつは、おれの弟なんだ、と馴染んでいく。
正義感とか、責任感とか、そういう綺麗なものではない。
ただ、おれにも家族が欲しかった。
友達じゃなくて、傍にいてくれる家族が、欲しかったんだ。
弟ができてから、おれは必死に働いた。
赤ん坊の時は、色々と物がいるし、世話もしなくちゃいけない。働き先の人が、気を利かせて弟の面倒を見てくれることもあって、すごく助かった。
弟が一歳になった頃、母が、家に帰ってこなくなった。
おれらを捨てたのか、死んだのか、殺されたのか、心中したのか。なにもわからないけど、おれと弟はふたりぼっちになった。
周りの大人は、おれたち兄弟に色々なものを分けてくれた。
食べ物とか、弟の世話とか。最初のうちは、それがすごくありがたかった。
けど、長く続けば、胸の奥が見えてしまう。
哀れだと、厄介だと、優しさだけじゃない感情が滲んでいた。
――申し訳なかった。
良くしてくれてるのに、そう思う自分も嫌だった。
だから、長い人付き合いを作るのをやめた。
いろんな場所で働く。家のことは伏せる。バレたら辞める。
そうしたら、どんどん周りから人はいなくなった。
けど、何の問題もなかった。
「――にいちゃん! おかえり!」
「ただいま!」
家に帰れば、弟――レグルスがいるから。
無垢な笑顔を向けられて、胸の内があたたかくほどけていくのがわかる。駆け寄ってくるのを抱き留めて、ふわりと宙に持ち上げると楽しげに笑い出した。
この笑顔が守れるなら、どんな仕事でも構わないと思っていた。
レグルスが二歳になった時。
街の中で、貴族を助けた。なぜか路地にいて、迷っていたのを助けただけ。すると貴族は、仕事に困っていないか、と言ってきた。
その時のおれは、家の事を察されて、ひとつ仕事を辞めたばかり。しかも、レグルスに本を買ってやりたくて金が欲しいと思ってたから、運が回ってきたとすぐに返事をした。
それにその貴族――トゥーナ子爵は、おれのことを何も知らない人間だから、気負いしなくて楽だった。何度か仕事を請け負った後も、仲を深めようとか、特にそういうのがなくて、いい働き口を見つけられたと思った。
トゥーナ子爵からの仕事は、さすが貴族とあって給金が良かった。だから、レグルスに沢山食わせられたし、本の金もすぐに溜まった。これだったら、我慢させていた色んなものを買ってやれると思った。
――きっと、慢心していたんだろう。
買った本を片手に、家の扉を勢いよく開ける。
「ただいま」と声を挙げれば、奥からレグルスがひょこっと顔を出して現れる……そのはずなのに、一向に来ない。
昼寝でもしているのか。ゆっくりとした足取りで、奥へ向かう。
――レグルスは倒れていた。
首が、正しくない方向に曲がっている。
棚の近くに椅子が倒れていた。
物を取ろうとして、バランスを崩して、それで……。
――それで、死んだ。
……。
…………。
………………。
ずっと頭がぼんやりと霞んでいた。それでも、レグルスを抱えて、父と同じ墓に埋めたのは覚えている。
意地にならずに、周りを頼っていればよかったのだろうか。
弟の面倒を見てくれと、頼めばよかったのだろうか。
……いや、危険なことをするなと、ちゃんと言い聞かせればよかったのだろう。
どっちにしろ、おれが悪い。
大切な存在がいなくなっても、死のうとは思わなかった。
ただ、ずっと世界がくすんで見えるだけ。
働く理由もなくなったから、トゥーナ子爵以外のところは辞めた。けど、仕事を転々としたせいで、顔だけは広くなってしまったから、体裁として何でも屋を始めた。
子爵からの仕事は夜が多いから、昼間は暇になった。
適当な公園に行って、適当にぼうっとする。そうしていたら、廃人だ、不審者だと言われるようになったので、適当な屋根上にいるようになった。
……まだ母が家にいた頃、あの時はいた友人たちと無茶をして、建物の登り降りをしていたことを思い出した。
「――ねえ! そこでなにしてるの!」
そうしていると、下から声を掛けられた。見てみれば、小さいガキが見上げている。
答える義理がないので黙っていると、なんとそのガキは、おれのところまで登ってきた。
「うわあ! 屋根上ってすごく気持ちが良いね!」
おれのことを気にせず、そのガキは大きく深呼吸をしてニコニコと笑っている。――その無邪気さが、レグルスと重なった。
思わず手を伸ばして、そのくりくりとした明るい茶髪を撫でまわす。ガキは驚きはしたものの、すぐに嬉しそうにした。
「ええ!? なにさあ!」
――おれは、ふっと笑みをこぼした。
「……あぶねえから、気をつけろよ」
「うん!」
ガキの名前はアニス。遊び相手を探していたらしい。
それからおれは、昼間は暇そうにしている子どもらの相手をするようになった。
集まって時間をつぶす姿が、昔の自分と重なったし、無邪気な姿はレグルスとも重なる。
……行き場のない感情が、本当はガキたちのためではないとわかっている。それでも……無事で、笑ってくれるなら、それでいいと思った。
数年経ったある日。また、路地で貴族を助けた。
ガキたちとの遊びの最中に甲高い悲鳴が聞こえたから、つい走り出していた。
パッと見ただけでもよくわかる華やかな姿に、ああ……貴族か、と理解するのは早かった。
助ける義理はなかった。ほんの少し考えて、ここで悪い噂が立ったら、子爵との仕事に悪影響があるかもしれないと思い至った。
思い切り声を挙げて、男たちの気を引いて、貴族の女の手を取った。
振り向き際に見えた女の潤んだ眼に、危ないところだったんだ、と同情して走り出す。
家の人間のところまで送り届けて、それで終わり。
……そのはずだったのに。
「もちろんよ! あなたは命の恩人なんだから!」
変な奴だと思った。
ついさっきひどい目に合わされそうになったのに、コロリと切り替えて詰め寄ってくる。
よく手入れのされた金髪も、新品の洋服も、見るからに大切にされてきたお姫様。
家名はなんと、建国からの歴史あるフォックス家。
関われることも、関わることもないはずの相手に、驚きよりも恐怖が勝った。
逃げ出して、ああ、変な奴だったと改めて思う。
新手のイベントか、はたまた夢かと思っていたのに。
――その女は、また、おれの前に現れた。
かくれんぼ遊びの最中、子どもらしき声が微かに聞こえて、場所を変えるか、と地面に着地した。
そしたら、ぱちり、と、昨日見た灰青の瞳と合わさった。
動けなくなっている間に、また詰め寄ってきて、挙句には手を掴まれた。
圧が強い。なんでここにいる。
振り払って突き放しても、意地だというように、女はおれを見つめた。
……なんで付きまとうんだよ。
得体が知れなくて、また、おれは逃げた。
でも、また迷子になってるんじゃ、と思って、気になって戻った。
そしたら、女は屋根上に登ろうとしていた。
驚くよりも先に、女の身体が宙に落ちていく。
――あのままじゃ死ぬ。
頭が弧を描いていくのを見て、体を前へと突き出していた。伸ばした腕に女の身体が乗って、緊張の糸がほどける。
女は目を丸くさせていた。恐ろしかったとか、そういうことを言わず、ただただ驚いている。
肝が据わったやつなのかもしれない。けどおれには、『心配されたこと』に驚いているように見えた。……そんなやついるのか?
ガキどもの圧がすごくて、成り行きで依頼を受けてしまった。けど、簡単に受けるつもりはなかった。これ以上、付きまとわれるのはうざったらしい。
体よく言いくるめて、土を投げつけた。髪にも、服にも。
助けられて、優しい人間だと思ってるなら勘違いだ。怒って、軽蔑して、早く帰ればいい。
それなのに、こいつはブレなかった。しっかりとおれを信じ切って、言いのける。
変な……面白い貴族の女だと思った。
プライドがなくて、平民のおれを尊敬なんかして、挙句、わかりやすい好意を抱いている。
その強引さが、どこまで続くのか。柄にもなく気になってしまって、おれはこいつを案内すると決めた。
普通の女の子だと思った。
初めての食べ物に表情をコロコロ変えて、一生懸命、会話を盛り上げようと頑張って。
警戒してたのがちょっとずつほどけて、肩の力が抜けていく。
友達ってこういうのだったな、と思い出して、またこういう関係を作ってもいいのかもしれないと、ちょっとだけ期待した。
けど、そういうのは、大概は裏切られる。
家の話を聞いて、ああ、そうなのか、と納得する。
本当にこいつは『心配されたこと』がないんだ。
だから、おれに縋って、家族の代わりを探している。
すごく寂しいやつだ。昔の――レグルスに救いを見出した、おれみたいだ。
そう思うと、胃のあたりがぐるりと回って気持ちが悪くなる。
だから、また突き放した。
けど、こいつは必死になっておれを引き留める。
ぼろぼろと涙を流している。
くしゃくしゃな顔が、おれにも移った。
……寂しいのはつらい。それはおれも知ってる。だから、その手を振り払えなかった。
あの女は、本当に独り立ちして、役所で働き始めたらしい。
それを知った時、もう会うことはないな、と漠然と思った。
親鳥を初めて見たひよこみたいに、あの女は、狭い世界でおれと出会っただけ。
そのはずなのに、あいつはまた現れた。
さらには、父親と重ねていないと撤回して……惚れてる、とか言ってきた。
……わからん。意味が分からん。正気とは思えない。一目惚れとか、創作の中だけだろ。
そう思うのに、顔が熱くなる。
変で、鬱陶しいと思っていたのに。
頬を染めながら、ふわりと笑った顔に、一瞬だけ目を奪われた。
きっとおれたちは、同じ寂しさを持っていて、自己満足の優しさで生きている。似ていると思う。
でも、こいつの自己満足の優しさは、強くて芯がある。
もう可哀想なやつじゃない。ひたむきに人生を生きようとしてる。
こいつを見てると、目の奥がチカチカして、胸の奥が炙られるみたいに、焼き付くような熱が生まれる。
気持ちの悪い感覚だ。それでも――手を伸ばしたい。
……ああ、これは良くない。
いつかは、あの女から離れないと。
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