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第一話


 ●

 

 レオに案内されてやって来たのは、アトレ通り南広場という場所。

 わたしが人混みを断念した辺りから南にある場所で、沢山の屋台が並び、活気に溢れていた。人々は物を買ったり食べたりと、みんなはとても楽しそう。

 そんな様子を、わたしはなぜか、ほど近い路地から見つめている。

 今すぐあの場所に行ってみたいのに、レオに止められてしまったのだ。

 

「ねえ、どうして止めるの? 見てみたい屋台が沢山あるのだけど……」

「行く前に、決めなきゃいけないことがあるんだよ」

 

 言われたことに、わたしはきょとんとしてしまう。

 レオはなぜか、呆れたような面持ちだ。

 

「おれはあんたを案内するけど、それはあんたが田舎から出稼ぎにきた娘だから、ということにさせてもらう。貴族様が歩いてるってばれたら、それだけで大混乱だからだ」

 

 わたしは、なるほど、と頷いた。富裕層エリアのストレン通りでのことが、ここでも起きるかもしれないということだろう。けれど、ひとつの疑念が浮かぶ。

 

「でもわたし、ちゃんと平民らしい服装をしているわ。そう心配せずとも、わからないものじゃない?」

 

 そう言うと、レオは、はっと嘲笑うように吹き出した。

 

「あんたの恰好は平民らしくねぇよ。生地が良質すぎる」

「えぇ!? わかるものなの?」

 

 わたしは予想外に驚いた。ストレン通りであれだけ見られていたから、すっかりなりきれているものだと思っていたのに。

 

「麻だとしても、おれらが来ている物とは大違いだ。それに、服のデザインも凝ってる。まあ、お忍びの貴族様か、いいところの商家の娘だと思われるだろ」

「……それは困るわ。よそよそしくされてしまうかも、ということよね……」

 

 変に気を使われて、あの活気ある空気を味わえないのは寂しい。

 するとレオは、わたしの顔を覗き込んで、ニヤリと笑ってみせた。

 

「それだったら、ひとつ案がある。すぐにできることで、あんたは平民らしくなるよ」

「ほんとう!? ぜひお願いしたいわ」

 

 わたしはすぐさま了承した。レオの機転は実のあるものだと、暴漢から助けてくれたときから知っている。だからきっと、彼の考えはわたしを助けてくれると信じられた。

 

「……だったら、あんたにも協力してほしいんだけど」

 

 そう言ってレオは、試すように、凪いだ瞳を向けてきた。

 真面目な雰囲気に反して、胸がどきどきと逸ってしまう。少し前まで嫌そうな表情ばかりだったのに、改めてしっかりと見つめられると、何とも言えない心地になった。

 

「おれが今からやることに、あんたはひとつも文句を言わない。……そう約束してくれ」

「かまわないわ。レオの指摘は的確だもの。わたしにとって必要なことだと思うわ」

 

 にこりと笑って同意する。レオはぴくりと眉を動かしたけれど、わたしがもう一度笑顔を浮かべれば、文句がないことを受け取ってくれたようだった。

 

「……あぁ、そうかよ」

 

 お互いの了承を確認すると、レオはしゃがみこんで片手を地面について撫で始めた。何往復かすると地面が削れて土砂ができる。

 首をかしげながら様子を見ていると、レオは土砂を掴んで――わたしの身体に思い切り投げつけた。さらには、汚れた手をわたしの服にこすりつけてくる。服だけじゃない、髪も掴んでくしゃくしゃにしてしまった。

 驚きのあまり一言も声があげられず、ぽかんと立ち尽くしてしまう。わたしは、今しがたされたことを、すぐに飲み込むことができなかった。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返して、レオの顔を見上げる。彼は眉も動かずに当然だと言いたげだった。

 

「平民らしくなるには汚れるのが一番だ。髪も、あんたのは綺麗すぎる」

 

 淡々と理由を述べてから、レオはため息をついて、

 

「――それともなんだ、やっぱり文句があるのか」

 

 苛立つように、そう言いのけた。

 

(……ああ、やっぱり。厄介だと思われているのね)

 

 状況をようやく飲み込んで、わたしはそう思い至る。

 依頼は受けてくれたものの、付き合っていられないとは感じているのだろう。だからこうして意地の悪いことをして、わたしを帰らせようとしている。

 ……けれど、だとしたら彼には申し訳ない。

 今のわたしは、それとはまったく違う感想を抱いていたし、簡単に帰るわけにはいかなかったから。

 

「……さ」

「さ?」

「さすがだわ!」

 

 私が大きな声を挙げると、レオは目をまん丸くさせた。

 

「汚れるなんて、わたしは少しも考え付かなかったもの! やっぱり、レオの指摘は的確だわ!」

「……あんた、少しは怒らないのかよ」

「ちゃんとあなたに了承したじゃない」

「だとしても……綺麗にしてきた髪を台無しにされたら、女は怒るだろ」

 

 ……もしかして、そういう経験があるのだろうか。

 だとしたら、少しだけ面白くない。

 不満は飲み込みつつ、わたしは首を振って、その考えを否定した。

 

「驚きはしたけど、怒りはないわ。わたしは、あなたと屋台を見て回りたいの。そのためなら、過程も手段も関係のないことよ」

 

 わたしがきっぱりと言い切ると、レオは、小さく笑いを零した。

 決してわたしを嘲笑うようなものではなく、純粋に堪えきれなくて、溢れたような笑い声だった。

 

「あんたすげぇな……こんなやつがいるのかよ……」

 

 警戒するような目つきが和らいで、今度は珍しいものを見るようにじろじろと観察された。

 距離が近づいたのは嬉しいことだが、こう見られてはそわそわしてしまう。

 わたしは切り替えるように、一歩下がって彼に質問した。

 

「ねぇ、これで平民らしくなった? やっと屋台を見に行けるかしら」

「……あぁ、十分だよ。ほら、悪かったな」

 

 レオは乱雑な手つきで、わたしの髪と服についた土砂を払ってくれる。

 遠慮のない慣れた動作から、こういうところが『お兄ちゃん』なんだと感じた。

 けれど、距離が近づいて、髪を触られることに顔が熱くなるのは、安堵とは違う不思議な心地で。こういうことは、どう表現したらいいのだろう。わたしは、そっと俯いた。

 

「今日は月に一度のオールバザールの日だ。外国の行商人の出店したりして、普段より活気がある」

「こういうことが年に何回もあったのね。初めて知ったわ」

「……ずっと思ってたけど。あんたって、箱入りってやつ?」

「ええそうよ。昨日から、箱入りをやめたの!」

 

 わたしがニコッと笑うと、レオは「ふーん」と言って、ちょっとだけ笑った。

 その笑顔に胸が温かくなって、くすぐったい心地になる。ずっと笑ってくれないかな、なんて思うのは贅沢だろうか。

 

 ●


「南アトレは住宅が多くて、この広場も、いるのは子どもかその親くらいだ。通りで見るよりかは、息がつけるし店も見れる。さて、何から見る?」

「何から? ……えっと」

 

 広場をぐるりと見渡して、わたしは一瞬、思考が止まってしまった。通りでは、引き寄せられるようだったのに、今ではすっかり尻込みしてしまう。どれから選べばいいのだろう。

 わたしは出店をひとつずつ見て行って、ある店に目星をつけた。

 

「あのきらきらした棒に刺さっているのは何? 食べ物なの?」

 

 果物にしては、つやつやときらめいていて、見ているとなんだか心が浮き立ってくる。

 

「飴掛け串だよ。果物に飴を掛けたやつ。甘くて子どもに人気がある」

「なんだか食べにくそうね。お皿とフォークで提供できないの?」

「そこまでコストをかけてたら利益が出ないんだろ」

 

 ああ、なるほど、と納得する。棒も串というものらしく、同じ方法で、焼いた肉や魚が別の出店では売られていた。屋敷の食事とは異なる様式が珍しくて、ついじろじろと見つめてしまう。

 

「……気になるなら、買ってみればいいんじゃねえの?」

 

 レオがぽつりと、そうつぶやいた。

 確かにそう。見ているだけでも楽しいけれど、実際に体験しなければ勿体ない。

 レオの言葉に背中を押されて、わたしは少し緊張しながら出店に向かった。

 

「いらっしゃい!」

「えっと……イチゴの飴掛けをくれるかしら」

「はいよ、銅貨五枚ね」

 

 お金を取り出そうとしたところで、あっ、と体が固まる。持ってきていたお金は銀貨しかなかったのだ。これではお店に迷惑だ。

 店主が怪訝な顔になってしまって、わたしはさらに焦って頭が真っ白になる。どうしよう、と思った瞬間。

 

「――おじさん、これ代金。ちょうどだから」

「おお、ちょうどね。まいど」

 

 後ろから現れたレオが、流れるように支払いを済ませてしまった。驚くわたしに構わず、レオは空いていたベンチに行ってしまう。店主からイチゴ飴を受け取って、わたしは彼を追いかけた。

 

「レオ、ありがとう。あの、代金返すわ」

「いいよ、経費にする。さっきもらった前金から引いても余る」

「よくないわ……! ちゃんと両替して返すから」

 

 じぃっとレオの目を見つめると、彼はちょっと口角を上げた。

 

「あんた、ほんとに頑固だな」

 

 柔らかい眼差しに、胸が小さく跳ねる。それでいて、無性に早くこのイチゴを食べたくなった。食べてしまって、逸る気持ちを紛らわせてしまいたくなる。わたしは、少し早足になった。


 

 広場の隅にある木陰のベンチに腰掛ける。そしてわたしはイチゴの飴掛けを恐る恐る口にした。パリパリとした初めての触感にびくりと肩が跳ねたが、また一口と食べ進める。

 

「気に入ったみたいでなにより」

「ええ! イチゴは早採りのもので酸味が強いけれど、飴掛けのおかげで丁度良い甘さになっているわ。作り手の工夫を感じるわね」

 

 わたしが感想を言うと、レオはなぜか目を見開いた。

 

「おお……ソウデスカ……」

 

 なぜ片言なのだろう。わたしが首を傾げると、レオは、気にせず食べろと促してきた。

 よくわからないが、深く聞かないことにしよう。

 

「……レオは何か食べないの?」

「おれは、そこの肉串を買うかな。甘いの苦手だし」

「……レオって甘いの苦手なのね」

 

 思わぬ収穫だ。せっかくだし、もっと聞いてみよう。

 

「えっと、レオって面倒見がいいのね。もしかして、ご兄弟がいるとか?」

 

 無難な質問をしたつもりだったのだが、すぐに返答が来ず、そろりとレオの様子を伺った。

 彼は――仮面のような無表情だった。

 

「……別に、そういうのはいない」

 

 さらに、酷く平坦な声を聴いて、わたしは、やってしまったと後悔した。

 たらり、と冷や汗が背中を伝う心地もする。

 この話はやめようと心に決めて、わたしはすぐさま話題を変えた。

 

「ええっと、その、趣味! 趣味はある? もしくは得意なこととか」

「……趣味は、ガキたちの相手をすることかな。得意なことは、体を動かすこと?」

 

 冷たい表情が和らいだうえに、ちゃんと返事をしてくれた。

 それが嬉しくて、わたしは前のめりに相槌を打つ。

 

「確かに! レオって身のこなしがすごいわ。ひょいっと屋根に上れるもの」

「あんたは、あとちょっとだったよな」

「そうなの! 筋肉が足りなかったのかしら……」

 

 神妙な顔で力こぶのポーズをしていると、レオは吹き出して笑いだした。

 

「貴族のお姫様がそんな構えするなよ……ははっ、笑える……っ」

 

 今までで一番の笑い声に驚く。それでいて、子どもっぽく笑う姿が、目に焼き付いた。笑ってくれたことが嬉しくて、わたしも同じようにクスリと笑う。

 

「もう、そんなに面白い? この構えが?」

「はっ……似合わねー」

 

 レオは楽しそうにニヤリと笑った。

 やっぱり、彼の笑顔は好ましいと思う。ずっと見ていたい魅力があって、わたしは笑顔を引き出すことに必死になっている。それは、いったいどうしてなのかは、わからなかった。


 ●


「……ここは他にもいろいろ売られているわね」

 

 改めて出店を見渡すと、たくさんの食べ物が売られていると思う。

 食べ物だけじゃない、雑貨やくじもあって、見ているとやっぱりわくわくと胸が躍り出す。

 小さな子供が、わたしと同じようにきょろきょろと見渡して、先ほどの飴掛け屋へと駆けて行った。そんな光景が、とても羨ましく思える。

 

「……選べるって素晴らしいことね」

 

 ふいに、そんな言葉が零れ落ちた。

 

「あんた、世間知らずとはいえ貴族なんだから、選び放題なんじゃねぇの」

 

 レオは不思議そうに聞いてきた。けれど、わたしは首を横に振る。

 

「わたしは、何かを選んだ経験ってほとんどないわ。ある意味、恵まれていたから……」

 

 わたしは俯いて食べきった串を見つめながら、過去の自分を思い返した。

 そうだ、恵まれている。質の良い衣食住で育てられたのだから、きっと間違いない。

 イリヤが近くにいてくれたから、寂しくもなかった。

 それでも、埋まらない何かが、あったような――。

 

「……なあ、あんた。そろそろ夕の鐘が鳴る時間だけど、迎えはどこに置いてきたわけ」

「……えっ?」

 

 顔を覗き込んできたレオの声が、深く考え込んでいたわたしを呼び起こした。

 

「場所によっては、今から向かわないと暗くなるし。まあ、そこまでは送るよ」

 

 レオはベンチから立ち上がって、眉を下げて心配そうに、わたしの方を向いた。その優しさに、ふっと笑みがこぼれる。

 

「……あぁ、もうそんな時間。ありがとう。でも大丈夫よ。わたし、今日は屋敷から歩いてきたから」

「は? なんでそんなこと……」

 

 後払い金を取り出しながら、どう答えようか迷った。

 レオは兄弟の話が駄目なようだし、家族の話も、あまり気分の良いものではないと思うから……。

 

「独り立ちする準備をしているの。父と……仲が悪くて……」

 

 無難だと思う切り出しをして伝える。

 そしてわたしは、依頼料の後払い金をレオに差し出した。

 けれど、彼は一向に受け取る様子がしない。

 わたしが首を傾げると、レオがぽつりとつぶやいた。

 

「――父親の、代わりってことか」

「…………えっ」

 

 平坦な声色でつぶやかれる。

 向けられた視線が酷く冷たいもので、思わず身を竦ませた。

 

「あんた、また来る気か?」

「え? ええ。昨日のお礼は渡せたけど、あなたと友達になりたいの。だから、また会いに来たいと思っているわ」

「……だったら、断る。あんたとの依頼はこれきりだ」

 

 ドクンと、心臓が嫌な音を立てる。爪先からすうっと冷えていく心地だった。

 

「ど……うして……?」

「あんたといると、気分が悪くなるから」

 

 今度はズキンと、胸に痛みが走る。

 少しでも近づけたと思っていたのは、わたしだけだったのかもしれない。

 笑い合えたから、勘違いをしてしまったのだろうか。

 

「家の話を聞いて合点がいったよ。……あんた、おれを父親代わりにしてるんだろ」

「……えっ……?」

「一回助けたくらいで、こんなに執着するのありえねぇから。友達とか、心配されたいとか、そういうのは他を当たってくれ」

「ちっ、ちが……違うわ!」

 

 思わず大きな声を出して、レオの手を掴んだ。彼はこちらを向こうとはしない。

 言われた言葉がぐるぐると頭を回って、うまく声にできなかった。

 お父様の代わりなんて、考えたこともなかったけれど、もし無意識に求めていたとしたら……。

 

(……そんなの……レオに失礼だわ……っ)

 

 否定したいのに、思いきれない自分が憎かった。

 気持ちがまとまりきらなくなって、ぽろり、と涙が頬を伝う。泣くなんて、もっとレオを困らせるだけなのに。

 きっと掴んでいる手も意味がなくて、振り払われてしまう。

 ……そう思っていたのに、掴んだ手は離されることはなく、レオはじっとその場に留まっていた。

 見上げると、くしゃりと顔を歪ませている。

 ……どうして、困ったような表情のままなのだろう。振り払われない理由が、わからなかった。けれど、確かなことがひとつあった。

 

「――……やっぱり、レオは優しいわ」

 

 言葉にして、思わず笑みがこぼれる。

 暴漢から助けてくれたときも、落ちたわたしを助けたときも、そして今も。

 彼は、見捨てない優しさを、わたしに与えてくれる。

 だから、わたしはレオを諦められないんだ。

 

 ●

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