表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤松天翔物語 ~転生したら最弱の戦国大名だった!?~  作者: 姫笠
第一章 示された道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/133

第二話 治癒の念術④

ある朝のことだった。

 空は薄曇り。

 風はなく、町全体がまだ目覚めきっていない静かな時間。


 桜は、いつものように長屋の前に立っていた。

 ここへ通い始めてから、もうどれくらい経っただろう。

 朝露を踏みしめ、木戸の軋む音を聞き、病床の八郎へ声をかける――それが日課になっていた。

 あの日、那智の“恋人”として善助を連れてきたこと。

 八郎が涙を浮かべながら頭を下げたこと。

「よろしくお願いします」と震える声で言った父の目。


 あれから八郎は、ほんの少しだけ生気を取り戻したように見えた。

 桜は、胸の奥にかすかな希望を抱いていた。

 今日もきっと、念術を施せば――

 少しは楽になるはずだと。

 桜は木戸の前で、いつもより少しだけ早口に声をかけた。


「ごめんくださーい!」


 返事はない。

 けれど気にせず、引き戸に手をかける。

 がらり、と音を立てて戸が開く。

 その瞬間。

 桜の足が、止まった。


 室内には――布団が、きれいに畳まれている。

 いつもそこに横たわっていた八郎の姿は、ない。

 代わりに、部屋の中央に那智がぽつりと正座していた。

 背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いている。

 室内は、異様なほど静まり返っていた。

 そして――

 かすかに漂う、線香の香り。

 その匂いが、すべてを物語っていた。

 桜の喉が、ひゅっと鳴る。

 那智はゆっくりと立ち上がった。

 歩み寄り、深く頭を下げる。

 顔は伏せられているが、肩が小さく震えている。

 そして、涙を必死にこらえた声で言った。


「……おとっつぁんは、昨日の夜、亡くなりました。」


 その言葉が耳に届いた瞬間。

 桜の目の前の景色が、ふっと色を失ったように感じた。

 音が遠のく。

 世界が、薄い膜に包まれたみたいにぼやける。


「……え……?」


 自分の声が、自分のものじゃないみたいに聞こえる。

 足元がぐらりと揺れた。

 力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 どさり、と土間に膝をつく。

 冷たい土の感触が、じんわりと伝わる。

 両手をつき、うつむいたまま、唇が震える。

「……ごめんなさい……」

 声が、かすれる。

「私……絶対に良くなるって言ったのに……」

 毎日、笑顔で言った。

“絶対に良くなるから。”

 あれは、希望だったのか。

 それとも――


 桜の肩が震える。

 那智はそっと、桜のそばにしゃがみ込んだ。

 土間に膝をつき、桜の肩へ静かに手を添える。

 その手は、温かかった。

「おとっつぁんは――」

 一度、言葉を飲み込む。

「最後の最後まで、あなたに伝えてほしいって言っていました。」

 桜が、ゆっくりと顔を上げる。

 那智は、涙で赤くなった目で、それでも優しく微笑んだ。

「……ありがとう、ありがとうって。」

 その言葉が、胸に刺さる。

 八郎が、かすれた声で感謝を伝える姿が浮かぶ。

 念術の光に包まれ、少しだけ楽そうに息をしたあの日々。

 桜は両手で顔を覆った。

 堪えていた涙が、一気にあふれ出す。

 声を殺しきれず、嗚咽が漏れる。

「……っ……」

 悔しさと、無力感と、喪失感。

 治せなかった。

 救えなかった。

 それでも――

“ありがとう”と言ってくれた。

 その事実が、余計に胸を締めつける。


 長屋の外。

 軒先の影の中で、善助が立っていた。

 今日は護衛当番。

 善助は、長屋に背を向けたまま、腕を組んでいる。

 中からかすかに聞こえる、桜の泣き声。

 振り向かない。

 ただ、じっと立っている。

 その顎はわずかに引き結ばれ、指先に力がこもっている。

 守ることはできても、救うことはできない命がある。

 善助は、静かに目を閉じた。

 長屋の中では、桜の泣き声が、しばらく途切れることなく続いていた。



 ――城の広間。

 広々とした畳敷きの部屋に、朝の光が障子越しにやわらかく差し込んでいる。

 静かな空気の中、桜は正座したまま、まっすぐ前を見つめていた。

 その視線の先には、赤松政秀。

 腕を組み、静かに話を聞いていた政秀は、やがてゆっくりと目を細めた。


「なるほど……」

 低く、落ち着いた声。

「治癒の念術専門の施設を作り、民が利用できるようにすると。」

 桜は小さく息を吸い込み、力強くうなずいた。

「うん。」

 言葉を探しながら、しかし迷いはない。

「たとえ重い病でも、初期の頃から治療すれば助かることもあると思うんだ。」

 桜の脳裏には、あの長屋の光景がよみがえる。

 畳の上に横たわる八郎。

 念術の光。

 少しだけ楽そうに呼吸をした顔。

 そして――

 線香の香り。

 桜は一瞬だけまぶたを伏せたが、すぐに顔を上げた。

「あと、希望者に治癒の念術を教える体制を作って、そこで働いてもらうの!」

 言葉が少しずつ熱を帯びていく。

「私一人じゃ、助けられる人の数には限界がある。」

 桜は拳を軽く握った。

「でも、治癒の念術を使える人が増えれば、もっとたくさんの人を助けられると思うんだ。」

 広間に、しんとした静けさが落ちる。

 政秀はしばらく黙って桜を見つめていた。

 やがて――

 その目が、ゆっくりと大きく開かれる。

 口元に、静かな笑みが浮かんだ。

 膝に置いていた手を、ぐっと握る。

「……すばらしい政策かと!」

 その声には、はっきりとした感嘆が込められていた。

 その言葉を聞いた瞬間。

 桜の顔がぱっと明るくなる。

 瞳がきらきらと輝き、口元が思わずほころんだ。

「ほんと!?」

 思わず身を乗り出す。

 政秀はその様子に小さく笑いながら、うなずいた。

「気軽に治癒の念術を施してもらえるとなると、民からの支持も得られましょう。」

 落ち着いた声で続ける。

「さらに近隣地域に知られれば、わが領内へ人が集まる可能性もある。」

 そして、ゆっくりと立ち上がった。

「さっそく皆を集め、合議を行いましょう!」

 その声は広間に力強く響いた。

 桜の胸の奥が、熱くなる。

 八郎の顔が、ふっと浮かぶ。

(……無駄じゃなかった。)

 もし、もっと早く治療できていたら。

 もし、治癒の念術を使える人がもっと多かったら。

 そんな思いが、この案を形にしていた。

 桜は静かに拳を握りしめた。



 姫路城――当主の間。

 重厚な空気が漂う部屋。

 政秀を中心に、重臣たちが集められていた。

 桜もその場に座っている。


 やがて、政秀が口を開いた。

「――というわけで、治癒の念術専門の施設を作りたい。」

 視線が、集まる。

 最初に口を開いたのは――黒田官兵衛だった。

「お見事な策かと。」

 淡々とした声音。

「反対の余地はありません。」

 その言葉に、部屋の空気がわずかに動く。

 桜は思わず官兵衛を見る。

 官兵衛はいつものように静かな顔をしていた。

 隣では、善助が頷いている。

 その白い着物の袖が、わずかに揺れた。

 さらにその隣で、友信も大きくうなずく。

「ええ案だあ。」

 温厚な声。

「民が助かるなら、それが一番だあ。」

 政秀は満足そうに皆を見回した。

 そして桜と目を合わせる。

 静かに、優しく微笑んだ。

 だが――

 その一方で。

 官兵衛は、黙ったまま桜を見ていた。

 鋭い視線。

 静かだが、まるで心の奥を探るような目。

(……政秀殿や善助の発案であれば、まだ理解できる。)

 官兵衛の思考は冷静だった。

(このような政策、本当にこの小娘が考えたというのか……?)

 桜はまだ若い。

 当主となってから日も浅い。

 それなのに――

 領国の政策を動かすほどの案を出す。

 官兵衛は細く息を吐いた。

 その鋭い目を、じっと桜に向けたまま。

 何も言わず、ただ黙していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ