第三話 友信の恋⑤
参道の明かりが灯り、紙提灯のやわらかな光が人々の笑顔を照らしていた。
友信と紫苑の間に香ばしい焼きトウモロコシの匂いと、甘い飴の香りが風に混じって流れてくる。
「ねぇ見て、友信! りんご飴だよ! あっ、お面も売ってる! あっちには大道芸も!」
紫苑は子どものように目を輝かせながら、通りの両側に並ぶ屋台を次々と指さした。
着物の袖をひらひらと揺らし、屋台の光の中を小走りで進んでいく。
その後ろを、友信があたふたと追いかける。
「紫苑、そんなに慌てなくても、屋台は逃げないだよ」
額にうっすら汗をにじませ、困ったように笑う。
「ふふっ、だってせっかく友信と祭りにこれたんだから。今日中に全部見て回らないと!」
紫苑は振り返り、少し息を弾ませながら笑った。
「ぜっ、全部!?」
友信は思わずのけぞり、頭をかく。
だが、すぐにその表情をやわらげ、静かに言葉を重ねた。
「焦らなくても、来年もまた一緒に来ればいいだよ」
紫苑が足を止める。
屋台の灯に照らされ、彼女の瞳がやわらかく光った。
いたずらっ子のように友信の前にちょこんと飛び出し、尋ねる。
「来年も連れてきてくれるの? 友信」
友信は少し照れたように頬をかきながら、それでもまっすぐに答える。
「来年も、再来年も、その次も……ずっと連れていくだ」
そう言うと、友信は懐から小さな木箱を取り出した。
その動きに紫苑が息をのむ。
箱の留め金を外し、そっと開けると――中には金色に輝く指輪が一つ、月明かりを受けてきらりと光った。
白い花の飾りがあしらわれ、どこか春を思わせる優しい意匠だった。
友信はその指輪を両手で包み、紫苑の前に差し出す。
そして、恥ずかしそうに目をそらしながら、そっと彼女の指にはめた。
「ずっと……一緒にいてほしいだ、紫苑」
紫苑は一瞬、言葉を失ったように指輪を見つめる。
灯籠の光を受けて、指先がほのかに輝いた。
「……わぁ、きれい」
そして顔を上げ、少し震える声でつぶやく。
「ありがとう、友信」
その頬はほんのり赤く染まり、視線が少し泳いだ。
「でも……」
彼女はちらりと周囲に視線を向ける。
通りの人々が、皆足を止めていた。
若い娘たちは顔を赤らめ、男たちはニヤニヤとからかうように笑っている。
まるで芝居でも見ているかのように、誰もが二人を見守っていたのだ。
「贈り物をもらうのは……もうちょっと静かなところがよかったかな」
紫苑が口もとを押さえ、くすりと笑う。
「ぐ、ぐふぅっ……」
友信は顔を真っ赤にし、思わずうずくまった。
「あはははっ! うそうそ!」
紫苑は笑いながら友信の背中を軽く叩いた。
その音に混じって、祭囃子が軽やかに響く。
夜風が二人の間をすり抜け、金色の指輪が月明かりの下で静かにきらめいていた。
――小寺家本拠・御着城。
厚く閉ざされた障子の向こうからは、風が庭の竹を鳴らす音だけが聞こえていた。
当主の間に灯る行灯の炎は小さく揺らめき、重苦しい空気の中で政職と娘・紫苑の影を壁に映している。
政職は机の上の書状をじっと見つめていた。
「……今鞍替えすれば、家と領地の安堵を保証する、か」
その声には深い疲れがにじんでいた。
書状の送り主は――織田信長。
その筆致は堂々としており、まるで命令のようでもあった。
(嘘じゃ……。これまで織田家へ取り込んだ大名家を、みな後から適当な理由をつけ、取り潰したではないか!)
政職は眉間に深いしわを寄せ、拳を固く握る。
(だが……今寝返れば、領民、家臣、そして――紫苑の命は守られるであろう)
深く息を吐き、力なく肩を落とす。
(赤松家にとどまれば、織田の軍勢を相手にすることになる。勝ち目など……ない)
「父上……」
紫苑が小さな声で呼びかけた。
その瞳には、張り裂けんばかりの不安が滲んでいる。
政職は黙って目を閉じた。重い沈黙が二人の間に流れる。
そのとき――
襖の向こうから、兵の落ち着いた声が響いた。
「申し上げます。友信殿がお見えです。」
紫苑の表情がぱっと明るくなる。
その変化を見た政職は、ほんの少しだけ口元を緩め、小さく息を吐いた。
「……行っておあげなさい」
「……はい」
紫苑は静かに立ち上がり、裾を整えて部屋を後にした。
――夕暮れ。
朱に染まる空の下、御着城の城下町を、紫苑と友信が並んで歩いていた。
家々の屋根が黄金色に照らされ、道端の子どもたちが竹馬で遊ぶ声が響く。
「紫苑様、こんにちはぁ!」
「うふふ、こんにちは」
「紫苑様、見ておくれ!今朝こんなでっけぇ白菜が採れたんだ!」
「うわぁ、ほんとだ!おっきい!」
紫苑が嬉しそうに笑うと、集まる領民たちの顔も自然とほころんだ。
その光景を見て、友信は目を細める。
「民は、紫苑のことが大好きなんだなぁ」
「ふふっ、私もね、民たちが大好きなの」
紫苑は足元を見つめ、少しだけ声を落とした。
「桜様が民に寄り添う姿を、ずっと傍で見てる。私も……桜様のように、どんなことがあっても民を守りたい」
その言葉に、友信は優しく笑い、まっすぐ彼女を見つめた。
「紫苑は、立派な姫様だぁ」
紫苑は頬をほんのり赤らめ、目を伏せながら小さく微笑む。
「……ありがとう、友信」
その声は、夕日の中で静かに風に溶けていった。
やがて二人は、城下を見渡せる小高い丘へとたどり着いた。
橙色に染まる空が遠くの山々まで包み込み、穏やかな風が草原を揺らしている。
下には、人々が行き交う城下町――その暮らしの灯が、ぽつりぽつりと灯り始めていた。
紫苑はその景色をしばらく見つめ、ふと小さく口を開いた。
「ねえ、友信」
「んだぁ?」
「もし……もしも、私がいなくなっても……。友信は、この城下の人たちを守ってくれる?」
「なっ!? どうしてそんなこと言うだぁ!」
友信は驚き、思わず紫苑の方へ振り向いた。
その瞳に映ったのは――涙をこらえ、笑おうとしている紫苑の姿。
胸が締めつけられるような静けさが、あたりに広がった。
紫苑は唇を噛みしめ、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。
「この町の人々は……私の宝物なの。だから……もしもの時は、お願い、友信……」
「なに言ってるだぁ!」
友信はぐっと紫苑の両肩を掴み、強く叫んだ。
「おらが守るだ! 領民も、紫苑も! 絶対に守るって、約束するだよ!」
その声は、風の中でもはっきりと響いた。
友信は真っすぐに紫苑を見つめ、静かに言葉を重ねた。
「おらは、ずっと紫苑と一緒にいたいだ」
その言葉に、紫苑の瞳からこぼれた涙が頬を伝う。
けれどその表情は、悲しみではなく――温かな笑みに包まれていた。
「……私も。私もだよ、友信。ずっと、一緒にいたい」
そう言って紫苑は友信の胸に顔をうずめた。
友信も彼女をそっと抱きしめる。
沈みゆく夕日が、丘の上の二人をやわらかく包み込んでいた。
風が草を揺らし、二人の影がひとつに溶け合っていく――。




