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赤松天翔物語 ~転生したら最弱の戦国大名だった!?~  作者: 姫笠
第一章 示された道

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第二話 治癒の念術③

あくる日。

 城の廊下には、朝の冷たい空気がまだ残っていた。

 磨き上げられた板張りの床に、障子越しのやわらかな光が帯のように落ちている。

 遠くで足軽たちの掛け声がかすかに響くが、この一角だけは静かだった。

 桜はひとり、ゆっくりと廊下を歩いていた。

 けれどその足取りは、どこか落ち着かない。


桜(……友信になら頼めるかもしれないけど……)

 立ち止まり、腕を組む。

 脳裏に浮かぶのは、あの大柄な背中。

 堂々とした体躯。

 そして――独特のなまり。

『〜だあ。』と響く、あの温厚な声。

 桜は思わず眉をひそめた。

(……あの巨体と、なまりじゃ、正体がばれちゃう。)

 那智の父・八郎は長屋で暮らす町人だ。

 きっと領主に仕える家臣―友信の事は知っているだろう。

(それに……もし疑われたら、私の正体まで……)

 桜は小さくため息をつき、くるりと踵を返す。

 歩く向きを変え、再び廊下を進む。

 衣の裾がさらりと床をなぞる。

(政秀……は、さすがに歳が離れすぎてる。)

 家老―赤松政秀の姿が思い浮かぶ。

 白髪と白髭を蓄え、威厳と風格を備えた武将。

 桜は首を振る。

 また方向を変える。

 まるで迷路の中をさまよっているみたいに、廊下を行ったり来たりする。

(官兵衛と又兵衛は……)

 黒田官兵衛の冷ややかな視線。

 槍を握る又兵衛の鋭い目。

(頼むだけで怒りそう……)


「……はあああ」


 ついに声に出してため息をついた、その時。

 廊下の向こうから、すっと風が流れ込んできた。

 白い着物の裾がひるがえる。

 黒いショートヘアがさらりと揺れ、きびきびとした足取りでこちらへ向かってくる影。

 凛とした佇まい。

 桜は目を見開いた。

「あ、善助!」

 その声に、相手はぴたりと足を止める。


挿絵(By みてみん)


「……ッ。」

 一瞬、驚いたように目を細めるが、すぐに姿勢を正し、静かに頭を下げた。

「これは殿。どうなさいましたか?」

 白い着物の袖がすっと揺れる。

 その所作は無駄がなく、美しい。

 桜はごくりと唾をのむ。

(……善助。たしかに女性だけど……)

 桜は大きく息を吸い込んだ。

 意を決したように、善助の目をまっすぐ見つめる。

「お願いがあるの。」

 善助はわずかに首をかしげる。

 黒髪が肩にかかる。

「?……ハッ。なんなりと。」

 迷いのない返答。

 桜は一瞬、言葉を飲み込んだ。

(ここで引いたらダメだ。)

 拳をぎゅっと握る。

「実はね――」

 廊下の静寂の中。

 朝の光が二人の間に差し込んでいる。

 桜の胸の鼓動が、やけに大きく響いていた。



 数日後。

 八郎と那智の暮らす長屋の一室。

 いつもなら、かすかな生活音と桜の明るい声が混じるその部屋は――

 その日は、妙に静まり返っていた。

 障子から差し込む昼の光。

 けれど空気は重く、ぴんと張り詰めている。


 那智は座布団の上に正座し、背筋を伸ばしていた。

 その隣に座るのは、男物の着物をまとった善助。

 いつもは首元で揺れている黒いショートヘアは、今日は後ろへ流すように整えられていた。

 額が見え、顔立ちがよりはっきりとする。

 だが、その整った顔には、わずかな緊張が浮かんでいた。


 八郎は布団にもたれ、二人を見上げている。

 その手から――


 カラカラ……。


 力の抜けた指先から湯呑がこぼれ落ちた。

 転がる陶器の音が、畳の上でやけに大きく響く。

 湯はこぼれ、畳にじわりと染みていく。


善助「……。」

 那智が、意を決したように口を開いた。

「紹介します。おとっつぁん。」

 声が、ほんの少し震えている。

 部屋の空気が、さらに重くなる。

 那智は一度、深呼吸をしてから、声を張った。

「私の……いい人ですッ!」


八郎「……ッッ!!」


 息をのむ音。

 八郎は微動だにしない。

 ただ、目だけが大きく見開かれている。

 その視線の先には――善助。

 凛と背筋を伸ばし、那智の隣に座る姿。

 だが、その内側では。


善助(……殿。)

 ほんのわずかに唇を動かし、小声で後ろに控える桜へと話しかける。

善助(……さすがに、バレると思いますが。)

 声は落ち着いているが、指先がわずかに固くなっている。

 桜は善助の背後に座り、両手を胸の前でぎゅっと組んでいた。

桜(シッ。)

 人差し指をそっと口元に当て、目で訴える。


 沈黙。


 外で子どもの笑い声が遠くに聞こえるが、この部屋の中だけが別世界のように静かだった。

 八郎は、ゆっくりと善助を見上げる。

 視線が、顔から肩へ、帯へと動く。

 善助はその視線を受け止めながら、気まずさを押し殺す。

 だが、逃げない。

 凛とした瞳で、真正面から見返す。

 那智が、とっさに善助の腕へと自分の腕を絡めた。

 ぎゅっと。

 その動きは不自然なほど勢いがあり、けれど必死だった。

 善助の身体がわずかに揺れるが、すぐに踏みとどまる。

 桜はそっと八郎のそばへ歩み寄る。

 畳に膝をつき、優しく声をかけた。

「この二人、本当に仲良しなの。」

 八郎の顔をのぞき込む。

「病気は絶対に良くなる。――だから早く元気になって、二人の応援してあげよ。ね?」

 柔らかく、明るく。

 だがその瞳は真剣だった。

 八郎の喉が、ごくりと鳴る。

 視線が、再び那智へ移る。

 腕を絡め、少し頬を赤らめている娘。

 その隣で、不器用ながらも堂々と座る善助。

 やがて――

 八郎はゆっくりと、口を開いた。

 その目には、光るものがにじんでいる。


「どうか……どうか、那智を、よろしくお願いします。」


 声は震えていた。

 けれど、その言葉には偽りがない。

 父の目だった。

 誰よりも娘を思い、幸せを願う――

 純粋な、父の目だった。

 那智の唇が震える。

 善助は一瞬、目を閉じ、そして深く頭を下げた。

 部屋の重たい空気が、わずかにほどける。

 桜は胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じながら、小さく息を吐いた。

 そんな三人を、八郎は静かに見つめる。


 ――那智。お前は本当に不器用で……


 ――とても優しい、自慢の娘だ――




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