第八話 天神山城攻略戦①
朝日に照らされた備前の地を、家紋『兒文字』を掲げた宇喜多軍が進軍していた。
甲冑の軋む音、空高く吊るされた軍旗が風を裂くようにはためき、周囲に緊迫した空気を漂わせている。
馬上の小西行長が前を行く宇喜多直家に声をかけた。
「宇喜多はん。こない全軍で天神山城の攻撃に向かってええんですか。妖怪どもも警戒したほうが……」
その声には、明らかに不安がにじんでいた。
元主君である浦上家を滅ぼす……。下剋上を叶えるため、宇喜多軍はほぼ総兵力―五千をもって出陣していた。
もし妖怪たちに本拠地を狙われでもしたら……。
宇喜多直家は静かに馬を止め、背後を振り返ることなく低く応えた。
「今頃赤松家が、妖怪どもの本拠地を攻撃しておる。あやつら、こちらへ介入する余裕はないであろうよ」
その声音には確固たる自信と冷酷な計算が滲んでいた。
行長は目を細め、微笑を浮かべた。
「さすが宇喜多はん、抜け目ありまへんな」
その言葉には皮肉も恐れもなく、むしろ聡明な主への敬意が込められていた。
やがて、前方の靄が晴れ、遠く山の中腹にそびえる巨大な城が姿を現した。
浦上家の本拠、天神山城――その石垣は重厚にして高く、幾重にも張り巡らされた防衛線を持つ。そこを五千の兵が固く守り、まさに難攻不落の要塞そのものだった。
宇喜多直家の目が鋭く光る。
「行長、全登。そなたらの隊は正門より堂々と攻めよ。作戦が気取られぬよう、全力で攻め立てるのじゃ」
馬上で行長が腰のサーベルに手を添え、口元を歪めて笑った。
「よっしゃ、派手にやらせてもらいまひょ!」
「はッ」
隣で明石全登が頷き、鋭い目を敵城に向ける。
一方で天守の高みから、迫りくる宇喜多軍を見下ろす浦上宗景は、怒りを隠せず唇をかみしめていた。
「おのれ直家……戦場で寝返るだけに飽き足らず、わが本拠地・天神山城を攻めるとは……。まさか備前を、丸ごと乗っ取るつもりか!」
宗景の怒声が城内に響く。彼は即座に命じた。
「防備を固めよ!宇喜多軍を一人たりとも城に入れるな!」
その傍らに控える大男……竹内久盛に、宗景が眼差しを向ける。
「頼んだぞ、久盛」
久盛は短く、しかし重々しく答えた。
「オウ!」
その声には、巨漢ならではの迫力がこもっていた。
朝、城下町の外れにある道場の入り口にて
朝靄がまだ町を包んでいる時間。陽は東の山の端から差し始めたばかりで、薄い光が、城下から離れた山の上の道場を静かに照らしていた。
竹内久盛は、道場の入り口に立っていた。彼の足元には霜がうっすらと残り、草履からはひんやりとした感触が伝わる。
久盛はいつもよりも重い道着を身に着け、鍛え上げた四肢の上から手甲、脛当を締めていた。
そこには普段の道場主ではない、戦へ向かう武人の姿があった。
久盛の前に、小さな門下生たちが集まっている。
「先生、戦に行っちゃうの?」
声をかけたのは、まだ十ほどの男の子。裾の長い稽古着を引きずりながら、目をうるませて見上げていた。
久盛は一度口を結び、道場の柱に手を置いた。無骨な指先が木の節をなぞるようにゆっくりと動く。
「……ああ」
やがて、彼は短く答えた。
武人―竹内久盛。鍛え上げられた腕と広い肩を持つその男は、道場の子供たちにとっては「先生」であり、町人たちにとっては頼れる武芸者であった。だがその背後には、戦乱の爪痕と深い孤独が横たわっている。両親を失い、身寄りのない孤児たちを一人、また一人と引き取り、今は養い育てていた。
道場の板張りの床に残る古い擦り傷、油を吸い込んだ太い梁、子供たちが稽古の合間に描いた落書き――どれもが久盛の暮らしの痕跡であり、同時に彼が守るべきもの、そのものだった。粗末な食事を分け合い、夜は畳を寄せ合って眠る小さな背中たち。彼らの寝顔は久盛にとって、戦の空虚さや怒号を忘れさせる唯一の安らぎであった。
(子供たちを養うためには、浦上家の家臣として身を立てるしかない……)
辺りに風が渡り、道場の障子がかすかに軋む。久盛の脳裏には、日々の暮らしの帳簿、子供たちの病弱な一人の名前、稽古道具を新しくするための心許ない銭の計算が瞬時に浮かぶ。役を得ること――それは安定した食と命綱を意味したが、同時に戦場へ駆り出される危険も意味している。
(もし……もしもわしが戦で死んだら、こいつらは……)
言葉にできぬ恐れが、久盛の胸を押し潰さんとする。幼い声で自分を先生と呼ぶあの顔、風邪で唸っていた夜に差し出された小さな手、稽古で負けて悔し涙を拭うその仕草――全てが一度に心をえぐった。
久盛は、不安を押し殺すように拳を強く握りしめた。
「心配するな。しばらくの間、みなを頼むぞ。たつ、さよ」
視線を子供たちの中の年長の男女二人――たつとさよに向ける。たつは背筋を正して立ち、さよは真剣な面持ちでうなずいた。
たつが一歩前に出て、勇気を振り絞ったように言った。
「先生……ほんとに、もどってくるよね?」
久盛はそれを聞くと、ふっと口元をゆるめ、大きな手でたつの頭をがしがしと撫でた。
「がっはっは!当たり前だ!さっさと敵をこらしめて、いつものようにこの道場に戻ってくるさ!」
その力強い言葉に、たつの顔に安堵が浮かぶ。
続いて、さよがぴょんと飛び跳ねて言った。
「先生はすごく強いもんね!敵なんて、先生のパンチでふっとんじゃうんだよね!」
その言葉に周りの子供たちからも笑い声がこぼれる。久盛は照れたように鼻を鳴らし、にやりと笑った。
「おうよ。わしが帰ってきたら、また組手の稽古だ。たつもさよも、覚悟しておけよ」
子供たちがくすくすと笑い、その輪に少しだけあたたかい空気が戻ってくる。
確固たる意志を胸に宿し、久盛は道場に背を向ける。
一歩進んだ久盛はもう一度、道場の方を振り返り、目を細めて見つめた。
「みな、留守の間、道場を頼んだぞ。門の掃除も忘れるなよ。」
「うん!」
「まかせて!」
子供たちが一斉に頷き、小さな拳を握って見送る準備をする。
久盛は無言でうなずくと、道場の敷居をまたぎ、朝の光の中へと歩を進めた。朝露が残る石畳を、一歩、また一歩と踏みしめていく。
その背中に、澄んだ声が飛ぶ。
「せんせーい!いってらっしゃーい!!」
久盛はその声に応えるように片手を高く振った。




