第七話 天神山城攻略戦④
――そのころ、天神山城天守。
分厚い障子を通しても、遠くで燃える西櫓の光と、兵たちの叫びが微かに感じられる。城内の空気は重苦しく、宗景は額に皺を寄せて焦れたように火の手の方を見やる。
「……まだ消火はできぬのか」
低く、苛立ちを隠しきれぬ声。返答を待たずとも、その表情はすでに状況の悪化を物語っていた。すると、突然――
「曲者ーッ! 曲者だーッ!」
廊下の向こうから、兵たちの切羽詰まった叫び声が響く。それに続く鋭い金属音、そして――
「ぐわっ!」
誰かが斬られる音が、鈍く空気を揺らした。
「何事だ!」
叫びながら立ち上がる宗景。するとその直後、天守の障子が音を立ててはじけ飛び、黒ずくめの影が室内へと雪崩れ込んできた。
「殿! 敵襲にございます!」
家臣の声が震える。次の瞬間、忍びの一団が宗景の側近たちに斬りかかり、鋭い刃が次々と命を奪っていく。血が障子を赤く染め、床板を滴らせた。
宗景は後退しながら部屋の隅に身を寄せた。刀に手をかけ、必死に呼吸を整えようとする。
周囲に助けを求めようと声を上げかけたが、その言葉は忍びの素早い動きに遮られた。
静かに、しかし確実に――包囲が完成していた。
見れば、三方から刃を構えた忍びたちが宗景を取り囲み、一歩も動けぬよう睨みを利かせている。動けば即座に命を奪われることは、宗景自身にも分かっていた。
「……う、うう……!」
刀の柄を握りしめる宗景の手が震える。眼光を鋭く光らせて睨み返すが、相手は微動だにしない。
やがて、宗景は静かに息を吐いた。自身の立場、兵力、状況――全てを脳裏で何度も計算し、結論を導き出す。
「……はあ、わしの負けじゃ。降伏する……」
その言葉は、まるで魂を絞り出すように低く重かった。
沈黙が降りた。
忍びたちはしばし動きを止め、互いに目を見交わした。そして、無言で頷く。
この瞬間――浦上宗景の敗北が、確定した。
場所は変わり、宇喜多本陣。
草をかき分け、ひとりの伝令が駆け込んできた。息は荒く、衣は泥と汗にまみれている。だがその顔には確かに、明るい色が差していた。
「直家様――! 宗景殿、降伏されました!」
伝令は勢いのまま膝をつき、声を張り上げた。
その瞬間、宇喜多直家はゆっくりと目を閉じた。ほんの一拍、長くも短くもない沈黙の後、瞼を開き、確かな声で言い放つ。
「……よし!」
直家は、天を仰ぐように深く息を吸い、戦場全体に響き渡るような声で叫んだ。
「皆の者――! 浦上宗景は降伏した! 我らの勝利だ! 勝鬨を上げよ!!」
その言葉が風に乗った瞬間、宇喜多軍は歓声に包まれた。
「えいえい――おーッ!!」
「おおおおおっ!!」
兵たちの鬨の声が次々と上がり、まるで波が広がるように陣地全体を揺らしていく。
兜を掲げて叫ぶ者、槍を天に突き上げる者、互いに肩を叩き合って笑う者。
疲弊と不安が続いた戦の果てに、ようやく訪れた勝利の瞬間。
空に響いた鬨の声は太陽の下で、しばらくの間、どこまでも高く響いていた。
その声は、なおも戦いを続けていた前線にも届いた。
――久盛の元。
行長と全登との交戦が続く中、突如として前方より勝鬨が届いた。
拳を握ったまま構えていた久盛は、その瞬間、動きを止めた。眉間に深いしわを寄せ、耳を澄ます。
「……なにごとだ?」
声に混じるのは、歓喜と興奮、そして勝者特有の高揚感。戦の流れが大きく変わったことを、直感で悟るには十分だった。
そのとき、背後から誰かが土を蹴る音がした。振り返ると、甲冑に泥と煤をまとった伝令が息も絶え絶えに駆け寄ってきた。頬には血のような汗が流れ、声を絞り出す。
「宗景様が……天守にて、降伏されました!」
その報せは、戦場の喧噪をもかき消すほど、久盛の胸に雷鳴のように轟いた。
「……なんだと……?」
握りしめていた拳の力が、指先から音もなく抜け落ちていく。
力強く構えていた肩も、ずしりと重みを増したかのように沈み込む。
久盛は膝を支えにしながら、呆然とした目で空を仰いだ。
思い浮かぶのは道場に残した子供たちの顔――。
竹刀を振るいながら「先生、見てください!」と笑っていたあの声。
泥だらけになって薪を抱えてきた小さな腕。
囲炉裏を囲んで粗末な飯を食べるときの、あの無邪気な笑み――。
(……あやつらは、どうなる……? わしがここで倒れ、捕らわれたなら……誰があの子らを……)
胸を裂くような不安が押し寄せる。だが、現実は冷酷だった。
黒々と広がる雲の切れ間から、わずかに青空が覗いている。まるで天が、戦の終焉を告げているかのように。
そんな久盛の姿を見ていた行長は、肩を軽くすくめて口を開いた。
「……おたくらの負けみたいやな」
静かな、しかし抗いようのない現実の宣告。
久盛はゆっくりとうつむき、かすれた声でつぶやいた。
「……わしには、まだやり残したことがある。このまま捕まるわけにはいかない……!」
久盛は確かな意思とともに再び拳を握りしめる。その目にはこの状況でもまだ闘志が宿っている。
言葉に込められたのは、執念ではなかった。ただ、ひとりの男として、なにかを守り通そうとする意志――
行長はしばし黙したまま、血に濡れた久盛の姿を見つめていた。
その眼差しには敗者を見下す冷たさではなく、戦場に立つ者だけが抱く静かな共感が宿っていた。やがて、ふっと目を細め、口を開く。
「……お前みたいなやつ、誰にも捕まえられんわ。行くなら行き」
その言葉は刃ではなく、赦しだった。敵としての処断ではなく、同じ戦場を駆け抜けた者への敬意からにじむ声音。
続けて、全登もゆるやかに剣を引き、静かに鞘へと納めた。
カチリ、と金属が収まる澄んだ音が辺りに響き渡る。それは戦いの終わりを告げる鐘の音のようで、緊張に満ちた空気が解けていく。
久盛は目を見開き、思わず声を震わせた。
「……よ、よいのか?」
問いかけに答えることなく、行長はただ背を向けた。両手を頭の後ろで組み、ゆっくりと歩き出す。その背は、敗者を追うでもなく、ただ一人の武人を見送ることを選んだ誇り高き戦士のそれだった。
全登もまた、軽く頭を下げると無言でその後に続く。去りゆく二人の背が遠ざかるにつれ、戦場に吹く風が少しずつ柔らぎ、静寂が戻ってきた。
久盛はその後ろ姿をしばし凝視し、やがて俯く。血に濡れた拳を膝の上に置き、低く絞り出すように言った。
「……かたじけない……」
その声は誰に向けたものでもなく、ただ空に溶け、戦場に残された久盛の胸の奥に深く刻まれていった。
勝利の旗がはためく天神山城に、宇喜多直家が入城した。左右には行長と全登が馬を並べ、威風堂々と進む。
城内の兵や町民、降伏した浦上方の者たちまでもが、その行進を固唾を飲んで見守っていた。
行長がにやりと笑いながら言う。
「これで浦上家の領地はまるまる宇喜多家のもの。宇喜多はんも名実ともに戦国大名の仲間入りっちゅーわけや。これからどないしますの?」
どこか軽口めいた言い回しだが、その声には興奮がにじんでいた。
直家はしばし黙し、天守を仰ぐ。そしてふと、官兵衛の隣に立っていたあの少女――桜の姿が脳裏に蘇った。
(あの官兵衛が、未だ赤松家に仕えておるとはな。あのような小娘に、何を見出したというのか……)
口元にかすかな笑みを浮かべながら、直家は言った。
「ふふっ。ちと分の良い賭けに出たいと思っていてな」
「……?」
「?」
行長と全登は首を傾げるが、直家の笑みは消えないまま、未来を見据えるように前を見つめていた。




