その退場。
はぁぁ、生き返った
シキが持ってきたタバコもあるだけ吸い尽くし、リュージが持ってきた酒の瓶もすっかりと空になった。
彼等が来る前は部屋の中で一人、憂いの表情を浮かべて、神妙な想いに頭を廻らせていたミサキ。だが、今やすっかりと晴れやかな表情となっている。
頬が赤く染まっているのは、リュージが持ってきたこの世界の平民に好まれているのだという、ミサキ達の世界で言うところのエールに似ているお酒をラッパ飲みしてのけたせいなのだが、それを抜いてもミサキは陽気な雰囲気を醸し出している。
「もうさぁ、本当。肩ッ苦しくてしょうがなかったのよねぇ」
バキ ボキ 軽く回してみせたミサキの肩から、聞いただけでも痛くなる、有り得ないほどの音が鳴り響いた。
明るい口調と表情だが、その苦労をしっている弟達は、そんなミサキに労わりの声をかけた。
「本当、お疲れさま。自分達の勝手で召喚しておいて、監視とかは無いよねぇ」
「俺達への対応も」
世界を救って欲しい、そう彼等はミサキ達に懇願した。
だが、はっきりと言ってしまえば、それらは彼等の勝手だ。
ミサキ達には元の世界での平凡で平穏で、それでいて大切な日常があったのだ。『聖女』と祭り上げられるような、壮大で煌びやかな日々ではない。それでも、何物にも変えがたい、大切な日々が。
それをいきなり、召喚という誘拐、拉致と表現するしかない形で断ち切られた。
『聖女』の役目を成し遂げねば元の世界に戻れない、という脅し文句による洗脳、そして尊き身に不自由が無いようにという名の監禁という手段で、自由を奪った。
それは今も続いている。
傍に着かず離れず付けられた侍女が立ち去った、自室の中だけの自由な時間。
だが、実を言えば監視の目がちゃんとミサキの動向の全てを見張っているのだ。部屋の中での動きに、独り言まで。魔術の一種という方法をもって、この部屋の中の全てに目が行き届いている。
ミサキが部屋に入った後は、誰も会いに来る事はない。それは、部屋の外に護衛という名の見張りが王の許しを持たない者たちが近づくことさえも禁じている。
シキとリュージが今此処に居るのは、リュージが鍛え上げた魔術を使って目晦ましを行い、無理矢理通って来たからだ。
そして、こうして偽りを一切取り払った様子で、三人一緒の時間を過ごせているのは、監視の目という魔術を、自力で魔術を取得してのけたリュージが上書きして何事もない映像を見せているからだ。
そうでなければ、あっちの勘違いによって他人とされている二人が、ミサキの下に辿り着くのは難しい。こうして、ゆっくりとした時間を過ごしてもいられない。すぐに騎士達や王太子達が駆け込んでくるだろう。こちらの世界では結婚することも可能な15歳、だと勘違いされているミサキの下に故郷を同じくする、心を許しやすい青年を通すなど絶対に許せないと王を始めとする者達は考えているのだ。そこに含まれる意図など、かまととをぶらなければ、すぐに察せられる。それに呆れながら、今の所は三人も付き合っている。
元の世界に戻る為に。
ただ、それだけの為だけに、三人はこの国が望むように動いている。
逆らったせいで戻れないなど悔やんでも悔やみきれない。そもそも、この世界の一般的な常識や知識の無い状態で城の外に出て生きていける可能性も少ない。
数年とはいえ社会人として生きているミサキがそう考え、シキとリュージに僅かな隙を見て指示を出したのだ。
社会人として、ただ一人成人している大人として、そして幼い頃から二人を見てきた姉(姉代わり)として、ミサキには未成年者である二人を守り、そして家に帰す義務がある。
その為なら、押し付けられた『聖女』という役目を演じてみせるし、二人から引き離されようと一人頑張る覚悟があった。
それでも、慣れない生活と、一変した生活習慣、何よりヤニ切れ、酒切れ、自分ではない自分を演じる状況に心は弱ってしまった。
情けない、不甲斐ない、とミサキは反省する。
シキとリュージが気を利かせてタバコと酒を持ってきてくれて良かったと本心から思う。
これで心を強く取り戻して、再び『聖女』としてあれるだろう。
好みに欠片も引っかからない王太子やら騎士やらに様々な手段で言い寄られようと、『聖女』として楽ではない役目を負わされようと、頑張れると心意気を新たにした。
「姉さん。ある程度は準備が整ったよ」
そんな決意を新たにした姉の顔色を見て、シキが口を開く。
それはある意味で、ミサキの覚悟を砕く言葉だった。
準備とは、この世界で三人が自力で生きていける最低限の知識や力を手に入れたということだ。
拉致監禁に付き合わずとも、城から出ても充分に、この世界の平民の生活の中に紛れて生きているという。
『聖女』ではないシキとリュージの扱いを、この国の重鎮達は決めあぐねた。
何もしない、何が出来るかも分からない、勝手な言い分によれば無駄飯ぐらいな二人の青年を、どうして城で。偶然にして聞いてしまったその言葉が、三人の不信感をより一層高めることになったのだが、それを聞かれてしまっているなんて重鎮達はまだ気づいていない。
勝手に連れてきたくせに、自分達には必要が無いから無駄、邪魔というその精神を、三人は憎しみさえも抱いた。
そして、その考えの通りに、彼等はシキとリュージの二人をミサキから引き離し、城からも生きる力・術を教えるという理由をもって追い出そうとした。
ミサキが定期的に、二人と話がしたい、などと言わなければ、きっと今頃は田舎のどこそこへと捨てていただろう。そう思わせる動きと言動を、シキとリュージは何度も目の当たりにしている。
「でも…一応、元の世界に戻れる術がねぇ」
「それなら、そもそも用意してなかったってことが調べて分かったよ」
肩を竦めて自分が知ってしまった事実を披露したリュージが、ミサキ姉、と呟く。
行こう。
シキとリュージの声が重なる。
此処に居る必要は無くなった、と。
これまで、この世界に誘拐されてきた『聖女』達は、志半ばに命を落としているか、この世界の住人と恋に落ちて定住しているのだ。元の世界に戻った実績などなく、そしてリュージが調べ上げれた中に「異世界へと人を送る」という魔術は無い。その理論さえ編み出されてはいなかった。
魔術師達は説明の上で、『聖女』は異世界から落ちる、降り立つ、と表現した。
それはとても正しい表現だったのだ。
ミサキ達の世界は、この世界からすると上にあるらしい。
上から下に落ちるのは簡単だ。
ただ、上の床に穴を開けてみればいいのだから。そうすれば、後は勝手に落ちてきてくれる。
だが、下から上に押し上げようとするのは、落とす以上の力と技が居る。その力にまだ、この世界の魔術はいたってはいないのだ。
今の所は絶望的だ。
そうリュージは説明した。
「それと、そもそも『聖女』の召喚はこの国の独断らしい。そして、『聖女』という奇跡の存在を盾に周辺諸国から優位に立とうとしているみたいだ」
「性格、悪い」
シキの説明に、ミサキはケッと悪態をつき、そして奴等ならやりそうだと鼻で笑った。
世界の為、とか何とかミサキに説明しておいて、同じように困っている周辺諸国を脅してみせる。その根性が、ミサキには許せない、そして信じられなかった。
まぁ、ただの一般市民でしかなかったミサキには、それが政治的駆け引き、国の存亡を護る為の知恵なのだと言われたら、納得も理解出来ずとも何も言うことは出来なくなるが。
「そっか。うん、そっか。なら、ストレス溜めて『聖女』ってる必要は無い訳か」
弟達の話を聞いている間に、ミサキを幸せにしていた程よい酔いは冷めていた。
赤く染まっていた頬も、すっかりと元通り。
「じゃあ、もう偽るのは止める。そんでもって、出ていこう。でも、ただで出ていくのは面白くないなぁ」
ストレス発散がてらに、何か仕出かしてやろう。そう口にしたミサキの顔には、絵本の挿絵に見たチャシャ猫のような、ニタァという笑みが浮かび上がった。
妻になれ、などと毎度のように口説いてくる王太子や騎士達の目の前で、魔王のように扮したシキかリュージが浚ってみせる。
本性剥き出しにして、口汚く罵るだけ罵って出て行く。
弟達から出るアイデアの数々を、心を弾ませながら吟味して、ミサキはその後の生活へと思いを馳せた。
偽りもなく、『聖女』でもなく、ただのミサキという年齢に相当した生活を、引き離され自由に会うことも出来なかった可愛い弟達との常に共にあれる生活。
自由を満喫しながら、姉としての義務をちゃんとこなし、そして何時の日か元の生活へと帰ろう。
もう、ミサキの中には、玉の輿に乗るルートしか残っていないこの城での生活も、望まれる『聖女』としての役割も、何もかもが霞がかって消えようとしていた。
あるのは、そう。
『聖女』という偽りが一切含まれない、未来だけだった。
「ふふふ。楽しみね。自由な生活、二人と一緒に暮らせる日々…」
嬉しさは口から自然と吐き出される。
その嬉しそうで浮かれる様子を見て、弟達二人も顔を綻ばせた。
ただ、
「言っておくけど、自由って言ってもタバコやお酒は自由にはさせないからね」
いい機会だから禁煙禁酒とまではいかないまでも、量を減らそうね。
リュージがそう指摘して、それを楽しみにしていた部分も多いにあったミサキに釘を刺すのだった。
「ミサキ。君が『聖女』という尊き役目を負っているのは分かっている。それでも、私のこの想いは止まらないんだ。どうか、私の妻に・・・」
「ハッ。ちゃんちゃら可笑しくて、へそでお茶が沸かせそうだわ」
「えっ?」
み、ミサキ?と王太子が戸惑いを露にする。
何時ものように、自分の顔が整って女性に好まれると知っている王太子は、自身の魅力を全開にしてミサキを口説こうとしていた。
それは、ミサキへの恋心というよりは、『聖女』という存在を完全に取り込んで利用しようという、王族としての責務だった。その事はちゃんと知っているミサキは、一切なびくことは無かった。頬を染めたり、顔を逸らしたり、そんな王太子が毎回手応えを感じていた反応はただ、笑いを堪えていたに過ぎない。
全然好みでもなんでもない相手から、日本で生活していれば聞くこともない恥ずかしい言葉の羅列で、口説かれる。
その状況に、ミサキはずっと大笑いしたいのを堪えていたのだ。
だが、もうそんな我慢をする必要はない。
もうすぐで、オサラバだ。
そう思っていたせいで、ついつい、思いの丈をうっかり吐いてしまった。
しまった、と思っても遅い。
それはしっかりと、王太子にも周囲に侍る騎士や侍女、侍従の耳に届いて驚きの衝撃を与えていた。
三人の計画では後日、また別の計画で立ち去ることになっていたのだが。
「シキ!リュージ!」
こうなったら実行前倒しあるのみ!
いざという時には呼べ、と渡されていた道具を用いてミサキは弟達を呼んだ。
「ったく。やると思ってた!」
「姉さん、だしな」
すると、瞬く間に二人の姿がミサキを囲むように現れた。
その表情には、その第一声の通り予想が出来ていたようで怒りなどではなく、呆れが占めていた。
「み、ミサキ!!」
「貴方達が見ていた『聖女』は偽りにつき、退場させて頂きます」
その言葉だけを残し、ミサキ達三人の姿は一瞬の内に消えてしまった。
驚き呆けていた王太子達はしばらくの間、現状を飲みこめずにいた。だが、理解出来れば行動は早い。
怒気を露にした王太子が命を出し、重鎮達を集め会議を行う。
騎士や衛兵、秘密裏に傭兵なども動かして、国中を浚うように、ミサキにシキ、リュージを探し出せと命じた。
だが、三人の姿を探し出すことは、ついに出来なかった。
偽りしか見せていなかった彼女達が本来の姿を露にして、虎視眈々と培っていた全てを活用すれば、見当違いに探す者達を交わすことは、とても簡単なことだったのだ。
彼女達三人が、元の世界に帰れたのか。それは、彼女達を召喚した王達の誰も知ることはない。
何故なら、『聖女』達の失踪から一年も経たない内に、周辺諸国が手に手を取り合った連合軍によって、全員が命を落としたからだ。
『聖女』を盾にして、優位性を示していたのだ。
『聖女』を失っては、それらによって苦汁を飲まされた者達がどう想い、どう行動しようなど簡単に想像がつく。
ただ、その様子を冷たい目で見ていた三つの人影を、連合軍の記録係が記録に残していた。
大酒を喰らいキセルを吹かせる、少女。
戦場近くという場に似つかわしくない量の菓子を次から次へと口に運ぶ、精悍な青年。
その二人の世話をしながら、戦場から降りかかってくる火花や攻撃の余波を、手を軽く振ることで伏せず、見目麗しい青年。
それだけが、彼女達の姿を公式に残る、最後の一文だった。
異世界召喚って、拉致監禁だし。
お願い、助けて、などと言いながらも実質断る道って無いよな、と思っただけで思いついた話でした。
お付き合いありがとうございました。