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赤松天翔物語  作者: 姫笠
第三章 巨影

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第四話 名槍―日本号①

姫路城・当主の間には、いつになく重い空気が淀んでいた。

 障子の向こうから差す光は薄く、部屋の隅にある行灯の火が小刻みに揺れている。

 皆の顔には疲労と険しさが刻まれ、誰もが短く小声でしか話せない。


 今朝、東へ放っていた間者かんじゃより、織田家から小寺家へ向けられた伝令を捕らえたとの報が入った。

 差し出された書状の折が粗く、しかしその文面は冷徹にして明確だった。

 織田からの密約――小寺家が赤松家へ反旗を翻すとの証拠めいた内容である。

 官兵衛は額に手を当て、眉を深く寄せた。ひそやかに吐いた息に、これまでの不安が現実になった重さが滲む。

(以前より小寺家と織田家が書状でやりとりをした痕跡があった……よもやとおもい間者を潜ませていたが、現実になろうとは……)

 桜は問いかけるように震える声で言った。

「官兵衛……小寺さんが、織田家に寝返っちゃってるってこと……?」

 官兵衛は短く頷き、紙の一行一行を指で追いながら答えた。

「はっ……書状には、きたるべき織田家の侵攻に合わせ、小寺家に反乱を起こさせる旨の密約も記されておりました」

 その言葉に、政秀が重い声でつぶやく。

「なんと……」

 官兵衛は顔を上げ、眼差しを皆に配る。

「もし書状の通りであれば、我らが織田軍と対峙している最中、背後より小寺家の反乱軍が襲来する形になります。

 そうなれば我が軍は、ひとたまりもなく崩壊するでしょう」

 部屋の空気がさらに針のように鋭く張り詰める。誰もが次に続く言葉を恐れるようにして聞いていた。

 官兵衛の声は冷静だが、そこに含まれる厳しさは明瞭だった。

「一刻も早く小寺氏を説得する必要がある。だが、説得を拒まれた場合は……」

 政秀が言葉を継いだ。淡々と、だが避けられぬ現実を突きつける。

「討伐せざるを得ぬ、ということじゃな」

 桜の胸に、鋭い痛みが突き刺さった。声が小さく震える。

「そんな……」

 そのとき、沈黙を破るように友信が立ち上がった。顔は真っ赤で、瞳には決意が燦めいている。

「おらが説得に行くだ!」

 皆が驚きの声をあげる。だが友信は言葉を続ける。

「紫苑がおらたちを裏切るなんて、信じられんだ!きっとでっかい訳がある。話せばきっと、わかってくれるだよ!」

 皆の視線が一斉に友信へ集まる。彼の不器用さと純粋さが、その場の空気を一瞬だけ柔らげた。

 官兵衛は静かに眉を寄せ、しかし表情は硬いままだった。やがて、重々しく頷く。

「殿。今回の説得の任、紫苑殿と親しい友信が最も適任と判断します」

 桜は友信の顔をまっすぐ見つめた。祈るように口を開く。

「お願い、友信……」

 官兵衛は更に念を押す。言葉には覚悟が滲む。

「だが、もし小寺氏が説得に応じない場合……その時は鎮圧のため、軍を向かわせる。覚悟しておいてくれ、友信」

 友信の表情が一瞬固まる。拳をぎゅっと握りしめ、唇を噛んでから小さくうなずいた。

 


 小寺家本拠・御着城。

 門前に立つ友信の肩越しに、夕暮れ時の空が薄く染まっていた。

 門がゆっくりと開き、木の軋む音が重たく城内に鳴り渡る。友信は拳を固く握りしめ、足を踏み入れた。


 当主の間の襖が静かに引かれ、政職と紫苑の姿が現れる。

 室内の灯は薄くとも、二人の影ははっきりと友信の前に落ちていた。

 政職は低く礼をしてから、にこやかさを湛えた声で切り出す。

「これはこれは、友信殿。今日も紫苑に会いに来てくださったのですかな?」

 友信の声は震えていたが、芯は強かった。

「……今日は、二人に話があるだ」

 政職はやや身を乗り出し、問いかけるように返した。

「と、いいますと?」

 友信は書状を見たときの胸のざわめきを抑えきれず、低く言う。

「小寺家へ向けた、織田家からの書状を見ただ」

「……!!」

 政職の顔色が一瞬にして変わる。襖の向こう側で、空気がひゅっと冷たく沈んだ。

 友信はさらにまっすぐに続ける。言葉は素朴だが、ひとつひとつが重かった。

「でも、あんなものはでたらめだよ。織田家が勝手に書いて小寺殿によこしたもんだ。今日は……それを確認しに来ただけだ」

 政職の瞳が揺れ、唇がわずかに震える。部屋の奥にいた従者たちが、ぴんと緊張を走らせる。

 紫苑は言葉を失い、しばし静止したまま友信を見つめる。

 問いかけるような友信の声が、次第にひび割れる。

「どうして何も言ってくれないだ」

 その瞬間、政職の顔が一変した。血の気を失ったように見えたが、その目は決意の色を帯びていた。低く、しかしはっきりと告げる。

「……友信殿を捕らえよ」

「ハッ!」の号令とともに、襖の奥で待機していた兵たちが障子を越え、一斉に前へ出る。

 鋼の鎧がきしみ、兵の足音が畳に重く打ちつけられる。

 友信の両腕に縄が巻かれる。縛られる衝撃に肩が跳ね、荒い息が漏れた。紫苑が飛び出し、父の袖を掴んで叫ぶ。

「お、お父様!」

 友信は兵に縛られながらも、叫び続ける。声は震えているが、必死に訴えかける。

「小寺殿! 考え直すだ! おらたちは必ず織田家に勝つ! だから裏切る必要なんてないだよ!」

 政職の顔に、苦悩の影が走る。唇がきゅっと結ばれ、目には溢れそうな何かが宿る。だがその声は掠れて、わずかに漏れた。

「ゆるせ……紫苑、友信殿……」

 言葉は途切れ、政職は深く目を閉じる。兵たちは友信を押さえつけ、冷たい畳の上に膝をつかせた。


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