第三話 友信の恋①
――姫路城・当主の間。
高い天井の梁には白鷺の紋が掲げられ、障子越しに差し込む昼の光が、畳の上を金色に照らしていた。
今日は赤松家の領主たちが一堂に会する大評定の日。
重々しい空気の中にも、祝いのようなざわめきが漂っている。
桜は上座に立ち、次々と訪れる諸将たちの挨拶に笑顔で応じていた。
香を焚いた空気がゆるやかに流れ、衣擦れの音と共に、武家たちの声が絶え間なく続く。
最初に現れたのは、山名家当主・祐豊。
白髪まじりの髷をゆるく結い、にこやかに両手を広げていた。
「桜殿、この季節はカニに身が乗っておりましてな、大変美味なのですじゃ。また丹波へ食べにきてくだされ」
カニ、という言葉に桜の目がぱっと輝いた。
「え、そうなの!? 行く行く!」
その純粋な反応に周囲の家臣たちが思わず苦笑する。
続いて現れたのは、別所家当主・長治。
背筋をぴんと伸ばし、やや眉をしかめながら礼を取る。
「長治君も一緒にカニ食べに行く?」
「ふん……我は当主として忙しいのだ。カニ旅行など行っている場合ではない。」
桜は頬をふくらませ、わざとらしく肩を落とした。
「ふーん、そうなんだ。残念。」
長治は一瞬、言葉に詰まり、視線を泳がせた。周囲の視線を意識したのか、軽く咳払いをして、言葉を継ぐ。
「だ、だが……桜殿がどうしてもというなら……」
そのときだった。
襖の向こうから、控えめな声が聞こえる。
「失礼いたします。小寺政職、参上いたしました。」
桜「あ、御着の小寺さんだ。」
「あっ……」言葉を遮られた長治が口をつぐむ。
小寺政職。
齢四十半ば。落ち着いた眼差しと、無駄のない所作から、長年政に携わってきた重みがにじみ出ている。
姫路城の東近郊にある御着城とその周辺を治める、小寺氏の当主であった。
礼を終えた政職の背後に、桜の視線がふと向く。
そこには、一人の女性が静かに立っていた。
「あれ、紫苑ちゃん? どうしてここに?」
淡い紫色の髪をまとめ、控えめに手を前で揃えたその姿。
彼女は桜の発案で設立された念術治療院で、日々領民や兵の治療にあたっている念術師であった。
だが今日は、赤松家の領主たちが集う大評定の日。
場違いとも言えるその場所に彼女がいる理由がわからず、桜は思わず目を瞬かせる。
「あら、お伝えしておりませんでしたか。」
横から、少し困ったような表情を浮かべながら官兵衛が進み出た。
「紫苑殿は、御着城の城主――小寺政職殿のご息女。そして――小寺家の次期当主にあたる方です。」
「え、そうだったの!? てっきり町民だと……」
「こ、こら、紫苑ッ」
政職が思わず声を上げる。
「立場も伝えず、念術治療院にかよっておったのか」
しかし紫苑は、少しも動じず、くすりと笑った。
「フフッ。ごめんなさい。」
そして、胸を張って父を見上げる。
「でもね父上。私は近くで桜様にお仕えしているのでわかります。桜様は、こんなことでは怒りませんッ」
自信に満ちたその言葉に、桜は思わず吹き出してしまう。
「その通りだよ、紫苑ちゃん。」
桜は一歩近づき、紫苑の手を両手で包み込む。
「今まで、たくさんの領民や兵たちを助けてくれてありがとう……。これからも、よろしくね。」
「はいっ! もちろんです、桜様。」
力強く返事をする紫苑の表情は、凛として誇らしげだった。
その様子を見て、政職は困ったように眉を下げながらも、いつの間にか口元がゆるんでいた。
ある日の当主の間。
官兵衛が静かに手を合わせると、評定の間に張りつめていた緊張が、ふっとほどけた。
「……では、本日の評定はこれにて」
その言葉を合図に、正座していた家臣たちが一斉に息をつき、ぎし、と床が鳴る。
誰かが袴の裾を直し、誰かは筆をしまい、広間には談笑の声が少しずつ戻り始めた。
その中で、真っ先に立ち上がったのは友信だった。
「おらあ、出かけてくるだあ」
そう言うと、彼はいつになく落ち着かない様子で、足早に当主の間を出て行った。
その背中を、桜はそっと横目で追う。
障子越しに漏れる陽光が、去っていく友信の肩を照らしていた。
「……あやしいな」
政秀が口の端をゆがめる。
官兵衛が軽くうなずいた。「ええ。」
桜は少し首をかしげ、考え込んだ。
普段の友信なら、評定の後は決まって広間の隅で酒を飲んでいる。
ところが、ここ最近はすぐに外へ出てかけてしまう。しかも、何かを隠すように。
「厄介ごとに巻き込まれていなければいいが」
政秀の低い声に、一同の視線が集まる。
重苦しい沈黙の中、ぽつりと又兵衛がつぶやいた。
「……女じゃね?」
その一言に、桜は思わず声を上げた。
「えっ!?」
善助も驚いたように目を丸くする。
「な……ばかなっ」
官兵衛は眉をひそめ、扇を口元に当てたまま小さく首を傾げた。
「……想像がつかぬな」
「でもよ」又兵衛は頬をかきながら続けた。
「ここ最近、友信のやつやけに身だしなみに気ぃ使ってたぜ。髪を整えたり、ありもしねぇ髭を剃ったりよ」
政秀がふっと吹き出した。
「はっはっは! それならばよいではないか。若いというのは良いことじゃな!」
笑い声が広間に弾む。
だが官兵衛は扇を閉じ、表情を引き締めた。
「しかし……万が一ということもあります。ここは跡をつけるのが賢明かと」
「えぇ!? だ、だめだよそんなことしたら!」
桜が慌てて身を乗り出す。
官兵衛は穏やかに目を細めた。
「殿、誠に女性関係であればそれでよし。ただそうでなければ、後で問題が大きくなりかねませぬ。」
桜は口を結び、視線を落とした。
「そ……そうなのかなぁ」
官兵衛は短く頷き、声を低める。
「善助、頼む」
「御意。」善助が静かに立ち上がり、腰の刀を軽く押し下げた。
その時、桜がとっさに手を伸ばす。
「あ、待って、善助!」
善助が振り返る。
「どうされましたか、殿?」
桜は少し間を置いてから、気まずそうに口を開いた。
「……私も行く。」




