第一話
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レオに案内されてやって来たのは、アトレ通り南広場という場所。
わたしが人混みを断念した辺りから南にある場所で、沢山の屋台が並び、活気に溢れていた。人々は物を買ったり食べたりと、みんなはとても楽しそう。
そんな様子を、わたしはなぜか、ほど近い路地から見つめている。
今すぐあの場所に行ってみたいのに、レオに止められてしまったのだ。
「ねえ、どうして止めるの? 見てみたい屋台が沢山あるのだけど……」
「行く前に、決めなきゃいけないことがあるんだよ」
言われたことに、わたしはきょとんとしてしまう。
レオはなぜか、呆れたような面持ちだ。
「おれはあんたを案内するけど、それはあんたが田舎から出稼ぎにきた娘だから、ということにさせてもらう。貴族様が歩いてるってばれたら、それだけで大混乱だからだ」
わたしは、なるほど、と頷いた。富裕層エリアのストレン通りでのことが、ここでも起きるかもしれないということだろう。けれど、ひとつの疑念が浮かぶ。
「でもわたし、ちゃんと平民らしい服装をしているわ。そう心配せずとも、わからないものじゃない?」
そう言うと、レオは、はっと嘲笑うように吹き出した。
「あんたの恰好は平民らしくねぇよ。生地が良質すぎる」
「えぇ!? わかるものなの?」
わたしは予想外に驚いた。ストレン通りであれだけ見られていたから、すっかりなりきれているものだと思っていたのに。
「麻だとしても、おれらが来ている物とは大違いだ。それに、服のデザインも凝ってる。まあ、お忍びの貴族様か、いいところの商家の娘だと思われるだろ」
「……それは困るわ。よそよそしくされてしまうかも、ということよね……」
変に気を使われて、あの活気ある空気を味わえないのは寂しい。
するとレオは、わたしの顔を覗き込んで、ニヤリと笑ってみせた。
「それだったら、ひとつ案がある。すぐにできることで、あんたは平民らしくなるよ」
「ほんとう!? ぜひお願いしたいわ」
わたしはすぐさま了承した。レオの機転は実のあるものだと、暴漢から助けてくれたときから知っている。だからきっと、彼の考えはわたしを助けてくれると信じられた。
「……だったら、あんたにも協力してほしいんだけど」
そう言ってレオは、試すように、凪いだ瞳を向けてきた。
真面目な雰囲気に反して、胸がどきどきと逸ってしまう。少し前まで嫌そうな表情ばかりだったのに、改めてしっかりと見つめられると、何とも言えない心地になった。
「おれが今からやることに、あんたはひとつも文句を言わない。……そう約束してくれ」
「かまわないわ。レオの指摘は的確だもの。わたしにとって必要なことだと思うわ」
にこりと笑って同意する。レオはぴくりと眉を動かしたけれど、わたしがもう一度笑顔を浮かべれば、文句がないことを受け取ってくれたようだった。
「……あぁ、そうかよ」
お互いの了承を確認すると、レオはしゃがみこんで片手を地面について撫で始めた。何往復かすると地面が削れて土砂ができる。
首をかしげながら様子を見ていると、レオは土砂を掴んで――わたしの身体に思い切り投げつけた。さらには、汚れた手をわたしの服にこすりつけてくる。服だけじゃない、髪も掴んでくしゃくしゃにしてしまった。
驚きのあまり一言も声があげられず、ぽかんと立ち尽くしてしまう。わたしは、今しがたされたことを、すぐに飲み込むことができなかった。
ぱちぱちと瞬きを繰り返して、レオの顔を見上げる。彼は眉も動かずに当然だと言いたげだった。
「平民らしくなるには汚れるのが一番だ。髪も、あんたのは綺麗すぎる」
淡々と理由を述べてから、レオはため息をついて、
「――それともなんだ、やっぱり文句があるのか」
苛立つように、そう言いのけた。
(……ああ、やっぱり。厄介だと思われているのね)
状況をようやく飲み込んで、わたしはそう思い至る。
依頼は受けてくれたものの、付き合っていられないとは感じているのだろう。だからこうして意地の悪いことをして、わたしを帰らせようとしている。
……けれど、だとしたら彼には申し訳ない。
今のわたしは、それとはまったく違う感想を抱いていたし、簡単に帰るわけにはいかなかったから。
「……さ」
「さ?」
「さすがだわ!」
私が大きな声を挙げると、レオは目をまん丸くさせた。
「汚れるなんて、わたしは少しも考え付かなかったもの! やっぱり、レオの指摘は的確だわ!」
「……あんた、少しは怒らないのかよ」
「ちゃんとあなたに了承したじゃない」
「だとしても……綺麗にしてきた髪を台無しにされたら、女は怒るだろ」
……もしかして、そういう経験があるのだろうか。
だとしたら、少しだけ面白くない。
不満は飲み込みつつ、わたしは首を振って、その考えを否定した。
「驚きはしたけど、怒りはないわ。わたしは、あなたと屋台を見て回りたいの。そのためなら、過程も手段も関係のないことよ」
わたしがきっぱりと言い切ると、レオは、小さく笑いを零した。
決してわたしを嘲笑うようなものではなく、純粋に堪えきれなくて、溢れたような笑い声だった。
「あんたすげぇな……こんなやつがいるのかよ……」
警戒するような目つきが和らいで、今度は珍しいものを見るようにじろじろと観察された。
距離が近づいたのは嬉しいことだが、こう見られてはそわそわしてしまう。
わたしは切り替えるように、一歩下がって彼に質問した。
「ねぇ、これで平民らしくなった? やっと屋台を見に行けるかしら」
「……あぁ、十分だよ。ほら、悪かったな」
レオは乱雑な手つきで、わたしの髪と服についた土砂を払ってくれる。
遠慮のない慣れた動作から、こういうところが『お兄ちゃん』なんだと感じた。
けれど、距離が近づいて、髪を触られることに顔が熱くなるのは、安堵とは違う不思議な心地で。こういうことは、どう表現したらいいのだろう。わたしは、そっと俯いた。
「今日は月に一度のオールバザールの日だ。外国の行商人の出店したりして、普段より活気がある」
「こういうことが年に何回もあったのね。初めて知ったわ」
「……ずっと思ってたけど。あんたって、箱入りってやつ?」
「ええそうよ。昨日から、箱入りをやめたの!」
わたしがニコッと笑うと、レオは「ふーん」と言って、ちょっとだけ笑った。
その笑顔に胸が温かくなって、くすぐったい心地になる。ずっと笑ってくれないかな、なんて思うのは贅沢だろうか。
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「南アトレは住宅が多くて、この広場も、いるのは子どもかその親くらいだ。通りで見るよりかは、息がつけるし店も見れる。さて、何から見る?」
「何から? ……えっと」
広場をぐるりと見渡して、わたしは一瞬、思考が止まってしまった。通りでは、引き寄せられるようだったのに、今ではすっかり尻込みしてしまう。どれから選べばいいのだろう。
わたしは出店をひとつずつ見て行って、ある店に目星をつけた。
「あのきらきらした棒に刺さっているのは何? 食べ物なの?」
果物にしては、つやつやときらめいていて、見ているとなんだか心が浮き立ってくる。
「飴掛け串だよ。果物に飴を掛けたやつ。甘くて子どもに人気がある」
「なんだか食べにくそうね。お皿とフォークで提供できないの?」
「そこまでコストをかけてたら利益が出ないんだろ」
ああ、なるほど、と納得する。棒も串というものらしく、同じ方法で、焼いた肉や魚が別の出店では売られていた。屋敷の食事とは異なる様式が珍しくて、ついじろじろと見つめてしまう。
「……気になるなら、買ってみればいいんじゃねえの?」
レオがぽつりと、そうつぶやいた。
確かにそう。見ているだけでも楽しいけれど、実際に体験しなければ勿体ない。
レオの言葉に背中を押されて、わたしは少し緊張しながら出店に向かった。
「いらっしゃい!」
「えっと……イチゴの飴掛けをくれるかしら」
「はいよ、銅貨五枚ね」
お金を取り出そうとしたところで、あっ、と体が固まる。持ってきていたお金は銀貨しかなかったのだ。これではお店に迷惑だ。
店主が怪訝な顔になってしまって、わたしはさらに焦って頭が真っ白になる。どうしよう、と思った瞬間。
「――おじさん、これ代金。ちょうどだから」
「おお、ちょうどね。まいど」
後ろから現れたレオが、流れるように支払いを済ませてしまった。驚くわたしに構わず、レオは空いていたベンチに行ってしまう。店主からイチゴ飴を受け取って、わたしは彼を追いかけた。
「レオ、ありがとう。あの、代金返すわ」
「いいよ、経費にする。さっきもらった前金から引いても余る」
「よくないわ……! ちゃんと両替して返すから」
じぃっとレオの目を見つめると、彼はちょっと口角を上げた。
「あんた、ほんとに頑固だな」
柔らかい眼差しに、胸が小さく跳ねる。それでいて、無性に早くこのイチゴを食べたくなった。食べてしまって、逸る気持ちを紛らわせてしまいたくなる。わたしは、少し早足になった。
広場の隅にある木陰のベンチに腰掛ける。そしてわたしはイチゴの飴掛けを恐る恐る口にした。パリパリとした初めての触感にびくりと肩が跳ねたが、また一口と食べ進める。
「気に入ったみたいでなにより」
「ええ! イチゴは早採りのもので酸味が強いけれど、飴掛けのおかげで丁度良い甘さになっているわ。作り手の工夫を感じるわね」
わたしが感想を言うと、レオはなぜか目を見開いた。
「おお……ソウデスカ……」
なぜ片言なのだろう。わたしが首を傾げると、レオは、気にせず食べろと促してきた。
よくわからないが、深く聞かないことにしよう。
「……レオは何か食べないの?」
「おれは、そこの肉串を買うかな。甘いの苦手だし」
「……レオって甘いの苦手なのね」
思わぬ収穫だ。せっかくだし、もっと聞いてみよう。
「えっと、レオって面倒見がいいのね。もしかして、ご兄弟がいるとか?」
無難な質問をしたつもりだったのだが、すぐに返答が来ず、そろりとレオの様子を伺った。
彼は――仮面のような無表情だった。
「……別に、そういうのはいない」
さらに、酷く平坦な声を聴いて、わたしは、やってしまったと後悔した。
たらり、と冷や汗が背中を伝う心地もする。
この話はやめようと心に決めて、わたしはすぐさま話題を変えた。
「ええっと、その、趣味! 趣味はある? もしくは得意なこととか」
「……趣味は、ガキたちの相手をすることかな。得意なことは、体を動かすこと?」
冷たい表情が和らいだうえに、ちゃんと返事をしてくれた。
それが嬉しくて、わたしは前のめりに相槌を打つ。
「確かに! レオって身のこなしがすごいわ。ひょいっと屋根に上れるもの」
「あんたは、あとちょっとだったよな」
「そうなの! 筋肉が足りなかったのかしら……」
神妙な顔で力こぶのポーズをしていると、レオは吹き出して笑いだした。
「貴族のお姫様がそんな構えするなよ……ははっ、笑える……っ」
今までで一番の笑い声に驚く。それでいて、子どもっぽく笑う姿が、目に焼き付いた。笑ってくれたことが嬉しくて、わたしも同じようにクスリと笑う。
「もう、そんなに面白い? この構えが?」
「はっ……似合わねー」
レオは楽しそうにニヤリと笑った。
やっぱり、彼の笑顔は好ましいと思う。ずっと見ていたい魅力があって、わたしは笑顔を引き出すことに必死になっている。それは、いったいどうしてなのかは、わからなかった。
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「……ここは他にもいろいろ売られているわね」
改めて出店を見渡すと、たくさんの食べ物が売られていると思う。
食べ物だけじゃない、雑貨やくじもあって、見ているとやっぱりわくわくと胸が躍り出す。
小さな子供が、わたしと同じようにきょろきょろと見渡して、先ほどの飴掛け屋へと駆けて行った。そんな光景が、とても羨ましく思える。
「……選べるって素晴らしいことね」
ふいに、そんな言葉が零れ落ちた。
「あんた、世間知らずとはいえ貴族なんだから、選び放題なんじゃねぇの」
レオは不思議そうに聞いてきた。けれど、わたしは首を横に振る。
「わたしは、何かを選んだ経験ってほとんどないわ。ある意味、恵まれていたから……」
わたしは俯いて食べきった串を見つめながら、過去の自分を思い返した。
そうだ、恵まれている。質の良い衣食住で育てられたのだから、きっと間違いない。
イリヤが近くにいてくれたから、寂しくもなかった。
それでも、埋まらない何かが、あったような――。
「……なあ、あんた。そろそろ夕の鐘が鳴る時間だけど、迎えはどこに置いてきたわけ」
「……えっ?」
顔を覗き込んできたレオの声が、深く考え込んでいたわたしを呼び起こした。
「場所によっては、今から向かわないと暗くなるし。まあ、そこまでは送るよ」
レオはベンチから立ち上がって、眉を下げて心配そうに、わたしの方を向いた。その優しさに、ふっと笑みがこぼれる。
「……あぁ、もうそんな時間。ありがとう。でも大丈夫よ。わたし、今日は屋敷から歩いてきたから」
「は? なんでそんなこと……」
後払い金を取り出しながら、どう答えようか迷った。
レオは兄弟の話が駄目なようだし、家族の話も、あまり気分の良いものではないと思うから……。
「独り立ちする準備をしているの。父と……仲が悪くて……」
無難だと思う切り出しをして伝える。
そしてわたしは、依頼料の後払い金をレオに差し出した。
けれど、彼は一向に受け取る様子がしない。
わたしが首を傾げると、レオがぽつりとつぶやいた。
「――父親の、代わりってことか」
「…………えっ」
平坦な声色でつぶやかれる。
向けられた視線が酷く冷たいもので、思わず身を竦ませた。
「あんた、また来る気か?」
「え? ええ。昨日のお礼は渡せたけど、あなたと友達になりたいの。だから、また会いに来たいと思っているわ」
「……だったら、断る。あんたとの依頼はこれきりだ」
ドクンと、心臓が嫌な音を立てる。爪先からすうっと冷えていく心地だった。
「ど……うして……?」
「あんたといると、気分が悪くなるから」
今度はズキンと、胸に痛みが走る。
少しでも近づけたと思っていたのは、わたしだけだったのかもしれない。
笑い合えたから、勘違いをしてしまったのだろうか。
「家の話を聞いて合点がいったよ。……あんた、おれを父親代わりにしてるんだろ」
「……えっ……?」
「一回助けたくらいで、こんなに執着するのありえねぇから。友達とか、心配されたいとか、そういうのは他を当たってくれ」
「ちっ、ちが……違うわ!」
思わず大きな声を出して、レオの手を掴んだ。彼はこちらを向こうとはしない。
言われた言葉がぐるぐると頭を回って、うまく声にできなかった。
お父様の代わりなんて、考えたこともなかったけれど、もし無意識に求めていたとしたら……。
(……そんなの……レオに失礼だわ……っ)
否定したいのに、思いきれない自分が憎かった。
気持ちがまとまりきらなくなって、ぽろり、と涙が頬を伝う。泣くなんて、もっとレオを困らせるだけなのに。
きっと掴んでいる手も意味がなくて、振り払われてしまう。
……そう思っていたのに、掴んだ手は離されることはなく、レオはじっとその場に留まっていた。
見上げると、くしゃりと顔を歪ませている。
……どうして、困ったような表情のままなのだろう。振り払われない理由が、わからなかった。けれど、確かなことがひとつあった。
「――……やっぱり、レオは優しいわ」
言葉にして、思わず笑みがこぼれる。
暴漢から助けてくれたときも、落ちたわたしを助けたときも、そして今も。
彼は、見捨てない優しさを、わたしに与えてくれる。
だから、わたしはレオを諦められないんだ。
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