第二話 東播磨の領主―別所家⑧
桜はまっすぐ長治の瞳を射抜くように見据えている。
「いったい何しにこられたのか……!」
長治は声を震わせながら吐き捨てた。
「言っておくが、赤松家からの援軍など不要! 我らは誇りある独立大名――」
――パァーンッ!!
乾いた音が夜空を裂いた。
一瞬、時間が止まったように誰もが息をのむ。
遅れて、長治の頬に鋭い痛みが走り、赤く腫れ上がる。
その場にいた兵たちがどよめき、怒号が上がった。
「きっ、貴様! 殿になにをするかっ!」
別所家臣のひとりが激昂し、腰の刀に手をかける。
「殿っ……!」
善助が思わず一歩踏み出し、刀の柄に手をかけて桜をかばうように立つ。
長治は両目を大きく見開き、驚愕と屈辱に震える。
その目を正面から受け止め、桜は叫んだ。
「降伏しなさい!! 今、すぐに!!」
「な……っ!」
長治は声を詰まらせる。
「ふ、ふざけるなっ!! 貴様!!」
怒りに任せた叫びは、どこか空虚に響いていた。
桜は一歩踏み出し、声を張り上げる。
「私に領主がなんだと語っておいて、この惨状はなに? あなたの領主像は……こんな姿なの?」
長治の顔から血の気が引いていく。彼は広場に目を走らせた。
痩せこけて座り込む兵、力なくうずくまる女、冷たくなった子を抱いて泣き崩れる母……。
その光景が、彼の言葉を次々に押し潰していく。
「き……貴様などに、なにがわかる!」
長治は身を乗り出し、喉を張り裂けんほどに叫んだ。声は広場に反響し、柱の間を震わせる。
「当主になってまだ間もない貴様に! 俺たちの誇りなど!!」
その叫びは痛みに似ていた。血走った目は、必死に自らを奮い立たせようとする獣のようで、声を重ねるごとに掠れていく。
「別所家が滅べばおしまいなのだ! 代々続いた家も! それを慕ってついてきた民の暮らしも!」
額に浮かぶ汗を袖で拭う間もなく、荒々しい言葉がさらに吐き出される。
「それに! 我らが降伏すれば、織田軍の次の狙いはお前達だ! 我らが降伏して困るのはお前達だろうが!」
必死に吠えるその声は確かに大きかった。だが、震えていた。唇の端が小刻みに痙攣し、膝に当たる拳は力を入れるほど白くなり、今にも砕けそうだった。
桜は静かに息を吸い込み、吐き出すと、落ち着いた声で返した。
「あなたが家を思う気持ち、領民を思う気持ち……ちゃんと伝わってる。」
凛とした眼差しが長治を射抜く。広場の空気がぴんと張り詰め、その場にいた兵や家臣たちすら息を呑む。
「でも――とっくに勝負はついてる。」
長治の喉がごくりと鳴った。広場の静けさの中、それはやけに大きく響き、己の敗北を告げる鐘の音のように聞こえた。彼の拳は膝に深く押しつけられ、爪が食い込み、血の気が引いていた。
桜はその視線を逸らさず、さらに言葉を重ねる。
「一緒にここへ来た民たちが、ずっと呟いてた。」
静かでありながら、心臓を突くような言葉だった。
「……長治様、助けて……助けて、って。」
「うっ……く……」
長治は歯を食いしばった。だが抑えきれず、瞳の端から涙が溢れ出す。声はかすれ、喉は詰まり、ただ唇が震えるばかり。大将であるべき男の肩が、情けなくも小刻みに揺れた。
桜は一歩近づき、静かにその肩に手を置いた。柔らかいはずのその手は、不思議な重さをもって長治を押しとどめる。
「もう、終わりにしてあげて。」
長治は口を開きかけたものの、声は喉の奥でつかえて出なかった。
周囲を取り巻く兵や領民の視線が、槍より鋭く突き刺さる。長治はただ肩を震わせるしかなかった。
(わかっていた……わかっていたのだ……勝ち目が無い事など……それなのに我は……)
「ご先祖様……申し訳ございませぬ……民たちよ……すまぬ……」
やがて、うつむいたまま搾り出すように言葉を吐く。
「……我らは、降伏する。」




