表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

美桜の青春と違和感

 取調室の由紀子は静かに口を開いた。

「あの人はあたしたちを守るために離れたんです。あの人なりのやり方で」

石原は深く息を吐いた。

「あなたは元のご主人、隆也さんの言葉を信じているんですね」

「はい、もちろんです。あの人は嘘をつく人ではありません。家族を守るためなら、どんな苦しみも選ぶ人なんです」

由紀子の瞳には揺るぎない確信が宿っていた。

「だからあたしもあの人と同じ道を選びました。美桜を守るために」

取調室の時計がまたカチリと音を立てた。物語は、いよいよ追われる娘の章へと進んでいく。

由紀子は天井を見上げるようにして、少しだけ表情を緩めた。

「美桜は明るい子でした。大学に入ってからは、ますます社交的になって…。友達もたくさんできて、毎日が楽しそうでした」

石原は黙って耳を傾けている。辻川はキーボードを叩く手を止め、由紀子の横顔を見つめていた。

「美桜は文学部に入りました。小さい頃から本が好きで、特に海外文学が好きでした。姉に似たんだと思います」

由紀子の声はどこか誇らしげだった。

「ゼミでは同じ学年の男の子と仲良くなったみたいで…。最初はただの友達だったんです」

「その人が後の元カレなんですか?」

石原が静かに訊ねる。

「はい。彼は〈柳川颯真〉って云います。最初はとても優しい子だったそうです。話をよく聞いてくれて…。誕生日には手作りのしおりを作ってくれたりと、美桜は嬉しそうに話していました」

由紀子は少しだけ微笑んだ。

「あたしは美桜が恋をしたんだと、そのときは嬉しかったんです。でもある日から、美桜の様子が変わりました」

由紀子はテーブルの上で指先をそっと組み替えた。

「いつものようによく笑うんですけど、目が笑っていないんですね。家に帰ってきても、スマホを気にしてばかりで、通知が鳴るたびに、肩をびくっと震わせるようになって…」

石原の表情が引き締まる。

「どうしたんですか?何か言ってませんでしたか?」

「最初は何も言いませんでした。「ちょっと疲れてるだけ」って…。でも、あたしは気付いていました。美桜は何かから逃げているって」

由紀子は石原から目を逸らすように、何もない空間に視線を移して続けた。

「ある日、美桜が言ったんです」

由紀子は娘の声を思い出すように目を閉じた。

「お母さん、颯真ね、ちょっと変かも知れないって」

「変?」

石原が問い返す。

「はい、最初は優しかったけど…。だんだん、美桜の行動を全部知りたがるようになってきたんだそうです」

由紀子は淡々と続けた。

「講義が終わる時間に、教室の前で待っていたり、サークルの集まりがあると云えば、理由をしつこく聞いてきたり。友達と写真を撮れば、これは誰なのかと詮索する。大した理由もなく、たまたま帰り道を変えれば、どうしてルートを変えたんだと追及するとか、そんな具合です」

辻川は思わず眉根を寄せた。

「それって…。もうストーカーですね」

「ええ。優しさが監視に変わっていったんでしょうね」

由紀子は憤懣やるかたないという表情で続けた。

「ある夜、美桜が泣きべそかいて帰ってきました」

由紀子の声がわずかに震えた。

「お母さん、あたし怖いの。それでね、別れたいって言ったら、あの人笑ってね、別れないよって言うのよ。僕たちはずっと一緒なんだからって。もう訳わかんないっ」

美桜は俯き加減で続ける。

「それにね、あの人の家ね、やっぱ、何か変だよ。地元では有名らしいんだけど…」

説明し辛そうに顔を上げた。

「あたしはすぐに警察に相談んしようって言いました。でも…」

石原が先に言葉を継いだ。

「警察から証拠がないと言われた?」

「はい。待ち伏せも、つきまといも、証拠がなければ指導もできないと」

由紀子は悔しさを押し殺すように唇を噛んだ。

「美桜はどんどん追い詰められていきました。 スマホに日に何十件というメッセージがくるんです。

「今どこにいるの?」

「返事して」

「僕を無視しないで」

「君のことは全部わかっているからね」

辻川が息を呑んで由紀子を見つめた。

「それは完全にストーカーじゃないですか」

「はい、でも、み、美桜は…、美桜は…、あたしたちに迷惑かけたくないって、しばらく黙っていたんです」

由紀子は静かに目を伏せた。

「あたしは気付いてあげられなかった。美桜がどれほど怯えていたのか」

「ある日、美桜が震える声で言ったんです」

「お母さん…あの人、家の前にいた」

取調室の空気がわずかに凍りついた。

「あたしはすぐに美桜を抱き締めました。でもあたしは悟ったんです」

由紀子はゆっくりと顔を上げた。

「あの影がついにあたしたちの家にまで来たんだと」

「あなたの元ご主人が恐れていた影とですか?同じものなんですか?」

「はい、美桜を追っていた柳川颯真という男は、ただの同級生ではありませんでした」

由紀子の声は静かだった。しかし、その静けさの奥に深い恐怖が潜んでいた。

「ここから先は美桜を守るために、あたしと隆也が動き始めた話になります」

取調室の時計がまたカチリと音を立てた。物語は幸福の残像を完全に失い、暗い影の中へと踏み込んでいく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ