第三話 友信の恋④
姫路城―当主の間。
夕日が障子の隙間から差し込み、机の上の書面を淡く照らしていた。
桜と官兵衛はいつものように膝を付き合わせ、筆を走らせながら領内の書類を確認していた。
紙の擦れる音と、官兵衛の落ち着いた声だけが静かな部屋に響く。
やがて官兵衛が筆を止め、少し表情を和らげて言った。
「そういえば、今日は祭りの日ですな」
桜はぱっと顔を上げた。
「えっ、祭り!?」
その目は子どものように輝き、頬がふわりとほころぶ。
官兵衛は小さく笑みを浮かべ、頷いた。
「はい。城下の神社とその周辺で行われる祭りです。
あの神社は殿にもゆかりのある場所。お参りがてら、少し気を休められてはいかがですか?」
桜は机に両手をついて身を乗り出した。
「官兵衛も行こうよ!」
「私はどうも、そういう賑やかな場は苦手でして……」
官兵衛は困ったように微笑みながら、机の上の書面を整える。
「私は書類を整理しておりますので、どうぞお気になさらず。殿が楽しんでくだされば、それが一番です」
桜は少し申し訳なさそうにしながらも、すぐに明るい笑顔を取り戻した。
「そっか。じゃあ、みんなを誘って行ってくるね!」
日が傾き、朱色の光が街を包みはじめたころ。
桜は善助と又兵衛を連れ、城下の神社へと向かっていた。
石畳の坂道を下ると、遠くから太鼓の音と笛の音色が聞こえてくる。
神社へたどり着く前から、すでに通りには無数の屋台が立ち並び、人々の笑い声であふれていた。
焼き団子の甘い香り、焼き魚の香ばしい匂い、お面を持ってはしゃぐ子どもたち。
夜空には無数の提灯がゆらゆらと灯り、風に揺れるその光が夢のように道を照らしていた。
「わあ……すごい人だね!」
桜は目を輝かせ、屋台を次々と見渡す。
「殿!」
隣を歩く又兵衛が、何かを見つけたように声を張り上げる。
「射的で勝負しようぜ!」
桜が又兵衛の指さす方を見ると、屋台の奥におもちゃの弓矢を使う射的場が見えた。
的の上には木彫りの人形や紙の景品がずらりと並び、子どもたちが歓声を上げながら弓を構えている。
(初手で射的とは、ほんと又兵衛らしいなぁ……)
桜は小さく笑いながらも、少しだけ真剣な表情を見せた。
たしかに又兵衛は槍を持たせれば強いが、もしかすると弓なら勝てるのではないだろうか。
(ここは……当主としての威厳、示さなくちゃ!)
桜は胸を張って言った。
「ふふ、いいよ。勝負しよう!」
二人は並んで弓を受け取り、それぞれ矢を構えた。
台の向こうから屋台の主が声を張り上げる。
「よーし、若いの!勝った方には奮発して金魚の風鈴だよ!」
矢を放つ音が重なり、歓声が沸く。
おのおのがおもちゃの矢を放つ。しばらくして―。
「……あ、勝っちゃった」
隣で又兵衛が、ぽかんと口を開けている。
「……まじかよ」
桜は口元を押さえて笑いながら首をかしげた。
「又兵衛、意外と弓は苦手…」
「んなことねぇ! たまたまだ! もう一勝負だ!」
頬を赤くして弓を構える又兵衛に、桜はくすくすと笑いをこらえながら矢を受け取った。
そんな二人を、少し離れたところで善助が腕を組み、穏やかに見守っていた。
ふと、客を呼びこむ賑やかな声が通りの向こうから響いてきた。
「へいらっしゃい! 明から取り寄せた上等品やで! 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」
聞き覚えのある声に、善助の眉がぴくりと動く。
声の方へ近づくと、そこには色とりどりの陶器を屋台いっぱいに広げ、客に笑顔を向ける行長の姿があった。
善助は腕を組んだまま立ち止まり、静かに声をかけた。
「……今日も同盟家の視察ですか? 行長殿」
「びくっ」
行長の肩が跳ねる。振り返ると、目を泳がせながら苦笑した。
「げっ、善助はんやん! ま、まあ……そんなとこや!」
行長は慌てて屋台の品を指さした。
「それより善助はんも見てってーな! どれもめずらしい品ばっかりや!」
善助は目を細め、並べられた品々に目を落とす。
そこには、明製の茶器や繊細な花瓶、細やかな筆致の絵画などがずらりと並んでいた。
「なるほど……たしかに、これは興味深い」
善助は文化的な品に目がなかった。
そのころ、再び「ぐはっ」と膝から崩れ落ちる又兵衛。
「な、なん……だと……」
的に一本も当たらなかったらしい。手の中の弓を恨めしそうに見つめるその姿に、周囲の子どもたちがくすくすと笑っていた。
そんな又兵衛を横目に、桜は得意げに胸を張る。
「ふふっ、やった!」
勝ち誇ったように笑うその姿は、まるで無邪気な少女そのものだった。
だが次の瞬間、桜の視線がふと動きを止めた。
人波の向こう、通りの脇にある大きな木の影に、どこかで見覚えのある人影が見えたのだ。
「……政職さん?」
呼びかけると、その影がびくりと肩を震わせた。
「ひぃっ……これは、桜様……!」
木陰から顔をのぞかせたのは、先の大評定でも顔を合わせた小寺家当主――小寺政職だった。
桜は首をかしげながら近づく。
「こんなところで隠れて、なにしてるの?」
政職は手をわたわたと振りながら、挙動不審に答える。
「い、いえ、その……少し、風に当たりに……」
しかしその視線は泳ぎっぱなし。
桜がその目の先を追うと――屋台の並ぶ向こうを、友信と紫苑が並んで歩いているのが見えた。
「……ははーん。紫苑ちゃんが心配で見にきたんだね?」
図星を突かれた政職は、たちまち顔を赤くし、しどろもどろになった。
「そ、そそそんなことは……いや、まあ……ええ、その……」
桜は政職の横で、遠くで寄り添って歩く友信と紫苑を見つめる。
「……ほんとに仲良しだね、あの二人」
その言葉に政職もふっと微笑み、二人に視線を移す。
やがて少し真剣な表情に戻り、静かに口を開いた。
「紫苑は小寺家の次期当主……だが、それ以上に、私の大切な娘です」
政職の声は穏やかで、どこか懐かしむような響きを帯びていた。
「民に慕われ、政にも長けておりますが……ゆえにこれまで、重い責を背負わせてしまった。
あんなに楽しそうに笑う紫苑を見るのは、子どものころ以来です」
その目には、父親としての誇りと、ほんの少しの寂しさが宿っていた。
「どうか、友信殿と……幸せになってほしい。」
桜はその言葉にふっと目を細め、遠くで並んで歩く二人の姿を見やる。
灯籠の光に照らされ、紫苑が微笑み、友信が照れくさそうに頭をかいていた。
「友信はね、ちょっと気が小さいけど、仲間思いの、すごくいいやつなの」
桜はそう言って、優しく笑った。
「私はね、二人ならきっとうまくいくと思う」
政職の顔にも、ようやく穏やかな笑みが戻る。
「……ありがとうございます、桜様。」
その声には、どこか肩の荷が下りたような安堵があった。
そのとき、屋台の向こうから又兵衛の大声が響いた。
「殿ーーっ!! もう一勝負だ! 今度こそ勝つ!!」
桜は思わず吹き出す。
「あはは、なんどやっても同じだと思うけどなぁ」
笑いながら手を振り、政職の方へ振り返る。
「じゃあね、政職さん。また今度!」
そう言って軽やかに駆けていく桜の背を、政職は静かに見送った。




